2014年2月20日木曜日

西国3回 5 ~8 番+法起院 生駒発

平成26年2月19日

長谷寺の寒牡丹
壺阪寺の大観音と寝釈迦
1月スタートのお客様なので、2月は本来、第2回目となるのだが、そうすると雪の可能性のある施福寺に登ることになる。そんな訳で、2回目と3回目を入換えての実施となっているのだ。お客様は43名、和尚は生駒から添乗。和尚と顔馴染みの方は2~3人だ。8時20分に生駒を出発した奈良交通バスは、国道168号線経由で法隆寺ICから西名阪に入り、福住ICから8番長谷寺に向かうルートを選択、9時半頃長谷寺の駐車場に到着した。先ずは、番外の法起院に向かう。梅田からのバスは、葛井寺から打ち始めということなので、遭遇することはない。お参り後、徳道上人の墓所の廻りを西国三十三所のお砂踏みをしながら巡る。長谷寺の登廊の左右には、傘のような雪避けに守られた寒牡丹が咲いている。思わず立ち止まりシャッターを押す。本堂前の舞台で勤行、御影堂、本長谷寺、五重塔と案内して駐車場へ。お客様がカラーの御影を買いそびれたと聞き、添乗員が法起院と長谷の納経所へそれぞれ駆け出した。二人が息を弾ませて戻った時は、まだ予定の出発時間前、ロスタイムもなく11時に出発できた。次の7番岡寺までの30分ほどが、一番長いお弁当タイムとあって皆さん早めの食事となった。岡寺は、厄除け法要の期間中で、お堂の中へは入れない。ガラス越しに如意輪観音を拝んで、大師堂へ。6番壺阪寺は、境内に雪が多く残っている。礼堂でお勤めし、本堂の八角堂のご本尊のお膝下へ。南洋系のお顔立ちをした千手観音で、眼病平癒で有名だ。お里沢市の「壺阪霊験記」が歌舞伎や浄瑠璃、浪曲で人気を博し、全国区になったのだ。天竺渡来の大石仏を順に案内する。雪の残る山道に雪掻きをして一筋の歩道を確保してくれていた。いつもながら1時間程の滞在となった。10分程の「たなかの柿の葉すし」桜吉野店に立ち寄り休憩。京奈和道~高田バイパス~南阪奈道の羽曳野ICから5番葛井寺へ。和尚は、ユッタリとお参りしているのだが、今日は極めてスムースで、15時前に到着した。本堂に上がり、念珠のお話をして勤行。門前の「葛井餅」を「ふじいもち」だと思っていたが、よく見ると「くずいもち」と書いてある。今までの説明が間違っていました。駐車場で、納経用品など配り、西名阪藤井寺ICから第2阪奈で生駒へ、なんと16時半に到着。今日は、朝方は曇り空で寒かったが、昼過ぎからは日射しも出て、少し暖かに。結構歩け歩けの一日でした。合掌

 長谷寺にて  藁帽子 護るは紅き 寒牡丹

 壺阪寺にて  雪掻きの 道を辿りて 大観音

2014年2月18日火曜日

西国4回 9~11番 西大寺発

平成26年2月17日
醍醐寺参道
大雪の後のお参りで、ご参加の皆様もホッとした面持ちでご挨拶をされている。いつもなら、JR奈良~西大寺~生駒と回るコースなのだが、行き先が南円堂~三室戸寺~醍醐寺なので、今回は生駒が最初の集合地点だ。和尚は、西大寺から乗ることにした。お客様は41名。和尚とは顔なじみの方が多く、初めてという方は4~5人程度。奈良の地元とあって、集合も10時過ぎとユッタリしている。しかし、添乗員は作業時間が少ないとあって大慌だ。11時前に9番南円堂到着、納経帖などの整理に追われる添乗員を尻目に、早速お参り開始。数日ぶりの好天気とあって、鹿におせんべいを与える観光客の姿もちらほら目に入る。お昼が、若草山の麓の「古都屋」なので、11時半頃まで、散策の時間を取らせていただく。春日大社の駐車場近くから、「古都屋」まで若草山を眺めながら歩く。食時作法をして昼食。
春日大社の駐車場に、三々五々戻ってもらい、10番三室戸寺を目指す。納経所の対応がお一人で、時間がかかりそうなので、お客様には境内をゆっくりお参りしていただく。和尚は、にわかに腹痛を覚え、トイレに駆け込むハメに。醍醐寺が23日の「五大力尊仁王会」を前にしての「前行」期間中とあって、15時半までに来て欲しいとのことだったので、醍醐寺へ。京都からの1台は、先に「喜撰茶屋」に立ち寄るというので、我々はお参りを済ませることを優先した訳だ。到着してみると、駐車場の入場も15時15分までと表示。京都組が間に合うか少し心配になる。参道には、五色ののぼり旗が連なり、お祭りモード一杯だ。一気に観音堂に向かいお勤め。15時頃の打ち止めだ。祖師堂をご案内していると、京都組が無事間に合ってやってきた。金堂では、15時からの法要の真最中だ。バスにお客様は揃ったが、納経が終わらない。そこで、五色の色が何を象徴するかを説明する。五色は五智如来を表し、さらに教令輪身たる五大明王を表す。
その関係は、
白色ー大日如来ー不動明王
青色ー阿閦如来ー降三世明王
黄色ー宝生如来ー軍荼利明王
赤色ー阿弥陀如来ー大威徳明王
緑色ー不空成就如来ー金剛夜叉明王
ということなのだ。
宇治川の畔の「喜撰茶屋」に立ち寄って、帰路に着く。JR奈良17時25分着、お疲れ様でした。今日も和尚は衝動買い。鹿革を鞣したものを一枚(1300円)、これはメガネ拭きに最高なのだ。そして
「筍ご飯の素」2合用(850円)。合掌

