2014年11月19日水曜日

西国3回 5~8+法起院  生駒発

平成26年11月17日

壺阪寺の紅葉
壺阪寺の三重塔(室町時代)
生駒から27名のお客様との第3回目のお参り。いつもなら、長谷寺からお参りするのだが、今回は葛井寺から廻るという。天皇皇后両陛下が奈良に公務で来られており、今日は大神神社をお参りし古事記展をご覧になって京都からお帰りになる日程。交通規制が行われるので、混雑を避けてのルート変更のようだ。生駒から5番葛井寺までは30分ほど、納経帖などのお預かりなどバタバタの作業。いつもの、朝のお勤めも時間が無いほどだ。葛井寺では、本堂に上がり込んでのお勤め、本尊のお姿について説明する。門前の葛井餅が人気の的。試食の大事さが良く判る。6番壺阪寺へ。天竺渡来の石仏群が素晴らしい。拝殿でお参りし、本堂の本尊お膝元でご尊願を拝する。眼の観音様と云うだけあって、眼が見開いているのが特徴だ。和尚は、南方系の御顔と言っている。境内の石仏を順に案内すると結果的に1時間以上かかったが、和尚は良しとしている。お弁当は、適当に食べて頂くことにして、岡寺の前に「柿の葉ずしのたなか」に立ち寄る。通称岡寺こと7番龍蓋寺の御本尊は厄除けの如意輪観音、しかし、良く見かける6臂で立膝、お顔に手が伸びるお姿と違い、2臂のお姿で、3国伝来の土を混ぜ合わせたという塑像の大仏様。これ以上大きいと土の重みで、崩れるという最大級の仏だ。納経所に声を掛け、お膝元でお勤めさせていただく。初瀬街道を走り、参道入り口の駐車場から、法起院、長谷寺を目指すが、これは歩け歩けの難行だ。番外法起院は西国開祖の徳道上人の御廟所である。上人は、8番長谷寺を開基された方でもある。松に上り、法起菩薩になって昇天した伝説から法起院と云う。石塔の廻りのお砂踏みを行い、8番長谷寺へ。山門から339段の「登廊」を上がる。右手に錫杖、左手に水甁をもつ10m余の十一面観音は、長谷式観音として全国に流布しているところだ。お参りは、本堂前の舞台で。紅葉を眼下に絶景だ。大師堂、本長谷寺、五重塔など案内してして、長い参道を戻る。皆が戻り、帰路できたのが16時頃。帰路もいつもとは逆に、JR奈良~西大寺~生駒。生駒着18時、足が痛いとお声がでる程の1日でした。本当にお疲れさまでした。合掌

