2010年5月28日金曜日

太刀魚の骨   土佐路遍路


平成22年5月25~26日

今月11~12日に巡った四国第5回の土佐路コースを西宮北口から乗車することになった。阪神電車が難波で繋がったことにより、和尚も最寄り駅よりほぼ一直線で行くことができるようになった。勿論、ホームでの乗り継ぎがあるものの随分とらくになったというのが実感だ。集合の一時間前に到着し、いつもの店でモーニングコーヒーと思っていたら、なんと閉店の張り紙。
お客様は43名。晴天に恵まれ、前回と同様の手順でお参りした。今回の御宿は「三陽荘」、お遍路さんへの心配りの素晴らしい、評判の御宿だ。しかも2月22日に温泉がデビュー、1700mの地下から42度の温泉が湧出した。露天風呂に吹き渡る風が心地よい。2日目の朝食は、6時半に食事作法、納豆、太刀魚の塩焼き、あさりの味噌汁に小鉢類と豪華版。太刀魚は美味しいのだが、骨太なので注意を要する。驚いたことに全く骨が無い。聞けば、まず三枚におろし骨を取り除いた後で、形を整えて焼くのだという。なんという心遣いだろう。「この御宿は最高!」というお客様の声は本物だ。黒耳(うまみ)産の枇杷がほとんど売り切れていたのは残念だったが、青い空と紫紺の海、さわやかな風に恵まれた2日間だった。
(写真は、津照寺の写経大師像)

2010年5月24日月曜日

四国2回 7番~11番 西大寺 発



平成22年5月23日

西大寺から18名のお客様とまずは、1番霊山寺に向かう。トイレ休憩と納経用品の追加購入が目的だ。1回目のお試しで、その気になった方もいて、お軸や納経帖を求める人も。少し早いが、11番藤井寺への車中でお弁当を食べて頂く。今日は朝から雨で、和尚も覚悟して傘とビニールカッパを用意し、網代笠・錫杖は持参しなかった。藤井寺の山門が改修され、すっきりした。ともかく雨に濡れないように場所を確保しながらのお勤めだ。10番切幡寺の石段が、雨で危ないなと思ったが5名が歩きを選択し和尚と登る。何といっても大塔よりの景色が素晴らしいのだが、雨中のもやで見えるかと心配した。なんとか吉野川の堤防も水面も遠望できてお客様には喜んでいただいた。金山商会でお茶の御接待を受けしばし休憩、「ようおまいり」をお買いいただいたお客様にサインをする。9番法輪寺山門前の「あわじ庵」の草餅がいつもながら大人気。8番熊谷寺本堂でお勤めを始めると後続の団体も、和尚の声に会わせ唱和、思わぬ大合唱となった。四国最古級の多宝塔や本堂の鬼がわら、中門の多聞天が単独で祀られると毘沙門天と呼び名が変わるなどと説明。打ち止めの7番十楽寺では、本堂から「眼のお地蔵さん」、大師堂とすすみ、ご宝号を7遍唱えて打ち上げ。せっかくだからと「愛染堂」に。段々と雨、風が強まり荒れ模様。そのためか明石海峡大橋は、50kmの速度制限。日曜日とあってか阪神高速神戸線は渋滞していたが、湾岸線に抜けて7時半過ぎには西大寺到着。帝産観光バスの森岡ドライバーに感謝、添乗の東本さんは一人で奮闘、お疲れさまでした。合掌
(写真は、草餅のあわじ庵・改修なった藤井寺山門)

