2011年9月28日水曜日

読売奈良 四国10回 西大寺発


平成23年9月25~26日

奈良から2台のバスが出た。和尚は1号車でお客様は29名、奈良駅、西大寺から東生駒駅と廻って伊予路へ向かう。高松道がまだ不通の区間があるので、鳴門から国道11号線を走り、徳島ICから徳島道に乗る。順調に走り、吉野川SAが11時過ぎ、早めにお弁当を摂ってもらい65番三角寺に12時前に着いた。急な石段を登って本堂へ、小林一茶が「これでこそ 登りかいあり 山桜」と詠んだ山桜の古木が本堂前にある。2号車もお客様は29名で、合同でお参りする。64番前神寺の駐車場に着くと、彼岸花がお出迎えだ。本堂と大師堂の間に、弘法大師の像があるが、いかにもユニークな表情をされている。63番吉祥寺では、2号車が待っていてくれて、また合同でお参りだ。初日の予定は此処までなのだが、まだ15時前なので、61番香園寺を御参りすることに。近代建築の大聖堂に上がり、本尊大日如来の御前で「如来なのになぜ菩薩形なのか」等についてお話をする。15時40分打ち止めて、宿の「四国屋」に向かう。食事はよくするが、宿泊は和尚は初めてだ。温泉付きで、夜も朝も露天風呂を楽しませてもらった。26日は、余裕をもって8時出発。62番宝寿寺に寄って、60番横峰寺に。宝寿寺は駐車場が無く、路駐となるのでこの順番とならざるを得ないのだ。横峰さんの駐車場は、お寺より相当上に位置するのでお寺に向かうに、行きは下りだが帰路は登りとなる。10時半には打ち止めとなり、11時から「京屋別館」で昼食。
本日でもって結願の方が2組、皆で祝福の拍手をした。西大寺到着は17時半、たまにはこんな日もあって良いかも。合掌

  前神寺にて   彼岸花 遍路迎える 前神寺

          声合わせ 心経唱ふ 秋遍路

(写真は、前神寺の御大師さま)

2011年9月27日火曜日

島遍路・小豆島探訪


平成23年9月23日

総本山善通寺菅宗務総長のご縁をいただいて小豆島八十八ヶ所第13番栄光寺にてお話をする機会を得た。彼岸法要の合間に1時間ほどの法話とのことだった。ネットでルートを調べると、16年振りに神戸からのフェリーが7月から復活していた。朝5時半の便で約3時間の船旅だ。坂手港に着いて「二十四の瞳」で名高い島の分校を見学した。壷井栄原作の舞台となった小学校で小さな教室が三つ、1,2年生用、3,4年生用、5,6年生用と云う訳だ。島の文化財として保存されていて入場料は200円。裸電灯、二人掛けの小さな机、いかにも田舎の分校の風情だ。近くに映画のオープンセットが「映画村」として観光スポットになっている。栄光寺に10時半ごろ入り、池田住職に御挨拶。11時から法要がはじまり、午後の法要との間12時~13時が法話の時間だ。100人程の檀家の方々は、法要中に適宜昼食を摂り、昼食休憩の時間は特に無い。池田住職を導師に8人の織衆中曲の理趣経を唱え終えると和尚の出番、「お大師さまに育まれて」と題して出家の動機やお遍路、いろは歌の話などをさせていただいた。「法話」になっているかどうかはおぼつかないが、檀家の方々にはご清聴いただいた。住職からは「抹香臭くなく、面白くて良かった」と言っていただき、また「このお話を機会に、栄光寺のお四国参りも復活させませんか」と声をかけていらっしゃった。土庄港まで走り、「旭屋」へ。信貴山千手院さんのおすすめの遍路宿で、奈良まで送迎してくれるというのだ。岡田社長に島遍路のヒアリング、来年3月9~11日の御参りを仮予約した。島遍路の行程はお四国の訳1/10程、番外を入れて94ヶ所の御参りだ。しかし納経所は39ヶ所、近隣の庵やお堂の納経もまとめて担当する。納経帖も手書するのではなく、墨書されたものが印刷されていて、そこへ押印するのみ。朱印料は150円でお四国の半額、しかも庵やお堂分は50円だ。「旭屋」さんにお願いする巡拝の場合は、納経は先取り方式なので、我々はお参りに専念できる。納経帖も白表紙と錦織り表紙の2種類のみ。ついで、「霊場総本院」で弘法大師を拝み、「おへんろ道案内図」を買い求め、資料を収集。「総本院」は、霊場会本部と東寺、高野山を兼ね備えたもの。最初にお参りし、お礼参りも此処なのだ。坂手港に戻り、帰路に。小豆島ジャンボフェリーは、神戸~坂手~高松を結ぶ。連休とあってか乗客も多く、往復ともに、備品の茣蓙を敷いて通路に席をしつらえるグループも散見された。来年の島遍路が楽しみになってきた。合掌

