2011年6月23日木曜日

四国9回 52~59番 西大寺発


平成23年6月20~21日

全国的に大雨の予報で、朝からシトシト降っている中、41名のお客様と出発。淡河PAで休憩後、「いろは歌」のペーパーを配りテープを流す。「修行者と羅刹」の話を学校で習ったという人も3~4人いた。瀬戸大橋経由で四国に入ると雨は上がっている。石鎚HOで昼食、59番国分寺から打ち始めると又、降りだした。15時頃、57番栄福寺に入ると雨は上がる気配となり、58番仙遊寺では、雨上がりの濃霧の中、参道を登る。いかにも山寺という感じだ。栄福寺は庫裏の工事中、本堂の柱に「横綱大鵬」の千社札発見。13番大日寺と同とやじだ。56番泰山寺では、16時半になったので「運心」でのお参りをお願いする。安全のため蝋燭・線香など火の気を自粛し、供養したつもりで参ることだ。お客様から「たいざんじ」か「たいさんじ」かと問われる。資料によってまちまちなのだ。縁起的には「女人泰産」からきているので「たいさん」が正しい。18時前に道後温泉のホテル・ルナパーク着、「坊ちゃん湯」まで1分の好立地にある。夕食後、枚方発の川倉先達さん達と温泉街を散策、いつもの「番鳥」で焼き鳥で一杯。

  道後温泉にて   夏遍路 遠雷聞こゆ 道後の湯

           梅雨もまた 修行なりと 遍路かな

朝7時半に出発して、52番太山寺に向かう。こちらも「たいさんじ」だ。坂道はこたえるが、雨上がりの緑が美しい。納経所前の「一畑薬師」で行列、「眼のお薬師さん」ということで、納め札に「め」を年齢の数だけ書いてお参りをと勧めておいたのだ。53番円明寺本堂、左甚五郎の龍の彫り物を見てもらおうとするのだが、吊灯篭の影になることや大き過ぎて反って判りづらいようだ。『即滅無量罪』『現受無比楽』の看板につても解説。大師堂の芸術的な瓦を鑑賞、キリシタン石塔を拝む。青空の広がる上天気に。「愛媛菓子処・お菓子館」で休憩と買い物、和尚は「ハタダの栗タルト」と「塩見ふく福」(大福餅)をお土産にする。川内ICから今治小松道経由で今治市へ。54番延命寺、越智孫兵衛の墓や真念の道標が並んでいる。ご本尊は、不動明王。お客様の苦手なご真言だ。少し練習してから、お勤め開始。雨予報で、網代笠を持っていかなかった和尚の頭は、強い日差しでジリジリする。打ち止めは、55番南光坊、大師堂の補修が11月に終了したようだ。山門の四天王像を案内していると、立葵の紅い花が眼に飛び込んできた。お参りを終えて、遅めのお弁当をいただきながら、しまなみ海道を渡る。大三島の「しまなみ宝船」、吉備SA、淡河PAで休憩して西大寺着が18時過ぎ。この回では、1時間以上早く着いた。ドライバーさんもびっくりのスムースさだった。合掌

  延命寺にて    梅雨明けか 見上げる空や 延命寺

  南光坊にて    青空に 紅く上るや 立葵(たちあおい)

(写真は、延命寺の越智孫兵衛の墓)

2011年6月15日水曜日

菰渕覚次の大師ご詠歌


平成23年6月15日

お四国を御参りしていると、いろいろなことに気がつき、新たな発見がある。大師堂に掲げられたご詠歌の扁額にお気づきになられましたでしょうか?四国八十八ケ所すべての大師堂とは申しませんが、結構目につくはずです。これは、明治三十年生まれの元校長先生・菰渕覚次さんの自作の扁額です。讃岐で生まれ、教師になり五十六歳の定年を迎えてからは、晴耕雨読の百姓に転身。ところが七十歳を機にお遍路三昧、ある時四十三番明石寺での老僧の言葉に「この寺には、徳川の世に、漁夫の奉納した額があり、今にその子孫が、参詣する。」と。これを聞いて自作のご詠歌を額として彫刻するを思いつき、彫刻の経験はないが、一本の彫刻刀で彫り続けたと云う。各寺で詠んだ歌を、佐々木開庵師に書いてもらったもの。木材を提供された方、額の板削りをされた方、多くの方々のお力で、今も掲げられているのだ。「覚次」の署名を目印にされると分かり易いかも。合掌
(写真は、志度寺大師堂の扁額
「玉藻よる 志度寺の庭に 南無大師 遍照金剛 唱へ奉らむ」)