2010年5月21日金曜日

四国11回 讃岐路


平成22年5月17~18日

この回は、和尚の故郷コースで、善通寺を含め讃岐の西半分13ケ寺を廻る。難波を8時30分に出発する予定が、南海高野線の人身事故で、御客さんが遅れ9時のスタートとなった。御客様は44名、添乗員は角野、林のWあきこ。帝産観光バスの西山ドライバーが、スタートの遅れを挽回すべく頑張ってくれたが、結局予定を1ケ寺翌日廻しとなってしまった。
まずは、広い75番善通寺、弘法大師御誕生寺を参拝の後、「いろは会館」で昼食。そこから讃岐の打ち始めの寺66番雲辺寺に向かう。讃岐の1番だが、ロープウエイを降りると、目の前に県境の印があり、本堂・大師堂は徳島県となる。工事中だった本堂が竣工されていた。大師御手植えのカヤの木や楠木の大木を右手に石段を登る。かっては天台・真言両宗の修行道場であったところから本堂の左手に弘法大師堂、右手に天台大師堂がある。時計を見ながら、68番神恵院・69番観音寺に向かう。同じ境内に両札所が同居しているという珍しい形態だ。4時半過ぎに到着したので、火の気は使わない「運心」でお願いし初日の打ち止めとなった。そこで、明朝訪ねる予定の琴平「にしきや」を急遽訪問することに。讃岐名物「醤油まめ」の製造元でもあり、独特の軟らかめの豆が特徴だ。宿舎は、アパホテル高松空港。
2日目は、7時半に出発。何しろ残りは8ケ寺なのだ。70番本山寺を打ち、71番弥谷寺へ。タクシーのオプションもあるが、9名のお客様が、和尚と歩いて登った。歩きのごほうびは「俳句茶屋」での休憩だ。和尚も草餅をいただく。弘法大師の幼年期の伝説が残る73番出釈迦寺の門前まで、バスで送ってもらい、72番曼荼羅寺までは、歩き遍路だ。届けられたお弁当を慌ただしくかき込む。74番甲山寺の駐車場で、皆さんの食事の終わるのを待って御参り。76番金倉寺は、智証大師円珍の誕生所だ。弘法大師の甥とも姪の子とも言われ、弘法大師の親戚で天台寺門宗の開祖である。
77番道隆寺は「眼なおし薬師」で有名。日本初の眼科医の墓所もある。門前の「サンエイ」で御茶の御接待を受ける。和尚も本を置いてもらったり、なにかとお世話になっているお店だ。打ち止めは78番郷照寺、踊念仏の一遍上人ゆかりの寺だ。時計は3時20分、なんとか予定の時間に打ち上げることができた。これもお客様のご協力のお陰、感謝、感謝。合掌
(写真は本山寺の五重塔)

2010年5月13日木曜日

四国第5回  24番~31番 土佐路


平成22年5月11日

阪急トラピックスの四国第5回のバスに守口から添乗した。お客様は43名の大盛況。高速道路をひたすら走り、高知インターを下りてまずは昼食。「かつお船」でタタキ定食をいただく。土佐路の楽しみはなんといってもこのタタキに尽きる。土佐路でタタキをいただく様になってからというもの、あまりの味の違いに、大阪でいただきことはなくなった。土佐・修行の道場の入り口は24番最御崎寺なのだが、逆打ち的に廻ることとなる。まずは、よさこい節の一節「坊さん、かんざし買うを見た」で名高い「純信・おうま」の恋物語、その「純信」がいた妙高寺は、名勝31番竹林寺の塔頭だったという。その跡は、牧野富太郎博士の記念植物園となっている。竹林寺の山門から五重塔にいたる参道の景色はいつ来ても素晴らしい。四季折々に色彩は変わるが、今はまさに新緑だ。本堂、大師堂、五重塔、一言地蔵と廻る。土佐日記の紀貫之が勤務した国府の近くに29番国分寺がある。「土佐の苔寺」と言われるほど杉苔が美しい。にわか雨が降り出し、お堂のひさしの下に入ってのお参り。初日の打ち止めは、28番大日寺。4時半を少し廻ったので、火の用心からろうそく、線香は「運心」でお願いした。「運心」とはまさしく「心を運ぶ」、やったつもりの心でということだ。後からこられたグループにも、同様にお願いをした。そして、爪彫り薬師の霊木を祀る奥の院へご案内して打ち止め。オプションで坂本龍馬の生涯を蝋人形で表現した記念館を見学し、宿の「菊水」へ。夕食も楽しみは勿論タタキだ。
二日目は、少し早立ちして、30番善楽寺へ。かっての土佐一の宮の別当寺だ。阪神タイガースのキャンプ地「安芸」を越え、名水で有名な27番神峯寺へ向かう。タクシーに乗り換え、山道を登る。ここも神峯神社と一体となった寺だった。脊髄カリエスが治るという功徳をいただいた水谷しづさんの報恩の碑を過ぎると山門があり、「神峯の水」が湧いている。和尚もペットボトルにいただいた。加持水に使わせてもらっているのだ。口に含むとやわらかい感じがするとはお客様の声。弘法大師、青年時代の修行の地である26番金剛頂寺は、本堂の外陣でお勤め、内陣の仏様などの説明をするのに好都合だ。そしてお楽しみは。駐車場に隣接する「はらみたや」のアイスクリンだ。水晶入り五鈷杵のペンダントも飛ぶように売れた。この地は枇杷の名産地でもある。25番津照寺の山門前の薬屋に時期ともなれば、美味しい位黒耳産の枇杷が売られているのですがね、などと話していたら、なんと店が出ている。御参り前に、予約の一声を掛けておいた。本堂まで、まっすぐの石段を登る。これが結構きついのだ。24番最御崎寺は室戸岬の頂上にある。亜熱帯植物に囲まれた寺を後にし、大師悟りの場、御蔵洞に立ち寄る。洞内で腰をかがめ外を見ると、空と海しか見えない。其処から空海の名の由来と言われている。ここで虚空蔵菩薩の御真言を唱え続けて修行している時に明けの明星が、口に飛び込んだと、「三教指帰」に書かれているポイントだ。以上で2日間の御参りは終わり、ひたすら出発地に向けて走るだけだ。車中で、商都交通の上田ドライバーの秘蔵の映画「空海」のDVDを鑑賞させていただいた。和尚も持っているのだが、ゆっくりと見る時間がなかった。ようやくじっくりと観賞できる機会に恵まれた。感謝、感謝。合掌
(写真は、津照寺の本堂への石段)