 壺阪寺にて  紅葉に 石仏染まる 壺阪寺



2014年11月13日木曜日

秀寛和尚と巡る四国一国巡り―阿波の国

平成26年11月10日~12日

和尚の四国一国巡りシリーズも13回目、今回は阿波の国編だ。出発の前日に、和尚の小学校の同期会が大分市で開催された。和尚の居所を探してくれた友人の尽力で、御案内を頂いたのだ。夕刻からの会なので、何とか出席できないかと調べてみると、当日の夜に小倉で泊まり、一番の「のぞみ」に乗れば、新大阪の集合時間に間にあう。55年振りの再会の夜を堪能させていただいた。
今回のシリーズは、参加予定の方のキャンセルが相次ぎ、催行不能の声も上がったほど。旅行会社の粘り強い交渉で、何とかGOサインがでたのだ。そんな訳で、和尚が添乗員を兼ねることになった。仲間は6人、納経は各自でお願いすることに。
阪神高速の渋滞をすり抜け、11時半頃1番霊山寺に到着。いつもと違って静かな境内を、説明しながら廻る。和尚も新しい発見がある。2番極楽寺の駐車場でお弁当を頂く。本堂に掛けられた地獄、極楽図の2福の掛け軸も1200年イベントの一環、納経所では、奥様の歓待を受けた。3番金泉寺、4番大日寺と参り、5番地蔵寺では、奥の院である五百羅漢堂も拝観。阪急のお参りでは、その余裕はないのだが、マイツアーなので、自由が効く。7番十楽寺では、仲間の先達と遭遇、本堂と大師堂に別れてお参り、治眼疾目救歳地蔵や愛染明王など拝観する。時間的余裕があるので、欲張って8番熊谷寺に足を延ばす。有難いことにご本尊千手観音がご開帳中、金色に輝くお姿にため息が漏れる。お宿の5番安楽寺に17時頃到着、18時より食事、19時より法要の段取りだ。控えの間で、法要の説明を聞く。本堂で読経の後、まずは、納め札を納め、燈明流し。供養の札を結んだ楠の小枝を流れの中州に突きたてる。護摩木を供養し、阿弥陀如来立像の廻りをお念仏を唱えながら3周する。荘厳な空間が室内にセットされているのだ。
藤井寺から焼山寺への遍路道の入り口
11日 9番法輪寺からお参り。本尊涅槃釈迦像がご開張、和尚も初めて拝見する。門前の「あわじ屋」が店を開けたので、御挨拶。新商品という「里娘を皮に練り込んだ餡子入りのお餅」を薦められる。これは旨い。いつもの草餅よりこれをこれから推奨することにする。10時半過ぎ、10番切幡寺へ。金山商会から、マイクロで登る。切幡の大塔にも皆で登って、雄大な景色も楽しんでもらう。塔は、豊臣秀頼が秀吉の菩提を弔うために大阪・住吉大社の神宮寺に建立した東西両塔の西塔だ。明治の廃仏毀釈で破壊される運命であったのを、時の住職が買い取り2代10年かけて移築したもの。それがなんと桃山時代の貴重な建築物として重文指定となったのだ。11番藤井寺、本堂の30畳敷きの龍の天井画を拝し、大師堂、白龍弁天と巡り納経所へ。「しばらくお待ちください」の表示があるだけで誰もいない。少しイライラしながら待っていると、我々が早すぎるような口ぶりで姿を現した。12番焼山寺に向かう前に、13番大日寺を訪れた。住職は、韓国出身の伝統舞踊の名手、御主人の亡くなられた後は韓国に帰ろうとしたのだが、息子さんの父の後を継ぐという言葉に、一人前になるまではと修行し、尼僧となった方だ。納経所に姿を現したので、「脇侍は大日如来のはずでは?」と質問する。美しいお顔をくもらせて、今はいないという。いつの頃か流出した模様だ。お目にかかった記念に著書を購入した。焼山寺の麓に到着するとタイミングよくお昼時、まずは腹ごしらえと「田中食堂」へ。ここのメニューは「うどんとチラシずし」のみ、そのうどんは食べ放題。前回は5杯頂いたという先輩が、4杯しか食べられなかったと悔しがること。和尚は、2杯とおにぎり。「チラシずし」はお土産になる。マイクロに乗り換え、登り下りすると、14時頃。目標はあと4ヶ寺だ。14番常楽寺から15番国分寺は、バスは入れないので、歩け歩けだ。途中の「八祖大師堂」が格好の休憩ポイントだ。16番観音寺もいつもは、バイパスに路上駐車し、歩きなのだが中型なので、何とかなるとドライバーさんが門前の駐車場まで入ってくれた。お陰で、17番井戸寺までの目途がついた。16時半頃、到着しまずは納経所へ。お参りの前にご朱印をお願いする。たまたま、井戸寺の遍路バスが結願で帰着予定とかで、本堂も開けて待機中。本尊七仏薬師も日限り大師(面影の井戸)もゆっくり拝観させていただくことができた。お宿は、ホテルサンシャイン徳島アネックス。
太龍寺本堂への石段
12日 7時半出発。ホテルで東京の顔見知りの先達とバッタリ。四国全周14日間のお参りにお客さんとして参加中とか。費用を聞くと44万円、これにはびっくり。一気に23番薬王寺を目指す。今日は遠いところから逆打ちで廻る。車中での朝のお勤めの後は、皆ぐっすりと御休みだ。女厄坂、男厄坂を登り、本堂に上がらせて貰ってお参り。天井の格子画も見事だ。大師堂から還暦坂を登り瑜祇塔へ。五智如来を拝み、景色を愛でて、戒壇廻りに案内。中程に薬師三尊が祀られている。さらに奥の部屋には「十王図」の掛け軸が並び、ミニ宝物館といったところ。22番平等寺に戻る。なんと大師堂の三方の蔀が開放されての御開帳だ。21番太龍寺は、弘法大師の修行の地としても名高く「西の高野」と云われる。その名の通り、大師堂付近は、高野山の奥の院と同じ配置になっている。11時のロープウエイに間に合い、12時発で下山する。お山は手入れが行き届き、趣深い。ロープウエイ乗り場に併設されているレストラン菩提樹で昼食。天麩羅定食うどん付きというところか。20番鶴林寺へ向かう川沿いの道路が決壊し不通となっていた。その対岸の道路が通れることを思い出し、ドライバーさんにアドバイス。30分程で到着できた。白衣の背に鶴の朱印を押して頂くのが通例、延光寺の亀とセットにするのだ。19番立江寺は「立江のお地蔵さん」で名高いのだが、外からはガラスが光ってお姿が見えにくいのだ。そんな話をかって副住職にしたら、「どうぞ本堂に上がってお参りしてください」との言葉。それ以来和尚は、納経所に声を掛けて、上がらせていただいているのだ。今回もゆっくり拝観させていただいた。打ち止めは、18番恩山寺、ご母堂玉依御前ゆかりの寺である。「摺り袈裟」のお守りを買う方も。16時過ぎ帰路についた。阪神高速が一部通行止めになっていたので、迂回して梅田19時半到着。お疲れさまでした。無事結願のお二人、おめでとうございます。合掌

