2011年7月26日火曜日

読売奈良 四国8回 44~51番



平成23年7月24~25日

7時半に28名のお客様と西大寺を出発。バスは2台で、和尚は1号車。朝の勤行のあと、「仏前勤行次第」の意味について解説。全員が和尚とは初めてというので、力が入る。45番岩屋寺の麓についたのは13時半、山道を30分登ると大師堂だ。本尊は、岩山全体を不動尊に見立ててあるので、岩山に貼りついているお堂は、本堂ではなく拝殿ということになる。故に、大師堂の方が大きくて立派に見える。この大師堂は、平成19年6月に国の重文指定を受けている。1号車の先頭グループが大師堂にたどりつくと、2号車は拝殿で勤行中。次の大師堂の勤行に、1号車も合流させてもらう。2号車が下山したあと、拝殿でお勤めして、「穴禅定」に案内した。大師の「独鈷の霊水」が湧く洞穴だ。暗闇のなか和尚のミニ懐中電燈が役に立つ。山道を下り、「一休館」で休憩。岩屋寺の御参りは、一時間半ほどかかるのだ。44番大寶寺の参道も結構な上りなのだが、岩屋寺の後だと何てことはない。「すごうさん」でお茶の御接待を受け、トイレも拝借する。「よう、おまいり」も4冊ほどお買い上げで、『和顔施』と書かせていただく。打ち止めは16時前。ホテル奥道後に向かう。17時半、2号車もほぼ同時に到着。2号車は、石手寺も廻ってきたとか。今日は、和尚の65回目の誕生日、お四国でこの日を迎えるのも、和尚らしいと、一人満足。

  奥道後にて  誕生日 道後で祝う 夏遍路

2日目は、7時45分出発。2号車は15分前に出発済だ。今日は51番石手寺から逆打ちとなる。国宝の山門をくぐり、記念撮影。本堂、大師堂とまわり、宝物館に案内する。目的は「衛門三郎の石」だ。「赤ちゃんが握って生まれてきたと云うには、大きいわね」とは、いつもの反応。50番繁多寺から49番浄土寺にかけては、雨模様で傘が必要。浄土寺では、鐘楼の屋根の下で雨を避けながらの遥拝勤行。40番西林寺は、大師堂、休憩所、トイレも新しく、植木職人さんも入って剪定中で、すっきりときれいな雰囲気。大師堂横の弁天池の蓮の花も見事だ。47番八坂寺には、「衛門三郎の里」でバスを駐車し、少し歩かねばならない。本堂前、大師堂前にはベンチが置いてあるので、座って勤行だ。「衛門三郎の里」でお茶をいただいたり、冷たいものを頼んだりして、46番浄瑠璃寺へ。大師堂では「稚児大師」像を順に抱っこしてからお参り。丁度お昼に打ち止めだ。本堂の左手にハス池が広がる。白や赤に咲き乱れる蓮の花を堪能して、食事会場の門前「長珍屋」へ上がり込む。ちらし寿しに乳麵、鯛の煮つけに冷や奴の御膳。後は、ひたすら帰るのみ。ドライバーさんが狭い道を通って衛門三郎の屋敷跡という「文殊院得盛寺」の前を通過してくれたので、喚声が沸く。吉野川HO、淡路SAを経由して西大寺へ。雨も大したことはなく、割とさわやかな一日だった。お客様とは、来月の第9回でもお目にかかります。またよろしく。合掌

  浄瑠璃寺にて 白や赤 ハス花乱る 浄瑠璃寺

         瑠璃光の お浄土なるや ハスの池

(写真は、石手寺本堂と西林寺の蓮)

