2011年3月31日木曜日

秀寛和尚と行く弘法大師霊場巡り


平成23年3月28~29日

和尚と巡る四国一国巡りも、昨秋で二年四回のスケジュールを終え結願、いよいよお礼参りとなった。初めから欠席なく参加の坪井一宇先生や神谷・柑本両氏にとってはまさしく満願お礼参りだ。参加者は11名、初参加は大西啓介・涼子夫妻に坪井先生の万起夫人だ。リレーでお遍路という嶺・伊丹姉妹、若女性先達の木村さんに、前回階段でずっこけた石川女史、そして早稲田の後輩・石黒君だ。費用を削減することを考え、行きはバスに添乗員付きだが、2日目は無し。南海特急で帰る計画だ。
28日の新大阪集合は、10時。早く目覚めた和尚は、9時に到着。添乗の南君、ハロートラベル橋本社長が顔を見せ打ち合わせ。6人が乗る予定だったが、JRのトラブルで大西夫妻は難波に直行。10分遅れのスケジュールで、事なきを得た。難波から阪神高速、西名阪と乗り継ぎ、「ふたかみパーク」休憩。名物のこんにゃくを頂き、製造元直販のタビックスを購入。ここで、お弁当を配る。新大阪「吉野」の押し寿司弁当だ。実は、この店は、坪井夫妻の娘婿の店で、彼は和尚の早稲田の後輩だ。そんな訳でお願いしたのだが、なかなか結構でした。(又、お願いします)葛城山系の麓を走る「山麓線」から「京奈和道」に乗り高野口まで。すぐに、「慈尊院」に着く。この寺は、弘法大師の母君ゆかりの寺で、女人禁制のため此処に留まった母君に会うため高野山から月に九度は、大師が通って来られたところから「九度山」の地名が出来たと云う。本尊弥勒菩薩は秘仏で、次の開張は平成27年。安産を願って、乳房をかたどったものを、絵馬にくくりつける習わしがある。拝殿でビデオと住職の漫談のような法話を楽しむ。次に、天野の里「丹生都比売神社」を訪れる。この大神は、高野山を弘法大師に献上したとも、貸し与えたともいわれ、御子の高野明神(狩場明神)の2頭の犬が大師を高野に導いたという伝説がある。勿論世界遺産の神社である。高野山に登り、「霊宝館」を1時間かけて鑑賞する。その間に、南添乗員は、金剛峯寺と奥の院のご朱印の先取りに走る。宿坊の「無量光院」に16時半に入り、御茶をいただきながら各自ご供養の依頼。18時の夕食まで自由行動とするが、坪井・神谷両氏のお誘いで、同室の柑本氏と共に町へ繰り出す。般若湯をいただき、いい気持ちで夕食にもどることに。精進料理を若い修行僧のお給仕で楽しみ、御婦人方もご満悦。一室に集まり二次会、和尚はあまりの楽しさか前後不覚、お風呂に入ったかどうかも記憶がない状態だった。
29日は5時半起床、6時からの朝勤行に全員参加。和尚は、内陣の席でお勤めさせて頂く。毎朝護摩を焚く稀有なお寺なのだ。7時半から朝食、井本ガイドが駆けつけてくれた。もうおなじみさんだ。清算に行くと、昨夜の般若湯はご接待ですという。いつもすみません。8時過ぎに、中本名玉堂のマイクロが迎えに来てくれ、奥の院に向かう。ゆっくりと参拝し、金剛峯寺へ。正面で読経の後、内拝し法話を聞く。ついで、壇上伽藍へ。大塔は内拝、神社や西塔、御影堂などまわり、中本名玉堂で昼食。ゴマ豆腐中心の精進料理、伽藍を出る時に温燗をお願いしておいた。春とはいえ、標高900mの高野山の日陰には雪が残っている状態で、とても寒かったのだ。温まってゆっくりと食事を楽しみ、15時まで自由行動とした。和尚もコーヒーをいただいて、刈萱堂やビルマ供養塔など拝観してきた。駅まで送ってもらい、特急で難波へ。車中でも焼酎で乾杯。なんという満願の旅だったのでしょう。震災で苦しんでいる方の報道に接すると、生かされている有難さを感じるのは、和尚だけではないと思う。合掌

