2011年12月23日金曜日

和尚も登場・「絵コンテ」発想法の新刊書 発売


平成23年12月23日

「絵コンテ」発想法を説く「大野 浩」さんの新刊本が書店に並び始めました。「天才ダ・ビンチから学ぶ・驚きの絵コンテ発想法」(既刊)に続く第2弾で、「プロでも夢中!『絵コンテ』発想&発信法ーシャーロック・ホームズはipadで発想する夢を見るか?」という長い題名の本です。今回は「プロに聞く発想の秘訣」ということで6人の専門家か取材されているのですが、その一人が和尚です。
日刊工業新聞社発行で、1400円+税です。書店で手にとって見てください。合掌

2011年12月22日木曜日

四国12回 結願の旅 79~88番+1番 西大寺発


平成23年11月19~20日

奈良から2台、梅田、姫路から各1台の4台が結願の旅に出発した。和尚は奈良の2号車、お客様は40名。近畿道~山陽道~瀬戸大橋のルートで、お昼前に昼食会場の「さぬき麺業宇多津店」に到着。うどんは「釜揚げ」か「ぶっかけ」若しくは「ざる」の選択だが、さすがに「ざる」の希望者はいなかった。讃岐出身の和尚としては、「釜揚げ」は譲れないところ。高照院からおまいりをと現地に向かうと既に2台、急遽80番国分寺からに変更した。重文の梵鐘は1打100円、それでも、必ず鐘を突く事にしているというお客様が一人挑戦。それから69番高照院へ戻った。白峰宮の鳥居は「三輪鳥居」で日本で3例のひとつ、宮の一隅に本堂・大師堂がある。元来、神宮寺であったのだ。五色台を登り、81番白峯寺へ。崇徳上皇のご廟があり、高照院と共に上皇ゆかりの札所である。五色台を東に走ると82番根香寺、堂々たる山門から石段を一旦下り、本堂まで登って行く。緑に満ち満ちて雰囲気の良い寺だ。11日に来た時は、紅葉が素晴らしかったが、既に落葉してしまっている。香木の根が川に流れ、その香りの見事なところから「香川県」となったという。83番一宮寺には16時半過ぎとなり、4台中最終組だ。梅田組の勤行を待つ間に「地獄の釜の音」を聞くことに。お薬師を祀る石の祠に首を突っ込んで耳を澄ませると、「ゴー」という音が聞こえるのだが、それを「地獄の釜の音」という。16時半を過ぎたので火は自粛、「運心」でお願いし、本堂、大師堂、護摩堂と巡って打ち止め。宿は高松市内の「三松旅館」、市内唯一の温泉とか。夕食後は、訪ねてくれた地元の先達さんとご懇談の時を過ごした。2日目は、8時前に出発し、87番長尾寺に向かう。静御前の剃髪塚で、義経との別れから剃髪までの物語を話す。86番志度寺の縁起では、「海女の石塔」が哀れだが、周りを足場丸太で柵をしている。心無い人が破壊するからとの札が掲示してあるが、いかにも無粋な感じで、お客様もブーイングだ。85番八栗寺のケーブルカーは臨時便を出してくれ、待ち時間は零。登りの車中は、「いろは歌」の大合唱となった。なにしろ、昨日のバスの中でしっかり練習してきた成果がでたのだ。老人たちに教えたいとCDを求める方も。84番屋島寺は、源平の古戦場を右手にドライブウエイを登る。太三郎狸一家の石像がユーモラスに迎えてくれる。昼食は門前の「南山」、時間をずらせ2号車は最終組。お店のご主人から「有名ブランドのうどんより美味しいから、試食を」と「石丸うどん」の半生を頂いた。(後日談だが、これはすごかった。半生嫌いの家内が、また買って来いと云う程だ。)そして、結願の88番大窪寺だ。「結願の証」を頼んだ方も多く、皆さん感動の面持ちだ。和尚も、先達の推薦寺なので、お供えをお届けさせていただいた。お参り前とお参り後の写真を見比べるべしと云う和尚の話しに賛同されたか、記念写真が良く売れた。間違いなく、良いお顔になっているのだ。1番霊山寺に戻って、お四国の一筆書きが完成する。本堂で、梅田組と一緒に尼さんの法話を聞き、お勤め。帰路のバスでは、高野山お礼参りの説明、いろいろと質問も飛び出した。2日間天気にも恵まれて、良い結願の旅でした。結願されたお客様、本当におめでとうございました。合掌

  大窪寺にて    結願の 喜び満ちて 年の暮れ

           明日こそ 終い弘法 結願日

(写真は長尾寺本堂と大師堂)

西国3回 5~8番+法起院


平成23年12月18日

西国3回は和尚の地元コースと云っても良い。いつもなら難波から乗車するのだが、今日は2号車で梅田のみの集合という。30分早起きして梅田まで足を伸ばした。ほとんど毎週、土日には遍路に出かけるという茨木のご夫婦にバッタリ。先日の善通寺での先達研修会でもご一緒したが、ご夫婦で「権大先達」だ。今日は四国3回に乗るという。和尚のバスのお客様は23名、従って添乗員も一人、まずは阪神高速~阪和道~南阪奈道を利用して長谷寺の駐車場を目指す。お参りは番外の法起院から。本連の念珠の使い方など説明して勤行、ご廟を「お砂踏み」しながら一周する。8番長谷寺は、寒牡丹のシーズン到来。藁の傘で守られた牡丹を愛でながら、登廊をゆっくり歩む。デジカメも大活躍だ。右手に錫杖、左手に蓮華を挿した水瓶を持つ大観音は、「長谷寺式観音」と呼ばれ全国に流布している。「長谷の舞台」でお勤めを済ませ30分後にバス集合ということで自由に散策していただいた。全員がバスに戻ったが、添乗員の納経が手間取っている。待ち時間を利用して「勤行次第」の意味について説明。昼食が少し遅れることをお詫びして7番岡寺へ。本堂に上がり国宝の如意輪観音をじっくりと拝観、薬師如来眷属のお軸を前に、日光・月光両菩薩の働きについて解説する。兄弟子の土口哲光師の受け売りだが、「太陽女性論」に皆の顔がほころぶ。お客様にも手伝っていただいてお弁当を配り、昼食。かって和尚と一緒だったという「先達輪袈裟」の男性と女性がなにかと気配りをしてくださり、大助かり。お陰で全員が良くまとまってお参りができている。13時過ぎに6番壺阪寺に着くと「13時半から池坊家元の献華式があるので、お急ぎ下さい」という。拝堂はいつもと様相が変わって関係者が席についている。その中をすり抜けて本堂に入り、ご本尊の前に坐して勤行。退出すると、入れ替わるように池坊の一行が入堂された。広い境内の天竺渡来の石仏を順に廻り、10分ほど走って「柿の葉ずし・たなか」で休憩。打ち止めは5番葛井寺、本尊千手観音は天平仏として名高く御手が1042本。何と今日は月に一度のご開帳日、境内に露店もならび正に縁日だ。本堂でお参り後、各自特別拝観。16時打ち止め。大変スムースな一日でした。合掌

  葛井寺にて  観音供 開帳縁日 葛井寺

(写真は長谷寺の寒牡丹)

2011年12月15日木曜日

小豆島八十八ヶ所 遍路のご案内

平平成23年12月15日

小豆島八十八ヶ所の遍路の旅を企画しました。
昔から島遍路として名高いのですが、和尚も初挑戦です。
しかし、土庄港の「旭屋」さんが大阪までの送迎から案内まで
一手に引き受けて下さることになりましたので安心です。

期日 平成24年3月9日(金)~11日(日) 2泊3日
費用 約5万円(10人の想定ですので参加者が増えれば安くなります)
詳細は和尚までご連絡を。資料をお送りします。

090-2351-3927 田尾秀寛
jotokuji6637tao@docomo.ne.jp

西国 一乗寺~圓教寺

平成23年12月14日

愛犬「てつこ」を車に乗せて加古川から姫路へと遠出した。西国札所会は、一周廻って「先達」それから2周して「中先達」、さらに3周すると「大先達」となる。合計6周だが、和尚は一乗寺と圓教寺の2ヶ寺が最後に残っていた。高速を走り、2時間ほどで一乗寺に着く。石段を本堂に向かって登りながら前回は、大雨だったことを思い出した。駐車料、入山料、朱印料でざっと1000円。そこから1時間弱で圓教寺だ。なんとロープウエイが定期検査で運休中。どうなるかと思案していたら、なんと待合所で「出開帳」、厨子に納められた小ぶりの本尊如意輪観音様を間近くで拝ませていただける。日頃は、遠くてほとんどお姿は拝見できないのだが、なんとラッキーなことよ。(12月24日まで運休)これで、今年は四国霊場会の「権大先達」、西国札所会の「大先達」に昇補する年となった。来年もがんばらなくちゃ。合掌

 西国にて   西国の 寺を巡りて 年の暮れ

 年賀状    お大師の 言葉を添えて 年賀状

2011年12月14日水曜日

四国3回 西大寺発


平成23年12月11日

西大寺から添乗したが、お客様は18名とコンパクト。皆さん、和尚とは初めてというので、色々と説明させていただいた。大阪からのバスは満員状態、16番から打ち始めるというので、我々は12番焼山寺に向い順打ちで回ることにした。山頂は寒く、雪の塊が解けずに残っていた。いずれにしても、この回は歩け歩けのコース。焼山寺も駐車場から15分ほど歩くし、13番大日寺の駐車場も離れている。14番常楽寺近くにはバスは入れないし、15番国分寺へは、全くの歩き遍路だ。16番観音寺へも路駐のバスから数百メートルを往復する。いつもなら、打ち止めが17時近くになるのだが、日曜日とあって高速道路がスムースで、少人数で乗り降りに時間がかからないこともあって16時には打ち止めとなった。帰路も、事故渋滞の阪神高速を、湾岸線に迂回して19時過ぎには西大寺着。
次の4回からは、1泊2日のコースになる。また、ご一緒しましょうとお別れした。合掌

 焼山寺にて  初雪か 白く残るや 焼山寺

(写真は焼山寺の本堂と大師堂)

2011年12月8日木曜日

阪急岡山 西国8回 30・32番


平成23年12月7日

岡山方面からのお客様36名と名塩SAで10時前に合流。バスの到着を待つ間、やはり岡山からの1回目バスに添乗する先達に聞くと、先日同じコースで時間がギリギリになり大変だったとのこと。長浜から竹生島への船便が、冬ダイヤに変わり一日2便になった影響との事だった。その点を、添乗員に聞くと、我々は臨時のチャーター便手配が出来ているとの話、まずは一安心して長浜港に向かった。早目のお弁当をいただき、12時20分に出港。お陰で、島は貸切状態、30番宝厳寺、神社とゆったりとお参りさせていただいた。皆が揃うまで、山本商店で一休み、いつもご接待に預るので「ようおまいり」をご主人に進呈、逆に昆布に観音様の姿が浮き出るという新製品の「観音昆布茶」などをいただいた。湖上は波は静か、しかもチャーター船は温室のようなガラス張りの船室、陽光を浴びて実に快適はクルーズだった。32番観音正寺は、麓の五個荘観光センターからタクシー4台でピストンで登山する。山頂近くの駐車場から徒歩15分で境内に至る。いつもは、歩きで麓から登るのだが、今回は初めからタクシー利用ということで和尚にとっては楽ちんだ。松本明慶作のご本尊を前に、数珠や鉦のつき方など説明して勤行。竜王ICから帰路につく。渋滞に遭うこともなく名塩SAで和尚はお別れ。倉敷に着くのは22時頃とか、お疲れ様です。合掌

 湖上にて   日向ぼこ お参り船や 竹生島

(写真は 宝厳寺の不動明王)

2011年12月4日日曜日

先達研修会と讃岐路

平成23年12月1~3日

第45回先達研修会が75番善通寺開催された。毎年初日が新任先達、2日目昇補先達の研修となっている。和尚は今年、権大先達の昇補の年となっている。2日が研修日なので、先達仲間を乗せて1日の午後に難波を出発。車は、朝引き渡されたハイブリッド車だ。11年乗り続けた愛車も20万キロ近くなって、ついに交代となった。新車に乗ってみて、この10年間の技術の進歩に驚かされた。せめて1ヶ寺位は、お参りしようと77番道隆寺に向かう。和尚は、「ようおまいり」を門前の「サンエイ」に届ける予定もあったので好都合だ。お参りの後は、「サンエイ」で、品定め。和尚は、特注で白作務衣の裏地にキルトを着けてもらうことをお願いした。お宿は、いつもの善通寺グランドホテル。高野山仲間の栗峯澄明師、四国の先達の櫻谷和香さんを招いて、6人でテーブルを囲んだ。研修会当日は、まずは金堂でお参りし南大門前の「コトブキ」でモーニングコーヒーを楽しむ。高校の同級生がやっている店なので、顔を出さない訳にはいかない。大師堂でお参りし、ご朱印をいただいて会場の遍照閣へ。会場で合流した顔なじみと連れ持って、最前列の右端に席を定める。新任研修は359人、昇補研修は433人とか。開会式の後、特別講演と講義が3つ。昼食を挟んで、中身の濃い研修だった。また「コトブキ」に戻り、コーヒーで一息。先達仲間は、別の車に便乗して帰阪したが、和尚はもう1泊して、お参りだ。73番出釈迦寺、72番曼荼羅寺、74番甲山寺、80番国分寺、82番根香寺、83番一宮寺と廻った。根香寺の紅葉は素晴らしく、雨混じりの天気にも拘わらずカメラを抱えたお客さんが多かった。紅葉の名所として知られているのか、『長時間の写真撮影はご遠慮ください。(お遍路さん参拝の妨げになります)』との看板がでる始末だ。合掌

根香寺にて  紅葉の 名所となるや 根香寺よ

2011年11月30日水曜日

四国5回 24~31番


平成23年11月26~27日

難波から43名のお客様と出発。ほとんどが和尚とは初めてのお客様、淡路島経由徳島道を走り、吉野川HWOの「みのだ亭」で釜あげうどん定食のお昼。結構好評のようだった。29番国分寺からおまいり、大師堂横の「酒断ち地蔵」に手を合わす方も。30番善楽寺には大きな錀がおいてあるので、それを使って錀の叩き方の説明、高野山の道場では、時計の文字盤に見立て、7時のところを内側から叩けと教えられた。31番竹林寺の紅葉を期待したのだが、まだ部分的だ。「一言地蔵」に案内して28番大日寺に向かう。朝から4ヶ寺廻りたいと添乗員と相談していたが、阪神高速の渋滞で、ギリギリの到着となってしまった。勿論、火の気は使えず「運心」となる。龍馬歴史館に立ち寄り、御宿の三陽荘に18時半ごろ到着。般若心経の資料のコピーをお願いすると1部5円、よその半額だ。いつもながら感謝。

