2012年9月27日木曜日

第4回 近畿三十六不動尊巡り 24~27番

平成24年9月25日
無動寺参道入口

大和・伊賀巡拝の会の第4回不動尊巡り。今回は滋賀県ということでバスはいつもとは逆に和尚のところから順に集客してゆくこととなった。6時20分に出発、高田市駅~八木西口~桜井~榛原~桔梗が丘などを廻り伊賀上野に9時過ぎ到着。ここで全員26名が揃った。「あやま」道の駅で休憩し新名神甲南ICから27番葛川明王院を目指す。堅田から山道を奥深く走り、お昼頃ようやく到着。本堂に上がり、お勤め。昼食を車中でいただきながら比叡山無動寺谷の26番明王堂へ。東塔前のバス停でバスを降り、山道を下る。坂本ケーブル下に無動寺の大きな石柱が建っているが、これからが本番、20~30分は下ることになる。ということは、帰りは結構な上りということだ。明王堂にたどり着くと眼下に琵琶湖が広がっている。堂内で読経のあとは難行だ。和尚は明王堂の勤行次第を買い求め、それを読みながらゆっくりと登ったら、なんとなく着いてしまった。全員揃うのを待って、山を下り、三井寺の横にある25番円満院門跡へ。秘仏だが金色不動で名高い。本堂に上がらせてもらうと、勤行次第や般若心経が置いてくれてある。それを見ながら、真言系と天台系の読み方の違いなどについて解説する。また木札のお守りも無料で配布していただいた。予定では3ヶ寺であったが、24番岩屋寺が、待っていてくれるというので、急遽向かうことに。1号線の渋滞やバスが入れないので歩いたこともあり、到着が遅れたが、快く迎えていただき、本堂でお勤め。大石内蔵助の山科の隠遁の場でもあり、四十七士の位牌も祀られている。近畿三十六不動霊場唯一の尼寺である。結局打ち止めは18時前になってしまった。「今度はゆっくりお参りください」の声に送られて帰路についた。往路と同じコースを順にたどってお客様を降ろしてゆく。和尚の帰宅は22時。「いつもだと伊賀上野まで送って戻ると帰宅は深夜です」とは添乗員の弁。きょうは逆なので、早く帰れるとのこと。いつもご苦労様です。合掌

 葛川明王院にて  山深く 明王院に 秋の風
 
 無動寺にて     明王堂 眼下に青く 秋の湖(うみ)