  高野山にて  満願の 笑みがはじける 遍路かな

         雪残る 大師がいます 奥の院

  慈尊院にて  遍路来て 乳房の絵馬や 慈尊院

(写真は、金剛峯寺法話会場で)

2011年3月27日日曜日

四国1回 1~6番 西大寺発


平成23年3月26日

西大寺を26名のお客様と出発、土曜日とあってか阪神高速が渋滞し、淡路SAまで2時間かかってしまった。上天気なれど風が強い。バスが横揺れするほどだ。11時頃がタイミングか、鳴門大橋の下には渦潮の観潮船が出ていた。霊山寺に着くまで、ひたすらマイクを持って基礎知識の説明に務める。1番霊山寺では、大師堂で法話と受戒。東日本大震災の亡くなられた方の冥福と被災者の復興を祈る。2番極楽寺を打ち終えると既に13時半、遅めのお昼となってしまった。6番安楽寺の境内は花々が春の到来を告げている。阪急大阪で6台、阪急広島のバスもあって各札所はバスが列をなす状態、5番地蔵寺では、奈良と広島と一緒になって読経する。4番大日寺では、本尊大日如来のお姿について話をする。時間を気にしながらのお参りだったが、3番金泉寺に16時頃入れたので、安心して大師堂で空海一代記を語る。大師堂内に掲げられた絵伝が教材だ。打ち止めは、16時50分。立ち寄りの「阿波の里」では、和尚推奨の「青唐辛子味噌」が沢山お買い上げ。淡路HOを出る時の情報では渋滞情報が出されていた。明石海峡大橋も節電中の表示、最小限度の照明しかない。ドライバーさんのコース選択が当たり、20時半に西大寺着。2歳の坊やから85歳のおじいさんまで、皆元気に完走。坊やは、震災の影響で関東から避難してきているとのことだった。合掌

 鳴門大橋にて  渦潮や 春呼ぶ鳴門 観潮船

 霊山寺にて   震災や 冥福祈る 大師堂

 安楽寺にて   骨太の 大師見守る 梅椿

(写真は 安楽寺大師堂前の梅、椿)

2011年3月24日木曜日

西国 1回  青岸渡寺  西大寺発


平成23年3月23日

予定より30分ほど早く西大寺に到着したので、「駅ナカ」のコーヒーショップで、ゆっくりとモーニングコーヒー。少しひんやりするが、朝から快晴だ。本日のお参りは、1番青岸渡寺のみ。といっても、往復約600kmの長丁場だ。お客様は37名、今までにご一緒した方も5~6人。8時に出発、紀ノ川SAで休憩後、梅干の中田食品で、工場見学やお買い物hし、車中でお弁当を頂く。新宮から紀伊勝浦に向かう紀勢道から見ると、那智の山々の緑に山桜のピンクが浮かんで美しい。13時半ば、那智かまぼこセンターで休憩し、那智の滝へ。
133mの日本一の名爆を背景に記念撮影、いよいよ青岸渡寺石段を登る。勤行済ませると、住職からの法話があった。お寺の縁起や観音様の慈悲など、皆熱心に拝聴。和尚も10回近く先達でおまいりしているが、初めての経験だった。バスを停めた熊野交通のバスセンターで頂いた、名物「那智黒」にちなんだ「黒飴ソフト」が美味。15時半頃帰路についた。2時間弱走り、古道歩きの里「ちかつゆ」で休憩。阪和道の広川~海南間が3km、20分ほどの渋滞、聞けば長いトンネルの登り坂での慢性的な、自然渋滞とか。紀ノ川SAで休憩し、西大寺着21時。往復13時間かかったが、日帰りできることが有難い。個人で行こうとすると、1泊は必要となる。お天気にも恵まれ、良い一日でした。ドライバーさん、お疲れ様でした。合掌