   竹林寺にて 紅葉の 衣召すか 五重塔

   大日寺にて 秋夕日 赤く染まるや 土佐の海

27日は、6時半食事作法、7時30分出発。27番高峯寺へ。カシオワールドゴルフ開催中の渋滞を懸念していたのだが、臨時のギャラリー駐車場を用意し、バスでピストン運転をしているお陰か、ほとんど渋滞なし。9時に到着できた。マイクロで駐車場まで移動し、おまいり。「報恩の碑」の由来を説明、「高峯の名水」を汲み、本堂へ。朝一番とあって、石段も軽やかにクリア。これから先は、お寺の間隔が短いので、お弁当を頂く時間がとれない。26番金剛頂寺駐車場の「はらみたや」に確認すると焼き芋があるというので、五鈷杵のペンダントやアイスクリンと共にお勧めしておいた。本堂で、日光・月光菩薩の話をする。聞けば、天然記念物の「奴草」が芽吹いているというので、智光上人のご稜に案内。こことトイレの東側に繁茂するのだ。25番津照寺の石段は108段というのだが、数えながら登ってみると123段あった。24番最御崎寺の本尊・虚空蔵菩薩のご真言は、なかなか難しい。まずは、お唱えの練習。大師堂左の「一畑薬師」が大人気、年の数だけ「め」を書いた納め札を皆さん用意されていた。弘法大師のご修行地「御藏洞」に立ちより、やっとお昼。14時前になってしまった。日和佐道の駅、淡路島南、淡路HWOで休憩しながら大阪へ。淡路HWO出発が丁度19時、明石海峡大橋がレインボーカラーに変化し、歓声が沸く。高速道路が大渋滞でどうなる事かと思ったが、ドライバーさんの機転で柳原から湾岸線さらに鳴尾浜から阪神高速の武庫川に入り直し、20時半頃梅田到着。大正解だった。合掌

   西寺への道中にて お遍路を 迎える 赤いアロエ花

            ウロコ雲 藁干す土佐の 遍路道

   西寺にて     西寺や おどけ芽を吹く 奴草

(写真は津照寺の本堂への石段)

2011年11月24日木曜日

四国11回 66~78番


平成23年11月22~23日

この回は、和尚のふるさとコースだ。弘法大師のご誕生地75番善通寺を含む讃岐の西半分13ヶ寺を廻ることになる。難波を8時半に出発、お客様は41名と満席状態。山陽道~瀬戸大橋を経て善通寺に向かう。まずは「いろは会館」で昼食、うどん定食なのだが、中身が大分良くなっている。ちらしずし、精進揚げ、小鉢2、ぜりーのデザート付きだ。御影堂からお参り、お堂に勤務している高野山の道場仲間・栗峯師が勧めてくれたので、外陣に上がらせてもらってお勤めさせていただいた。広い境内を東院へ、金堂前でお勤めの後はしばし自由行動に。ご本尊近くで拝観や五重塔、大師が幼少の頃から在るという御神木を撮影するなど楽しんでいただいた。ついで71番弥谷寺へ。死霊が還る寺とされるが、大師の7歳の頃の学問所でもある。山の中腹に寺があるため、タクシーのオプションがあるが、それでも大師堂まで108段、さらに本堂まで170段の石段を登らなければならない。歩き組は17名、歩き組には「俳句茶屋」で一休みという特典がある。夏はトコロテン、今なら草餅だ。お茶のご接待を受けながら一息入れる。大師が身を投げたという「捨身ヶ嶽」が奥の院という73番出釈迦寺から72番曼荼羅寺までは歩き遍路、西行法師のお昼寝石を見て、これなら横になれると納得する方も。時間を気にしながら74番甲山寺へ。火の気を自粛し、「運心」でお願いした。打ち止めは16時45分、金毘羅さんの麓の「にしきや」に立ち寄りお買いもの。オリジナルの「しょうゆ豆」が評判だ。宿のアパホテル高松空港18時15分着。
2日目は7時30分出発。66番雲辺寺へ向かうのに、高速利用の方法もあるが、ドライバーさんの判断で地道を走る。大変スムースで、8時40分のロープウエイに乗車できた。上天気で、景色が素晴らしい。大師堂への石段の前に山門が新築されていた。本堂も近年の新築なので、新築ラッシュだ。67番大興寺への道路が工事中とかで、遍路道を走り駐車場へ。大師御手植えというカヤと楠の大木が石段の右手にある。本堂前の「三鈷の松葉」を戴く方も多かった。同じ境内に68番神恵院と69番観音寺がある七宝山は、納経所は一つであるが、お参りする方はそれぞれ本堂と大師堂を巡る。70番本山寺まで参り、昼食だ。本山寺の本堂は国宝、五重塔もスリムでスタイルが良い。智証大師円珍(弘法大師の甥)のご誕生地76番金倉寺の「乃木大将妻がえしの松」に女性軍は興味を惹かれた様子。77番道隆寺は、眼の薬師として名高い。前日に、納め札に歳の数だけ「め」を書いて「潜徳院殿堂」に納めることをお薦めしておいた。門前の「サンエイ」でお茶のご接待、和尚の「ようおまいり」が良く売れて、追加注文をいただいた。有難し。打ち止めは「宇多津の厄除け大師」78番郷照寺、門前の「地蔵餅」には白餅4個だけ残っていたとか、いつ行っても売り切れ状態のお店だ。ご宝号を7遍唱えて打ち止めは15時。三木SAで休憩して梅田から難波へ。19時着。合掌

  雲辺寺にて   ミカン山 登りて目指す 雲辺寺

  ロープウエイにて 紅葉と 瀬戸海眼下 雲辺寺

  出釈迦寺にて  人無くも 売られる蜜柑 遍路道

(写真は、雲辺寺の新山門)

2011年11月17日木曜日

秀寛和尚と行く「土佐の国 一国巡り」





平成23年11月14~16日

恒例の和尚と行く一国巡りも6回目で、今秋は「土佐の国」24番最御崎寺から37番岩本寺までの14ヶ寺。38番延光寺と39番金剛福寺は、次回に繰越だ。今回のメンバーは、13名、和尚と添乗員とで15名だから小型のバスで、丁度良い。14日8時新大阪、8時30分難波とまわり、まずは淡路島SAへ、阪急トラピックスの2回目、11回目のバスと遭遇、顔なじみの面々と挨拶を交わす。24番最御崎寺への経路を徳島道~高知道とするか国道を走るか相談したが、どちらが早いか判らないというので、ドライバーさんの感にまかせ、地道を選ぶ。日和佐・道の駅でお昼休憩、バスを停めてのんびりとお弁当をいただく。大師の修行の地「御蔵洞」に14時前到着、想定より早く着けた。御蔵洞の中から空と海を眺め、空海を偲ぶ。最御崎寺から25番津照寺とまわり26番金剛頂寺へ。「はらみたや」でアイスクリンをほおばり、鳴門金時の焼き芋のご接待も。和尚は、掛軸台とお軸を入れて持ち運ぶ袋を発注、来週の第5回の添乗までに仕上げてもらうことに。お参りの最後に「いろは歌」を合唱して宿坊へ。夕食まで時間がゆったりとあるので、「秀寛’sバー」を店開きする。なにしろメンバーが持参したものを集めると、焼酎3本、梅酒2本、手づくりの漬物が2瓶、おつまみがサラミソーセージ、するめ等など。氷とお湯を用意して、まず一献だ。宿坊の料理とは思えないほど豪勢な夕食に堪能し、「秀寛’sバー」で二次会。

  御蔵洞にて   秋の空 海と重なる 御蔵洞

15日6時より護摩堂にて朝勤行。ご住職が東京の宗務所に出張中とかで、導師は副住職の息子さん。法話もあって、すぐ朝食、丁度日の出のタイミングで急遽朝日の撮影会だ。7時半出発、全員に「海洋深層水・マリンゴールド」のご接待。27番高峯寺へは、2台のマイクロに乗り換えて登る。名水100選の「高峯の水」をペットボトルに汲み、和尚は加持水とするつもりだ。28番大日寺では、奥の院「爪彫り薬師」も詣でる。29番国分寺は、「土佐の苔寺」とも云われるが、何時来ても良く手入れが行き届いている。門前の店では、網代笠を買う者、竹の杖を買う者と結構盛り上がってしまった。30番善楽寺を打って、市内の「濱長」で昼食。舞舞台を取り巻くように部屋が配置されていて、聞けばお抱えの芸妓もいるとか。31番竹林寺は、和尚の大好きなお寺のひとつ。五重塔、一言地蔵と案内して32番襌師峯寺へ。上り参道横に立つ十一面観音像の後頭部にある「大哄笑面」を良く見るように説明する。通常は、十一面観音の後頭部など拝見することはないからだ。33番雪渓寺で打ち止め、「いろは歌」で16時40分。お宿の三陽荘に向かう。夫婦2組以外は、
安荘(やすらぎそう)に部屋割りしてくれていた。名前は知っていたが、泊まるのは始めて。台所も付いた二間続きの豪華な空間だ。露天風呂に飛び込み、一息ついてから夕食。相変わらずの豪華版だ。「秀寛’sバー」もゆったりと心行くまで語り合う場となった。

  金剛頂寺にて  護摩堂の 朝勤行や 秋日の出

16日7時30分三陽荘のマイクロバスで、35番青龍寺まで送迎。元横綱朝青龍関が、明徳義塾高校時代のトレーニング場だったという本堂までの石段を息を弾ませながら登る。本日の一番乗りだ。帰りはスロープで下り、恵果堂にお参り。お四国で、恵果和上のお堂があるのは青龍寺のみだ。34番種間寺の子安観音像の周囲には、安産御礼の底を抜いた柄杓が奉納されている。年齢を見ると高齢出産が多い。40歳を超えた方もちらほら。36番清滝寺へも、マイクロバス利用だが、何度も切返しを強いられる細くて急な道だ。本堂前に立つ薬師如来の台座が、戒壇巡りになっている。漆黒の闇を体験してもらう訳だが、キャーキャーワアワアと大騒ぎだ。1時間ほど走り37番岩本寺へ。本堂の格天井に嵌めこまれた絵が575枚、マリリンモンローから子猫までバラエティに富んでいる。本尊は、五体いらっしゃるので、本尊真言も五体分唱える。12時に打ち止めし、「此処や」の手造りアイスクリームを賞味する。和尚は「生姜+いちご」味を選択。お昼は、ユーイング四万十で「うどん定食」。ビールで乾杯、うどんでお腹一杯になり、ちらし寿司は、お持ち帰りさせていただいた。帰路は車中で、一杯やりながら、ワイワイと大賑わい。19時頃、難波着。来年春の「伊予の一国巡り」は、4月16~18日に決定。15日夜のフェリーで東予港に向かう。希望の方はご一報を。合掌

  土佐路にて   朝陽あび そよぐススキや 土佐の道

(写真は、金剛頂寺での朝陽と御蔵洞から空と海を望む)

2011年11月11日金曜日

西国2回 堺発


平成23年 11月9日

和尚にとっては3日連続の山登りとなる。堺から三国が丘、泉ヶ丘と廻って、まずは4番施福寺の山登りから。お客様は36名。無理をしないようにとお話ししていたら、2人は和尚に納め札を託して遥拝することに。観光センターで杖を借りるように勧め、ご主人にご挨拶。いつもご接待いただくので、今日は「ようおまいり」をプレゼントに持参した。全員が登りきるのを待って、本堂に上がり込みお勤めだ。汗の引く間、いろいろと話をさせていただいた。皆さんへのおすすめは、「草餅」に「しぶ柿の葉寿し」だ。ご主人が自慢するだけあって、これは旨い。1時間ほど走り、「マリーナシティ」で昼食。遅めの御昼となったが、「食事作法」、添乗組は「助六寿し」のお弁当。すぐ近くにある2番紀三井寺の石段を登る。名前の通り3つの井戸がその由来、石段も紀伊国屋文左衛門の故事により「結縁坂」とも云う。お参り後、松本明慶の大観音堂でご案内。入館料200円だが、70歳以上は100円だ。3階まであがり外回廊から、観音様のお顔を拝する。回廊からながめる「和歌の浦」も素晴らしい景色で、万葉集に歌われるはずだ。さらに1時間ほど走り、3番粉河寺に。境内は広く、見どころも多い。内陣へ拝観料は300円だが、今回はツアー代金に含まれているとかで、皆で上がりお勤め。そして国宝「粉河寺縁起絵巻」の写本や「野荒らしの虎」(伝左甚五郎作)や仏様など拝観して打ち止め、丁度17時だ。泉ヶ丘18時着。合掌

 施福寺にて  柿の葉の 寿しや草餅 槇尾寺

          秋の風 杖を頼りに 登る寺

 紀三井寺にて 和歌の浦 見下ろす千手 秋の風

(写真は 粉河寺の桃山式庭園)

2011年11月10日木曜日

四国2回 7番~11番 西大寺発


平成23年11月8日

西大寺から21名のお客様と阿波路へ向かう。人数が少ないので、添乗もアシスタント無しだ。阪神高速の渋滞をさけて、近畿道経由で淡路島を渡る。2回目なので、基本的なことをおさらいしながらの走行だ。1番霊山寺で、追加の買物の後、11番藤井寺へ。この道中で昼食を摂って貰う。梅田からのバスが先行していて、大師堂のお参りを合同で勤め、奈良組はその後本堂へ。本堂外陣天井の30畳敷きの雲龍図に皆の感嘆の声。10番切幡寺は、800m+333段の石段だ。歩き組とタクシー組に分かれて望むのだが、なんとタクシーは3名のみ。お参りの後は、大塔まで案内して吉野川を見下ろす景観を楽しんでいただく。階段の途中にある不動堂で、息を入れながらお不動さんのご真言の練習。リズム感が難しいようだ。下山し金山商会でお茶のご接待、「ようおまいり」を買われたお客様から署名を求められ「和顔施」と書き、意味を説明する。9番法輪寺門前の「あわじ庵」には電話を入れて草餅の確認をしておいたのだが、残り少ない上に、先客の団体がお参り中、売り切れを心配して奈良組はお参り前に草餅を確保してもらうことにした。また、駐車場に来ている果物屋さんも大人気だ。8番熊谷寺では、ご詠歌の声が流れる中、多宝塔から中門へ。中門の門番は持国天・多聞天だ。多聞天は、独尊として祀られると「毘沙門天」と呼び名が変わると説明すると、「えー」と声が上がる。大師堂が、丁度本堂の屋根の高さにあり、鬼瓦が間近かに観賞できるので、撮影会の様相となる。7番平等寺が打ち止め、「治眼疾目救歳地蔵」がなぜ「歳」と表記するか?年齢に関係なく救うという意味が込められていると説明する。実は、和尚も、知らずに「ようおまいり」の中では「救済」と書いてしまったのだ。色白の役者のように美男子のお大師さまにご宝号を7遍唱え、打ち止めだ。中門に上がり「愛染明王」におまいりして、16時過ぎ。渋滞をさけて、宝塚経由で走り西大寺19時半帰着。合掌

