2010年3月23日火曜日

伊予の国 一国巡り


平成22年3月14~17日

和尚恒例の一国巡りの3回目、新大阪・難波・南港の3集合地点より参集したメンバーは13名、添乗の橋本哲平君と和尚を加えて総勢15名。前回より2減2増、新たに善一高森山後輩の友人岡野さんとハロートラベルの関係で現役美容師の嶺さんが加わった。嶺さんは、参加者の最高齢者となる。
22時30分発のオレンジフェリーで東予港に向かう。1等船室に分宿だが、和尚の船室に集合して酒盛り、旧交を温める。船内売店で飲料を求め、酒のアテは、坪井先生の娘婿・吉野寿司の大阪寿司だ。5時半起床、朝食を船内で済ませ6時10分東予港接岸、どんよりとした雨模様の中を足摺岬の38番金剛福寺を目指す。途中、宇和島の真珠会館に立ち寄り、和尚はホワイトデーの御菓子を買い込み宅急便手配。この会館の女社長の森田さんは、和尚の早大詩吟部の同級生井上三郎君の高校の同期生だ。先日それを知り、世間の狭さにびっくりしたのだ。皆もつられてか、じゃこ天や御菓子を買い込む。車中でのおやつを御接待していただいて出発。
金剛福寺に着いた頃には雨は本降り、13時頃土佐清水港の「足摺黒潮市場」で昼食だ。「こんな美味しい、タタキは初めて」との声、海の幸をふんだんに使った豪華版だった。39番延光寺の門前で、以前御世話になった「へんこつや」のじいさまと再会、「ばあさまも御元気ですか」「ああ元気だよ。あんたも元気そうだね」と言葉を交わし境内へ。明石出発の阪急トラピックスのバス遍路と遭遇、顔なじみの先達と挨拶、この寺が打ち始めで、これから足摺岬で一泊という。朝から、ひたすら走れ走れの一日という訳だ。40番観自在寺の大師堂では、お堂をぐるりと1周する88カ所のお砂踏みをして、本日の打ち止め、6時頃、宇和島グランドホテルに到着した。30分後にフロントに集合して、和尚おすすめの大衆割烹「ほずみ亭」で夕食だ。宇和島NO・1の人気スポットで、和尚はこだわって予約を入れてもらったもの。改めて自己紹介をしながらの宴会だが、期待通りの濃い中身で、超満足。太刀魚を竹棒に巻きつけて焼いた料理は圧巻で、「こんなの初めて」の声ばかりだ。山海の珍味に恵まれた宇和島ならではの料理で、「御参りはともかく、この店だけは家内を連れてきたい」とは柑本さんの一言。
16日7時30分出発、雨も上がり41番龍光寺、42番佛木寺、43番明石寺と廻り44番大寶寺へ。山門のまわりには雪も残っていたが、境内の桜が美しく、皆で記念写真。門前の「すごうさん」で御茶のご接待を受け、45番岩屋寺へ向かう。バス遍路にとって、最大の難所で30分は山道を歩く。最年長の嶺さんも登り切り、やれやれだ。穴禅定を案内し、納経所へ。仏教稲門会の先輩である、大西住職に御挨拶できた。ふもとの「一休館」で生姜湯のご接待をいただき、松山市内の46番浄瑠璃寺へ。47番八坂寺へは、駐車場から徒歩だ。時間的に危ないとみて、哲平君はタクシーを手配し納経の先取りにかかる。山下ドライバーが無理をして、八坂寺まで迎えに来てくれた。48番西林寺、49番浄土寺と廻って、打ち止めは5時半、哲平君の好判断で、事なきを得た。6時には、道後温泉のホテル「茶玻瑠」に到着、6時半から夕食。美味しい料理に御酒もすすみ、話も尽きないが、折角の道後の夜を楽しんでもらうべく8時に切り上げた。「坊っちゃん湯」に行くもの、街に繰り出すものと自由行動。和尚は、後輩の森山さん、その友達の岡野さんと商店街を散策、二人は名物「六時屋のタルト」を御土産に購入。和尚は、二人と別れ「地ビール屋」で「坊っちゃん湯」へ行った坪井・神谷両氏と合流し、じゃこ天を肴に、地ビールや焼酎で話が弾んだ。ホテルで、大浴場に浸かり、バタンキュー。
最終日の17日は、6時のモーニングコールで目覚め、40分「食事作法」をして朝食、7時半出発で50番繁多寺、51番石手寺と朝参り。石手寺では、「衛門三郎再来の石」を拝観、鶏卵大の石を見て「赤ちゃんが握るには大き過ぎる」とは、いつもの感想だ。正岡子規もいただいた草餅を石黒君が買い求め、皆に大衆供養、52番太山寺の本堂(国宝)では、堂内で御参りが出来た。53番圓明寺では、本堂の左甚五郎の6mの龍やキリシタン石塔を案内し、海岸線を今治に向かう。この車中で、お弁当をいただくが、弁当というより「仕出し料理」の立派さだ。54番延命寺では「デコポン」のご接待、55番南光坊は大師堂が改装中で本堂に仮安置中であった。大門の四天王像の迫力には、いつもながら圧倒される。56番泰山寺の門前では、甘酒のご接待、57番栄福寺門前の「田中人形店」で、念珠を求めた。「四国中のお寺に納品している製造元だ」と親父さんが言うだけあって、本当に安い。和尚も先日、念珠をバスに置き忘れたので、この機会に購入しようと決めていたのだ。
バスは、58番仙遊寺の山道をあえぎながら登る。御参り後、住職自慢の「西浄」(せいちん・トイレの事)を使わせてもらい、打ち止めの57番国分寺へ。門前の「五九楽館」でいつものミニタオルのご接待、和尚は土産にデコポンを購入。打ち止めとあって、大師御宝号は7遍。握手をして願いことをひとつだけ願う大師像に一列に並んで祈願し、全て終了。
次回第四回讃岐の国は、11月15~17日だが今回のように前日夜のフェリー利用も検討することにし、来年7月には「東寺~高野山奥の院」のお礼参りを1泊2日で実施することを決めた。皆さま、お疲れさまでした。合掌