2011年7月23日土曜日

西国 4回 9~11番



平成23年7月22日

堺より添乗、お客様は19名。9時出発なので、いつもよりゆっくりしている。まずは、9番興福寺・南円堂へ。40名の明石組に合流させて貰い、勤行。30分ほど時間を取って境内を散策していただく。国宝館や東金堂などがおすすめだ。11時過ぎに集合して若草山麓町にある「古都屋」で奈良情緒豊かな昼食。若草山がきれいに刈り込まれたようになっているが、これは鹿が草を食べているせいとか。約1200~300頭いるらしい。角が立派に生えているが、まだいかにも軟らかそうだ。しかし、段々と堅くなり秋には、「角切り」の神事となる。「早起きは三文の得」という言葉の語源は、奈良からとか。鹿が家の前で死んでいると罰金が三文、そこで早起きして、自宅の前で鹿が死んでいると、隣に運んで罰金を逃れたからと古都屋の女性が説明してくれた。ついで、宇治平等院のそば、宇治塔川のほとりにある「喜撰茶屋」でお買いもの。10番三室戸寺は、近くだ。花の寺としても有名で、今は蓮の花が美しい。本堂前で、お念珠の使い方を講釈する。打ち止めは、11番醍醐寺の准胝観音様。平成20年8月の落雷で上醍醐の准胝堂が焼失したため、現在は金堂に祀られている。本尊薬師如来、脇侍の日光・月光両菩薩、さらには四天王と云う配置の前で、チョコンと安置されている。日光菩薩は男か女かと話をしていると、明石組が到着したので、合同でお勤め。ここでも時間を取って境内を散策、和尚は「不動堂」「真如三昧堂」「祖師堂」とお参りした。17時過ぎに堺帰着。「次回は、歩け歩けですよ」と予告をしておいた。合掌

三室戸寺にて  ぽっかりと 開く蓮華や 三室戸寺

(写真は若草山と三室戸寺の蓮)

2011年7月20日水曜日

四国1回 1~6番 西大寺発


平成23年7月19日

台風6号の接近で、四国地方は40mの風と600mmの雨量が予想される中、西大寺から出発。台風チャンセルが2名でて、お客様は19名となった。和尚も雨は覚悟の上、お客様も同様で雨対策はしっかりされている。11時前に1番霊山寺到着、横殴りの強い雨と風だ。梅田組と一緒に大師堂で法話、ついで靴と傘も持って、廊下づたいに本堂に。雨足のすごさに、お寺も特別ルートの提供だ。我々が、最終組のようなので本尊前の法話席で勤行させていただく。早稲田同窓の副住職に拙書「ようおまいり」を置いてもらっているお礼を言う。やはり彼が、「たる出版」に手配とのこと。私には内緒にと伝えたと云う。有難し。2番極楽寺のお参りからは、蝋燭と線香は「運心」にしてもらった。風雨で、とても火が付けられない。個人納経所兼売店の長寿庵も閉店。6番安楽寺までの間にお弁当をいただく。門前の「しらかわ」も店じまい。本堂前の大きな線香立てには、雨対策のシートが被せてある。本堂に入ると、「ご接待講」が待ち受け「粒あん・もみじ饅頭」のご接待を全員受ける。強風で、傘の骨が折れるほどだ。和尚を含め何人かが被害者。5番地蔵寺、4番大日寺、3番金泉寺と梅田組とほぼ同時に動き、所々で合同でお勤めする。金泉寺の大師堂も、戸締りがしっかりされて、中には入れなかったのが心残り。3時20分打ちあげて、早々に四国を脱出することにする。本来のスケジュールは、「阿波の里」「淡路HO]に立ち寄り、買い物休憩するのだが、添乗員の判断で中止。鳴門・明石の両橋が閉鎖になる前に通過しょうと云う訳だ。淡路島を抜けると、嘘のように平穏だ。停滞する台風をバスが抜き去ったのだ。阪神高速が渋滞のため、中国道に向かい「名塩PA」でやっと一息ついた。西大寺着18時前。合掌

  極楽寺にて  傘折れる 台風6号 極楽寺
 
  地蔵寺にて  台風に 落ちるぎんなん 大師堂

  安楽寺にて  接待講 もみじ饅頭 夏遍路

(台風で撮影できず。写真は、かって撮影した金泉寺の「黄金井」)

 