 西大寺駅にて  コーヒーの 苦味やうまし 春の朝

 那智山を望む  那智の山 緑に浮かぶ 山桜

 那智の滝にて  神ほとけ 宿るや春の 那智の滝

(写真は、水量ほどよい那智の大滝)

2011年3月20日日曜日

四国1回 1~6番 堺発


平成23年3月20日

奇しくも今日は弘法大師の御逮夜である。堺駅前から7時50分定刻に、1番霊山寺に向けて出発した。お客様は28名、湾岸線も空いていて、1時間足らずで淡路SAに到着した。1回目は、いろいろとお伝えしなければならないことが多いので、和尚としてはしゃべり続けることとなる。ここに着くまでに、お勤めの仕方は、ほぼ説明できた。休憩後は、納経用品やお念珠について説明しながら走ると、あっという間に霊山寺に着いてしまう。納経用品の購入後、記念写真を撮り本堂でご住職の受戒・法話を受ける。2番極楽寺の後は、6番安楽寺に飛ぶ。この間で、お弁当をいただくからだ。どうも、我がバスが大阪組の中では先頭を走っているようだ。工事中だった安楽寺本堂前の拝殿は、ほぼ完成していた。多分、お四国では、数少ない事例になると思う。5番地蔵寺、4番大日寺と逆打ちするが、先頭を走っているせいか、とてもスムースに事が運ぶ。3番金泉寺を打ちあげたら、なんと15時20分。和尚の記憶にない速さだ。大体のところ、お参りはゆっくりペースの和尚なのでびっくりだ。天気予報では、崩れると聞いていたので、いつ降りだすかと思っていたが、お参り中は、お天気でそんな予報は嘘みたいだった。しかし、「阿波の里」で休息後、淡路島に入るとポツポツと降りだした。しかも連休の最中とあって、マイカー族が多くやや渋滞模様。淡路HOを出る時には、渋滞17kmの表示。方向転換し、北神戸線~神戸トンネルを経由して、生田川から湾岸に入るいうルートを選択、これが功を奏して19時前に堺に到着した。今日も1ヶ寺づつ、丁寧に説明しながらのお参りだったが、お客様のお陰でいいお参りができました。合掌

 大日寺にて   大日の 印を真似るや 遍路客

 地蔵寺にて   八百年 遍路を迎える 大銀杏

 金泉寺にて   遍路来て 和顔映すや 黄金の井

(写真は、安楽寺の本堂前の拝殿)

2011年3月17日木曜日

四国3回 12番~16番 堺発


平成23年3月16日

昨日とは打って変わって寒波襲来。風も強い。堺から38名のお客様と8時に出発。湾岸線も空いていて、鳴門西でお弁当を積み込むのも1番乗りとか。焼山寺では、雪が降り出し、段々と吹雪模様に。遍路駅の「すだち館」よりミカンの大量差し入れ。表面は傷んでいるが、中身は美味だ。石川菓子店の一口まんじゅうも取り扱っているとかで、試食にといただいた。これも中々結構なお味で、淡路での休憩の折に、添乗員仲間といただいたが、好評だった。13番大日寺まで下ってくると、雪も止み、順調にお参りを続けた。半身が不自由な青年から、得度の相談を受ける。本気ならば、手立てを考えてあげなければと思う。今日のお客様の中には、「権大先達」の資格をもつ方や、何度もお参りされた方もいて、云わば乗りの良い方々が多かった。和尚もつられて、いろいろとお話させていただいた。寒波襲来の中、わいわいガヤガヤと元気な楽しいお参りができた。16時前に打ち止めし19時過ぎに堺到着。難波で先達仲間と一献酌み交わし帰宅。お客様から、八朔や淡路のお菓子などのご接待に。合掌。

焼山寺にて 粉雪や 弥生の遍路 焼山寺

焼山寺にて 吹雪舞う 寒の戻りや 

(写真は、焼山寺参道の不動明王)