 栄光寺にて  秋の海 彼岸法要 小豆島

 坂手港にて  島の秋 醤油つくだ煮 オリーブ油

2011年9月21日水曜日

西国6回 京都市内 西大寺発


平成23年9月20日

台風15号の接近で大雨注意報発令の中、西大寺から添乗。お客様は38名。10人近い人が、和尚と一緒だったようだ。何しろ距離が近いので、添乗員は大変だ。お客様の納経用品を集め、整理する時間もあまりない。桂川SAで休憩の後、番外札所の元慶寺からお参り開始。いつもは、日野自動車の敷地に駐車させていただくのだが、我々のバスは、日野製ではないので駐車させて貰えない。(これは、バス手配者のミス)止むなく、バスはお参りが終わるまで、走り続けるか駐車できるところで待機となる。いずれにしても元慶寺までは、15分程歩かなければならない。お参りを終えて、集合地点まで戻り納経が終わるのを待つ。そしてバスに連絡という段取りだ。バスの走りやすいように、六波羅密寺~清水寺~行願寺~六角堂の順に廻ることにした。17番六波羅密寺は空也上人ゆかりのお寺、五条通りにバスを停め歩いて本堂へ。内陣で法要中だったので、我々のお勤めが許されるかと聞くと、「気にせずにどうぞ」ということなので、外陣に上がりお勤め。雨が降り続いているが、廻る札所でのお参りは屋内になるので安心だ。ついで16番清水寺へ。電通の先輩がやっている参道のお土産屋「村上喜宝堂」に電話し、お客様の便宜を図ってもらおうと思ったが、残念ながらお休みだった。雨にもかかわらず、大勢の参拝客だ。丁度、修学旅行のシーズンだという。本堂で勤行の後、30分後にバス集合として解散、自由参拝とお買いもののためだ。そして、バスに戻った方からお弁当を摂っていただく。19番行願寺(革堂)も丸太町通りで降りて歩く。老尼のご住職が元気に納経所にいらっしゃったので御挨拶。82歳のはずだ。帰りの御挨拶をすると「ご縁があれば」と合掌、いつまでもお元気でいて欲しいものだ。荒廃しつつあった革堂に昭和44年に晋山、西国三十三所の札所としての風格を取り戻すまでに復興させた功労者だ。烏丸通りを南下して18番頂法寺(六角堂)へ。本尊如意輪観音の向かって左に開基の聖徳太子、右に100日の参籠をして法然上人の門を叩いたという見真大師(親鸞上人)が祀られている。お参り後、池坊のWEST18ビルのシースルーエレベーターをすすめる。9階の高さから見下ろすと、まさしく六角のお堂の全貌が確認できるのだ。打ち止めは14時15分。最後は西本願寺前・漬物西利本店でのお買いものTIME、2階の試食コーナーには、白ワインが置いてある。白ワインと漬物の摂り合わせが、実に美味しいのだ。和尚は、半割れ浅漬け大根を購入(525円)、これがお気に入りで毎度のことなのだ。全員に「赤しそ・むらさきの」のお土産付き。奈良へ帰る車中も、添乗員はおおわらわ、納経用品の返却、アンケート、次回申し込み受け付けなど時間との競争。和尚の夕べの御勤めも、短縮バージョン、開経偈、般若心経、回向文とした。16時過ぎ西大寺帰着。一日雨の中、お疲れさまでした。合掌

 行願寺にて   秋雨や 老尼微笑む 行願寺

(写真は、六波羅密寺本堂を左方から)