  切幡寺にて  秋霞み 鏡の水面(みずも) 吉野川

(写真は熊谷寺中門の多聞天)

西国11回 長命寺~宝巖寺


平成23年11月7日

西大寺から2台のバスが湖国に向かった。調整の結果、和尚の2号車は竹生島・宝厳寺からおまいりすることになった。お客様は34名、京奈和道~京滋バイパス~名神と乗り継ぎ、草津SAで休憩後、北陸道で長浜港へ。早めのお弁当を摂ってもらい、11時30分発の便で竹生島に。正面の石段を登り、まずは弁天様におまいり。そして中腹の唐門から観音堂に向かう。石段が無理と思う方には、唐門の前で待機して貰った。勤行後、舟廊下を通って神社で解散。13時20分発の戻りの便まで、ゆっくりしていただく。和尚は、いつもの山本土産店にてご主人と四方山話だ。風で、船が揺れるかと思ったが、そうでもなかった。ついで、長命寺の808段の階段に挑戦だ。タクシーを利用すると、残り100段のところまで運んでくれる。(オプションで往復800円)添乗員が、確認すると、歩き組は男性2名、女性1名のわずか3名。しかし、ピストン輸送のタクシー組の最後尾とほぼ同着だった。タクシー降り場で、「残り100段!」と声を掛けると、ドライバーが近寄ってきて、小声で「さらに80段ほどあるよ」と教えてくれた。確かに、門をくぐってからも、本堂まで石段が続く。雨を心配したが、降られることもなく、良いお参りだった。合掌

  宝巌寺にて 竹生島 神や仏や 秋の湖(うみ)

(写真は宝巌寺唐門)

2011年11月2日水曜日

ダライ・ラマ法王14世 大阪特別講演


平成23年10月30日

高野山大学創立125周年の記念事業として招聘したもの。大阪と高野山とで講演が行われたが和尚は、スケジュール的に大阪会場を選んだ。折角なので、お近くで拝聴しようとSS席を申し込んだ。前から5列目の47番、中央からやや右手の良い席だった。会場は舞洲アリーナ、広い会場はほぼ満員の状況、韓国から沢山の方が来られているのが目についた。午前の1部は、「般若心経を語るー空から慈悲へー」。宗教概論から説き始め、20世紀は「暴力の世紀」であったが、21世紀は「暴力のない平和を構築する時代」、個人の心に平和がなければ世界平和につながらない。心の中に平和を創りだす努力をしよう。そのためには、愛や慈悲の心をはぐくんでいく必要がある。愛と慈悲の心を高めるということは全ての宗教の根本であると。そして釈尊の初転法輪、第2法輪、第3法輪の展開から密教を「菩提心と空の教え」とし、懇切丁寧に「空」を説かれた。午後の2部は「人生の困難を生き抜く力」。冒頭に会場からの質問を受け付けたが、熱心な質問と判りやすい回答に感動を覚えた。「知識、教養は高まっているのだから、今こそ心の中の資質を高める教育が必要。思いやりの心を高めることが、世界平和につながる」と強調された。和尚は、記念に「般若心経入門」と「ダライ・ラマ希望のことば」の2冊を購入した。特に前書は、1部の講演の中身に等しい。今度、お四国では、チベット語訳「般若心経」の和訳をお配りしようと思う。我々が唱えている心経は「小本」でチベット語訳は「大本」といわれ、小本の後に成立とされているが、中々興味深い。合掌

 法王のことばー人生の本当の意味ー
 
 私たちはこの惑星の一時滞在者です。
 私たちがここにいるのは
 せいぜい90年か100年に過ぎません。
 その間に私たちは、自分の人生によって、
 何か善いこと、役に立つことをしようと努めなければなりません。
 もしもあなたが他の人々の幸福に寄与するならば、
 あなたは本当のゴールを見つけるでしょう。
 それが人生の本当の意味なのです。

(写真は、ダライ・ラマ14世ー講演会パンフからー)

2011年10月29日土曜日

出雲路・一畑薬師



平成23年10月25日

電通時代の異業種交流の研究会のメンバーで出雲路を旅した。和尚のたっての希望で「一畑薬師」を入れてもらった。松江城から小泉八雲ゆかりの地を訪ね、出雲大社に。君が代に歌われる「さざれ石」をはじめて見た。名物「出雲そば」に堪能した後、「一畑薬師」へ。同薬師は、「眼のお薬師さん」として全国的に知られていて、開創は894年、日本海の赤浦海中から漁師の与市が引き揚げた薬師如来をご本尊としておまつりしたのが始まりと云う。与市は比叡山で修行し開基「補然和尚」として来年は千百年遠忌大法要が営まれるという。和尚が一畑薬師にこだわったのは、お四国の24番最御崎寺や52番太山寺に勧請されていて、一度はお参りしたいと思っていたからだ。歩けば1300段余の石段なのだが、車で山頂まで登ることができる。納経札を戴き、役僧にお四国との関係を聞いたが、その事実を知らず、逆に「良い情報をいただいた」と感謝されてしまった。お加持用にと、霊水を戴いて下山したが、積年のつかえが取れた思いがした。今は、臨済宗妙心寺派で、一畑薬師教団の総本山だ。合掌

  松江城にて  堀に舟 威風堂々 秋の城

  一畑薬師にて 神有りの 月に詣でる 眼の薬師

(写真は、一畑薬師本堂)

西国1回 難波発


平成23年10月23日

難波から38名のお客さまと1番青岸渡寺へ向かう。昨夜の雨で、中辺路ルートが電信柱の倒壊で通行止めとの連絡が入り、海岸沿いのルートをとる。通常は通らないルートなので、「橋杭岩」には皆さん大喜び。天気も良く、ご機嫌なバスツアーだ。12時頃に那智の滝に着き、記念写真。そこまでの参詣道は、台風による山崩れと那智川の氾濫で無残な姿だ。路上に30台程の車が駐車している。何事かと思ったら、救援ボランティア達の車だった。日曜日に駆けつけてくれているのだ。掲げられた横断幕に「ボランティアありがとう」とか「まけるな和歌山」と書かれている。本堂でお参りし、法話もいただいて下山。丁度、ボランティアの皆さんも作業を終え、車に戻って来るところだった。スコップを持参し、長靴姿だ。心の中で手を合わせた。合掌

 青岸渡寺参道にて  那智の秋 瓦礫に挑む ボランティア

 橋杭岩にて     南無大師 橋杭岩の 秋夕陽

(写真は橋杭岩)

西国10回 28~29番 三宮発


平成23年10月22日

三宮からは久しぶりの添乗、集合場所も変更になっていてウロウロする始末。神戸市役所横の公園の子供たちの手形のモニュメント前が集合ポイントだった。新神戸トンネルを抜け北神戸線から中国道、若狭舞鶴道のコース。11時半頃に28番成相寺に着いた。添乗員は、どこかでご一緒した顔だと思っていたら、新人研修で和尚の四国第1回に乗ったという。お客様は22名で、今日はゆったりとしたお参りになると思っていたが、バスに戻ってこないお客様が2名。ドライバーさんと、探しに出た。ほどなくして、戻られたがやはり迷子状態。いつも、皆さんにお伝えする迷子予防の和尚の携帯電話の番号をお伝えするのを忘れたいた。「シーサイドセンター」で天橋立を眼の前に昼食、「舞鶴とれとれセンター」で休憩とお買いものの後、29番松尾寺へ向かう。本堂に上がると、先客の団体がお勤め中、子供を混じえた30人弱の参拝団だ。般若心経、観音経偈、延命十句観音経、本尊真言、光明真言、大師ご宝号と、一部に独特の節廻しはあるものの、統一された立派な勤行だ。感心して、ふと見ると全員がお念珠をたすき掛けにされている(特注であろう)。始めて見るこの姿に息を飲んだ。かって、首に念珠をかけ房を両肩に持ってくるのが作法と云う「世界平和教団」のお葬式に参列してびっくりしたことがあるが、それ以来だ。天気予報は雨マークだったが成相寺までは降られず、松尾寺でも傘が無くても良いこぬか雨。帰路の道中で本降りに。有難いことです。合掌

  成相寺にて   橋立や 菩薩をつなぐ 秋の海

  松尾寺にて   こぬか雨 馬頭観音 柿の門

(写真は成相寺本堂)

2011年10月20日木曜日

四国7回 38~43番 近鉄八尾発


平成23年10月18~19日

八尾~八戸ノ里~長田ルートで足摺岬に向かう。お客様は23名のため、バスは中型だが、トイレが付いているので心強い。中国道が、工事のため片側通行区間があり、渋滞遅れ30分。淡河、瀬戸、ユーイング四万十で休憩しひたすら走って、39番延光寺到着は16時。17時頃「アカメ館」より舟遊びに17名、時間的は、ぎりぎりだった。足摺サニーサイドホテル着は19時。
19日、7時30分出発、38番金剛福寺へ。記念撮影、さわやかな朝のお参りだ。「ジョン万次郎像」「展望台」「灯台」と回りながら「七不思議」を案内する。足隋岬のたもと、土佐清水港の「黒潮市場」で買物休憩、車中で説明しておいたので、名物「まぐろのかぶと煮」が飛ぶように売れる。40番観自在寺まで1時間半、ゆっくりと昼食を摂ってもらう。41番龍光寺までは1時間、門前のおまんじゅうやミカンにお客さまは、群がった。42番佛木寺は、門前のアイスクリームだ。アイスクリームを売るおじさんは、バスが少なくなったと嘆いていた。確かに、本日の阪急は和尚のバスのみだ。30分ほどで43番明石寺、打ち止めの寺だ。相変わらず納経に時間がかかり、出発は15時半。石鎚山、吉野川、淡路で休憩を取り、到着は長田が21時40分、八尾が22時10分の長距離ドライブ、ドライバーさんもお客様も本当にお疲れ様でした。合掌

 足摺岬にて  空海が 眺めし空や 秋の海

 ホテルにて  秋夜星 露天風呂かな 岬の湯

(写真は延光寺の天然記念物・いぶき)

高野山お礼参り 西大寺発


平成23年10月17日

西大寺より2台、梅田より1台が高野山に向かった。和尚は西大寺発の2号車に添乗。
1号車は、第2阪奈~南阪奈の高速道路利用、2号車は、24号線~京奈和道と高速代の入らないルートを選択、どちらが早いか興味深々だったが、高野山の中腹「花坂ドライブイン」に着いたのは2号車の方が10分程早かった。ルートを選んだドライバーさんもニッコリだ。35名のお客様と奥の院よりのお参り、これにはガイドが付いた。一の橋観光センターで買物休憩後、安養院で昼食。お客様はここで、お軸の表装やお念珠のお仕立てを申し込む。ご夫婦でサンプルを見ながら検討されている姿は微笑ましい。金剛峰寺の内拝は、和尚が案内役、法話を聞きながら、お茶とお菓子のご接待を受ける。15時半下山、花坂ドライブインで上りに注文した「柿の葉すし」を受け取り、慈尊院へ。お参りの後、拝殿でDVDと住職の法話。高野山への案内犬「ゴンちゃん」の話だ。門前に柿の店が2軒、「日本一の柿の町・かつらぎ町」と標榜するだけあって、お値段も安く、お客様は大喜びだ。両手に持ち切れないほど購入する方も。19時西大寺着。合掌

 高野山にて  柿の葉の 寿司を土産に お礼参り

 慈尊院にて  門前の 柿に群がる 遍路かな

(写真は奥の院・英霊殿前の紅葉)

阪急福岡 高野山~那智山



平成23年10月15~16日

阪急福岡のお礼参りはユニークだ。高野山から白浜で一泊し、西国一番青巌渡寺を訪れるというもの。9時半過ぎに新幹線で到着した38名を新大阪駅で迎え、高野山に向かう。南阪奈道~京奈和道経由「花坂ドライブイン」で休憩し、安養院へ。本堂で法話の後、昼食。金剛峰寺の内拝を案内する。奥の院参拝にはガイドが付くので、和尚は最後尾を歩く。雨に洗われて紅葉が見事だ。一の橋観光センターでお買い物、銘菓「みろく石」を買いたいというお客様が数名いたので、店に立ち寄った。そこで御朱印をお願いした白衣を受取っていないことに気が付いた。山を下っていたら大変なところだった。寄り道をしたお陰で、事無きを得た格好だ。渋滞に巻き込まれ、白浜シーサイドホテル到着が20時前、すぐに夕食を摂ってもらい、それから部屋入り。
16日、7時50分出発。「西国巡礼のはじまり」という札所会制作のDVDを見てもらい、お四国と西国の違いなど説明する。「橋杭岩」での休憩は、まるで撮影会の様相、和尚も一枚。那智山への参道は、台風による土砂崩れや那智川の氾濫で甚大な被害を受けている。バスも那智の滝までしか登ることが出来ない。滝は昨夜の雨で増水し、轟々と音を立てて落下、滝壺付近は巨木が数本横たわり、巨岩もゴロゴロして見るも無残な有様だ。滝の前から石段を登り、さらに坂道を参道口へ、お杖を借りて石段の参道を登り青巌渡寺へ向かう。結構ハードなコースとなり、お客様の列が長くなる。本堂で全員揃うのを待ってお勤め、ご住職の法話をいただく。ご住職との立ち話では、今月になってバスが滝まで上がれる様になったが、寺は40日間孤立状態だったとか。売店で聞けば、参拝客もいつもの半分程度という。蓬莱閣で昼食を摂り、帰路につく。中辺路ルートは、不通区間がありそうなので、海岸線の42号線を走る。道の駅「イノブータンランドすさみ」、阪和道「紀ノ川SA」で休憩を取り、新大阪駅着18時。渋滞なく走ってこれた。出発まで1時間ほど余裕があり、食事や買物の時間が取れるとのことだった。合掌