四国3回 12番~16番 五位堂発


平成23年3月15日

地元五位堂駅から2号車で出発。なんとお客様は12名だ。西名阪~近畿道~山陽道のルートで淡路SAに向かう。消防車や救急車、また自衛隊の車輌が列をなして東に走って行く。「災害救援」の横幕が頼もしく写る。我々も車中の勤行で、被災された方のご冥福を祈った。まずは12番焼山寺へ。県道20号を川沿いに走ると、「梅まつり」ののぼりが立ち、梅花の下にはいろいろな服装をした案山子が迎えてくれる。(阿川の里)遍路駅でマイクロに乗り換え山を登ると、春の陽気に触発されたか、杉花粉が猛烈に飛散するのが見える。お客様も、目を押さえ、口を押さえてのお参りとなった。遍路駅に戻ると「すだち館」で八朔や漬物のご接待を受ける。13番大日寺、14番常楽寺、15番国分寺、16番観音寺と歩け歩けの行程だ。中型バスで少人数とあって、極めてスムースに参拝でき、16時半打ち止め、五位堂に20時着。「すだち館」で買った「生しいたけ」を焼いてもらい、焼酎の湯割りで一息。和気あいあいの楽しい日となった。合掌

 車中にて    大震災 冥福祈る バス遍路

 阿川の里にて  梅まつり 案山子迎える 遍路道

 焼山寺にて   杉花粉 涙さんさん 遍路笠

(写真は、大日寺のしあわせ観音)

「よう、おまいり」の点訳完成

平成23年3月17日

和尚が出版した遍路本「よう、おまいり」が、点訳された。「サピエ図書館」で閲覧できる。和尚の高校の先輩、上田利江さん(尼崎・点訳つくしんぼ)が1年がかりで点訳してくれたもの。「サピエ」は視覚障害者及び視覚による表現の認識に障害のある方々に対して、点字、デイジーデーターをはじめ、暮らしに密着した地域・生活情報などさまざまな情報提供を提供するネットワーク。日本点字図書館がシステムを管理し、全国視覚障害提供施設協会が運営を行っている。個人会員になると無料で、点字・デイジーデーターを全国どこからでもダウンロードできる。1ヶ月で10数人がダウンロードしてくれているとのこと。合掌

2011年3月14日月曜日

西国4回 9番~11番 難波発


平成23年3月14日

43名のお客様と出発。朝の勤行は、東北・関東大震災で亡くなられた方のご冥福も祈りつつお唱えしましょうと呼びかけて行なった。今日は順打ち、まずは奈良公園の興福寺南円堂から。高槻組と一緒に勤行、念珠の使い方や、合掌のやり方をお話しする。ゆっくりと宝物舘や東金堂など拝観することをお薦めした。昼食は、若草山の麓の「古都屋」。バスは春日大社の駐車場に預けて、少し歩く。次いで、花の寺としても有名な三室戸寺へ。四季折々の花で包まれるお寺だが、今は全くの端境期だ。
打ち止めのお寺は、醍醐寺。本来は山頂にいるはずの准胝観音は、落雷で塔屋を焼失した後のすみかは、女人堂から金堂と等と転々とされていて、本日は金堂に祀られている。お堂に上がり、塗香の頂き方を各自つまんでいただきながらお教えする。ここでも時間を取って散策していただいた。無事打ち止めの後は、御土産物。宇治の平等院近くの「喜撰茶屋」に立ち寄り、最後のお買いもの。18時梅田、18時半難波と、優雅なおまいりさせて頂いた。それは、上醍醐へのお参りが出来ずにいるためなのだが、聞けば来年には復活の兆しありだ。夕刻からの雨の予報もあったが、「自分がいるから、絶対大丈夫」との晴れ男もいて、良いお参りをさせていただいた。合掌

 興福寺にて  春鹿や 阿修羅もいます 興福寺

 三室戸寺にて 花の寺 蕾は堅し 三室戸寺

 醍醐寺にて  櫻待つ 醍醐の寺や 准胝母

(写真は、醍醐寺の仁王門)