2011年9月18日日曜日

先達全国大会と西国2ヶ寺

平成23年9月16~17日

16日、岡山市民会館で第31回四国88ヶ所霊場会・公認先達大会が開催されるというので、3人の女性先達を難波で拾って山陽道を走った。10時の開会ギリギリに到着、和尚が車を駐車場に納めて会場入りすると、慰霊法要がはじまるところだった。表彰式があって昼食。参加者は1250名を超えるという。ホール内は、飲食不可だが、全会議室が昼食会場として用意されている。我々は4階に席を確保。結願所・88番大窪寺の槇野住職と立ち話が出来たのがラッキーだった。なにしろ大窪寺は和尚の先達推薦寺なのだ。午後は、高知・安楽寺住職 小角隆幸僧正の節談説法「衛門三郎物語」、説法に節をつけて語るもので、浄土宗で盛んだったとのこと。初めて聞かせてもらったが、中々面白かった。会場を出る時に、大雨が降りだした。高速道路はワイパーを全開しても前が見えないほどの豪雨、やっとの思いで西脇ロイヤルホテルにたどり着いた。17日は、まず西国霊場26番一乗寺へ。雨仕舞いのための作業が、山門で付近で行われていた。右手の石段を見ると、川のように雨水が流れ落ちてくる。正面の急な石段を登ると先ず国宝の三重塔、さらに上って本堂へ。ご本尊聖観音前に正座して勤行。ついで西国霊場の西端・27番圓教寺へ向かう。西の比叡山といわれ、映画「ラスト・サムライ」のロケに使われたところから一躍有名になった。ロープウエイで昇り、そこからマイクロバスで、摩尼殿(本堂)下まで運んでくれる。(拝観料を含め往復1,000円)和尚が添乗で案内する時は、いつも歩いているので初体験だが、今日は雨で足元が悪いので、甘えさせていただいた。本尊如意輪観音前に正座して勤行、その後、ロケの舞台ともなった三之堂へ。大講堂、食堂、常行堂がコの字型に建ち並んでいるところから三之堂と云う。二ヶ寺で打ちあげて、姫路西ICから高速道路に入ろうとしたが、なんと姫路西~三木・小野まで雨で不通となっていた。2号線経由で神戸に出るしかないと覚悟して、姫路SAで遅めの昼食を摂った。すると、ドライバーさん達の会話で、不通解除と知り、改めて姫路東ICから山陽道に入った。豪雨の中、大阪に戻ると、雨はほとんど上がっていた。欲張らず、二ヶ寺で打ち上げて大正解だった。合掌

2011年9月15日木曜日

西安歴史紀行・青龍寺


平成23年9月10~13日

オリジナルツアーを組んで西安・青龍寺におまいりしようとしたが、JTBから送られてきたパンフレットを見てびっくり仰天、何と費用が1/3以下だ。計画変更し「JTB旅物語・西安歴史紀行4日間」なるツアーに参加することにした。お遍路仲間に声をかけたところ、1組のご夫婦が合流。先達仲間の二人は申し込みが遅く、キャンセル待ちするも欠員はでなかった。出発の10日は、信貴山千手院の「やすらぎ会」にお招きを受けていたので、梶妙壽・臨済宗慈受院門跡住職の法話を拝聴し、ご本尊毘沙門天宝前での大般若祈祷に参加して、関空に向かった。山東航空で済南経由西安に着いてみると、ツアー客は総勢20名、中高年の集まりだった。11日朝から見学開始、西安は珍しく雨が続いているとのことで、各見学地は石畳の通路なのは良いが排水設備が充分でなく、まるで川の中だ。シューズは水浸し、靴下までズブズブだ。それはともかく、朝から「兵馬俑」「秦始皇帝御陵」「華清池」と見学して、「成安市美術館」(?)へ。水墨画の詳しい説明が学芸員からあって工芸品の展示即売コーナーへ案内される。中国の美術館、博物館などでよくあるやりかただ。玄宗皇帝の離宮である「華清池」では温泉も湧く。皇帝や楊貴妃の湯船などを見て回る。足湯をお試しの御婦人も。有料だったとか。いよいよ待望の「青龍寺」だ。「西安市青龍寺遺址保管所」となり、「空海記念碑」もここにある。日本から贈られた櫻が中国人にも人気と云う。案内を受け、納経所でご朱印を受ける方も。和尚は、拓本の弘法大師像のお軸を購入(2万円)。中国に来る度に気になっていたものだが、完全なものにようやく遭遇できた。「恵果・空海記念堂」にお参りを願うと、そのお寺のゾーンは管轄外で、既に閉まっているという。何ということだ。そこにお参りするために来たのだと、ガイドに話し、明日再訪してもらうことになった。皆、大賛成だ。陝西料理の夕食後ホテルへ。12日は、「城壁西門」(安定門)から。シルクロードの正に出発点であり、いわば西の国境で税関の機能も。明代初期に、唐の長安城を基礎に築造されたもの、規模が大きく最も完全な古代城壁だ。壁上に上がるとそのすごさが実感できる。長方形で周囲13.75km、11月第1土曜日に国際マラソンが開催されるとか。カートや自転車で1周できる。玄奘三蔵ゆかりの「大慈恩寺・大雁塔」は、新しいお堂の上棟法要が修せられた直後であったせいか、大変な参拝客だった。中国仏教寺院は約3千ケ寺というが、ここは屈指のお寺だ。「大雁塔」は玄奘三蔵の持ちかえった経典や仏舎利を祀るために唐の高宗が建てたもので、高さ64m、七層の四角の錐状。案内の後、住職の書を盛んに薦められる。法相宗とか。そして、青龍寺「恵果・空海記念堂」へ。今日は、法要とご接待の日とかで、2~30人が並んで僧から「ワンタン麺?」のご接待を受けていた。堂内には恵果・空海の像が並んで祀られている。このゾーンは、四国4県と真言宗の熱い思いが溢れんばかりだ。来年オープンという博物館も工事中で、この一帯はさらに整備が進み、日中友好のシンボルゾーンとして発展すると思われる。「楊貴妃の墓」を見学の後、公営の絨毯工房へ。シルク織りの実演、説明を聞くと直ちに販売会だ。おばさんパワーがここで炸裂、25,000円の玄関マットを、皆で買うからと2万円に値引き成功。夕食後は、オプションの「大唐宮廷楽舞」観賞。我々のホテルにそのホールはある。3,800円の入場料だったが、入場してみるとそこはレストランシアター。我々が椅子席で、そこへ割り込む形となるため、角度が悪く全体が良く見えない。ショーが終わると、女性軍の大ブーイング。ガイドさんは、こんなに満員とは予想外ですと平あやまり。夜の散歩で、お詫びにと、名物「石榴」を全員にプレゼント。かくして、正味2日間の「西安歴史紀行」は、終了。和尚は、大満足でリピーターになるでしょう。食事も「郷土料理」「陝西料理」精進料理」「四川料理」と楽しめ、ホテルも高級。青龍寺も2回訪問、ありがたいことです。合掌