  高野山にて  金銀杏 お礼参りや 奥の院

         紅葉に 笑顔重ねる 遍路かな

  那智山にて  台風の 爪跡悲し 那智の秋

(写真は、橋杭岩と無残な那智の滝)

2011年10月13日木曜日

四国7回 38~43番


平成23年11~12日

梅田経由難波発のコース、久しぶりに第7回の添乗。実のところ、パソコンでお参り状況を管理しているのだが、このコースは歯抜けの感があって、お願いして今月は2回添乗させていただくことになった。
四国最南端・足摺岬までの長距離ドライブ、初日は39番延光寺だけで精一杯というところだ。お客様は39名、高槻方面からもう一台(37名)出ている。難波を8時半に出発、瀧野西、豊浜、ユーイング四万十の3ヶ所で休憩し、15時半に延光寺到着。道中着に押す赤亀の朱印が、20番鶴林寺の鶴と対になる。「眼洗いの井戸」や樹齢五百年の「いぶき」でも知られている。四万十川の遊覧がオプションで企画されていて22名が参加、30分ほどの舟遊びを楽しまれたようだ。和尚は、残ったお客様と「アカメ館」で休憩、「足摺サニーサイドホテル」に18時30分到着、19時夕食。和尚と高槻組の先達は新館泊、海岸に近い方に近年建設されたもので、各部屋がメゾネットタイプで、2階がベッドルーム、ゆったりとした造りだ。室外のベランダに浴槽の設備もあり露天風呂も楽しめる。夕食後、「民宿・西田」のご主人に迎えにきてもらい、ご自慢の掛軸を見学に行く。かってプレゼントした砂原秀遍東寺長者の「光明照四海」の書も軸装されていて、他を圧倒する迫力がある。ひとしきり西安・青龍寺の話題で盛り上がった。ホテルに戻り隣の高槻組の先達部屋を覗き、一杯いただくことに。添乗員など5~6人で歓談し就寝。
2日目は6時40分朝食、2台合同で食事作法、7時半出発。38番金剛福寺山門前で記念撮影。遍路バスが次々とやってくる。大師堂~本堂とおまいりして、岬の散策コースへ。「ジョン万次郎像」「展望台」「灯台」「七不思議」と椿トンネルを歩む。バスに戻ると写真も出来上がっていた。足摺岬のたもと、土佐清水港の「黒潮市場」でお買い物、「マグロのかぶと煮」が一番人気で、和尚の推奨品でもある。40番観自在寺まで1時間半、駐車場から裏道を通って行く。弘法大師が、「南無阿弥陀仏」と刻んだ舟形の印判が残されていて、それで摺られた「健康てぬぐい」が頒布されている。(1500円)大師堂の周囲は、八十八ヶ所のお砂踏みになっており、皆で一周する。「平城天皇の剃髪塚」も案内。41番龍光寺まで、1時間程かかるので、この間で昼食を摂ってもらう。龍光寺は、「三間のお稲荷さん」と云われているように、神仏習合のお寺だ。参道の和菓子屋「風月庵」も人気。15分程で42番佛木寺、新装なった仁王門が堂々としている。少し気温が上がって来たこともあって、門前のアイスクリームが大人気。20分程で源頼朝ゆかりの43番明石寺へ。駐車場にバスが数台、これは納経に時間がかかると覚悟して、ゆっくりとおまいりする。なんと、今回で結願というお客様が3組、皆で拍手して祝福する。15時30分帰路に。石鎚山HWO、吉野川HWO、淡路SAと休憩して梅田21時20分、難波45分着。本当にお疲れ様でした。合掌

 足摺岬にて  七不思議 足摺の秋 椿道

 龍光寺にて  大栗や 柿や大福 遍路道

 佛木寺にて  秋の日や 仁王山門 佛木寺

(写真は新装なった佛木寺の仁王門)

2011年10月8日土曜日

西国 10回 28~29番


平成23年10月7日

久しぶりに堺から出発、お客様は37名。堺方面から2台で、和尚は2号車。福知山IC~綾部ICが事故による通行止め、福知山から国道9号~175号~176号~178号と走り、11時30分頃28番成相寺到着。1号車と合同でお参りする。天気も良く、日本海を見下ろす絶景だ。木々に遮られて、天の橋立は見えないが、昼食会場のシーサイドセンターは眼の前に広がる好立地だ。「舞鶴とれとれセンター」で休憩と買い物の後、29番松尾寺に向かう。駐車場から境内に入ると、たわわに実った柿が光耀いて迎えてくれた。お参り後、「内陣もどうぞ」と声を掛けられ、秘仏本尊とそっくりというお前立ちの馬頭観音を近くで拝ませていただいた。16時頃打ちあげたが、帰路は渋滞につぐ渋滞。阪神高速などは3ヶ所で事故の有り様。堺到着が19時頃になった。今回で結願と云う方が3名、「お参りは是で終わりという事はありません。」とお話しした。四国で一緒だったという御夫婦もいらっしゃたが、ほとんどが初めての方だったので、いろいろとお話させていただいた。合掌

 成相寺にて  天高く 天の橋立 成相寺

 松尾寺にて  松尾寺(まつのおじ) 夕陽に光る 実り柿

(写真は 成相寺本堂)

2011年10月5日水曜日

名古屋西国2回 ②~⑧+法起院


平成23年10月3~4日

名古屋から31名のお客様を針ICで迎える。近鉄榛原駅からバスが出ているのだが、7時40分頃の便のみ。バスは9時半~10時頃に到着するので、針ICで1時間ほど待つことになる。榛原へのアクセスは先達仲間では和尚が最も便利とあって、このコースによく添乗する。1回目が、台風の被害で「青巌渡寺」が目下参拝できないため、実質上は、今回からスタートということになる。まずは、納経用品を揃え、6番壺阪寺(南法華寺)からお参りだ。お里沢市の壺阪霊験記で有名だが、インドの大石仏や盲老人ホームでも知られている。拝殿で読経の後、本堂の千手観音さまをお側で拝観、エキゾチックな風貌の眼が特徴的だ。なるほど眼病平癒の観音様らしい。「釈尊一代記の石壁」「観音立像」「「涅槃釈迦像」「納骨堂」「釈迦三尊像」などの石仏をぐるりと案内した。都合1時間ほどかかる。7番岡寺(龍蓋寺)への途中、「ヤマトの柿の葉ずし」で昼食。岡寺の如意輪観音も内陣でお勤めできる。塑像としては日本最大級で重文。8番長谷寺の駐車場にバスを停めて、番外の法起院からおまいり。西国の創始者・徳道上人のご廟所だ。墓石塔の周りが「お砂踏み」になっていて、皆で一周する。長谷寺の登廊の石段をゆっくり上がって、本堂前の舞台でお勤め、眺めも素晴らしい。一旦解散し、希望者を案内して「大師堂」「元長谷寺」「五重塔」と廻る。まだ15時なので、もう一ヶ寺廻ることにし、5番葛井寺に向かう。秘仏なのでお姿は拝観できないが、本堂に上がりお勤め。16時半打ち止め、お宿の橿原ロイヤルホテルへ。朝の散歩に橿原神宮参拝をお勧めして和尚は帰宅。2日目の出発は8時、最大の難関・施福寺へ。山門までの急坂を登りつめると、そこから約30分の山道だ。本堂外陣での参拝となるが、本尊は弥勒菩薩、向かって右に文殊菩薩、左に西国の本尊千手観音という配置だ。裏手にまわって、弘法大師、伝教大師両像や馬頭観音像を拝する。3番粉河寺、2番紀三井寺とまわりマリーナシティでの昼食が14時位になってしまった。紀三井寺~昼食~粉河寺とするか昼食を摂って紀三井寺~粉河寺とすべきだったと反省。添乗員の指示書通りなのだが、アドバイスすればよかったかも。紀三井寺の大観音(松本明慶作)を拝観したお客様には、和歌の浦の絶景とともに喜んでいただいた。(拝観料200円、70歳以上は100円)和尚とアシスタントは、香芝ICでお別れ。名古屋までは、さらに3時間位はかかるかも。施福寺の麓で買った「柿の葉寿し」や「草餅」がお役に立つはずだ。合掌

   壺阪寺にて  壺阪や お里沢市 秋の風

          鰯雲 印度石仏 壺阪寺

   施福寺にて  秋こそと 挑む施福寺 玉の汗

(写真は 粉河寺の桃山式庭園)

2011年10月3日月曜日

読売奈良 西国11回 西大寺発



平成23年10月2日

西大寺から40名のお客様と満願の旅に出発した。11回目は、32番観音正寺と33番華厳寺の2ケ寺を御参りする。このコースと1回目の青岸渡寺だけは、ツアーバスに乗ることをお勧めしている。個人で行こうと思うと大変なのだ。草津PAで休憩して観音正寺へ向かうのだが、奈良読売の場合は全員タクシーに乗り換えてお寺に向かう。きぬがさ山の頂きにある寺に、歩いて山道を登ると西国の札所でも最難関の一つと云われる。和尚は、一人でも歩くと言えば付き合うので、タクシー利用は久しぶりだ。5台のタクシーのピストン運行で時間がかかったが、本堂に上がり松本明慶大仏師が刻んだ千手観音を拝する。いつ拝んでも素晴らしい。山を降りて、彦根IC近くの「レストラン・ハイウエイ」で近江牛の牛鍋のお昼をいただいて、岐阜へ。関ヶ原ICから谷汲へ。14時門前駐車場に到着。櫻並木を保護するため、参道にバスは入れない。日曜日とあって、お店も結構開いていて風情がある。華厳寺本堂、おいずる堂、満願堂とお参りして無事満願、皆さんニコニコ顔だ。14時50分打ち止め、15時30分集合として解散、各自で満願の余韻を楽しんでいただく。いつも立ち寄るお店でコーヒーブレイク、ご接待で自家製の梅干しを戴く、塩分少なめで美味しい。帰路もスムースで、18時半過ぎには西大寺到着。お客さまの次なるスケジュールは、善光寺と高野山のお礼参りだ。段々と寒くなるので、体調に気を付けて参加できるよう祈るばかりだ。合掌

 観音正寺にて   白檀の 香りゆかしき 秋山寺

(写真は、観音正寺境内の釈迦如来と華厳寺山門)

2011年9月28日水曜日

読売奈良 四国10回 西大寺発


平成23年9月25~26日

奈良から2台のバスが出た。和尚は1号車でお客様は29名、奈良駅、西大寺から東生駒駅と廻って伊予路へ向かう。高松道がまだ不通の区間があるので、鳴門から国道11号線を走り、徳島ICから徳島道に乗る。順調に走り、吉野川SAが11時過ぎ、早めにお弁当を摂ってもらい65番三角寺に12時前に着いた。急な石段を登って本堂へ、小林一茶が「これでこそ 登りかいあり 山桜」と詠んだ山桜の古木が本堂前にある。2号車もお客様は29名で、合同でお参りする。64番前神寺の駐車場に着くと、彼岸花がお出迎えだ。本堂と大師堂の間に、弘法大師の像があるが、いかにもユニークな表情をされている。63番吉祥寺では、2号車が待っていてくれて、また合同でお参りだ。初日の予定は此処までなのだが、まだ15時前なので、61番香園寺を御参りすることに。近代建築の大聖堂に上がり、本尊大日如来の御前で「如来なのになぜ菩薩形なのか」等についてお話をする。15時40分打ち止めて、宿の「四国屋」に向かう。食事はよくするが、宿泊は和尚は初めてだ。温泉付きで、夜も朝も露天風呂を楽しませてもらった。26日は、余裕をもって8時出発。62番宝寿寺に寄って、60番横峰寺に。宝寿寺は駐車場が無く、路駐となるのでこの順番とならざるを得ないのだ。横峰さんの駐車場は、お寺より相当上に位置するのでお寺に向かうに、行きは下りだが帰路は登りとなる。10時半には打ち止めとなり、11時から「京屋別館」で昼食。
本日でもって結願の方が2組、皆で祝福の拍手をした。西大寺到着は17時半、たまにはこんな日もあって良いかも。合掌

  前神寺にて   彼岸花 遍路迎える 前神寺

          声合わせ 心経唱ふ 秋遍路

(写真は、前神寺の御大師さま)

2011年9月27日火曜日

島遍路・小豆島探訪


平成23年9月23日

総本山善通寺菅宗務総長のご縁をいただいて小豆島八十八ヶ所第13番栄光寺にてお話をする機会を得た。彼岸法要の合間に1時間ほどの法話とのことだった。ネットでルートを調べると、16年振りに神戸からのフェリーが7月から復活していた。朝5時半の便で約3時間の船旅だ。坂手港に着いて「二十四の瞳」で名高い島の分校を見学した。壷井栄原作の舞台となった小学校で小さな教室が三つ、1,2年生用、3,4年生用、5,6年生用と云う訳だ。島の文化財として保存されていて入場料は200円。裸電灯、二人掛けの小さな机、いかにも田舎の分校の風情だ。近くに映画のオープンセットが「映画村」として観光スポットになっている。栄光寺に10時半ごろ入り、池田住職に御挨拶。11時から法要がはじまり、午後の法要との間12時~13時が法話の時間だ。100人程の檀家の方々は、法要中に適宜昼食を摂り、昼食休憩の時間は特に無い。池田住職を導師に8人の織衆中曲の理趣経を唱え終えると和尚の出番、「お大師さまに育まれて」と題して出家の動機やお遍路、いろは歌の話などをさせていただいた。「法話」になっているかどうかはおぼつかないが、檀家の方々にはご清聴いただいた。住職からは「抹香臭くなく、面白くて良かった」と言っていただき、また「このお話を機会に、栄光寺のお四国参りも復活させませんか」と声をかけていらっしゃった。土庄港まで走り、「旭屋」へ。信貴山千手院さんのおすすめの遍路宿で、奈良まで送迎してくれるというのだ。岡田社長に島遍路のヒアリング、来年3月9~11日の御参りを仮予約した。島遍路の行程はお四国の訳1/10程、番外を入れて94ヶ所の御参りだ。しかし納経所は39ヶ所、近隣の庵やお堂の納経もまとめて担当する。納経帖も手書するのではなく、墨書されたものが印刷されていて、そこへ押印するのみ。朱印料は150円でお四国の半額、しかも庵やお堂分は50円だ。「旭屋」さんにお願いする巡拝の場合は、納経は先取り方式なので、我々はお参りに専念できる。納経帖も白表紙と錦織り表紙の2種類のみ。ついで、「霊場総本院」で弘法大師を拝み、「おへんろ道案内図」を買い求め、資料を収集。「総本院」は、霊場会本部と東寺、高野山を兼ね備えたもの。最初にお参りし、お礼参りも此処なのだ。坂手港に戻り、帰路に。小豆島ジャンボフェリーは、神戸~坂手~高松を結ぶ。連休とあってか乗客も多く、往復ともに、備品の茣蓙を敷いて通路に席をしつらえるグループも散見された。来年の島遍路が楽しみになってきた。合掌