 岩屋寺にて     秋月や 不動が抱く 赤穂義士

京都探訪

平成24年9月23~24日

埼玉に住む息子夫婦が、京都見物をしたいというので、和尚夫婦で案内役をすることに。お昼前に京都駅で迎え、まずは清水寺を目指す。勿論。和尚は西国の納経軸を持参だ。先に昼食をすまそうと早稲田倶楽部の先輩に紹介された「癒味家」(ゆみや)へ。清水寺の参道入口近くのホテル「京都きよみず花束か」の1階にある。席だけは予約を入れておいたのだが、京風の懐石料理のコースを注文する。参道から少し脇に入るだけなのだが、静かで落ち着いた雰囲気だ。料理にも大満足。しかも車を置いたまま、お参りにどうぞというので、大助かりだ。相変わらず大勢の参拝客と思ったのだが、納経所で聞けば、尖閣諸島の国有化以来中国客が激減し、いつもの半分位だという。「音羽の滝」の水を含んだ3人は、「甘くて美味しい」と異口同音に言う。「伏見の酒が旨いのは水のせいか」と息子は納得の様子。ついで「銀閣寺」へ。正式には「東山慈照寺」といい、足利八代将軍義政公の建立した山荘である。観音様を祀る銀閣も良いが、何といっても庭園が素晴らしい。さらに南禅寺をお参り。臨済宗南禅寺派大本山で、亀山法皇開基、「京都五山之上」に列せられている。正式には「瑞龍山太平興国南禅禅寺」。重文の堂々たる「三門」から赤レンガのローマ風な水路をくぐり石段を登ると、南禅寺発祥の地である「南禅院」がある。お庭も素晴らしいが、境内全体のしっとりとした感じが心地よい。清水寺、銀閣寺より印象が良いと4人の意見が一致した。
お宿は、電通対比寮、和尚のような社友(OB)も利用できる。旧寮時代は、ラグビー部の合宿で何度もお世話になり、ここで新年を迎えたこともある。賀茂川に沿って、名前の通り比叡山が目の前に聳える。久しぶりに息子と酒を酌み交わした。ビール、日本酒、焼酎とたっぷり頂いてしまった。
金閣寺
24日は、「下賀茂神社」から。「世界遺産の森」には、朝の散歩の方が多く見受けられる。正にオゾン一杯の森林浴だ。ついで、リクエスト一番の「金閣寺」へ。銀閣寺と同様に臨済宗相国寺派に属し、「鹿苑寺」が正称。足利三代将軍義満公の山荘で、金閣は舎利殿、金箔を貼っているところからの名称である。駐車場には観光バスが並び、外人客も多い。鏡湖池を前面に正面から拝観するように促され、カメラが並ぶ。そして裏山を巡り出口へ。最後のポイントは嵐山、「天龍寺」にお参りする。後醍醐天皇の菩提を弔うため、夢窓国師を開山として、足利尊氏が建立した臨済宗天龍寺派大本山である。正称は「霊亀山天龍資聖禅寺」。折しも特別拝観で法堂に入ることが出来た。天井には加山又造画伯の直径9mの円相の中に描かれた雲龍図がある。「八方睨み」の龍として描かれ、どの位置から,見ても眼が会うのだ。本堂からお庭とゆっくり拝観、夢窓国師による庭園は、国の史跡・特別名勝第1号指定という。
お昼は、京都電通近くの「河道屋晦庵」に案内する。京都で会議のあるたびに訪れた「蕎麦の銘店」だ。車を御池通りの地下駐車場に入れたまま、「錦小路」へ。京都の台所と言われているが、今までと印象が違う。なんだか若者向けのお店が多くなっている感じだ。一通り歩いて、締めは「錦天満宮」。息子夫婦を京都駅に運び、オノボリさんコースの京都探訪の打ち止め。お四国や西国などの巡拝だけでなく、こんなお参りもたまには良いもんだと実感した二日間だった。合掌

  南禅寺にて  秋の風 心を洗う 古刹かな

秀寛和尚の独り言ー秋彼岸

平成24年9月19・21・22日

JR灘駅の北側に高野山真言宗「金剛福寺」がある。副住職が和尚の道場仲間で、歳の離れた同級生という訳だ。秋のお彼岸の檀家参りのお手伝いにと声が掛り、馳せ参じた。19日と21日は、法衣にヘルメットをかぶり、バイクで灘区、東灘区の檀家さんを廻った。8月のお盆のお手伝いの時は自転車だったが、今回は風を切って爽やかに回ることができた。といっても初めての土地なので、地図で下調べをし、個票で確認しながらのこと。どうしても家が判らずに途方に暮れ、窓から顔を出した男性に尋ねると、「ここだ」という。なんとラッキー。それ以外は、なんとか辿りついて、無事お参りをすませることができた。22日は、お寺での彼岸法要。14時からの法要に合わせ、9時から会場設営、本堂に椅子を150ほど並べた。住職を導師に、副住職や和尚、それに道場仲間ら4人が脇につく。法要は「理趣三昧」の本格的なもの、檀家の皆さんで本堂は満員の盛況、和尚も久しぶりのことで感動した。法要の後は、四國八十八ヶ所霊場の「お砂踏み」、檀家の方がお四国を周り集めてきたというありがたいものだ。金剛福寺では、年に4回の法要が通例とのことで、また参加させていただきたいとお願いしておいた。合掌