 西安にて  お大師と 共に眺める 秋の空

(写真は「恵果・空海記念堂」前の「空海受法像」にて・柑本さん撮影)

2011年9月7日水曜日

四国3回 西大寺発


平成23年9月6日

西大寺より27名のお客様と出発。阪神高速が少し渋滞していたが、2時間弱で淡路SAに着いた。仏前勤行次第の意味を説明しながら淡路島を抜ける。鳴門西SAにてお弁当をpick up、12番焼山寺に着きまでに食事を済ませて頂く。鮎喰川沿いに神山町に。この町は、「すだち」と「鶯宿梅」の名産地だ。12時過ぎにへんろ駅到着、ここからマイクロバスに乗り換えて山頂に向かうのだ。ここまでで車酔い2名。1名は納札を託しバスで休息、一人はマイクロのドライバーに左手をマッサージしてもらい、元気回復。本堂前で、念珠の使い方、合掌の仕方(三種)を伝授。お参りを終え「すだち館」でゼりーの御接待。名産すだちの生絞り「すだち酢」を事前におすすめしたせいか、飛ぶようにお買い上げ。冷蔵庫に保管すれば1年は大丈夫という優れものだ。30分ほどで、13番大日寺に。本堂の柱に貼りつけられている「橫綱大鵬」の千社札も、雨風にあたり判読が難しくなっていた。「しあわせ観音」が人気で、皆さんカメラに収めている。14番常楽寺は、近くのバス停から3~400m歩いて本堂。有名な流水岩のお庭だ。池越しに常楽寺が経営するに孤児院がある。「アララギ大師」を見上げ感動。ここから15番国分寺までは歩き遍路、と云っても800m程だ。バスは、国分寺から200m手前の駐車場で待機。国分寺本堂で、輪の使いかた、合掌の仕方について説明、お大師さまは、自ら請来した「烏芻沙摩明王堂」に居候されている。この寺の明王のお札は特大で有名。お求めになったお客様から、どう貼れば良いのかとの質問、誰もがお尻を向けない所にと答えた。16番観音寺もバスは入れないので、駐車位置から歩いて行く。16時20分到着、本堂と大師堂の両方に燈明と線香のご供養をしていただいた。16時半を境に、火の気を使わないという先達会の申し合わせがあるからだ。その時は「運心」でとお願いするのだが、間に合うときは燈明・線香を先に済ませて頂く訳だ。打ち止めにつき、大師ご宝号は7遍お願いする。淡路HOで休憩して西大寺到着は20時。第3回目としては、30分程早めかも。合掌