 栄光寺にて  秋の海 彼岸法要 小豆島

 坂手港にて  島の秋 醤油つくだ煮 オリーブ油

2011年9月21日水曜日

西国6回 京都市内 西大寺発


平成23年9月20日

台風15号の接近で大雨注意報発令の中、西大寺から添乗。お客様は38名。10人近い人が、和尚と一緒だったようだ。何しろ距離が近いので、添乗員は大変だ。お客様の納経用品を集め、整理する時間もあまりない。桂川SAで休憩の後、番外札所の元慶寺からお参り開始。いつもは、日野自動車の敷地に駐車させていただくのだが、我々のバスは、日野製ではないので駐車させて貰えない。(これは、バス手配者のミス)止むなく、バスはお参りが終わるまで、走り続けるか駐車できるところで待機となる。いずれにしても元慶寺までは、15分程歩かなければならない。お参りを終えて、集合地点まで戻り納経が終わるのを待つ。そしてバスに連絡という段取りだ。バスの走りやすいように、六波羅密寺~清水寺~行願寺~六角堂の順に廻ることにした。17番六波羅密寺は空也上人ゆかりのお寺、五条通りにバスを停め歩いて本堂へ。内陣で法要中だったので、我々のお勤めが許されるかと聞くと、「気にせずにどうぞ」ということなので、外陣に上がりお勤め。雨が降り続いているが、廻る札所でのお参りは屋内になるので安心だ。ついで16番清水寺へ。電通の先輩がやっている参道のお土産屋「村上喜宝堂」に電話し、お客様の便宜を図ってもらおうと思ったが、残念ながらお休みだった。雨にもかかわらず、大勢の参拝客だ。丁度、修学旅行のシーズンだという。本堂で勤行の後、30分後にバス集合として解散、自由参拝とお買いもののためだ。そして、バスに戻った方からお弁当を摂っていただく。19番行願寺(革堂)も丸太町通りで降りて歩く。老尼のご住職が元気に納経所にいらっしゃったので御挨拶。82歳のはずだ。帰りの御挨拶をすると「ご縁があれば」と合掌、いつまでもお元気でいて欲しいものだ。荒廃しつつあった革堂に昭和44年に晋山、西国三十三所の札所としての風格を取り戻すまでに復興させた功労者だ。烏丸通りを南下して18番頂法寺(六角堂)へ。本尊如意輪観音の向かって左に開基の聖徳太子、右に100日の参籠をして法然上人の門を叩いたという見真大師(親鸞上人)が祀られている。お参り後、池坊のWEST18ビルのシースルーエレベーターをすすめる。9階の高さから見下ろすと、まさしく六角のお堂の全貌が確認できるのだ。打ち止めは14時15分。最後は西本願寺前・漬物西利本店でのお買いものTIME、2階の試食コーナーには、白ワインが置いてある。白ワインと漬物の摂り合わせが、実に美味しいのだ。和尚は、半割れ浅漬け大根を購入(525円)、これがお気に入りで毎度のことなのだ。全員に「赤しそ・むらさきの」のお土産付き。奈良へ帰る車中も、添乗員はおおわらわ、納経用品の返却、アンケート、次回申し込み受け付けなど時間との競争。和尚の夕べの御勤めも、短縮バージョン、開経偈、般若心経、回向文とした。16時過ぎ西大寺帰着。一日雨の中、お疲れさまでした。合掌

 行願寺にて   秋雨や 老尼微笑む 行願寺

(写真は、六波羅密寺本堂を左方から)

2011年9月18日日曜日

先達全国大会と西国2ヶ寺

平成23年9月16~17日

16日、岡山市民会館で第31回四国88ヶ所霊場会・公認先達大会が開催されるというので、3人の女性先達を難波で拾って山陽道を走った。10時の開会ギリギリに到着、和尚が車を駐車場に納めて会場入りすると、慰霊法要がはじまるところだった。表彰式があって昼食。参加者は1250名を超えるという。ホール内は、飲食不可だが、全会議室が昼食会場として用意されている。我々は4階に席を確保。結願所・88番大窪寺の槇野住職と立ち話が出来たのがラッキーだった。なにしろ大窪寺は和尚の先達推薦寺なのだ。午後は、高知・安楽寺住職 小角隆幸僧正の節談説法「衛門三郎物語」、説法に節をつけて語るもので、浄土宗で盛んだったとのこと。初めて聞かせてもらったが、中々面白かった。会場を出る時に、大雨が降りだした。高速道路はワイパーを全開しても前が見えないほどの豪雨、やっとの思いで西脇ロイヤルホテルにたどり着いた。17日は、まず西国霊場26番一乗寺へ。雨仕舞いのための作業が、山門で付近で行われていた。右手の石段を見ると、川のように雨水が流れ落ちてくる。正面の急な石段を登ると先ず国宝の三重塔、さらに上って本堂へ。ご本尊聖観音前に正座して勤行。ついで西国霊場の西端・27番圓教寺へ向かう。西の比叡山といわれ、映画「ラスト・サムライ」のロケに使われたところから一躍有名になった。ロープウエイで昇り、そこからマイクロバスで、摩尼殿(本堂)下まで運んでくれる。(拝観料を含め往復1,000円)和尚が添乗で案内する時は、いつも歩いているので初体験だが、今日は雨で足元が悪いので、甘えさせていただいた。本尊如意輪観音前に正座して勤行、その後、ロケの舞台ともなった三之堂へ。大講堂、食堂、常行堂がコの字型に建ち並んでいるところから三之堂と云う。二ヶ寺で打ちあげて、姫路西ICから高速道路に入ろうとしたが、なんと姫路西~三木・小野まで雨で不通となっていた。2号線経由で神戸に出るしかないと覚悟して、姫路SAで遅めの昼食を摂った。すると、ドライバーさん達の会話で、不通解除と知り、改めて姫路東ICから山陽道に入った。豪雨の中、大阪に戻ると、雨はほとんど上がっていた。欲張らず、二ヶ寺で打ち上げて大正解だった。合掌

2011年9月15日木曜日

西安歴史紀行・青龍寺


平成23年9月10~13日

オリジナルツアーを組んで西安・青龍寺におまいりしようとしたが、JTBから送られてきたパンフレットを見てびっくり仰天、何と費用が1/3以下だ。計画変更し「JTB旅物語・西安歴史紀行4日間」なるツアーに参加することにした。お遍路仲間に声をかけたところ、1組のご夫婦が合流。先達仲間の二人は申し込みが遅く、キャンセル待ちするも欠員はでなかった。出発の10日は、信貴山千手院の「やすらぎ会」にお招きを受けていたので、梶妙壽・臨済宗慈受院門跡住職の法話を拝聴し、ご本尊毘沙門天宝前での大般若祈祷に参加して、関空に向かった。山東航空で済南経由西安に着いてみると、ツアー客は総勢20名、中高年の集まりだった。11日朝から見学開始、西安は珍しく雨が続いているとのことで、各見学地は石畳の通路なのは良いが排水設備が充分でなく、まるで川の中だ。シューズは水浸し、靴下までズブズブだ。それはともかく、朝から「兵馬俑」「秦始皇帝御陵」「華清池」と見学して、「成安市美術館」(?)へ。水墨画の詳しい説明が学芸員からあって工芸品の展示即売コーナーへ案内される。中国の美術館、博物館などでよくあるやりかただ。玄宗皇帝の離宮である「華清池」では温泉も湧く。皇帝や楊貴妃の湯船などを見て回る。足湯をお試しの御婦人も。有料だったとか。いよいよ待望の「青龍寺」だ。「西安市青龍寺遺址保管所」となり、「空海記念碑」もここにある。日本から贈られた櫻が中国人にも人気と云う。案内を受け、納経所でご朱印を受ける方も。和尚は、拓本の弘法大師像のお軸を購入(2万円)。中国に来る度に気になっていたものだが、完全なものにようやく遭遇できた。「恵果・空海記念堂」にお参りを願うと、そのお寺のゾーンは管轄外で、既に閉まっているという。何ということだ。そこにお参りするために来たのだと、ガイドに話し、明日再訪してもらうことになった。皆、大賛成だ。陝西料理の夕食後ホテルへ。12日は、「城壁西門」(安定門)から。シルクロードの正に出発点であり、いわば西の国境で税関の機能も。明代初期に、唐の長安城を基礎に築造されたもの、規模が大きく最も完全な古代城壁だ。壁上に上がるとそのすごさが実感できる。長方形で周囲13.75km、11月第1土曜日に国際マラソンが開催されるとか。カートや自転車で1周できる。玄奘三蔵ゆかりの「大慈恩寺・大雁塔」は、新しいお堂の上棟法要が修せられた直後であったせいか、大変な参拝客だった。中国仏教寺院は約3千ケ寺というが、ここは屈指のお寺だ。「大雁塔」は玄奘三蔵の持ちかえった経典や仏舎利を祀るために唐の高宗が建てたもので、高さ64m、七層の四角の錐状。案内の後、住職の書を盛んに薦められる。法相宗とか。そして、青龍寺「恵果・空海記念堂」へ。今日は、法要とご接待の日とかで、2~30人が並んで僧から「ワンタン麺?」のご接待を受けていた。堂内には恵果・空海の像が並んで祀られている。このゾーンは、四国4県と真言宗の熱い思いが溢れんばかりだ。来年オープンという博物館も工事中で、この一帯はさらに整備が進み、日中友好のシンボルゾーンとして発展すると思われる。「楊貴妃の墓」を見学の後、公営の絨毯工房へ。シルク織りの実演、説明を聞くと直ちに販売会だ。おばさんパワーがここで炸裂、25,000円の玄関マットを、皆で買うからと2万円に値引き成功。夕食後は、オプションの「大唐宮廷楽舞」観賞。我々のホテルにそのホールはある。3,800円の入場料だったが、入場してみるとそこはレストランシアター。我々が椅子席で、そこへ割り込む形となるため、角度が悪く全体が良く見えない。ショーが終わると、女性軍の大ブーイング。ガイドさんは、こんなに満員とは予想外ですと平あやまり。夜の散歩で、お詫びにと、名物「石榴」を全員にプレゼント。かくして、正味2日間の「西安歴史紀行」は、終了。和尚は、大満足でリピーターになるでしょう。食事も「郷土料理」「陝西料理」精進料理」「四川料理」と楽しめ、ホテルも高級。青龍寺も2回訪問、ありがたいことです。合掌

 西安にて  お大師と 共に眺める 秋の空

(写真は「恵果・空海記念堂」前の「空海受法像」にて・柑本さん撮影)

2011年9月7日水曜日

四国3回 西大寺発


平成23年9月6日

西大寺より27名のお客様と出発。阪神高速が少し渋滞していたが、2時間弱で淡路SAに着いた。仏前勤行次第の意味を説明しながら淡路島を抜ける。鳴門西SAにてお弁当をpick up、12番焼山寺に着きまでに食事を済ませて頂く。鮎喰川沿いに神山町に。この町は、「すだち」と「鶯宿梅」の名産地だ。12時過ぎにへんろ駅到着、ここからマイクロバスに乗り換えて山頂に向かうのだ。ここまでで車酔い2名。1名は納札を託しバスで休息、一人はマイクロのドライバーに左手をマッサージしてもらい、元気回復。本堂前で、念珠の使い方、合掌の仕方(三種)を伝授。お参りを終え「すだち館」でゼりーの御接待。名産すだちの生絞り「すだち酢」を事前におすすめしたせいか、飛ぶようにお買い上げ。冷蔵庫に保管すれば1年は大丈夫という優れものだ。30分ほどで、13番大日寺に。本堂の柱に貼りつけられている「橫綱大鵬」の千社札も、雨風にあたり判読が難しくなっていた。「しあわせ観音」が人気で、皆さんカメラに収めている。14番常楽寺は、近くのバス停から3~400m歩いて本堂。有名な流水岩のお庭だ。池越しに常楽寺が経営するに孤児院がある。「アララギ大師」を見上げ感動。ここから15番国分寺までは歩き遍路、と云っても800m程だ。バスは、国分寺から200m手前の駐車場で待機。国分寺本堂で、輪の使いかた、合掌の仕方について説明、お大師さまは、自ら請来した「烏芻沙摩明王堂」に居候されている。この寺の明王のお札は特大で有名。お求めになったお客様から、どう貼れば良いのかとの質問、誰もがお尻を向けない所にと答えた。16番観音寺もバスは入れないので、駐車位置から歩いて行く。16時20分到着、本堂と大師堂の両方に燈明と線香のご供養をしていただいた。16時半を境に、火の気を使わないという先達会の申し合わせがあるからだ。その時は「運心」でとお願いするのだが、間に合うときは燈明・線香を先に済ませて頂く訳だ。打ち止めにつき、大師ご宝号は7遍お願いする。淡路HOで休憩して西大寺到着は20時。第3回目としては、30分程早めかも。合掌

 参道にて   秋風を 感じて歩く 阿波の道

(写真は、焼山寺本堂前の石塔)

2011年9月5日月曜日

読売奈良 西国9回 西大寺発


平成23年9月4日

読売旅行奈良営業所の西国ツアーも9回目、日本海の成相寺・松尾寺の2ケ寺を廻るコースだ。なんとバスは4台で、和尚は4号車だが、業界では「寿号」と縁起を担ぐ。お客様は35名。台風12号の影響が残る中、のろのろ走る台風を追いかけるように、こちらは北上する訳だ。いつもの若狭舞鶴道は不通区間があるというので、京都縦貫道を選択。福知山で降り、ドライブイン「丹波の里・やまがた屋」で休憩。国道27号線を走り、京丹波わちICから再度、京都縦貫道に入り与謝天の橋立ICまで。海のよく見えるシーサイドセンターで昼食。28番成相寺に向かう。かってはケーブルも利用したが、今は本堂横の駐車場までバスで上がる。本堂に上がり、ベンチに腰掛けてのお参りだ。雨も上がり、木々の間から海が見える。左甚五郎作「真向の龍」を案内する。これは、撮影可と表示がある。
1時間半ほど走って29番松尾寺へ。ここで4台が鉢合わせとなった。2号車、3号車が順にお参りした後、4号車の番だ。本堂に上がり、5色の紐を題材に、それぞれの色が五智如来を象徴することや、輪のつき方などを話していると、1号車が到着。2台分、本堂一杯の人びとで、大合唱だ。集結したお陰で、納経には時間がかかったが、お参りの時は雨に降られず良いお参りができました。帰路は、若狭舞鶴道~中国道といういつものルートで走り、順調に17時半に西大寺に着いた。合掌