2012年9月20日木曜日

西国1回 青岸渡寺

平成24年9月17日
青岸渡寺参道

難波から41名のお客様と7時50分に出発。敬老の日とあって交通渋滞も予想され、帰りが遅くなるのではとドライバーさんと話を交わした。遠距離なので、ドライバーさんは二人乗務だ。台風接近の影響からか、御坊を越える頃から風雨が激しくなった。
お客様に聞けば、お参りの経験の無い方が10名ほどいらっしゃったので、その方たちを中心に説明をしていくことにさせて貰った。そうかと思うと、和尚の知り合いなのだが、休日はご夫婦で必ずお参りという大ベテラン先達も同行だ。朝のお勤めを済ませ、勤行次第の意味などについて説明をする。印南SAで休憩し、お弁当を積み込んだが、その時は雨も上がり、青空も覗いていた。南高梅で名高い、「中田食品」に10時過ぎ到着、平日なら工場見学もあるのだが、本日はお休み。いろんな種類の梅干と梅酒が試せるのが楽しい。件の先達夫婦が、梅干のお土産をくださった。車中でお弁当をいただきながら、那智山の麓の「かまぼこセンター」に12時半着。今月からタクシーで登るオプションが始まり、6~7名が手を挙げたようだ。(石段は500段ほどか)まずは「那智の滝」のお参りから130段ほど石段を下り、記念撮影。雨のせいか水量は豊富、土砂崩れの修復工事が進行していた。いよいよ寺参りだが、幸いなことに雨は上がっている。本堂でお参りのあと副住職の法話をいただく。西国札所でここほど懇切丁寧な法話をされるところは無い。お客様も聞き入っている。14時10分打ち止め、45分後にバス集合の声をかけて、散開する。和尚は那智大社に詣出て下山、熊野交通の観光センターで名物の「那智黒ソフト」をいただく。ここでしか味わえない逸品だ。
和尚の携帯電話が鳴る。ご婦人が一人迷子になったようだ。迎えに行って事なきを得た。出発時に迷子予防に携帯電話番号をお伝えするのだが、今日はお役に立った。「ちかつゆ」「紀の川SA」と休憩して難波を目指す。予想に反して、渋滞に巻き込まれることもなく、スムースに帰着。道中は雨が降っても、お参りでは傘いらず、本当に日頃のご精進の良い方ばかりだ。合掌

 那智の滝にて  台風の 雨を加えて 大瀑布

 青岸渡寺にて  説法に 瞳輝く 秋詣り

2012年9月13日木曜日

土佐から伊予路9ヶ寺参り

平成24年9月10~12日

12日に全国先達大会が松山市で開催されるのに合わせ、2日ほどお参りして現地入りすることにした。10日の朝、和尚からすると姉さん先達3人を難波で拾い、一路足摺岬を目指した。和尚の目論見は、39番延光寺と38番金剛福寺を10日と11日の2日お参りしようということなのだ。何しろこの2ヶ寺の回数が少ないからだ。大阪から見ると、四国の最南端に位置するため最も距離がある。17時までに辿り着けるかが問題で、走りに走ってなんとかクリアできた。お宿は「民宿西田」、魚が旨く風景抜群の遍路宿。高僧の書が、お軸になって数多く展観されている。我が師僧である東寺長者・砂原秀遍猊下の書も和尚が用意させて貰った。食事の後は、東京からバイクで回っている方と暫しお遍路談義。

龍光寺の水子地蔵
11日、朝一番に金剛福寺へお参り、今日は松山に向かって回れるだけ回ろうとスタート。延光寺から40番観自在寺、41番龍光寺と打って麓の「長命うどん」をと思って覗いたが、団体予約で満員と断られた。42番佛木寺から43番明石寺に走り、駐車場に隣接する「常楽苑」でようやく「うどん」にありつけた。明石寺の山門に空海の「後夜仏法僧鳥を聞く」の漢詩の額が掛けられている。詩吟をやる者にとっては、定番の詩だ。44~45番はパスして、46番浄瑠璃寺から回れるだけ回ろうと思ったが、結局、46番八坂寺、46番西林寺までで、時間切れとなった。打ち止めに「いろは歌」を合唱し、「弘法大師同行二人のご詠歌」を納めた。お宿は、道後の「ホテル ルナパーク」。阪急のバスでよく利用するホテルなので、勝手知ったるお宿だ。一泊朝食付きで予約、夕食はかねてお願いしておいた「番鳥」へ。お任せで頼んでおいたのだが、最初に出された「サヨリとイカの刺身」が絶品だった。いつもの焼き鳥に舌鼓を打ち、仕上げは「焼きそば」と「そば飯」。大満足だった。
12日が、県民文化会館で先達大会だと云うと、「駐車場が込むでしょう。お店の駐車場を使いなさい。歩いてすぐだから。」と言っていただいた。翌朝、お店の前に駐車して会場入り、信貴山の佐々木照眞尼がご接待のチッシュなどを配っていた。会場は、全国から1270名の先達が集結し満員の盛況、冒頭に物故者の法要が営まれたが、1年で150名を超える方が亡くなられていた。顔なじみの方も参加されていて10名ほどの先達さんと挨拶を交わした。この3日間の走行距離は、約1500km、その前の2日間と合わせると2000kmを超えた。我ながらよく走ったものだ。合掌
西林寺の本堂・大師堂