 参道にて   秋風を 感じて歩く 阿波の道

(写真は、焼山寺本堂前の石塔)

2011年9月5日月曜日

読売奈良 西国9回 西大寺発


平成23年9月4日

読売旅行奈良営業所の西国ツアーも9回目、日本海の成相寺・松尾寺の2ケ寺を廻るコースだ。なんとバスは4台で、和尚は4号車だが、業界では「寿号」と縁起を担ぐ。お客様は35名。台風12号の影響が残る中、のろのろ走る台風を追いかけるように、こちらは北上する訳だ。いつもの若狭舞鶴道は不通区間があるというので、京都縦貫道を選択。福知山で降り、ドライブイン「丹波の里・やまがた屋」で休憩。国道27号線を走り、京丹波わちICから再度、京都縦貫道に入り与謝天の橋立ICまで。海のよく見えるシーサイドセンターで昼食。28番成相寺に向かう。かってはケーブルも利用したが、今は本堂横の駐車場までバスで上がる。本堂に上がり、ベンチに腰掛けてのお参りだ。雨も上がり、木々の間から海が見える。左甚五郎作「真向の龍」を案内する。これは、撮影可と表示がある。
1時間半ほど走って29番松尾寺へ。ここで4台が鉢合わせとなった。2号車、3号車が順にお参りした後、4号車の番だ。本堂に上がり、5色の紐を題材に、それぞれの色が五智如来を象徴することや、輪のつき方などを話していると、1号車が到着。2台分、本堂一杯の人びとで、大合唱だ。集結したお陰で、納経には時間がかかったが、お参りの時は雨に降られず良いお参りができました。帰路は、若狭舞鶴道~中国道といういつものルートで走り、順調に17時半に西大寺に着いた。合掌

   成相寺にて  台風の 去りし橋立 成相寺

   松尾寺にて  秋雨や 馬頭観音 松の寺

(写真は 成相寺本堂)

2011年9月3日土曜日

空海と密教美術展


平成23年8月31日

東京国立博物館で開催されている「空海と密教美術展」と拝観しようと、30日京都発の深夜バスで東京に向かった。バスは3列シートでゆったりしている。朝7時半に東京駅到着。ネットで調べてあった「湯楽三昧」で朝風呂と朝食を摂って、上野へむかった。9時前に博物館に着いたところ、準備の係員がチケットは、公園入り口のチケットブースで買うと9時に買えるが、博物館では9時半にならないと買えませんと教えてくれた。さすればと、公園入り口に戻り並ぶ。博物館に戻ると既に列が出来ていて、和尚は40~50番の間位だ。列は長くなり、9時半の開場の時には300人位になっているようだった。各本山などが出品している美術品が一同に会する機会はあまりない。和尚ゆかりの東寺、高野山、善通寺からもお宝が出展されていて、いつもと違う角度から、というより身近から拝観出来て感動ものだった。東寺の立体曼陀羅も一体づつ、ぐるりと四方八方から拝観できる。善通寺の「錫杖頭」も表裏、左右からも拝観できる。東京まで出かけて行った価値は十分だった。図録も求めてきたので、解説を読みながら、反芻しているところだ。9月25日までなので、機会があればぜひどうぞ。チケットを見ると、共通で入館できる所に「法隆寺宝物舘」とある。気になって行ってみると、これはびっくり7世紀の観音様の行列だ。全て重要文化財だ。法隆寺が天皇に献上したものが、国に移管されているとか。奈良県に住まいするから気になったが、これはすごかった。
せっかく上京したので、板東の観音霊場である浅草・浅草寺を訪ねた。外人観光客が多く眼について、外人観光客が減ったという報道を見聞きしていたので、驚かされた。さすが浅草、すごい熱気だった。また、ここからスカイツリーが良く見える。良いおのぼりさんツアーでした。合掌
(写真は、浅草寺の雷門)