   成相寺にて  台風の 去りし橋立 成相寺

   松尾寺にて  秋雨や 馬頭観音 松の寺

(写真は 成相寺本堂)

2011年9月3日土曜日

空海と密教美術展


平成23年8月31日

東京国立博物館で開催されている「空海と密教美術展」と拝観しようと、30日京都発の深夜バスで東京に向かった。バスは3列シートでゆったりしている。朝7時半に東京駅到着。ネットで調べてあった「湯楽三昧」で朝風呂と朝食を摂って、上野へむかった。9時前に博物館に着いたところ、準備の係員がチケットは、公園入り口のチケットブースで買うと9時に買えるが、博物館では9時半にならないと買えませんと教えてくれた。さすればと、公園入り口に戻り並ぶ。博物館に戻ると既に列が出来ていて、和尚は40~50番の間位だ。列は長くなり、9時半の開場の時には300人位になっているようだった。各本山などが出品している美術品が一同に会する機会はあまりない。和尚ゆかりの東寺、高野山、善通寺からもお宝が出展されていて、いつもと違う角度から、というより身近から拝観出来て感動ものだった。東寺の立体曼陀羅も一体づつ、ぐるりと四方八方から拝観できる。善通寺の「錫杖頭」も表裏、左右からも拝観できる。東京まで出かけて行った価値は十分だった。図録も求めてきたので、解説を読みながら、反芻しているところだ。9月25日までなので、機会があればぜひどうぞ。チケットを見ると、共通で入館できる所に「法隆寺宝物舘」とある。気になって行ってみると、これはびっくり7世紀の観音様の行列だ。全て重要文化財だ。法隆寺が天皇に献上したものが、国に移管されているとか。奈良県に住まいするから気になったが、これはすごかった。
せっかく上京したので、板東の観音霊場である浅草・浅草寺を訪ねた。外人観光客が多く眼について、外人観光客が減ったという報道を見聞きしていたので、驚かされた。さすが浅草、すごい熱気だった。また、ここからスカイツリーが良く見える。良いおのぼりさんツアーでした。合掌
(写真は、浅草寺の雷門)

2011年9月1日木曜日

読売旅行(奈良) 四国9回 52番~59番 西大寺発


平成23年8月28~29日

西大寺から東生駒を経由して伊予路に向かう。お客様は34名、ほとんどが顔なじみだ。車中で昼食を摂り、59番国分寺を目指す。通過する讃岐路は、和尚のふるさとでもあるので、「讃岐富士」「象頭山」「善通寺」「捨身ヶ嶽」「本山寺五重塔」など車窓から見えるポイントを説明しながらの走行だ。国分寺では「握手修行大師」で列を作り「一言祈願」。仙遊寺からは「しまなみ海道」を遠望する。57番栄福寺山門を入って左に句碑がある。「四国路や 遍路道より 明けの□」の「□」の字が判読できなくて、皆でいろいろ考えたが結論が出ず。車中から寺に電話をすることに。答は「春」、やはり問い合わせがあるようで、「風ですか」との声もあるそうだ。和尚は、「遍路」が春の季語なので、「春」はあるまいと思ってしまっていた。初日の打ち止めは56番泰山寺。お堂の瓦に丸の中に「太」と入っている。それはなぜかと疑問を持ったお客様がいて、一緒にh納経所に確認に行った。すると寺の名の由来である「女人泰産」の「泰」は、古は「太」であったという。「太産」→「泰産」→「泰山」と変化したというのだ。なるほどと感じ入った。16時前に打ち止めして、道後温泉に。しかし「ホテル・ルナパーク」24名、「葛城」10名と分宿、道後温泉も盛況のようだ。夕食後の温泉街の散策では、いつもの「番鳥」(焼鳥)に顔をだす。2日目の出発は7時40分、52番太山寺から。駐車場から数100m登って行くのだが、森林浴風で朝一番にふさわしいお寺だ。本堂は「一夜建立の御堂」として名高い国宝。6代の天皇が即位に際して十一面観音を奉納していて、行基菩薩作の本尊と合わせて7体の観音様が並んでいる。御厨子に入っているので、拝見できないのが残念だ。前回のお参りの時、修復中であった大師堂は工事も終わり、お堂の前に拝殿が新設されていた。53番円明寺は「左甚五郎の龍」「キリシタン石塔」など見所も多いが、何といっても大師堂の鬼瓦が芸術品だ。「即滅無量罪」「現受無比楽」という本堂前の看板の意味を説明すると、皆から「ホー」という声が。54番延命寺には、開基の行基菩薩の供養塔がある。行基菩薩開基の寺は少なくないが、供養塔はあまり見かけない。機知に富み、村人を飢饉から救った庄屋・越智孫兵衛の墓や真念の道標も境内にある。55番南光坊で打ち止め。地元の仏師77歳時の大門の四天王が堂々として素晴らしい。12時前に打ち止めし、石鎚HOの「りんりんパーク」で昼食。帰路は、瀬戸大橋を通り与島で休憩。立ち寄った「与島フィシャマンズワーフ」は往年の面影はなく、電通時代に開通記念博覧会の新聞企画を担当した和尚としては愕然とした思いだった。中国道が事故渋滞というので阪神高速に迂回するが、こちらも自然渋滞、西大寺到着は20時過ぎ。9回目とあってお客様は皆顔馴染み、ワイワイと楽しいお参りでした。お疲れ様。合掌 
  
  太山寺にて  一畑の 薬師に祈る 夏遍路

  円明寺にて  夏の陽に 竜虎が光る 大師堂 

(写真は、修復した太山寺大師堂)

四国2回 7番~11番 堺 発

平成23年8月26日

堺から40名のお客さんと7時50分出発。全員が和尚とは初対面。朝のお勤めの感じでは、まだまだ自信なさそうだったので、1回目と同様の説明をすることにした。そのせいか11番藤井寺のお勤めは声も良く出始めた。10番切幡寺は、半数の方が「歩き」を選択、大汗をかきながら登る。お参りを終えて「切幡の大塔」にご案内する途中の不動堂で、お不動さんのご真言の稽古をしていると、ゴロゴロと雷が鳴り、大粒の雨が降り出した。しばしそこで雨宿りして大塔のところまで上り、眼下に吉野川を眺める。9番法輪寺門前の「あわじ庵の草餅」に群がり、8番熊谷寺から7番十楽寺と廻って打ち止めは、16時。帰路、事故渋滞に遭遇したが、意外とスムースで19半堺到着。夜、昭和7年生まれという男性客から車内で配った「いろは歌」について、お電話をいただいた。それは①国語の教科書で習った世代は、自分たちが最後かもしれない。次の年から教科書が変わったはずだ。②「雪山童子」は、「せっせん」と読む。③「羅刹」は「らせつ」と読む等々であった。早速のご指摘で、ありがたいことです。また、車内には音楽教師もいらして楽譜についても、拍子記号がおかしいとチェックがあった。しかも大きな声で歌っていただいた。感謝、感激。合掌

  切幡寺にて  夕立や 止んで眼下に 吉野川

2011年8月25日木曜日

四国2回 7番~11番 八尾 発



平成23年8月24日

八尾~八戸ノ里~長田とまわるコース。和尚の沿線は八尾なので7時半の集合に合わせた。お客様は、36名と云うことだったが、男性が一人、八戸ノ里で10分待っても姿を見せず、家の電話も携帯電話も応答なしということであきらめ、長田にまわり出発した。1番霊山寺で買い物忘れとトイレ休憩のため立ち寄って、11番藤井寺に向かう。車中でお弁当をゆっくり食べてもらうには、このルートしかない。藤井寺では、お念珠の使い方を説明。本堂では30畳敷きの雲龍の図を観賞。ご婦人が一人体調不調となり急遽離脱することに。10番切幡寺は、歩き組15名、タクシー組19名に別れて登る。本堂に着くと汗だくだ。呼吸を整え、おまいり、ついで大塔に案内する。石段の途中にある不動堂で一服して、お不動さんのご真言のリズムを練習する。大塔からの景色は、空気が澄んでいて吉野川の2本の堤防がくっきりと浮かんでいる。9番法輪寺山門前の「あわじ庵」の草餅が評判だが、心配なので電話し、数を確保しておいてもらう。8番熊谷寺は、雰囲気の良い札所で、和尚の好きな寺のひとつ。一段と高い大師堂から見る本堂の鬼瓦も一見に値する。7番十楽寺では、本堂、治眼疾目救歳地蔵、大師堂、愛染堂とまわる。打ち止めは16時45分。まずまずのペースだった。淡路HOで最終休憩だが、阪神高速の渋滞が20kmの表示、中国道への迂回を考えたが、事故渋滞でさらにひどい状態。あきらめて阪神高速神戸線から湾岸線ルートで帰ることに。これが意外とうまくいき、20時過ぎに長田に着いた。
合掌

  法輪寺にて   法輪寺 草餅求む 夏遍路

  十楽寺にて   葉月風 美男の大師 十楽寺

          夏遍路 眼に効く地蔵に 群がえり

(写真は熊谷寺中門と参道)

四国8回 44~51番 西大寺発


平成23年8月22~23日

奈良方面からのお客様40名と出発。内10名は、かって和尚と一緒とか。奈良から2台、梅田、高槻から各1台の合計4台が阪急から出ている。三木SA、高瀬SAで休憩を取り、砥部焼陶芸舘に13時半到着。まずは45番岩屋寺に向かう。バス遍路最大の難所とあって、皆さん緊張気味に歩をすすめる。しかし、なんとか全員登りきり、お勤めできた。皆で穴禅定に入り、蝋燭を灯して視界を確保。納経所で早稲田の先輩の大西住職を訪ねると、お出かけ中でまもなく帰るはずとのこと。やむなく下山したが、なんと中腹でばったり、お会いできた。お寺の方々は、毎度この参道を登り降りしなければならない訳だ。いつもの「一休館」で御接待に預かりながら、汗を拭く。ついで44番大寶寺に。16時半ギリギリに入れ、何とかお蝋燭、お線香を供えることができた。17時頃の打ち止め。「すごうさん」でお茶をいただいてホテル奥道後に。大粒の雨が車窓を叩いたが、松山市内に入るとほぼ止んでくれた。18時半到着。夕食のバイキングは、奈良組2台でテーブルを囲んだ。
  
  岩屋寺にて  夏木立 登り拝むや 岩不動

2日目は7時40分出発。51番石手寺より打ち始め、記念写真を撮り、本堂、大師堂、宝物舘と廻る。衛門三郎再来の石を見ての感想は、いつもの通りだ。しかし、写真を撮って満足気だ。そこから46番浄瑠璃寺に戻り、巡打ちする。大師堂の真魚像を順に抱きしめご祈願、時間はかかるが、仏様を抱けるのは、2番極楽寺の石地蔵さんとここの真魚像だけだ。47番八坂寺を打って「衛門三郎の里」でトイレを借り休憩。48番西林寺、47番浄土寺と廻るが、浄土寺で夕立ちに会い、鐘楼の屋根の下に逃げ込み遥拝。駐車場にたどり着くまでにびしょ濡れとなる。50番繁多寺で打ち止め。鐘楼の添乗に描かれた24孝の極彩絵に感嘆の声も。13時を過ぎてしまったが、「伊予かすり会館」で昼食。食後は、「塩アイス」に人気集中だ。あとは、ひたすら走るだけ。20時半頃西大寺到着。
合掌

  石手寺にて  三郎の 石見て笑むや 夏遍路

  浄瑠璃寺にて 真魚像を 抱き微笑む ハスの寺

  浄土寺にて  夕立に 鐘楼借りる 遍路かな

(写真は、浄瑠璃寺山門の子規の句碑
「永き日や 衛門三郎 浄瑠璃寺」)

2011年8月11日木曜日

讃岐路から中国路へご縁の旅


平成23年8月7~9日

7日に母校善通寺第一高等学校の二年に一度の同窓会が開催されるので、早起きして車を走らせた。会場は重要文化財の「旧善通寺偕行社」、禁煙は当然のこととして、窓やカーテンにも触れぬようにということだった。会場で、和尚の本籍地である詫間町松崎に住む先輩から田尾族の菩提寺「長寿院」のご住職が、75番総本山善通寺の宗務総長をされていると聞かされた。高野山の道場仲間が御影堂に勤務しているので、相談すると、8日の9時半に面会の時間をセットしてくれた。同窓会は大いに盛り上がり、82歳の長老の詩吟あり、校長のカラオケも飛び出した。和尚も、詩吟入りの武田節を披露。御開きの後、善通寺南大門前で骨董品と喫茶の店「コトブキ」を営む同級生を訪ねた。8日は、6時半に宿を出発して、78番郷照寺に向かう。一遍上人の時宗の寺、「厄除け宇多津大師」として名高い。77番眼のお薬師・道隆寺の納経所で、眼病平癒祈願のお札などにつき、話を聞いたところ一式いただいた。「潜徳院殿御守護」の御札、歳の数だけ「め」と書く眼病平癒祈願書、その郵送封筒、そして「眼病平癒のお唱え」等が入っている。バス遍路のお客様にも、きっちりと説明できる。門前の「サンエイ」に立ち寄り、白作務衣とお不動さんのTシャツを購入した。和尚の白作務衣はすべて此処のものだ。善通寺にもどり「コトブキ」で時間調整をして、宗務所で菅智潤宗務総長にお目にかかった。和尚は、数えて7代目となるが4代目までは、間違いなく「長寿院」にお世話になっているはずだ。5代目の祖父が関西に移転してから疎遠になってしまったのだ。和尚の代で墓を京都に移したこともあって、ますます遠ざかってしまった。子供の頃に祖母に連れられてお参りしたことは記憶にある。疎遠になってしまったことをお詫びして、和尚は積年の肩の荷が下りた思いだった。突然、「9月23日は空いていますか?」の問い、空いていれば、小豆島に法話に行かないかとのお誘いだった。アッという間に話がまとまり、小豆島八十八ヶ所13番「栄光寺」へ行かせていただくことに。善通寺を辞してから74番甲山寺、76番金蔵寺とお参りして、88番大窪寺へ。今年は、和尚の先達としての昇補の年で「権大先達」への申請手続きのためだ。さぬき市の櫻谷先達から電話が入り、「おへんろ交流サロン」で合流。木村館長と久しぶりに懇談できた。お土産にと頂いたのが、日本一長い名称の和菓子だ。さぬき市には、お四国の上がり3ヶ寺があるところから行政としてもPRに力を入れているのだが、まさしくその対応商品だ。八十八カ所にちなんで88字、その名は『願いを結んで 思いを結んで ひとを結んで お遍路さん 四国霊場八十八ヶ所 暑熱巌冬山々踏みこえ 巡り巡ってうれしや上がり三カ寺 嗚呼生きててよかったと 幸せ味わう創作和菓子 呼ばれたし名は大結願』というのだ。略称は「大結願」とか。(写真参照)「拝み最中」と「へんろの小石」の詰め合わせだ。櫻谷先達も一緒に87番長尾寺、86番志度寺とまわった。車を飛ばして西脇ロイヤルホテルへ。9日は、お遍路ばなしの講演会だ。広島県庄原市東城公民館の「ふるさと今昔講座」の講師として1時間半、お遍路さんにまつわる話をした。このご縁は、大阪で講師に招かれた異業種交流の会にこちらの事務局も参加していて、和尚に依頼があったものだ。中国路もお遍路さんの盛んな土地柄で、経験者も多い。お陰で和尚の「よう、おまいり」が良く売れた。夜は、事務局や委員の皆さんと卓を囲んでの酒盛り。ご縁がご縁を結ぶ3日間、本当にありがたいことです。合掌

