2009年12月26日土曜日

「癖馬人生ー仏の命 煩悩即菩提」


平成21年12月26日

6月8日にご紹介した宗教法人「成友会」会長小笠原達氏の自叙伝が完成し、送られてきた。一気に拝読させていただいた。
在家仏教の指導者として生き抜かれてきた小笠原会長の赤裸々な人生が語られ、苦悩する人々の救済に奔走し、そして救われた人々の姿に、感動を覚えるすばらしい本に仕上がった。兄弟子である東寺の土口哲光強化部長が一文を寄せているが、この著書を『干天の慈雨』と評しておられる。『この自署は、尊い救いのバイブルとなり、十万の衆生の心が干からびている中で、「干天の慈雨」を求めるように待望していたものである』と。きっと、読者はさまざまな悩みを解く鍵を発見されるであろう。
発行 たる出版 06-6244-1336
  成友会道場 072-876-5070

2009年12月24日木曜日

西国 10~11番

平成21年12月23日

自坊に来客が、朝あったので、その足で10番三室戸寺から11番上醍醐をおまいりすることにした。さすがの花の寺も、サザンカがちらほら咲くのみで、色どりが乏しい時期だ。上醍醐は、お堂が落雷で焼失したので、現在は女人堂に祀られている。
駐車場脇で名物の「五大力うどん」をいただいたが、その箸袋に「食事五観文」は印刷されていたので、紹介する。
 一つには、功の多少を計り、彼の来処を量る。
 二つには、己が徳行の全欠をはかって供に応ず。
 三つには、心を防ぎ、過貪等を離るるを宗とす。
 四つには、正に良薬を事とするには形枯を療ぜんが為なり。
 五つには、道行を成せんが為に、将にこの食をうくべし。

四国 9回 52~59番

平成21年12月21~22日

西宮北口から乗車し、59番の国分寺へ向かう。添乗は、寺田、宮野のペア。バスはユタカ交通(田中DR),お客さまは、31名で少し余裕がある。事前の予定では、初日は3ケ寺だが、あすのことを考えるとできれば4ケ寺廻りたいところ。石鎚PAの「りんりんパーク」で昼食をとり、おまいり開始、逆打ちで56番泰山寺まで打ち終えて16時30分、とてもスムースに運べた。国道317号を走り、道後温泉ホテル「ルナパーク」到着が17時30分、食事を終えたお客さまも、温泉街の探訪へ。和尚は、先輩の田中一弘先達のお誘いで、街へ繰り出した。まずは、象牙細工の柴田老にご挨拶へ、田中先達は、奥様にお土産を買われた。それから先輩行きつけの焼き鳥「番鳥」へ、珍味「はも皮のちくわ」に感動、とり皮も当地では、焼くのではなく、炒めるという、その方がパリッと仕上がって確かにおいしい。
翌朝は、8時出発。52番太山寺から順打ちで55番南光坊まで午前中に廻り終えた。朝一番に太山寺の参道を登るのが、気持ちよく、空気がとても美味しく感じる。53番圓明寺の左甚五郎の龍や大師堂の見事な瓦に感嘆の声があがる。南光坊の大師堂は、年明けから修理に入り、その間は、本堂におまつりするとの看板が掲示されていた。
帰路は、しまなみ海道を経由して宝塚着17時30分。田中DRの運転に大感謝の二日間だった。

2009年12月13日日曜日

西国 7回 20~23番





平成21年12月8日

阪急の巡礼バスに梅田から添乗した。お客様は40名、天候にも恵まれて、快適な日だった。京都の西、20番善峯寺(よしみねでら)に向かう、かっては西山連山に多くの寺があり、西方浄土にあこがれる人々の多くの参詣があったのだが、応仁の乱で破壊され、この善峯寺は残された名刹だ。5代将軍綱吉の生母、桂昌院によって復興されたお陰である。駐車場からの急な参道をあえぎながら登り、本堂で勤行。多宝塔前の天然記念物「遊龍松」を愛でて、亀岡の21番穴太寺(あなおじ)へ。
穴太寺の御本尊は、国の重文であったが、昭和43年盗難に会い、いまだに行方不明、現在は、昭和の名工・佐川定慶の聖観音が秘仏となって厨子の中に祀られているという。
23番勝尾寺(かつおうじ)は、「勝だるま」で有名な寺で、箕面山中に8万坪の寺領を持つ。山門に入る前に、土産物店を兼ねるエントランスゾーンの入口を通る。山門を入ると、美しい池を渡り、参道を登っていくことになる。本堂の廻りには、お正月の為のブースがいくつも組み立て中だった。中に福娘が入り、福笹を授与するという。折からの読経の声が拡声器を通じて、広い境内に流れる中を後にした。
行程の関係で、22番総持寺を打ち止めとした。バスが寺近くまでは入れないので、三島中学裏で下車、JRのガードをくぐり、茨木病院前を通って山門へたどり着く。山門は豊臣秀頼が再建したものという。ゆっくりとお参りさせて頂いた割には、早く帰着できた。気がつくと、和尚の納経帖(先達は巻物になっている)も3周まわり終えた状態になっていたので、中先達へ昇補の手続きをさせていただいた。(総持寺が札所会に事務局を担っている)
写真は上から、勝尾寺山門・善峯寺「遊龍松」・穴太寺山門・総持寺本堂