2011年9月1日木曜日

読売旅行(奈良) 四国9回 52番~59番 西大寺発


平成23年8月28~29日

西大寺から東生駒を経由して伊予路に向かう。お客様は34名、ほとんどが顔なじみだ。車中で昼食を摂り、59番国分寺を目指す。通過する讃岐路は、和尚のふるさとでもあるので、「讃岐富士」「象頭山」「善通寺」「捨身ヶ嶽」「本山寺五重塔」など車窓から見えるポイントを説明しながらの走行だ。国分寺では「握手修行大師」で列を作り「一言祈願」。仙遊寺からは「しまなみ海道」を遠望する。57番栄福寺山門を入って左に句碑がある。「四国路や 遍路道より 明けの□」の「□」の字が判読できなくて、皆でいろいろ考えたが結論が出ず。車中から寺に電話をすることに。答は「春」、やはり問い合わせがあるようで、「風ですか」との声もあるそうだ。和尚は、「遍路」が春の季語なので、「春」はあるまいと思ってしまっていた。初日の打ち止めは56番泰山寺。お堂の瓦に丸の中に「太」と入っている。それはなぜかと疑問を持ったお客様がいて、一緒にh納経所に確認に行った。すると寺の名の由来である「女人泰産」の「泰」は、古は「太」であったという。「太産」→「泰産」→「泰山」と変化したというのだ。なるほどと感じ入った。16時前に打ち止めして、道後温泉に。しかし「ホテル・ルナパーク」24名、「葛城」10名と分宿、道後温泉も盛況のようだ。夕食後の温泉街の散策では、いつもの「番鳥」(焼鳥)に顔をだす。2日目の出発は7時40分、52番太山寺から。駐車場から数100m登って行くのだが、森林浴風で朝一番にふさわしいお寺だ。本堂は「一夜建立の御堂」として名高い国宝。6代の天皇が即位に際して十一面観音を奉納していて、行基菩薩作の本尊と合わせて7体の観音様が並んでいる。御厨子に入っているので、拝見できないのが残念だ。前回のお参りの時、修復中であった大師堂は工事も終わり、お堂の前に拝殿が新設されていた。53番円明寺は「左甚五郎の龍」「キリシタン石塔」など見所も多いが、何といっても大師堂の鬼瓦が芸術品だ。「即滅無量罪」「現受無比楽」という本堂前の看板の意味を説明すると、皆から「ホー」という声が。54番延命寺には、開基の行基菩薩の供養塔がある。行基菩薩開基の寺は少なくないが、供養塔はあまり見かけない。機知に富み、村人を飢饉から救った庄屋・越智孫兵衛の墓や真念の道標も境内にある。55番南光坊で打ち止め。地元の仏師77歳時の大門の四天王が堂々として素晴らしい。12時前に打ち止めし、石鎚HOの「りんりんパーク」で昼食。帰路は、瀬戸大橋を通り与島で休憩。立ち寄った「与島フィシャマンズワーフ」は往年の面影はなく、電通時代に開通記念博覧会の新聞企画を担当した和尚としては愕然とした思いだった。中国道が事故渋滞というので阪神高速に迂回するが、こちらも自然渋滞、西大寺到着は20時過ぎ。9回目とあってお客様は皆顔馴染み、ワイワイと楽しいお参りでした。お疲れ様。合掌 
  
  太山寺にて  一畑の 薬師に祈る 夏遍路

  円明寺にて  夏の陽に 竜虎が光る 大師堂 

(写真は、修復した太山寺大師堂)

四国2回 7番~11番 堺 発

平成23年8月26日

堺から40名のお客さんと7時50分出発。全員が和尚とは初対面。朝のお勤めの感じでは、まだまだ自信なさそうだったので、1回目と同様の説明をすることにした。そのせいか11番藤井寺のお勤めは声も良く出始めた。10番切幡寺は、半数の方が「歩き」を選択、大汗をかきながら登る。お参りを終えて「切幡の大塔」にご案内する途中の不動堂で、お不動さんのご真言の稽古をしていると、ゴロゴロと雷が鳴り、大粒の雨が降り出した。しばしそこで雨宿りして大塔のところまで上り、眼下に吉野川を眺める。9番法輪寺門前の「あわじ庵の草餅」に群がり、8番熊谷寺から7番十楽寺と廻って打ち止めは、16時。帰路、事故渋滞に遭遇したが、意外とスムースで19半堺到着。夜、昭和7年生まれという男性客から車内で配った「いろは歌」について、お電話をいただいた。それは①国語の教科書で習った世代は、自分たちが最後かもしれない。次の年から教科書が変わったはずだ。②「雪山童子」は、「せっせん」と読む。③「羅刹」は「らせつ」と読む等々であった。早速のご指摘で、ありがたいことです。また、車内には音楽教師もいらして楽譜についても、拍子記号がおかしいとチェックがあった。しかも大きな声で歌っていただいた。感謝、感激。合掌

  切幡寺にて  夕立や 止んで眼下に 吉野川