善通寺にて   蝉しぐれ お大師さまの ご縁あり

2011年8月4日木曜日

秀寛和尚と行く土佐の一国巡り

和尚恒例の一国巡りバス遍路もこの秋で6回目となります。春・秋4回、2年で一周するスケジュールです。
日程がまとまりましたので、ご案内いたします。参加希望の方は、ハロートラベル大阪に直接ご連絡ください。尚、お問い合わせは、和尚にどうぞ。合掌

平成23年11月14日(月)新大阪出発08:00/難波出発08:30
              24番~26番 金剛頂寺宿坊泊
平成23年11月15日(火)
              27番~33番 三陽荘伯
平成23年11月16日(水)
              34番~37番
                (38・39番は次回参拝)

参加費 62,000円/一人部屋は追加料金

お申し込みは:ハロートラベル大阪 06-6306-6411
お問い合わせ:田尾 秀寛     090-2351-3927

2011年8月3日水曜日

四国2回 7番~11番 堺 発


平成23年8月2日

堺から20名のお客様と出発。2周目に入ったと云う女性2人組は、1周目の第1回で一緒だったという。また顔なじみの男性からは、すごい写真をいただいた。縦150cm,横90cmの焼き板に不動明王を描き、般若心経をも彫り込んだものだという。お不動さんは青不動で、お顔は東寺のお不動さんを参考にしたとか。それを撮影し、A4サイズに縮小した見事なものだ。今日のコースは、3台出ている。終始2番手のお参りだった。1番霊山寺に立ち寄って買い忘れの物を仕入れるのだが、和尚の「よう、おまいり」が良く売れて「和顔施」の署名に追われた。ご住職も、納経所でのんびりとされていたので、高野山大学が招聘したダライ・ラマ法王の講演会などを話題に懇談。早めのお昼を車中でいただきながら11番藤井寺へ。いつも通りの逆打ちだ。10番切幡寺へは、タクシー組が8名、12名が和尚と歩きを選択、大汗をかきながら大塔まで案内した。今年は権中先達に昇補申請する95歳老や藤井寺から申請するという方もいて、ベテランの多い多彩な顔ぶれ。1ケ寺当たりの新任先達の申請枠は30名までとのこと、霊山寺は満枠で、4番大日寺にお願いしている由。9番法輪寺に向かう前に、門前の「あわじ庵」に電話して「草餅」の確認。たまに休みだったり、売り切れだったりして、女性軍が、がっかりするからだ。今日は大丈夫だった。8番熊谷寺の大師堂は、高台にあり、本堂の鬼瓦が良く見える。鬼面を昇り龍と降り龍が両側から挟んでいる仕様だ。風もよく通り、ベンチに座っての勤行もさわやかだった。7番十楽寺、「治眼救歳地蔵」の「歳」は年齢に関係なく救うとの意味と説明する。和尚も「済」と思い「よう、おまいり」では、「済」を使ったのだが、十楽寺のパンフで意味を理解したのだ。大師宝号を7遍唱えて打ち止め、愛染明王堂をお参りして帰路に着いた。合掌

  切幡寺にて   葉月雲 厄坂登る 切幡寺
  
          はたきりの 観音仰ぐ 夏遍路

  熊谷寺にて   涼風に 汗引く顔や 熊谷寺

(写真は、切幡寺山門)

2011年7月26日火曜日

読売奈良 四国8回 44~51番



平成23年7月24~25日

7時半に28名のお客様と西大寺を出発。バスは2台で、和尚は1号車。朝の勤行のあと、「仏前勤行次第」の意味について解説。全員が和尚とは初めてというので、力が入る。45番岩屋寺の麓についたのは13時半、山道を30分登ると大師堂だ。本尊は、岩山全体を不動尊に見立ててあるので、岩山に貼りついているお堂は、本堂ではなく拝殿ということになる。故に、大師堂の方が大きくて立派に見える。この大師堂は、平成19年6月に国の重文指定を受けている。1号車の先頭グループが大師堂にたどりつくと、2号車は拝殿で勤行中。次の大師堂の勤行に、1号車も合流させてもらう。2号車が下山したあと、拝殿でお勤めして、「穴禅定」に案内した。大師の「独鈷の霊水」が湧く洞穴だ。暗闇のなか和尚のミニ懐中電燈が役に立つ。山道を下り、「一休館」で休憩。岩屋寺の御参りは、一時間半ほどかかるのだ。44番大寶寺の参道も結構な上りなのだが、岩屋寺の後だと何てことはない。「すごうさん」でお茶の御接待を受け、トイレも拝借する。「よう、おまいり」も4冊ほどお買い上げで、『和顔施』と書かせていただく。打ち止めは16時前。ホテル奥道後に向かう。17時半、2号車もほぼ同時に到着。2号車は、石手寺も廻ってきたとか。今日は、和尚の65回目の誕生日、お四国でこの日を迎えるのも、和尚らしいと、一人満足。

  奥道後にて  誕生日 道後で祝う 夏遍路

2日目は、7時45分出発。2号車は15分前に出発済だ。今日は51番石手寺から逆打ちとなる。国宝の山門をくぐり、記念撮影。本堂、大師堂とまわり、宝物館に案内する。目的は「衛門三郎の石」だ。「赤ちゃんが握って生まれてきたと云うには、大きいわね」とは、いつもの反応。50番繁多寺から49番浄土寺にかけては、雨模様で傘が必要。浄土寺では、鐘楼の屋根の下で雨を避けながらの遥拝勤行。40番西林寺は、大師堂、休憩所、トイレも新しく、植木職人さんも入って剪定中で、すっきりときれいな雰囲気。大師堂横の弁天池の蓮の花も見事だ。47番八坂寺には、「衛門三郎の里」でバスを駐車し、少し歩かねばならない。本堂前、大師堂前にはベンチが置いてあるので、座って勤行だ。「衛門三郎の里」でお茶をいただいたり、冷たいものを頼んだりして、46番浄瑠璃寺へ。大師堂では「稚児大師」像を順に抱っこしてからお参り。丁度お昼に打ち止めだ。本堂の左手にハス池が広がる。白や赤に咲き乱れる蓮の花を堪能して、食事会場の門前「長珍屋」へ上がり込む。ちらし寿しに乳麵、鯛の煮つけに冷や奴の御膳。後は、ひたすら帰るのみ。ドライバーさんが狭い道を通って衛門三郎の屋敷跡という「文殊院得盛寺」の前を通過してくれたので、喚声が沸く。吉野川HO、淡路SAを経由して西大寺へ。雨も大したことはなく、割とさわやかな一日だった。お客様とは、来月の第9回でもお目にかかります。またよろしく。合掌

  浄瑠璃寺にて 白や赤 ハス花乱る 浄瑠璃寺

         瑠璃光の お浄土なるや ハスの池

(写真は、石手寺本堂と西林寺の蓮)

2011年7月23日土曜日

西国 4回 9~11番



平成23年7月22日

堺より添乗、お客様は19名。9時出発なので、いつもよりゆっくりしている。まずは、9番興福寺・南円堂へ。40名の明石組に合流させて貰い、勤行。30分ほど時間を取って境内を散策していただく。国宝館や東金堂などがおすすめだ。11時過ぎに集合して若草山麓町にある「古都屋」で奈良情緒豊かな昼食。若草山がきれいに刈り込まれたようになっているが、これは鹿が草を食べているせいとか。約1200~300頭いるらしい。角が立派に生えているが、まだいかにも軟らかそうだ。しかし、段々と堅くなり秋には、「角切り」の神事となる。「早起きは三文の得」という言葉の語源は、奈良からとか。鹿が家の前で死んでいると罰金が三文、そこで早起きして、自宅の前で鹿が死んでいると、隣に運んで罰金を逃れたからと古都屋の女性が説明してくれた。ついで、宇治平等院のそば、宇治塔川のほとりにある「喜撰茶屋」でお買いもの。10番三室戸寺は、近くだ。花の寺としても有名で、今は蓮の花が美しい。本堂前で、お念珠の使い方を講釈する。打ち止めは、11番醍醐寺の准胝観音様。平成20年8月の落雷で上醍醐の准胝堂が焼失したため、現在は金堂に祀られている。本尊薬師如来、脇侍の日光・月光両菩薩、さらには四天王と云う配置の前で、チョコンと安置されている。日光菩薩は男か女かと話をしていると、明石組が到着したので、合同でお勤め。ここでも時間を取って境内を散策、和尚は「不動堂」「真如三昧堂」「祖師堂」とお参りした。17時過ぎに堺帰着。「次回は、歩け歩けですよ」と予告をしておいた。合掌

三室戸寺にて  ぽっかりと 開く蓮華や 三室戸寺

(写真は若草山と三室戸寺の蓮)

2011年7月20日水曜日

四国1回 1~6番 西大寺発


平成23年7月19日

台風6号の接近で、四国地方は40mの風と600mmの雨量が予想される中、西大寺から出発。台風チャンセルが2名でて、お客様は19名となった。和尚も雨は覚悟の上、お客様も同様で雨対策はしっかりされている。11時前に1番霊山寺到着、横殴りの強い雨と風だ。梅田組と一緒に大師堂で法話、ついで靴と傘も持って、廊下づたいに本堂に。雨足のすごさに、お寺も特別ルートの提供だ。我々が、最終組のようなので本尊前の法話席で勤行させていただく。早稲田同窓の副住職に拙書「ようおまいり」を置いてもらっているお礼を言う。やはり彼が、「たる出版」に手配とのこと。私には内緒にと伝えたと云う。有難し。2番極楽寺のお参りからは、蝋燭と線香は「運心」にしてもらった。風雨で、とても火が付けられない。個人納経所兼売店の長寿庵も閉店。6番安楽寺までの間にお弁当をいただく。門前の「しらかわ」も店じまい。本堂前の大きな線香立てには、雨対策のシートが被せてある。本堂に入ると、「ご接待講」が待ち受け「粒あん・もみじ饅頭」のご接待を全員受ける。強風で、傘の骨が折れるほどだ。和尚を含め何人かが被害者。5番地蔵寺、4番大日寺、3番金泉寺と梅田組とほぼ同時に動き、所々で合同でお勤めする。金泉寺の大師堂も、戸締りがしっかりされて、中には入れなかったのが心残り。3時20分打ちあげて、早々に四国を脱出することにする。本来のスケジュールは、「阿波の里」「淡路HO]に立ち寄り、買い物休憩するのだが、添乗員の判断で中止。鳴門・明石の両橋が閉鎖になる前に通過しょうと云う訳だ。淡路島を抜けると、嘘のように平穏だ。停滞する台風をバスが抜き去ったのだ。阪神高速が渋滞のため、中国道に向かい「名塩PA」でやっと一息ついた。西大寺着18時前。合掌

  極楽寺にて  傘折れる 台風6号 極楽寺
 
  地蔵寺にて  台風に 落ちるぎんなん 大師堂

  安楽寺にて  接待講 もみじ饅頭 夏遍路

(台風で撮影できず。写真は、かって撮影した金泉寺の「黄金井」)

 

2011年7月16日土曜日

西国10回 28~29番


平成23年7月16日

なんばから18名のお客様に添乗。3連休の初日とあってか高速道路は大渋滞、1時間かかってようやく宝塚IC付近。西紀SAで休憩し、28番成相寺に向かうところが、まず昼食をと云うことになってしまった。12時前に「橋立シーサイドセンター」に到着、昼食となった。日本3景のひとつ天の橋立を眼下に見下ろす成相寺、かっては高野山真言宗の別格本山と記憶しているが、今は離脱し「橋立真言宗大本山」を名乗る。聖観音さまがご本尊だ。お参りの後、道の駅「舞鶴港とれとれセンター」に立ち寄り買い物。なんと若狭舞鶴道の小浜西~小浜間が本日15時に開通との表示、記念の日に来たことになる。海上自衛隊の基地を横目に走ると、土・日・祝は、自衛艦の見学が出来るとの看板を見つけた。29番松尾寺も、成相寺と同様に、本堂近くまで大型バスが走れるようになったので、お客さまにとっては便利になった。松尾寺では、本堂に上がり勤行。内陣への拝観もOKということでお前立ちの三面八臂の馬頭観音を前に解説。やはり、本堂に上がり、正座して勤行出来ると有難さが倍増する気分だ。16時前に打ち止めし、帰路に着く。事故渋滞が西宮北~宝塚間7km、二つの事故現場が連続してあった。通り抜けて、阪神高速に入ったと思ったら、豊中南から5kmの自然渋滞。それでも梅田18時40分着。結果的には早めの帰着となった。合掌

 成相寺にて  橋立を 見下ろす夏や 成相寺

 松尾寺にて  夏木立 馬頭観音 松尾寺(まつのおでら)

(写真は、成相寺本堂の左甚五郎「真向の龍」)

