2010年6月29日火曜日

東京からの西国2回 


平成22年6月27~28日

珍しく、東京からの西国巡拝を迎えることになった。新幹線で三河安城まで来て、そこからバスで東名阪・西名阪を走り、和尚とは針テラスで合流となった。昼前に、針テラスということなので、のんびりと出発し、榛原駅まで来ると、何と針インター行きの路線バスがいるではないか。いつもは、時間が会わずタクシー利用なのだがバスに揺られることになった。田舎道を35分ほど走ると終点が針インター(750円)、小型のバスは、ハイキング客で満員状態だが、終点まで乗っていたのは、和尚だけだった。東濃鉄道バスにお客は42名、早速朝のお勤めの後、明日香村の「あすか」で遅い昼食。せっかくだからと「石舞台」の見学時間も取って14時過ぎに7番岡寺(龍蓋寺)から打ち始める。21日に満開だったサツキの古木(樹齢500年)は、半分ほど散ってしまっていた。本堂の如意輪観音様のお膝元でお参りし、内陣の拝観、「薬師三尊と十二神将」のお軸を前に、太陽は男か女かと質問する。圧倒的に男の意見が多かったが、正解は女だ。「太陽の光をいただいて月は輝く、うちの旦那はだめだという奥さんは、自分が旦那を輝やかしていないのですぞ。」と兄弟子・土口哲光師の受け売りの説法をする。「もう、手遅れと」つぶやくご婦人もいて、どっと笑いが起こる。番外・法起院から8番長谷寺と廻る。長谷寺のアジサイは、さらに美しく輝いていた。御影堂の扉は閉まっていたが御参りし、五重塔で五智如来の話をする。皆の宿舎は、橿原ロイヤルホテルだが、和尚とアシスタントは自宅に戻り、明朝7時半に集合だ。御客様には、早起きして橿原神宮のお参りをお薦めしておいた。
28日は、8時に出発して6番壺阪寺(南法華寺)に、「壺阪霊験記」のお里・沢市で名高い眼の観音様をお側で拝し、広い境内を案内しながら廻る。皆さん、写真撮影に夢中だ。そして、最大の難所・4番施福寺を登る。時節柄、無理をしないようにと忠告していたせいか、数人は途中であきらめてふもとの茶店で待っていたようだ。それでも、「昭和一桁世代の意地よ。」と登りきったおばあさまには、感服。大汗をかいた後は、9番興福寺・南円堂に向かう。国宝の宝庫とあって、お参りの後は、1時間ほどのフリータイム、阿修羅像や東金堂、猿沢の池など思い思いの時間を過ごされたようだった。15時半、興福寺でお見送りして帰路についた。梅雨の最中にもかかわらず、2日間ともに天気に恵まれ、本当に日頃の行いの素晴らしい方々だった。合掌
(写真は、興福寺の五重塔)

2010年6月26日土曜日

西国3回 5番~8番・法起院



平成22年6月21日

寝屋川から阪急トラピックスの巡礼バスに乗車し、法起院・長谷寺から岡寺、壺阪寺をまわり打ち止めは葛井寺とコースを決めた。お客様は、37名。交通事故の渋滞で枚方からの到着に時間がかかりそうと連絡があったが、思ったほどの遅れもなく、順調に走れた。番外・法起院で、御念珠の使い方などを話し、ついで8番長谷寺の339段の階段を登る。牡丹のシーズンは終えたが、今はアジサイが迎えてくれる。丁度、法要の時間で、我々は、本堂前の舞台に陣取り読経。大師堂、五重塔と山内を廻る。7番岡寺(龍蓋寺)では、内陣に座り、塑像としては日本最大の如意輪観音を拝する。像高4.6mの重要文化財だ。境内のサツキの古木が満開で眼を奪われる。6番壺阪寺(南法華寺)は「お里・沢一」の壺阪霊験記で名高いお寺、天竺渡来の巨大石像も見ごたえある。広い境内をくまなく案内すると結構時間がかかるが、「自由に拝観してください」という気にはなれないので、説明をしながらゆっくりまわる。打ち止めは5番葛井寺、地名としては藤井寺だがもともとは百済から渡来の葛井氏の氏寺というので、「葛」井寺と称する。ここでも本堂に上がり、外陣でお勤め。御客様の乗り降りもスムースで、早めに帰着、良いお参りだった。合掌
(岡寺のサツキの古木と長谷寺のアジサイ)