2011年7月16日土曜日

西国10回 28~29番


平成23年7月16日

なんばから18名のお客様に添乗。3連休の初日とあってか高速道路は大渋滞、1時間かかってようやく宝塚IC付近。西紀SAで休憩し、28番成相寺に向かうところが、まず昼食をと云うことになってしまった。12時前に「橋立シーサイドセンター」に到着、昼食となった。日本3景のひとつ天の橋立を眼下に見下ろす成相寺、かっては高野山真言宗の別格本山と記憶しているが、今は離脱し「橋立真言宗大本山」を名乗る。聖観音さまがご本尊だ。お参りの後、道の駅「舞鶴港とれとれセンター」に立ち寄り買い物。なんと若狭舞鶴道の小浜西~小浜間が本日15時に開通との表示、記念の日に来たことになる。海上自衛隊の基地を横目に走ると、土・日・祝は、自衛艦の見学が出来るとの看板を見つけた。29番松尾寺も、成相寺と同様に、本堂近くまで大型バスが走れるようになったので、お客さまにとっては便利になった。松尾寺では、本堂に上がり勤行。内陣への拝観もOKということでお前立ちの三面八臂の馬頭観音を前に解説。やはり、本堂に上がり、正座して勤行出来ると有難さが倍増する気分だ。16時前に打ち止めし、帰路に着く。事故渋滞が西宮北~宝塚間7km、二つの事故現場が連続してあった。通り抜けて、阪神高速に入ったと思ったら、豊中南から5kmの自然渋滞。それでも梅田18時40分着。結果的には早めの帰着となった。合掌

 成相寺にて  橋立を 見下ろす夏や 成相寺

 松尾寺にて  夏木立 馬頭観音 松尾寺(まつのおでら)

(写真は、成相寺本堂の左甚五郎「真向の龍」)

2011年7月13日水曜日

四国10回 60~65番 なんば発



平成23年7月11~12日

なんばから添乗、43名のお客様と伊予路へ向かう。ほとんどが和尚とは初めての御客さまだ。龍野西、豊浜のSAで休憩し、65番三角寺へ。車窓より、「讃岐富士」「象頭山」「善通寺五重塔」「出釈迦寺奥の院」「本山寺五重塔」などを案内しながらの走行。豊浜に着くまでにお弁当と摂っていただく。三角寺へはマイクロとタクシーに乗り換え登る。「是でこそ 登りかいあり 山桜」という小林一茶の句碑が立つ老木がその山桜だ。ついで60番横峰寺へ。こちらもマイクロバス2台に分乗して、有料の林道を登る。駐車場から山道を下り、境内に向かうのだが、「行きは良い良い、帰りは」という坂道だ。紫陽花が満開で参道を青紫に染めている。お参りを終えて、京屋旅館まで戻ると16時を廻っていた。本日は早いが打ち止めとした。16時半を過ぎると「運心」で蝋燭・線香を自粛するが、今回は余裕があるので、無理をすることはないとの判断だ。ホテル奥道後に17時半着。スタッフ4人で、夕食のテーブルを囲む。柑橘類を扱う「亀井商店」が来ていたので、またまた一箱注文してしまった。奥道後はジャングル温泉が有名だが、和尚は「大理石風呂」と決めている。
 
  三角寺にて  山門の 鐘突き祈る 夏遍路

  横峰寺にて  横峰の 紫陽花青く 遍路道

12日は、5時半起床、朝風呂に入り朝食。出発は8時。「新井満・自由訳般若心経」のコピーを40セット余り、お願いしてあったのを清算しようとすると、「結構です」との返辞、サービスして戴いた。皆。大喜びだ。きょうのコースは、62番宝寿寺、64番前神寺、63番吉祥寺、61番香園寺の順。少し変則だが、バスの運行などを考慮するとこれがベストと思っているのだ。各札所とも、団体バスは我々だけで、順調にお参りできた。打ち止めは11時半、リンリンパークで昼食後、帰路につく。松山道~徳島道~淡路島ルートで吉野川、淡路のハイウエイ・オアシスで休憩し梅田17時40分、難波18時10分到着。10回目はともかく、11回目はハードですよと念を押しておいた。足の不自由な方もいらしたが、皆さん温かい雰囲気で、勤行も素晴らしく、心温まる2日間でした。ご縁に感謝。合掌