2011年7月13日水曜日

四国10回 60~65番 なんば発



平成23年7月11~12日

なんばから添乗、43名のお客様と伊予路へ向かう。ほとんどが和尚とは初めての御客さまだ。龍野西、豊浜のSAで休憩し、65番三角寺へ。車窓より、「讃岐富士」「象頭山」「善通寺五重塔」「出釈迦寺奥の院」「本山寺五重塔」などを案内しながらの走行。豊浜に着くまでにお弁当と摂っていただく。三角寺へはマイクロとタクシーに乗り換え登る。「是でこそ 登りかいあり 山桜」という小林一茶の句碑が立つ老木がその山桜だ。ついで60番横峰寺へ。こちらもマイクロバス2台に分乗して、有料の林道を登る。駐車場から山道を下り、境内に向かうのだが、「行きは良い良い、帰りは」という坂道だ。紫陽花が満開で参道を青紫に染めている。お参りを終えて、京屋旅館まで戻ると16時を廻っていた。本日は早いが打ち止めとした。16時半を過ぎると「運心」で蝋燭・線香を自粛するが、今回は余裕があるので、無理をすることはないとの判断だ。ホテル奥道後に17時半着。スタッフ4人で、夕食のテーブルを囲む。柑橘類を扱う「亀井商店」が来ていたので、またまた一箱注文してしまった。奥道後はジャングル温泉が有名だが、和尚は「大理石風呂」と決めている。
 
  三角寺にて  山門の 鐘突き祈る 夏遍路

  横峰寺にて  横峰の 紫陽花青く 遍路道

12日は、5時半起床、朝風呂に入り朝食。出発は8時。「新井満・自由訳般若心経」のコピーを40セット余り、お願いしてあったのを清算しようとすると、「結構です」との返辞、サービスして戴いた。皆。大喜びだ。きょうのコースは、62番宝寿寺、64番前神寺、63番吉祥寺、61番香園寺の順。少し変則だが、バスの運行などを考慮するとこれがベストと思っているのだ。各札所とも、団体バスは我々だけで、順調にお参りできた。打ち止めは11時半、リンリンパークで昼食後、帰路につく。松山道~徳島道~淡路島ルートで吉野川、淡路のハイウエイ・オアシスで休憩し梅田17時40分、難波18時10分到着。10回目はともかく、11回目はハードですよと念を押しておいた。足の不自由な方もいらしたが、皆さん温かい雰囲気で、勤行も素晴らしく、心温まる2日間でした。ご縁に感謝。合掌

  前神寺にて  アルミ貨を 不動に貼るや 夏遍路

(写真は、 横峰寺参道の紫陽花と前神寺本堂)

四国 1回 1番~6番 八尾発


平成23年7月10日

8日に梅雨明け宣言が出て、いよいよ夏本番。近鉄八尾~八戸ノ里~長田とpick upするコース。予定より早めに八尾を出発したが、八戸ノ里で一人欠席の模様で10分遅れ。自宅の電話は留守電になっていた。こちらに向かっていることも考えられるので、10分待った訳だ。結局、お客様は17名。初回とあって、発表した日程はすべて催行日となっているので、たとえ少人数でもバス運行となる。阪急トラピックスから7台のバスが出ていると云うが、最少人数のはずだ。しかも、驚いたことに、今回は朝軽食に夕弁当も付くと云う。キャンセルのお陰で、添乗員も和尚も試食できたが、朝はクロワッサンとリンゴジュース、夕はチラシ寿しにお茶付きだった。1番霊山寺に着くまで、「仏前勤行次第」「おまいりの作法」「納経用品」などの説明だ。初回が大事なので、和尚も力が入るところだ。霊山寺本堂の法話は、バス3台分が集まり超満員、和尚の八尾組は少人数とあって動きが早い。2番極楽寺にお参りし、12時半ごろお弁当time。ご住職の奥様に春以来の御挨拶、お土産にと「桃」と「すだち酎」をいただいた。6番安楽寺までにお弁当を済ませてもらい、以後は逆打ちとなる。安楽寺門前「しらかわ」のアイスクリームが大人気、やはり夏本番だ。5番地蔵寺までは、スムースに行ったが、4番大日寺は大混雑、大師堂から始め本堂は明石組と大合唱。3番金泉寺も同様で、本堂で梅田組と合同のあと、「黄金井」「閻魔堂」「弁慶の力石」「義経の戦勝祈願所跡」「俱利伽羅明王」と廻って時間調整し、大師堂に入ってゆっくりお参り。掲げられた大師一代記の絵を一枚づつ説明、打ち止めは15時40分。いつもより1時間早い。帰路の車中で「いろは歌」を配り、八栗ケーブルのCDを流す。19時半頃、八尾着。お疲れ様でした。合掌

  大日寺にて  梅雨明けや 日陰で祈る 遍路かな

(写真は3番金泉寺・義経戦勝祈願所跡)

2011年7月5日火曜日

高野山 満願御礼参り


平成23年7月4日

1年かけて結願にいたったバス遍路のいよいよ今日は御礼参り。奈良から1台、梅田~難波から2台。和尚は西大寺から添乗、お客様は39名。ほとんどが和尚と一度は、御一緒している方ばかりで「やあやあ、お久しぶり」と同窓会の雰囲気だ。奥の院、金剛峯寺、慈尊院とまわるが、御朱印をすべていただくのか、どうするのかとその確認に添乗員は気を使う。それも、お軸、白衣、納経帖と3種類ある訳だ。その整理を終えたところで、朝の勤行。本日の行程のポイントなどについて解説する。バスは、24号線から部分開通の京奈和道を乗り継ぎ、「高野口」から480号線で高野山に向かうコース。2時間ほどで、中腹の「花坂ドライブイン」到着。トイレ休憩と「柿の葉寿し」の試食。帰路にも立ち寄るので、ここで注文しておくと、その時にに持ち帰ることができる。花坂から30分強で奥の院中の橋駐車場に着き、ガイドと合流、記念撮影。ガイドの説明を聞きながら御廟を目指すのだが、ガイドを先頭に、和尚は最後尾につく。迷子予防だ。御廟橋で「中礼三度」、梵字が裏面に刻まれた石板を一歩づつ踏みしめ聖域に入る。御廟前でお勤めし、灯篭堂地下の御影前で御宝号七反。最後に英霊殿で阿弥陀如来のご真言を唱和して奥の院参拝を終えた。一の橋観光センターに立ち寄り、昼食会場の「安養院」へ。「安養院」は、大学の加行道場(大菩提院)のすぐ下に在り、修行中の早朝、我々の走る音で眠れないと叱られたことを思いだした。昼食後は、お軸の表装や御念珠の御仕立てなどの時間、見本が多く並べられているので、御自分のお軸の絵柄にどの表装があうか広げて見比べる方も。また、各札所のお御影をお軸や横額、屏風などに仕上げてあるのに、興味をもたれる方も多かった。金剛峯寺の内拝は、自由参加だったが30名ほどが参加すると云うので、和尚がガイド役を務めることに。参加しない方々には、壇上伽藍の大塔の拝観をお薦めした。16時前に慈尊院に。拝殿で、梅田2号車が法話を聞いているので、奈良組は、大師堂から御参り。次いで弥勒堂で梅田2号車と合同でお参りする。拝殿での法話は、梅田1号車が到着したので、同席。狭い拝殿が溢れるばかり。高野山への案内犬「ゴンちゃん」のビデオの後、和尚の法話。帰路は、京奈和道~南阪奈道~近畿道経由東大阪から生駒トンネルを抜けるコース。和尚は、「いろは歌」のペーパーを配り、歌を流そうとしたが、テープは使用不可。やむなく、和尚が歌うことに。八栗寺のケーブルカーのBGMと教えると、思い出す方も。18時過ぎには、西大寺着。皆さま、満願おめでとうございます。お四国は、一度で終わることはありません。またいずれ、お会いできるでしょう。次は、西国巡りとおっしゃる方は、そのバスでお会いできるでしょう。合掌

  奥の院にて  初夏の 御廟に流る 香煙や

         満願の 遍路迎える 夏木立

(写真は、慈尊院山門)

2011年7月1日金曜日

戌年同行の会 高顕寺を訪ねて


平成23年6月27日

戌年同行の会は、先の戌年(平成18年)に堺方面から乗車してお四国を結願した面々が、平成27年の慈尊院ご開帳を共に詣でることを目標に結成した同窓会である。2月の懇親会、6月の日帰り旅行が定例で、和尚は結成時からお声を掛けていただき参加している。特に、6月の日帰り旅行は和尚の担当で「東寺~神光院」「應聖寺~須磨寺」「信貴山~寶山寺」などとおまいりを続けてきた。今年は、和尚の高野山大学加行道場「大菩提院」での修行中に、指導員として来てくれていた内海誠仁師の寺、岡山県備中市の恵日山・高顕寺をお参りすることにした。高顕寺は、聖武天皇の勅願にて神亀5年(728)に創建された高野山真言宗の古刹である。御本尊は定朝作と伝わる不動明王。内海師は、堺の在家出身、ご縁あって「八塔寺ふるさと村」にあるこの寺に後継者として入った。後継者ができてホッとしたのか、ご住職が急逝された。若い内海師が高顕寺を守っていかねばならなくなったのだ。当日の戌年同行の会の参加者は総勢31名。まず向かったのは、備中ICからすぐの「特別史跡・旧閑谷学校」。備前藩主池田光政公が寛文10年(1670)に庶民の子供たちを育てる場として開校、人づくり、国づくりは儒学にあると、孔子の論語が日々朗誦されていたという。その講堂は、国宝となっている。そこから30分程で「八塔寺ふるさと村」に着く。昼食は「望ヶ丘キャンプ場」のレストラン、名物「鴨鍋」をいただく。仕上げはうどんだ、雑炊だと鍋ごとに決っていく。和尚たちの鍋は欲張って「うんどん炊」に。鍋ごとに自慢の雑炊が出来上がり、声のかかった鍋を順にまわり味見をすることに。鍋奉行によって味が違うのが面白い。高顕寺に行くと、内海師が本堂で護摩供養の準備をして待っていてくれた。回し焼香の後、皆で般若心経を唱和する。法要後、客殿でお茶とお菓子のご接待、内海師が皆に御祈祷札と勾玉のストラップを記念にと用意してくれていた。納経帳を持参していた方も10数名。内海師をまじえて記念写真を撮り、帰路についた。天気予報に反して、ほとんど傘を使うことも無く、有難い一日だった。合掌

  高顕寺にて   心経や 炎に重ぬ 夏の護摩

(写真は、高顕寺本堂)

2011年6月23日木曜日

四国9回 52~59番 西大寺発


平成23年6月20~21日

全国的に大雨の予報で、朝からシトシト降っている中、41名のお客様と出発。淡河PAで休憩後、「いろは歌」のペーパーを配りテープを流す。「修行者と羅刹」の話を学校で習ったという人も3~4人いた。瀬戸大橋経由で四国に入ると雨は上がっている。石鎚HOで昼食、59番国分寺から打ち始めると又、降りだした。15時頃、57番栄福寺に入ると雨は上がる気配となり、58番仙遊寺では、雨上がりの濃霧の中、参道を登る。いかにも山寺という感じだ。栄福寺は庫裏の工事中、本堂の柱に「横綱大鵬」の千社札発見。13番大日寺と同とやじだ。56番泰山寺では、16時半になったので「運心」でのお参りをお願いする。安全のため蝋燭・線香など火の気を自粛し、供養したつもりで参ることだ。お客様から「たいざんじ」か「たいさんじ」かと問われる。資料によってまちまちなのだ。縁起的には「女人泰産」からきているので「たいさん」が正しい。18時前に道後温泉のホテル・ルナパーク着、「坊ちゃん湯」まで1分の好立地にある。夕食後、枚方発の川倉先達さん達と温泉街を散策、いつもの「番鳥」で焼き鳥で一杯。

  道後温泉にて   夏遍路 遠雷聞こゆ 道後の湯

           梅雨もまた 修行なりと 遍路かな

朝7時半に出発して、52番太山寺に向かう。こちらも「たいさんじ」だ。坂道はこたえるが、雨上がりの緑が美しい。納経所前の「一畑薬師」で行列、「眼のお薬師さん」ということで、納め札に「め」を年齢の数だけ書いてお参りをと勧めておいたのだ。53番円明寺本堂、左甚五郎の龍の彫り物を見てもらおうとするのだが、吊灯篭の影になることや大き過ぎて反って判りづらいようだ。『即滅無量罪』『現受無比楽』の看板につても解説。大師堂の芸術的な瓦を鑑賞、キリシタン石塔を拝む。青空の広がる上天気に。「愛媛菓子処・お菓子館」で休憩と買い物、和尚は「ハタダの栗タルト」と「塩見ふく福」(大福餅)をお土産にする。川内ICから今治小松道経由で今治市へ。54番延命寺、越智孫兵衛の墓や真念の道標が並んでいる。ご本尊は、不動明王。お客様の苦手なご真言だ。少し練習してから、お勤め開始。雨予報で、網代笠を持っていかなかった和尚の頭は、強い日差しでジリジリする。打ち止めは、55番南光坊、大師堂の補修が11月に終了したようだ。山門の四天王像を案内していると、立葵の紅い花が眼に飛び込んできた。お参りを終えて、遅めのお弁当をいただきながら、しまなみ海道を渡る。大三島の「しまなみ宝船」、吉備SA、淡河PAで休憩して西大寺着が18時過ぎ。この回では、1時間以上早く着いた。ドライバーさんもびっくりのスムースさだった。合掌

  延命寺にて    梅雨明けか 見上げる空や 延命寺

  南光坊にて    青空に 紅く上るや 立葵(たちあおい)

(写真は、延命寺の越智孫兵衛の墓)

2011年6月15日水曜日

菰渕覚次の大師ご詠歌


平成23年6月15日

お四国を御参りしていると、いろいろなことに気がつき、新たな発見がある。大師堂に掲げられたご詠歌の扁額にお気づきになられましたでしょうか?四国八十八ケ所すべての大師堂とは申しませんが、結構目につくはずです。これは、明治三十年生まれの元校長先生・菰渕覚次さんの自作の扁額です。讃岐で生まれ、教師になり五十六歳の定年を迎えてからは、晴耕雨読の百姓に転身。ところが七十歳を機にお遍路三昧、ある時四十三番明石寺での老僧の言葉に「この寺には、徳川の世に、漁夫の奉納した額があり、今にその子孫が、参詣する。」と。これを聞いて自作のご詠歌を額として彫刻するを思いつき、彫刻の経験はないが、一本の彫刻刀で彫り続けたと云う。各寺で詠んだ歌を、佐々木開庵師に書いてもらったもの。木材を提供された方、額の板削りをされた方、多くの方々のお力で、今も掲げられているのだ。「覚次」の署名を目印にされると分かり易いかも。合掌
(写真は、志度寺大師堂の扁額
「玉藻よる 志度寺の庭に 南無大師 遍照金剛 唱へ奉らむ」)