讃岐 一国巡り



平成22年6月14~16日

先達仲間の武田・源・永田さん3人と共に愛車を駆って讃岐を巡った。どういう訳か納経帖のご朱印のバランスが、故郷・讃岐は良くないのだ。朝8時、大阪・難波に集合して66番雲辺寺を目指す。いつもはロープウエイを利用するのだが、カーナビに従って山道を登る。四国霊場では最高峰(標高927m)にある寺で、急こう配の続く難所とあって、武田さんは、車酔いに。標識に従って北へ下ると67番大興寺だ。弘法大師御手植えの榧と楠の大樹が迎えてくれる。68番神恵院に向かう道筋に、美味しいうどんやがあると、御主人の実家がこのあたりという永田さんが誘導してくれた。
68番と69番観音寺は、同じ境内に2つの札所がある。納経所は共通で、便利だ。いずれも琴弾八幡宮の神宮寺の流れをくむが、明治の神仏分離令の余波で、今日の姿に変貌した訳だ。70番本山寺の国宝の本堂で馬頭観音を拝む。本尊が馬頭観音というのは、此処だけだ。75番ご誕生所・善通寺のおまいりを済ませ、時計を見ると、まだ時間がある。74番甲山寺に車を走らせた。弘法大師の幼少の頃の遊び場と云われ、満濃池修復の報奨金で建立とも伝わる寺だ。本尊は薬師如来だが毘沙門天も有名、なにしろその甲冑の形に似ているというので甲山というのだ。宿は、善通寺グランドホテル、善通寺の御影堂に勤務する高野山の道場仲間・栗峯澄明夫妻を招いて、夕食を共にした。新婚の奥さんはキューとで、はきはきしていて、お寺の奥さんに最高とは、おばさん先達3人の一致した声だった。和尚は、会食後、タクシーを呼んでカラオケスナック「道」へ向かう。幼馴染の踊りの師匠・藤間幹弥・幹花親子としばし旧交を暖めた。
15日、雨模様の中、朝1番に71番弥谷寺へ。岩肌に刻まれた「阿弥陀三尊像」や大師堂奥の「獅子の岩窟」など見どころが多い。73番出釈迦寺から74番曼荼羅寺と廻る。出釈迦寺は、このところ境内や参道の整備がすすみ、見間違えるほどだ。少し休憩をと、善通寺南大門前の喫茶「コトブキ」に。和尚の高校の同級生大藪君の店だ。なんと、同じく同級生の三原君もいるではないか。76番金倉寺から76番道隆寺へ。道隆寺門前の「サンエイ」さんで休憩、和尚の本も置いてくださっているが、先達仲間で評判のお店だ。お昼のうどん屋も御紹介いただいた。78番郷照寺、79番天皇寺、80番国分寺と廻って、次をどこにするかと考えた。結局、五色台の2ヶ寺・81番白峰寺、82番根香寺を廻る事が出来た。宿は、リーガホテルゼスト高松、地元の先達・櫻谷さんが手配してくれたもの。夕食は、和尚御贔屓の大工町・天麩羅「天銀」だ。櫻谷先達も加わって楽しい宴だった。
16日、83番一宮寺からスタート。地獄の釜の音が聞こえると云うお薬師さんの石の祠に首を突っ込むと、ゴーという地響きのような微かな音がする。新築の護摩堂の苔も根付き、様になってきた。84番屋島寺、85番八栗寺と山を登り降りする。八栗寺もケーブルを使わず、境内近くまで山道を登った。(カーナビに翻弄され、少しロスタイム。)86番志度寺は、平成の大修理とかで、大改造工事中。大師堂の中での御参りが出来なくなったのは残念だったが、納経所が別棟で立派になり、造園家・重森三玲66歳の作(1962)「無染庭」を望めるのが素晴らしい。かって、地元の櫻谷先達に連れっていってもらった「いこい」でうどんの昼食後、87番長尾寺に入る。結願所・88番大窪寺は、和尚の公認先達の推薦寺、納経所に槇野住職がいらっしゃって御挨拶。今年の先達全国大会は、奈良とのこと。「ではその時にまた」と別れ、門前の「飛猿閣」で休憩。店頭の「ようまいり」が痛んでいたので、持参の新本と取り換えた。山を下って、「ヘンロ交流サロン」の木村館長を訪ねた。和尚が寄付した東寺砂原秀遍長者の書も目下、表装中とか。櫻谷先達も駆けつけ、皆でわいわい、がやがや。和尚は、「ようおまいり」を10冊ほど寄付し、すぐそばの道の駅で、新鮮野菜をどっさりと買い込み帰路についた。
涅槃の道場23ヶ寺を打ち終え、友人たちとも旧交を暖め、お世話になっている方々にもご挨拶できた。本当に実のあるおまいりだった。感謝、感謝。合掌
(写真は、屋島寺の太三郎狸・蓑山大明神と雲辺寺の新本堂)