  前神寺にて  アルミ貨を 不動に貼るや 夏遍路

(写真は、 横峰寺参道の紫陽花と前神寺本堂)

四国 1回 1番~6番 八尾発


平成23年7月10日

8日に梅雨明け宣言が出て、いよいよ夏本番。近鉄八尾~八戸ノ里~長田とpick upするコース。予定より早めに八尾を出発したが、八戸ノ里で一人欠席の模様で10分遅れ。自宅の電話は留守電になっていた。こちらに向かっていることも考えられるので、10分待った訳だ。結局、お客様は17名。初回とあって、発表した日程はすべて催行日となっているので、たとえ少人数でもバス運行となる。阪急トラピックスから7台のバスが出ていると云うが、最少人数のはずだ。しかも、驚いたことに、今回は朝軽食に夕弁当も付くと云う。キャンセルのお陰で、添乗員も和尚も試食できたが、朝はクロワッサンとリンゴジュース、夕はチラシ寿しにお茶付きだった。1番霊山寺に着くまで、「仏前勤行次第」「おまいりの作法」「納経用品」などの説明だ。初回が大事なので、和尚も力が入るところだ。霊山寺本堂の法話は、バス3台分が集まり超満員、和尚の八尾組は少人数とあって動きが早い。2番極楽寺にお参りし、12時半ごろお弁当time。ご住職の奥様に春以来の御挨拶、お土産にと「桃」と「すだち酎」をいただいた。6番安楽寺までにお弁当を済ませてもらい、以後は逆打ちとなる。安楽寺門前「しらかわ」のアイスクリームが大人気、やはり夏本番だ。5番地蔵寺までは、スムースに行ったが、4番大日寺は大混雑、大師堂から始め本堂は明石組と大合唱。3番金泉寺も同様で、本堂で梅田組と合同のあと、「黄金井」「閻魔堂」「弁慶の力石」「義経の戦勝祈願所跡」「俱利伽羅明王」と廻って時間調整し、大師堂に入ってゆっくりお参り。掲げられた大師一代記の絵を一枚づつ説明、打ち止めは15時40分。いつもより1時間早い。帰路の車中で「いろは歌」を配り、八栗ケーブルのCDを流す。19時半頃、八尾着。お疲れ様でした。合掌

  大日寺にて  梅雨明けや 日陰で祈る 遍路かな

(写真は3番金泉寺・義経戦勝祈願所跡)

2011年7月5日火曜日

高野山 満願御礼参り


平成23年7月4日

1年かけて結願にいたったバス遍路のいよいよ今日は御礼参り。奈良から1台、梅田~難波から2台。和尚は西大寺から添乗、お客様は39名。ほとんどが和尚と一度は、御一緒している方ばかりで「やあやあ、お久しぶり」と同窓会の雰囲気だ。奥の院、金剛峯寺、慈尊院とまわるが、御朱印をすべていただくのか、どうするのかとその確認に添乗員は気を使う。それも、お軸、白衣、納経帖と3種類ある訳だ。その整理を終えたところで、朝の勤行。本日の行程のポイントなどについて解説する。バスは、24号線から部分開通の京奈和道を乗り継ぎ、「高野口」から480号線で高野山に向かうコース。2時間ほどで、中腹の「花坂ドライブイン」到着。トイレ休憩と「柿の葉寿し」の試食。帰路にも立ち寄るので、ここで注文しておくと、その時にに持ち帰ることができる。花坂から30分強で奥の院中の橋駐車場に着き、ガイドと合流、記念撮影。ガイドの説明を聞きながら御廟を目指すのだが、ガイドを先頭に、和尚は最後尾につく。迷子予防だ。御廟橋で「中礼三度」、梵字が裏面に刻まれた石板を一歩づつ踏みしめ聖域に入る。御廟前でお勤めし、灯篭堂地下の御影前で御宝号七反。最後に英霊殿で阿弥陀如来のご真言を唱和して奥の院参拝を終えた。一の橋観光センターに立ち寄り、昼食会場の「安養院」へ。「安養院」は、大学の加行道場(大菩提院)のすぐ下に在り、修行中の早朝、我々の走る音で眠れないと叱られたことを思いだした。昼食後は、お軸の表装や御念珠の御仕立てなどの時間、見本が多く並べられているので、御自分のお軸の絵柄にどの表装があうか広げて見比べる方も。また、各札所のお御影をお軸や横額、屏風などに仕上げてあるのに、興味をもたれる方も多かった。金剛峯寺の内拝は、自由参加だったが30名ほどが参加すると云うので、和尚がガイド役を務めることに。参加しない方々には、壇上伽藍の大塔の拝観をお薦めした。16時前に慈尊院に。拝殿で、梅田2号車が法話を聞いているので、奈良組は、大師堂から御参り。次いで弥勒堂で梅田2号車と合同でお参りする。拝殿での法話は、梅田1号車が到着したので、同席。狭い拝殿が溢れるばかり。高野山への案内犬「ゴンちゃん」のビデオの後、和尚の法話。帰路は、京奈和道~南阪奈道~近畿道経由東大阪から生駒トンネルを抜けるコース。和尚は、「いろは歌」のペーパーを配り、歌を流そうとしたが、テープは使用不可。やむなく、和尚が歌うことに。八栗寺のケーブルカーのBGMと教えると、思い出す方も。18時過ぎには、西大寺着。皆さま、満願おめでとうございます。お四国は、一度で終わることはありません。またいずれ、お会いできるでしょう。次は、西国巡りとおっしゃる方は、そのバスでお会いできるでしょう。合掌