醍醐寺にて  五色なる 幟はためく 五大力

2014年2月12日水曜日

葛城を語るシンポジュム

平成26年2月11日

役行者誕生所・吉祥草寺山門
御所市アザレアホールに約200名の聴衆が集まってシンポジュウムが開催されました。葛城地区4市1町(大和高田、御所、香芝、葛城市と広陵町)の共催で、御所市の担当。今回は、各々お坊さんをパネラーにという趣向。和尚は、早めに家を出て、修験道の開祖といわれる役行者(神変大菩薩)のご誕生所「吉祥草寺」を参拝することにした。信貴山は「役行者霊跡札所会」(36社寺)のメンバーでもある。寺は、京奈和道路の建設がすすむ御所市茅原の里にひっそりと佇んでいた。
本堂(五大明王堂)を覗くと祈願法要の真最中、外陣に座り正面の大きな不動明王を拝む。法要の後、山田哲寛住職にご挨拶しお話を伺う。継いで写経道場に仮安置されている役行者を拝する。本来祀られている祖師堂(行者堂)が老朽化したためという。尊像は、役行者自作で三十二歳の御姿とか。
アザレアホールは、定員200名程のこじんまりとしたホール。お昼をいただきながら、進行の打ち合わせ。開演は13時30半。主催者挨拶の後、「蘇我氏を生んだ葛城の山河」と題しての基調講演講師は遠山美都男学習院大非常勤講師、正しく「葛城」の権威だ。古事記を紐解きながら、葛城氏から蘇我氏と続く、古代葛城の話に熱弁を振るわれた。続いて、シンポジュウム。「歴史読本」編集部の石井久恵女史を進行役に遠山氏も加わって、各々の地域の歴史伝説や葛城に対する思いなどを話し合ったが、仏教者の集まりらしくなく、宗教論がほとんど出なかったのが面白かった。興味深かったのは、奈良盆地はかっては海だったという話。御所の船宿寺住職の話では、寺名がそれを表し、標高200mに寺があるが、100mまで海面だったというのだ。紀の川を通じて海につながっていたという。広陵町代表の和尚は、馬見丘陵が屈指の古墳地帯であったことやかぐや姫伝説、そして「役行者」を葛城のシンボルとしてもっと活用すべきなどと話をさせていただいた。このシンポジュウムの詳細は、4月28日発行の「歴史読本」に紹介される由、興味をお持ちの方は、ご一読下さい。合掌