 足摺岬にて   潮風の 頬に爽やか 秋日の出

2012年9月9日日曜日

讃岐路を巡るー8ヶ寺

平成24年9月8~9日
本山寺の五重唐

和尚の母校は善通寺第1高等学校、当然校歌にも弘法大師が歌い込まれている。同窓会の役員会に関西支部事務局長として出席するついでに、地元讃岐の札所をまわることにした。8日の朝早く出発し、10時半の開会に間に合った。丁度母校は、文化祭で賑わっていた。図書室での役員会を終えて、茶道部の茶席でお茶をいただく。和尚のパソコンの記録によると、天皇寺のお参りがほかの寺と比べて少ない感じがしているので、まずは79番天皇寺を目指す。バス遍路に添乗するときは、時間が気になってゆっくりできないのだが、白峯宮もゆっくりお参りし、本堂左の地蔵堂もお参りできた。そして和尚の好きな寺の一つである、82番根香寺へ向かう。工事中だった参道が完成していて、山門前の駐車場まで整備されていた。納経所で、納経帖を差し出すと、重印をどこに押そうかと迷っている。ほとんど隙間がないからだ。「どこでもどうぞ」と声をかける。もう一ヶ寺をどこにしようかと思ったが、83番一宮寺まで足を延ばした。今日は、山門の写真も撮らしてもらった。善通寺に戻り、夜は同級生と久しぶりに会食。
雲辺寺の毘沙門天を足下から見上げる
9日、今日は66番雲辺寺からスタート。9時発のロープウエイで登る。山頂駅前には、向日葵と紫陽花が並んで花を咲かせている。下界と7度程気温が違うので、紫陽花は6月から9月中旬まで咲くというから、こんな素敵な競演が見られる訳だ。初めて、「毘沙門天展望台」に挑戦する。四国一の眺望というのだが、登ったことはなかったのだ。坂道を少し登ると、六角堂を台座として巨大な毘沙門天像が瀬戸内を見下ろしている。お堂に入ると、螺旋状にスロープがあり、壁には1番霊山寺から高野山までの、切り絵風の絵が掲げられている。毘沙門天の足元までたどり着くと、そこには見事な絶景が待ちかまえていた。9時から16時まで無料拝観できる。個人で行かれる場合は、おすすめのスポットだ。五百羅漢や涅槃像もゆっくり拝見し「おたのみ茄子」にも腰を下ろしてノンビリする。本堂、大師堂のお参りを済ませ、10時の下り便に丁度間に合った。67番大興寺に行くと、阪急トラピックスのバスが一台、馴染みの先達、添乗員の姿だ。聞くと梅田からの逆打ち3回で、2日間の打ち止めとか。68番神恵院、69番観音寺を回って、70番本山寺打ち止めと決めた。本山寺の五重塔と赤、白の百日紅の花が一枚の絵のように迫ってくる。国道11号線を善通寺方面に向かって走る。高速に乗る手もあるのだが、和尚の魂胆は、「鳥坂まんじゅう」を買い、善通寺近くの「オハラ」でうどんを食べることなのだ。「鳥坂まんじゅう」は、子供の頃からの馴染みの味、じいさんの大好物だった。「オハラ」のうどんは、昨夜の会食でも話題になった手打ちうどんの店だ。相撲好きの難聴の親父の店、「かけうどん」の中盛りを平らげたあと、ぶっかけの半玉も追加してしまった。おでんもいただいたので、少し食べ過ぎかと反省。バス遍路でお話をしながらもいいが、こうやって個人的に回るのもいいものだ。合掌