  奥の院にて  初夏の 御廟に流る 香煙や

         満願の 遍路迎える 夏木立

(写真は、慈尊院山門)

2011年7月1日金曜日

戌年同行の会 高顕寺を訪ねて


平成23年6月27日

戌年同行の会は、先の戌年(平成18年)に堺方面から乗車してお四国を結願した面々が、平成27年の慈尊院ご開帳を共に詣でることを目標に結成した同窓会である。2月の懇親会、6月の日帰り旅行が定例で、和尚は結成時からお声を掛けていただき参加している。特に、6月の日帰り旅行は和尚の担当で「東寺~神光院」「應聖寺~須磨寺」「信貴山~寶山寺」などとおまいりを続けてきた。今年は、和尚の高野山大学加行道場「大菩提院」での修行中に、指導員として来てくれていた内海誠仁師の寺、岡山県備中市の恵日山・高顕寺をお参りすることにした。高顕寺は、聖武天皇の勅願にて神亀5年(728)に創建された高野山真言宗の古刹である。御本尊は定朝作と伝わる不動明王。内海師は、堺の在家出身、ご縁あって「八塔寺ふるさと村」にあるこの寺に後継者として入った。後継者ができてホッとしたのか、ご住職が急逝された。若い内海師が高顕寺を守っていかねばならなくなったのだ。当日の戌年同行の会の参加者は総勢31名。まず向かったのは、備中ICからすぐの「特別史跡・旧閑谷学校」。備前藩主池田光政公が寛文10年(1670)に庶民の子供たちを育てる場として開校、人づくり、国づくりは儒学にあると、孔子の論語が日々朗誦されていたという。その講堂は、国宝となっている。そこから30分程で「八塔寺ふるさと村」に着く。昼食は「望ヶ丘キャンプ場」のレストラン、名物「鴨鍋」をいただく。仕上げはうどんだ、雑炊だと鍋ごとに決っていく。和尚たちの鍋は欲張って「うんどん炊」に。鍋ごとに自慢の雑炊が出来上がり、声のかかった鍋を順にまわり味見をすることに。鍋奉行によって味が違うのが面白い。高顕寺に行くと、内海師が本堂で護摩供養の準備をして待っていてくれた。回し焼香の後、皆で般若心経を唱和する。法要後、客殿でお茶とお菓子のご接待、内海師が皆に御祈祷札と勾玉のストラップを記念にと用意してくれていた。納経帳を持参していた方も10数名。内海師をまじえて記念写真を撮り、帰路についた。天気予報に反して、ほとんど傘を使うことも無く、有難い一日だった。合掌

  高顕寺にて   心経や 炎に重ぬ 夏の護摩

(写真は、高顕寺本堂)