 

2011年3月10日木曜日

四国6回 32番~37番 堺発


平成23年3月8日~9日

お四国の準備をしていた前の夜、ゴロゴロゴロと春の雷が轟いた。お天気を心配したが、上天気で37名のお客様と土佐路へ向かった。この回は、6ヶ寺巡りだが、何しろ37番岩本寺までが遠い。8時前に出発して到着が13時半だ。車中の時間がたっぷりあるので、いろいろとお話をさせていただくことができる。岩本寺は、ご本尊が五体(不動・観音・阿弥陀・薬師・地蔵)あることでも有名、格子天井の575枚の絵も見事だ。マリリン・モンローの絵もあると伝えていたので、まずその絵を探す方が多い。 2匹の猫の絵に、飼い猫の名前を叫ぶご婦人も。そっくりの絵のようだった。お参りの後は、名物「此処や」の手づくりアイスだ。和尚は、生姜ときな粉のセットに挑戦。お客様の1番人気は生姜とバニラのセットのようだった。特筆すべきは、高知道の延伸、3月3日に須崎東~中土佐間約8kmが開通。10分短縮とのこと。岩本寺からは打ち戻りとなるため、往復20分の短縮となるので、初日3ヶ寺参拝の予定が楽になる。これまで、時間切れで2ヶ寺しか廻れないこともあったのだ。夕刻の20分は貴重だ。36番清滝寺へは、タクシーに分乗して登る。大師堂前の豊後梅が満開で迎えてくれる。特にピンクの方が素晴らしい。例によって、本堂前の薬師如来立象の台座の中を巡る戒壇巡りに案内する。しり込みする方もいたが、ほとんどは漆黒の闇を体験された。本日の打ち止めは34番種間寺、本堂の耐震工事も2月末に終えたとかで、行くと駐車場は一杯の乗用車。檀家衆の先祖供養の日であった。バスの到着と法要の終了とが一緒になり混雑したが、その為のご開帳で、ご本尊薬師如来を拝ませていただいた。檀家さんから「良い日に来たね」を声をかけられる。お客様に、「こんな機会は、めったにありませんから、よく拝ませてもらって」と促した。17時に打ち止めし、お宿は「三陽荘」。名物「鰹の塩タタキ」を追加注文。夕食後、足湯に浸かって資料を読んでいると、お客様が一人行方不明という。館内放送も反応なく、浜辺や周辺を捜すとともに、館内の空き部屋などもチェック。添乗員が、お客様の部屋の下の階の部屋で
寝ているのを発見した。空き部屋には鍵がかかっていないので、階を間違えたのに気付かなかった模様だ。安心して、ゆっくりと温泉を楽しんだ。
2日目の朝、三陽荘のマイクロで36番青龍寺へ送ってもらう。横綱朝青龍は、近くの明徳義塾高相撲部の頃は、この寺の階段がトレーニングの場、地元出身の大関朝汐の高砂部屋に入門したところから、しこ名を「朝青龍明徳」としたという。三陽荘に戻って、御茶とお菓子の御接待。一服の後、33番雪蹊寺へ。7回の裸足の遍路で眼が見えるようになった「山本玄峰」師(元臨済宗妙心寺派管長)の出家の寺であり、長宗我部元親ゆかりの寺でもある。桂浜で、記念写真を撮り散策。打ち止めは32番禅師峰寺、境内からの景色も素晴らしい。12時に打ち止め。日本サンゴセンターで昼食をとり、帰路についた。18時過ぎに堺。いろいろなことがありましたが、無事でなにより。合掌

 前夜自宅にて  春雷の 轟く夜や 遍路前
 
 清滝寺にて   ブンゴウメ 紅白競う 大師堂
 
 種間寺にて   お薬師や ご開帳なる 春供養
 
 桂浜にて    春風や さざ波静か 桂浜

(写真は清滝寺の大師堂)