  熊谷寺にて  紅葉や 金色観音 ご開張

  


2014年11月9日日曜日

四国11回 66~77番 生駒発

平成26年11月4~5日
雲辺寺の紅葉

大興寺門前の地蔵
生駒発8時20分の予定で目覚ましをセットして就寝したのだが、目覚めると外が明るい。目覚まし時計の電池が切れて、鳴らなかったのだ。マイカーで走り、事なきを得たがハラハラさせられた。お客様は33名、ほとんどが顔馴染みの方だ。阪神高速の渋滞を避けて、近畿道経由をドライバーさんが選択したのだが、ご本人もびっくりするようなスムースさ。秋晴れでしかも風もなく、瀬戸内海は鏡のようだ。淡路、津田の松原で休憩し66番雲辺寺へ。12時40分発のロープウエイに間にあった。下界に比べ、山頂は平均7度低いと云う。西の高野とも云われ、大師堂は高野山の奥の院と同じような配置になっている。拝殿から上がり、御廟の前で座してお勤め。また本堂左の「おたのみなす」に全員が列を作ったのには驚いた。「茄子」と「成す」の掛け言葉で、茄子の形の石の腰かけに座って「おたのみなす」と願を掛けるのだ。13時40分発で下山、67番大興寺へ。天台、真言両宗の道場であったところから、大師堂はふたつ。本堂に向かって右に天台大師堂、左に弘法大師堂だ。本堂前の三鈷の松に人気。68番神恵院と69番観音寺は同じ境内に札所が同居する。左のゾーンが神恵院で右が観音寺、かっては神恵院の本堂が左の上にあり戸惑ったが、神恵院の本堂を左の上に新築し、すっきりしたのだ。かっての本堂は、薬師堂となっている。70番本山寺の本堂は国宝、本尊の馬頭観音も札所唯一。五重塔がシャープな感じがする。良く見ると上層に向かうにつれ屋根の大きさが小さくなっている。天を刺す感じになる訳だ。16時40分打ち止め。お宿のアパホテル高松空港に入る前に、琴平の「にしきや」に寄りお買いもの。讃岐名物「しょうゆ豆」の製造元でもあり、ここの豆は、軟らかいのが特徴だ。

   晩秋の 津田の松原 波静か

   涼秋の 天突く塔や 本山寺

本山寺境内
5日 7時30分出発、71番弥谷寺へ。350年振りに秘仏弘法大師像のご開張と金剛鈴の初公開中。
麓から大師堂までのマイクロバスを寺が運行し始めている。(往復で750円)希望を聞くと、14名が利用、しかしそこから本堂までの170段は登らなければならない。息を整え、お勤めし、摩崖仏(阿弥陀三尊)に案内する。大師堂は少し混雑していたが、合間を縫って座してお勤め。特別公開中のお宝をじっくりと拝観させていただく。下りのお楽しみは、俳句茶屋の草餅。なんと、手のひらにひまわりの種を置くと、小鳥が飛んできてついばんでいく。いつの間に馴らしたのかびっくりだ。73番出釈迦寺で、捨身嶽奥の院を遥拝し、徒歩で72番曼荼羅寺へ。門前の廃業した遍路宿の跡地が整地され駐車場となっている。少し便利になった。大師堂も新しく、笠松大師、西行の昼寝石など説明ポイントも多い。74番甲山寺、「黒衣の大師」がご開張だ。毘沙門天堂もお参りし、75番善通寺へ。まずは金堂のある東院から。金堂前で読経し、本尊薬師如来を内拝する。お大師が子供の頃にはすでに大木であったと伝えられる霊木や佐伯氏祖廟など案内しながら西院へ。名物「かたパン」に行列、1枚20円。和尚も10枚求める。御影堂に上がり、心静かにお勤め。昼食は宿坊「いろは会館」でチラシずしと讃岐うどん。霊宝館のお砂踏み道場の見学をお薦めする。松本明慶作の88体の札所の御本尊が並んでいる。お賽銭にと5円玉100枚を両替してくれる。御影堂前の庭では、菊花展開催中。76番金倉寺は、智証大師円珍の御誕生所。大師堂の正面は智証大師、右に弘法大師、左に神変大菩薩の配置だ。宗派は天台寺門宗。打ち止めの77番道隆寺は、眼のお薬師として有名。納め札の裏に歳の数だけ「め」と書いておくように伝えておいた。打ち止めは15時。「サンエイ」でお茶の御接待を受けて帰路に。ゆったりとした2日間、良い御参りでした。合掌

  小鳥来る 俳句の茶屋や 弥谷寺

  秋深し 遍路拝むや 摩崖佛

  お大師の 生れし庭や 菊花展