2010年3月13日土曜日

西国 12回 満願の旅


平成22年3月7日

難波から西国12回満願の旅に添乗した。32番観音正寺は、佐々木六角氏の山城の跡に立つ、1200段の階段で有名な札所。巡拝者の声では、1番の難所とか。33番華厳寺は3カ所でお参りする満願の寺である。9時前に難波を出発したバスは、41名のお客様を乗せて名神を東に、草津SAで最初の休憩、雨交じりの天候で山道は下りが危ないと思い、できるだけタクシー利用と声掛けしたが、14名が歩きを選択された。もっともタクシーで行くべき参道も、土砂崩れで通行不能とか。タクシー組も残り3分の1、約400段の階段は徒歩だ。石寺という表参道口でバスを降り、タクシー組と徒歩組に分かれ本堂を目指す。和尚は当然ながら、徒歩組だ。階段というより、石を積み上げたというような参道をのぼる。タクシー組と合流するポイントからは、まともな石段で33から番号を振った木札に書かれた御言葉を読みながら、あと幾つと数えながら登ることになる。登りきって、本堂に上がり、全員集合まで息を入れる。頭から湯気が出ているらしい。皆がそろい、一息入れて、念珠の使い方、合掌の仕方などを話し、御参りだ。御本尊は、松本明慶作の大仏・千手観世音菩薩だ。インド政府の特別許可をいただいて輸入できた白檀で造られた逸品である。雨に濡れた下り参道は、足元が危ないので、注意をしながらゆっくり下りてゆく。
12時半に、再出発できた。車中でのお弁当は、「草津・南洋軒」製、なかなかの代物だった。華厳寺の駐車場到着は、14時15分、櫻並木の参道は、その保護のためバスは通行不可、仏具店やお土産店などを横目に歩く。本堂、おいづる堂、満願堂と御参りして、そこで解散、45分後のバス集合をお願いする。これが和尚のいつものパターンだ。
16時前に出発し梅田到着が19時、日曜日の雨の御参りとしては、順調なぺース。日本交通の山下ドライバーに感謝。
(写真は、華厳寺の山門)

2010年3月9日火曜日

四国 3回 西大寺 発


平成22年3月5日

久ぶりに西大寺から乗車しての四国遍路、33名のお客様。和尚は昨日から、声の調子がおかしく、声が出にくい最悪のレベル。阪神高速神戸線が渋滞との表示で、近畿道ルートをバスは走るのだが、こちらも工事規制で、結構な渋滞だ。しかも濃霧、小雨ときている。最初の休憩を名塩SAでとり、次は鳴門西SA、四国に入ると晴天に変わり、天気予報通りだ。12番焼山寺のふもとに着いたのは、13時で予定より1時間弱の遅れか。マイクロバス2台に分乗して、山登りだ。「杖杉庵」のを通過するので、衛門三郎の逸話をお話しする。そして石手寺では、「衛門三郎再来の石」を見学するようにお勧めした。
御参りを終えたふもとでは「すだち館」のミカンのご接待。地元手作りのすだちジュースが、飛びように売れた。冷蔵庫で1年はOKで一本で3kg以上のすだちを絞ってあるとか。和尚もご接待に預かった。13番大日寺着が15時過ぎで、歩け歩けの3回目の行程を考えると、17時までに廻り終えるか、心配になってきた。添乗の山下・西の両嬢にバスを使って、先へ進むようにしてもらい、我々は、14番常楽寺から15番国分寺へと歩き、16番観音寺にたどり着いたのは、17時前だった。先行した添乗の二人は、既に納経を終えており事なきを得た。結局、打ち止めは、17時20分だった。観音寺からバスへ戻る途中の店先でデコポンを売っていた、1個100円。「3個で200円でどうですか?」の声に「バスだから1個でいいよ」と答えると、「では50円で」とご接待してくれた。これは美味だった。
(写真は、焼山寺駐車場の人気の布袋さん)