2014年2月7日金曜日

四国12回 66~78番 高槻発

平成26年2月4~5日

曼荼羅寺の新大師堂
善通寺出身の和尚にとっては、正に故里コースだ。枚方からJR高槻と回るルートなので、高槻から乗車する。お客様は42名と満員状態、他に梅田、亀岡ルートから各1台出ているという。先ずは、66番雲辺寺を目指す。車中で昼食を取りながら、小雨混じりのお天気の中を走り、雲辺寺ロープウエイ乗り場に12時35分到着。40分発に滑り込めた。20分毎の発車なので、これはラッキーだった。
雲辺寺は、標高920m程の頂上にあり、山頂温度はー1度との表示。本堂、大師堂と廻り1時間後のロープウエイに乗る頃には雪が降りだした。吹雪の中を降りると麓は一転、雨。67番大興寺は、お大師様のご開帳中。三鈷の松をいただいて帰る方も。70番本山寺を先に打つことにした。残り時間を考え安全策と取った訳だ。このお寺の五重塔は、小ぶりだがとてもシャープに感じられる。お客様は馬頭観音の御真言に戸惑ったようだ。16時前に、余裕を持って68番神恵院・69番観音寺が同居する山門に到着した。納経所は1箇所だが、お参りは、順に本堂、大師堂と回るので結構時間がかかるのだ。それでも近年、神恵院の本堂を大師堂の上に新築移転してくれたお陰で、西のゾーンが神恵院、東のゾーンが観音寺とすっきりしたが、かっては東ゾーンの薬師堂が神恵院の本堂だったので、本堂と大師堂がクロスしていた状態で、まごついたものだ。16時45分打ち止め。琴平の「にしきや」は明朝の立ち寄り予定だったが、来てくれても良いとのことで、喜んでそうさせてもらった。宿の「アパホテル高松空港」への途中に位置し、これで明日の行程が少し楽になるからだ。ホテル着18時20分。3台の先達、添乗員などが一堂に会しての夕食、明日の行程のすり合わせをする。少しでも効率良く、納経を済ませるためだ。そこへ、さぬき市の先輩先達が顔を出してくれたので、旧交を温めることができた。ありがたいことです。ホテル自慢の8階の展望風呂を楽しんで、就寝。
5日 モーニングコールは5時半、6時から朝食。団体客は我々だけのようで、ゆったりと食事をさせていただいた。7時30分出発、71 番弥谷寺に向かう。タクシーのオプションがあるのだが、あまりメリットを感じないし、俳句茶屋の草餅が買えませんなどと話をすると、何人かが歩きに変更された。
結局、歩き組22名、タクシー組20名となった。タクシーを使っても、残り300段近くの階段が待っている。しかも、日陰の階段には薄氷が張って、危険だ。杖に頼っている方が何人かいるので、心配したが全員本堂まで登りきった。磨崖仏など説明しながら、大師堂まで戻ると、こちらもお大師様のご開帳中だ。しかもすぐお側まで近づいて拝むことができる。320年振りという。しかも重文の金銅五鈷鈴を展示中だ。山を下り山門を出ると「俳句茶屋」、登る際に声を掛けておいたので、お茶を用意して待っていてくれた。名物の草餅に加え、新しくお団子も用意したとのこと。73番出釈迦寺近くの溜池の護岸工事の影響でバスが、近づけない。やむなく72番曼荼羅寺の駐車場から、坂道を登る。捨身嶽の奥の院を遥拝しながら、寺名の由緒などについて説明。曼荼羅寺に到着すると、大師堂が新築されているのに気がついた。間口はそれほどでもないが、奥行がある建物だ。ただ、今まであった堂々とした唐風の線香台が無くなっているのは、残念だった。74番甲山寺では、お大師様がご開帳で、「黒衣大師」というそうだ。お昼前になったのだが、75番善通寺のお参りを済ませてからの昼食をとお願いして、金堂へ。堂外でお参り後、内拝する。五百羅漢がご本尊を取り囲んでいたのだが、外に移されご本尊の前を右から左へという動線に変わっていた。東院から西院に戻り御影堂でお勤めし、「いろは会館」へ。定番の「さぬきうどん」だ。たまたま菅宗務総長も食堂に姿を見せられたので、ご挨拶させていただいた。お客様には、戒壇巡りやお砂踏みをおすすめし、和尚は南大門前の「コトブキ」へ。高校の同級生が営む店だ。コーヒーをいただいて、堅パン屋、売店と走り、「名物堅パン」と「揚げうどん」をお土産に購入する。残りは3ヶ寺だ。智証大師のご誕生所76番金倉寺から77番道隆寺へ。道隆寺は眼のお薬師さんとして名高い。日本初の眼科医潜徳院殿の墓所でもある。お客様には、納札に歳の数だけ「め」と書いてご祈願をと話をしておいた。門前の「サンエイ」で、目に効くお茶のご接待。和尚は、木蘭の折五条、白のグランドコート、千二百年記念の御影帳など発注し、送ってもらうべく手配。打ち止めの78番郷照寺は、高台にあるせいか、海からの風をまともに受けて、震え上がる。16時頃打ち止めし、帰路に。淡路HWOで休憩し高槻19時40分。枚方へはさらに30分程か。2日間で13ヵ寺回るというハードな12回、お疲れ様でした。合掌
   
   弥谷寺にて  薄氷 そっと踏みしむ 遍路かな