2010年6月12日土曜日

信貴山から生駒寶山寺へ



平成22年6月9日

戌年に四国88ケ所参りを結願された方々で結成した「堺・戌年同行の会」恒例の参拝ツアーだが、今年は寅歳とあって「信貴山朝護孫子寺」を御参りすることになった。聞けば、その場合は、「生駒寶山寺」も廻るのが古来よりのしきたりとのこと。そうでないと「片拝み」といってよくないといわれているとのことだ。信貴山は、大本山「千手院」の佐々木照真尼にお願いし、生駒は兄弟子である東寺の土口哲光教化部長を通じて、執事長の稲本實證師に御面倒をお願いした。
総勢38名、9時過ぎに堺を出発し信貴山へ向かった。駐車場まで「千手院」の役僧がお出迎え頂き、まずは本堂の戒壇めぐり。漆黒の闇の中を壁に右手を当てて進む、初体験の方々は息をのみ、前の人の服を掴んで緊張の面持ちだ。その後、内陣に案内され、大般若経転読法要に参列、皆初めての経験で大感激。(千手院さんのお計らいだ)
感動で放心状態のまま、千手院へ。千手院貫主であり、信貴山真言宗管長である田中眞瑞猊下の御法話を賜る。信貴山の由来や御本尊毘沙門天のお話など、大変わかりやすく説いていただいた。『御本尊の現世利益をいただいたら、自分一人のものとするのでなく、自分に必要な物をいただいたら、後は人のため、社会の為に惜しみなく分け与えることが大事なのだ』と。また寅が三つそろえば、三寅といって縁起が良いとされるとか、なんと今日は寅歳、寅の日であと一つということになる。
食事作法を唱和して昼食なのだが、これがまた精進中心の豪華なもの。「おなか一杯で、食べきれない」との声が。
帰りに「御札」を皆いただいたので、これで三寅完成だ。しかし、皆いろいろとお土産にと買い集め、四寅、五寅に。
お見送りをいただいて、生駒スカイラインで「寶山寺」へ向かう。通行料金の高いのにはびっくりだが、一時間ほどで到着。境内に入ると、我々の席が用意されていた。お茶とお菓子をいただいて、気分一新、稲本執事長の法話をいただくことに。中興の祖・寶山湛海律師のお話や本尊不動明王そして聖天さんのお話を聞いたあと特別のお計らいで、聖天さんそして御本尊のお膝元で勤行をさせていただたいた。ありがたいことに、つき物が付いて頭痛がとれないと嘆いていた一人が、それが無くなったと大喜び。早速の御霊験である。
お土産にと、名物の羊羹をたくさんいただき、帰路のバス車中で大クイズ大会の賞品に。
両山とも、真言宗18総大本山会の一員であり、まさしく弘法大師のお導きと、本当にありがたい一日だった。
南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛、合掌。
(写真は、寶山寺山門と信貴山の寅)

2010年6月2日水曜日

ヘンロ小屋 2題


平成22年5月31日

幼馴染の踊りの師匠・藤間幹弥のおどりの会のお祝いを兼ね、愛車を駆って讃岐路を訪れた。30日は、踊りの会の後、高校時代の旧友大藪・三原両君と夕食を共にした。三原君とは40年ぶりの再会だ。二人とも下口なので、和尚が一人飲んでいた。31日に、高照院、国分寺、白峰寺、根香寺と廻って、高松市大工町の「天銀」へ向かった。和尚お気に入りの天麩羅屋さんである。近くの駐車場に車を止めて、通りに出ると電通の大先輩筏さんに遭遇、天銀でお昼を共にした。電通時代は良く来たものと話が弾んだ。喫茶店でお茶をいただいて別れ、一宮寺にむかった。一宮寺で、さぬき市の櫻谷先達、写真家の二ノ宮さんと合流し旧交を温めた。櫻谷先達を駅前の「カラオケ遍路小屋」に案内した。高校の先輩がお遍路さんにカラオケの接待をするんだと開設したもの。続いて、櫻谷先達がヘンロ小屋プロジェクトの「高松・一宮24号ヘンロ小屋」に案内してくれた。
別所紘・ひでみ ご夫妻が平成19年5月に開設したもので、同プロジェクトとしては高松市内唯一。歌一洋教授の設計は源平合戦の那須の与一にちなんだ扇をモチーフにしたユニークなものだ。御夫妻にその思いを伺いながら、大接待を受けていると、二人の熟年遍路が通りかかり「さあ、寄ってらっしゃい」とまたまた接待攻勢。聞くと、茨城と山梨からの遍路で、二,三日前に一緒になり二人で歩いてきたとのこと。屋島寺への御坊川沿いの遍路道がすばらしいとお勧めした。一宮寺に御参りの際は、電車の方は、「カラオケ遍路小屋」に、歩きの方は「高松・一宮24号ヘンロ小屋」にお立ち寄りください。合掌
(写真は、別所夫妻のヘンロ小屋)