 雲辺寺にて  向日葵と 紫陽花咲くや 雲辺寺

 本山寺にて  足元に 百日紅咲く 五重塔

2012年9月6日木曜日

西国三十三所巡礼説明会

平成24年9月5日

阪急交通社(大阪)の西国巡礼説明会が、梅田の阪急グランドビルで開催された。15時集合だったので、少し早めにと会場を覗くと、ちょうど四国八十八ヶ所巡拝の説明会が終わったところだった。お四国の説明には、1番霊仙寺の面々が駆けつけていた。阪急の巡拝部門の担当者にご挨拶すると、和尚のブログもよく見ていてくれていて、「添乗員の報告より、よくわかります。」との声には恐縮。
説明会は、15時半より。お四国の説明会から引き続き参加する方もいて、約30名ほどの出席者。まずはトラピックス制作の案内ビデオが25分ほど、その後が和尚の出番だ。40分程の時間を頂いたので、西国の歴史、お四国との違い、巡拝装束の意味するところ、納経用品、勤行次第などを説明させていただいた。勤行次第では、「延命十句観音経」が馴染みが薄いと、全員でお唱えしてみる。お四国を回り終えたので、今度は西国へと云う方も数名いらっしゃった。皆さんご熱心で、説明会の後も、納経用品や、作法などについての質問が飛び交っていた。
西国巡拝は、12回で三十三所と番外の3ヶ寺を日帰りで回り、お礼参りは信州・善光寺(1泊2日)というコースだ。春と秋の年2回のスタート、今日のお客様のなかで、和尚のバスに乗る方も出てくるに違いない。そのご縁を楽しみにしています。合掌

2012年9月4日火曜日

秀寛和尚の独り言ー除霊お払いー

平成24年9月4日

真言宗は、加持祈祷を行うため、地鎮祭も始めいろいろなところで、読経の声がかかる。今日は、「部屋に東日本の災害で亡くなった霊が居座っていて困っている」との電話があり、大和郡山駅前の団地を訪れた。82歳の矍鑠とした御婆さんの話を聞くと、眼には見えないが、夜に複数の人の寝息が聞こえるのだという。夫婦で寝ていて、奥さんの起床が遅いと感じたので、「いつまで寝てるの、掃除でもしたら」と声をかけた途端、ふっ飛ばされて怪我をしたという。和尚は、ご宝号と大師の御影の軸を掲げ、般若理趣経を中心に法要を行い、最後に室内を「般若心経」を唱えながら一周させていただきました。お婆さんは、「喉の痛みが取れた。体が軽くなった」といっていたので、いくらかの効果はあったのではないかと思います。たまに、このような「お清めの法要」を頼まれうrことがありますが、和尚としては必死に、理趣経を唱えるのみでしかありません。明日は、仲間のゴルフ会なのですが、「西国巡拝の説明会があるので、説明をと」の連絡があったので、ゴルフはハーフにして、駆けつけることにしました。合掌



2012年9月3日月曜日

西国三十三所 第8回先達研修会

平成24年9月3日

札所先達委員会主催の先達研修会が、大阪駅前の新阪急ホテルで開催された。全国から約600人の公認先達が集結した。和尚は、叔父の通夜・告別式を済ませ昨夜帰宅、出席した。年々参加者が増えていて、今年は部屋に入りきれなく、後方に椅子を並べて対応されていた。(昼食時には、椅子席組は別の部屋に移動という訳だ)11時開会。般若心経の御法楽に続き、札所会会長・1番青岸渡寺高見山主のご挨拶、特任大先達昇補9人に昇補状授与があって、講演だ。
 今年の講演は、27番書写山圓教寺山主大樹孝啓大僧正。80歳を超えても矍鑠とされている。「見えるもの 見えないもの」と題して「命」「心」「神仏」を話された。結論は「見えないもの程大切である」ということ。委員会からの「勤行次第」の解説があり、記念品などの抽選発表があって閉会。13時半頃から会食し食後自由解散。お寺からは9ヶ寺出席。現状報告の数字では、先達総数5587名でその内、退会・死亡・住所不明が155名との事。和尚はようやく「大先達」で404名、その上の特任級が5ランクで258名。西国は一周回れば先達になれるとあって、先達級が4085名と73%を占めている。9月12日に、四国八十八ヶ所霊場会も先達の全国大会を松山で開催する。和尚は、松山に入る前に足摺岬から松山に向けて札所を廻ろうと計画している。
そのご報告は、いずれ。合掌