2011年6月12日日曜日

西国 3回 5~8番+法起院


平成23年6月12日

地元の札所を廻る感じで和尚の大好きな第3回だ。難波から42名、満員のお客様だ。いつもは、番外の法起院、8番長谷寺からスタートし逆打ちで廻るのだが、朝からバタバタすることに。というのは、添乗員やドライバーさんの行程表は逆打ちになっているのだが、お客様に送られている行程表は順打ちになっている。お参りの順番は、その日の都合で変更することがあると但し書きがあるので、通常は問題ない。しかし、大阪線沿線のお客様がいらして、事前に問い合わせ、8番長谷寺から電車で帰る旨了承を得ていると云うのだ。お客様は、行程表を見て早く帰れる方法を考えた訳だ。そうすると、お客様から預かる納経用品を、バス出発前に集めて、整理をしておかないと大混乱となる。何しろ5番葛井寺には、30分で着いてしまうのだ。結局20分ほど遅れて出発した。葛井寺から壺阪寺とすすむ。6番南法華寺(壺阪寺)は、山内に見どころも多く、1時間ほどかかる。名物「柿の葉すし」の「たなか」に立ち寄ってからお弁当、予告通り13時頃になってしまった。雨が降り出す中7番龍蓋寺(岡寺)に向かう。本堂にあがり、如意輪観音をはじめ堂内を説明してまわる。8番長谷寺への進入路で、バスと遭遇し100mほどバックする羽目に、しかもお寺の駐車場は予約で満員。まずは番外法起院でお参りを済ませるが、納経は終わらない。添乗員から財布を預かって、長谷寺で入山料を払い、皆で回廊を登る。お参りを終えた頃に添乗員がようやく納経所到着。雨の山内をゆっくりおまいりして16時にバスへ皆戻ったが、納経組が帰ってこない。待つこと40分、やっと帰路に着いた。福住ICから名販国道を難波に向け走るのだが、1時間ほどで難波到着だ。この間に、納経用品を返し、ご詠歌御譜や散華、慈悲の道など配り物、アンケートに夕べの勤行と大慌ての作業だった。朝・夕とバタバタしたものの、お参りそのものは、ゆったりと良い御参りでした。乗り降りにも時間がかかるが、40名以上いるとは思えないほどスムースだった。合掌

 長谷寺にて  華若く 濡れる紫陽花 長谷の寺

(写真は、冬場に撮影した法起院・徳道上人ご廟)

2011年6月9日木曜日

四国の民謡 4 庵治

温泉(いでゆ)音頭

1.割って磨けば ひとしをに 色香あふれる 玉の肌
  そっと触れたる 指先の 離れがてなる 庵治の石
  エンヤコラ ドッコイショ ソラ出た ドッコイショ
  ヤンレコラ ドッコイショ どどんと出た ドッコイショ
  庵治に湯が ドッコイショ

2.讃岐みなづき もちの月 のぼる屋島の 磯めぐり
  渡るみこしの 波わけて 千々の灯ゆれる 船まつり
   (以下繰り返し)



江のま小唄

  私しゃ 江の浜 荒磯のたこ
  からみついたら 離しゃせぬ
  今宵行く人 あの窓あたり
  大阪通いの 船あかり

四国12回 79~88番+1番 西大寺発


平成23年6月6~7日

梅雨の晴れ間の一日、2日目は曇のち雨の予報。奈良方面からは2台で、和尚は1号車、お客様は30名。2号車は17名という。結願の旅とあって、お客様も和尚と同行経験者がほとんどだ。三木SAで休憩後、坂出IC近くの「さぬき麺業宇多津店」で昼食。和尚は「釜揚げ」を所望。梅田からの2台の動きを考え、五色台から打ち始めることにする。崇徳上皇ゆかりの81番白峯寺、82番根香寺とまわって79番天皇寺、80番国分寺、83番一宮寺が初日のコースだ。これが功を奏し、16時40分には打ち上げることができた。お宿は、庵治観光ホテル、海辺のレトロなホテルで和尚のお気に入りだ。さぬき市の櫻谷先達が、「いろは歌」のテープとCDを届けてくれた。このところ「いろは歌」のペーパーを配っているのだが、和尚の歌唱より八栗ケーブルで流れるBGMのテープがないかと依頼していたものだ。夕食時にお客様に聞いていただいた。

        梅雨に来て 晴れの一日 遍路旅

 根香寺にて  牛鬼の 躍る山門 梅雨の寺

2日目は、85番八栗寺から。上りのケーブルのBGMは「いろは歌」だ。女声、男声、混声と3回聞くと到着する。「八栗の聖天さん」としても有名な寺だ。86番志度寺は目下境内の改修工事中、「海女の石塔」に案内する。87番長尾寺には、「静御前の剃髪塚」がある。母親の磯の襌尼の故郷が讃岐なのだ。84番屋島寺に戻る。昼食会場が山門近くの為だ。いよいよ、結願の寺・88番大窪寺、本堂でお勤めし、「結願の証」の希望者には、書かれたお名前が正しいかを確認してもらう。大師堂で、声を張り上げ打ち止め。「飛猿閣」でお茶をいただきながらのお買い物。記念写真も出来上がっている。和尚の持論は、1番と88番の写真だけは買うべしなのだ。お参り前と結願の時では、お顔が見事に違う。それを、自分で確認してもらいたいからなのだ。笑顔、笑顔で1番霊山寺に向かう。本堂で法話、感激で涙するお客様も。納経所に、和尚の「よう、おまいり」が積んである。予想もしていなかったので、びっくりした。「今日を出したところなのに3冊も売れた」と、係りの方もびっくりしている。「和顔施」と書かせていただいた。何とか雨にも降られず、幸運な一日。帰路もスムースで19時頃には西大寺到着。お疲れ様でした。結願おめでとうございます。合掌 

 八栗寺にて  梅雨空に 「いろは歌」かな 五剣山

 大窪寺にて  紫陽花や 笑顔笑顔の 大窪寺

(写真は、日本で3例しかない仕様の天皇寺(白峰宮)の鳥居)