2010年5月10日月曜日

四国2回 7番~11番 藤に魅せられて


平成22年5月8日

南海堺駅前から乗車して、阿波路に向かう。お客様は何と13名、いつもと違ってゆったりとした御参りができる。この日は阪急トラピックスのバスは4台、梅田・難波発が2台、西宮発1台ということで、我々が、先頭を走ることになる。1回目で買いそびれた納経用品を、霊山寺で買い求める人が結構いて、驚かされた。和尚のコース取りは、逆打ち。なぜなら、お昼のお弁当をいただくタイミングを考えると、11番藤井寺から10番切幡寺へ向かう車中が、最も時間が取れるからだ。弘法大師御手植えといわれる藤の花が残っているかと心配したが、山門をくぐるとしっかりと迎えてくださった。切幡寺へは、タクシーのオプションがあるが、希望者は4名、残りは歩き遍路に挑戦だ。山門までだらだらと登り、そこから333段の石段を登る。御参りの後、切幡の大塔まで案内して石段を登ると、眼下に吉野川の清流を望む高台に出る。大塔は、住吉神宮寺が廃寺になる際に、西塔を10年かけて移築したもの。豊臣秀頼が秀吉の菩提を弔うため東西2塔を寄進したもので、移築された西塔は、重文指定だ。
ここまで案内する先達は、少ないようだが、登られたお客様は、必ず感動されるようだ。だから、和尚は必ず案内するのだ。9番法輪寺門前の草餅は、我がバスで売り切れになってしまった。熊谷寺、十楽寺とまわり淡路HOで買い物して、堺到着が18時15分。さわやかな空気の中で、本当にスムースな一日だった。今日は珍しく、讃岐の櫻谷先達と遭遇、おいなりさんや飴などご接待にあずかり、飴はお客さんと分け合った。合掌(写真は、藤井寺の藤棚)

2010年5月1日土曜日

彩色の西国路




平成22年4月

22~24日、28~29日と立て続けに名古屋からの西国第2回にお供した。このコースは、西名阪の針テラスで合流して、長谷寺、番外の法起院をまわり、岡寺、壺阪寺、葛井寺の5ケ寺が初日。橿原ロイヤルホテルに送って、自宅へ帰り翌朝またホテルで合流し、施福寺、紀三井寺、粉河寺とまわって、途中で下してもらうという段取りだ。
牡丹の長谷寺、石楠花の岡寺、藤の葛井寺と花で有名な寺が含まれている。幸運なことに、いずれもきれいな花の見頃におまいりすることができた。天候にも恵まれ、お客様は大喜び、和尚も桜に続く花見で今年は本当についている。初日は、花がお迎えだが、2日目は最大の難所が待っている。最近の難所は、少なくとも途中までは、タクシーで行けるが、ここ施福寺だけは、逃げ道がない。最低30分は、山道を登っていかなければならない。和尚は20分ほどで登り、上から最後の石段であえぐお客さんを励ますことにしている。また、紀三井寺の石段もまっすぐ、急で見るだけで嫌になるという。
名古屋からのお客様には、覚王山日泰寺の由来をお話し、名古屋人として誇るべきお寺であることを力説するのを常としている。
改めて、お参りしますとのお客様の声がうれしかった。合掌
(写真は、上から葛井寺の藤棚・長谷寺の牡丹・岡寺の石楠花)