2009年12月7日月曜日

西国 28・29番



平成21年12月5~6日

5日の午後から、天橋立に向かった。和尚の西国の巡礼の中で、日本海側が少し遅れているという感じだったので、それをクリアーするのが目的。意外とスムースに走れ、宿泊予定の室津ロイヤルホテルに3時間足らずで到着した。ゆっくり温泉を楽しんだ。露天風呂がすばらしい。頭を通り抜ける風と、湯船に浸かる身体の温かさとのバランスがとても素晴らしい。食事は、適当に頼める居酒屋風の「みやず亭」を予約した。風呂上りに、焼酎のお湯割りを注文して、メニューを調べいくつか注文する。折角の日本海なので、魚が中心だ。いろいろ頼んだ中で、最高は「カマスの天麩羅」だった。早めに床に就き、朝風呂に挑戦した。やはり、露天風呂がいい。そのままま、朝食に向かう。窓越しに、天橋立を見下ろしていると、なんと虹が立っている。お給仕の女性に話すと、なんと、当地では毎日のように見えるという。当地特有の朝は、しぐれるという気候条件にあるらしい。そんな話を聞きながら食事をしていると、なんともう一本、薄い虹が立っているのに気がついた。お給仕の彼女も、見たことがないという。
28番の成相寺に向かう途中、天橋立のたもとにある「智恩寺・文殊堂」にお参りした。室町時代の多宝塔があるので、もともとは密教寺院に違いないが、今は臨済宗妙心寺派のお寺だ。結構、観光客でにぎわっている。観光客は、観光船で、天橋立を愛でながら一宮駅に行き、リフト・ケーブルカーに乗って、「股のぞき」で有名な傘松公園へ向かい、さらに成相登山バスでお寺というコースをたどる。和尚は、一気に山道をお寺まで走る。(入山料500円)参拝して、さらに山の頂上の大パノラマ展望台に車を走らせる。天気が良ければ、北アルプスまで見えるとか。次の松尾寺まで約1時間、山門横の駐車場に着く。近年、福井県側からの参道が整備され、観光バスはもっぱらそちらを利用しているようだ。お参りを終えて、食事をと思うのだが、なかなか適当なお店が、見つからない。さすればと、舞鶴市内まで走り、港の近くで「卑弥呼」とう名の「地産地消」をモットーにしている店を見つけた。鮮魚も野菜もお米も全て地元産、「海鮮丼」(1200円)をいただいたが、大満足。レジで「卑弥呼」のネーミングの由来を尋ねたが、「聞いていません」との返事だった。帰路も、空いていて、5時過ぎに帰宅できた。のんびりと、プライベートなお参りを楽しむことができた。
(写真は、成相寺の左甚五郎の真向きの龍と松尾寺本堂)

  

2009年12月1日火曜日

トラベル日本 西国8回 10・12・13・14番




平成21年11月30日

堺を8時半に出発し、名神・京滋バイパス経由10番三室戸寺を目指す。今回のお客様は21名、お四国の経験者や西国も何回目かというベテラン揃の感じ。中には、勧められて和尚の「よう おまいり」を読んだという方もいた。
本来なら、10番三室戸寺、12番岩間寺、13番石山寺、14番三井寺と廻る4カ寺コースなのだが、御開帳の最終日とあって、御開帳の終了時間が早まっていることが判明した。そこで終了時間の早い三井寺を優先し、石山寺、岩間寺と廻ることとした。お弁当の配達も石山寺から三井寺に変更してもらうことに。
三室戸寺も、月曜日にもかかわらず結構な参拝客、読経の後、内拝(100円)内々拝(500円)の時間をゆっくり取り、拝観してもらった。三井寺では、知人ばったり出会うハプニングだったが、困ったことに納経帖の朱印ミスが発生した。二人並んで納経係がいたが、一人が記入し終わった納経帖を隣に渡すと、渡された方が、その上から重ね印をやってしまった。日付をいれる段になってようやく気がついたという。結局、結願後にミスのページを差し替えることで決着したが、残念なことに時折、朱印ミスが発生する。お客様と木谷添乗員、納経係が話合っている間に、和尚はお弁当とお茶を配り、食事をとっていただいた。(女性客がお手伝いいただき感謝)
石山寺から岩間寺に向かう途中で道を間違え、Uターンする笑い話もあったが、15時半には無事打ち上げた。各札所で時間もゆったり取ることが出来、御開帳と合わせ、紅葉をもたっぷり楽しませてもらった一日だった。