2010年8月31日火曜日

阪急・北陸 西国6回 


平成22年8月29~30日

富山、金沢方面からの巡拝バス(お客様は24名)に添乗する。合流地点は、桂川SA11時30分予定。アシスタントとJR向日町駅で待ち合わせ、タクシーで移動。添乗員の連絡では30分は遅れそうとの事、コーヒーブレイクで時間つぶし。勤行の後は、5番葛井寺に向かう。駐車場からお寺まで離れているので時間がかかるが、本堂に上がり込んでの御参りができる。そして、最大の難所4番施福寺だ。日曜日とあって、マイカーが多く進入路で何度もひっかかる始末。やっと駐車場までたどり着き、山登りだ。暑い最中、無理をしないよう話をしていたが、2名が途中で棄権し、結局22名が登り切った。先頭の和尚と最後尾との時間差は、わずか15分ほど。皆元気だ。本堂に上がり込み、勤行。寺の御本尊は弥勒菩薩、右の脇侍が文殊菩薩、左が千手観音で、西国の御本尊がその千手観音ということになる。いずれも秘仏で厨子の中に納められているが、千十観音の厨子からは五色の結縁紐が3本、外陣までつながっていてそれを握ってご縁をいただく。また本堂の裏手には、花山法皇ゆかりの馬頭観音が祀られており、弘法大師や伝教大師のお像も拝める。もとは、弘法大師剃髪の寺と伝えられ真言宗だったが江戸時代初期に天台宗に変わったという。初日は、2ヶ寺が精一杯、宿の橿原ロイヤルホテルに。線路を越えると橿原神宮なので、ぜひ朝の散歩にと話をしていたら、結構の方が御参りに行かれたようだった。8時に出発して8番長谷寺に向かう。まずは番外の法起院から。西国霊場開創の徳道上人のご廟所である。長谷寺の399段の階段も大変だったようで、肩で息しながら登ってきた。清水の舞台ならぬ長谷の舞台で勤行。大観音様は、長谷型観音として清水型観音と人気を二分している。舞台でひとまず解散、30分後にバス集合とする。希望者は、和尚と大師堂、五重塔などを御参りしながら下山。7番岡寺(龍蓋寺)は、和尚の大好きなお寺の一つ。本堂に上らせていただいて、現存最大の塑像の如意輪観音と対峙する。見なれている如意輪観音と違って、結跏趺座し右手は施無畏印、左手は与願印を結ぶ。(重文)昼食は、石舞台近くのいつものお店。そして打ち止めは6番壺阪寺(南法華寺)、眼病に功徳があるといわれ、お里・沢一の「壺阪霊験記」で名高いお寺。天竺渡来の石仏も段々増えて、ゆっくり案内すると1時間はたっぷりかかる。御参りを終えて、最後の立ち寄りは、「柿の葉ずしのたなか」、皆さんは帰路の夕食?和尚も夕食にと買い込んだ。和尚とアシスタントは橿原神宮駅近くで御別れ、バスは、さらに6~7時間の長旅とか。本当にお疲れさまです。合掌(写真は葛井寺の重文の南大門)

四国2回 三国ケ丘発


平成22年8月27日

堺からの乗車予定者がないとのことで、三国ケ丘でバスに乗る事になった。7時40分集合の予定であったが、南海電車の遅れで、50分に出発した。御客様は33名、1番霊山寺に立ち寄り、トイレ休憩と納経用品の買い足しを行う。霊山寺先達会のメンバーから「ようおまいり」を借りて読んでいると声を掛けられ、次回に持参すると約束する。いつものように、11番藤井寺から打ち始め、10番切幡寺に向かおうと出発したが、進入路に突っ込んでくるバスがある。すれ違いはできない狭い道なので、いつも駐車場に電話し確認しあうのだが、どうもそれを怠ったらしい。件のバスにバックしてもらったが、とんだロスタイムだ。暑い時期なので体調を考えて選択するようにと話はしているが、歩き志願者が9名。800m+333段の石段を登る。切幡の大塔から眺める吉野川の景観は、いつもながら素晴らしい。御茶の御接待をいただく金山商会で、納経用品の買い物をする。11月の和尚の讃岐巡拝に参加する高校の同級生から頼まれたもので、「納経帖」「笈衣」(道中着とご朱印用)「さんや袋」「輪袈裟」で9800円だった。比較的スムースに進行したためか、9番法輪寺前の草餅には、皆ありつけた。おばあ様から、お寺の御供えにと5個入りパックをいただく。(帰宅後冷凍して、翌日御供えしましたよ)8番熊谷寺では、ご詠歌の流れる中、多宝塔の解説をする。本堂の鬼瓦を、大師堂からカメラに収める方も多い。7番十楽寺で、御同行の先達と合流し、お経の大合唱だ。本日の打ち止めとしては、最高だった。19時過ぎに三国ケ丘到着、和尚は納経用品を届けに住吉大社駅に。切幡の大塔は、もとは住吉神宮寺の西塔だ。此れも御縁ですね。合掌
(写真は、熊谷寺の多宝塔)

2010年8月22日日曜日

西国11回 宝厳寺~長命寺



平成22年8月21日

猛暑の中のお参りだが、今回は少しハードなお寺。琵琶湖の竹生島にある30番宝厳寺は、165段の階段、長浜港から登り始める31番長命寺は808段の階段のある難所。和尚も覚悟して、下着の着替えを持参した次第。難波を8時50分に出発するやいなや、名神の渋滞は17km、逃げ道と思った京滋バイパスも19km渋滞の表示、結局諦めて名神を走ることに。トイレ休憩の草津SA到着は10時45分、さて2ヶ寺の予定の内、いずれから廻るかを協議した結果、12時45分発の船で先ずは竹生島に渡る事になった。到着までに、お弁当をいただく。島に着き、165段の階段を登り切ったところが本尊弁財天をまつる本堂があり、納経所もここにある。ここで、御真言を唱え、階段を少し下ったところに、目指す観音堂がある。御門(唐門)は国宝で、桃山時代の建築様式を残す。それもそのはず、秀吉を祀る豊国廟の御門を移築したとか。登って下っての行程で、後続が相当離れたようで、迷子になりかかる。ご指摘をいただき、唐門の前で、しばらく待ちうける。皆揃って、勤行し、神社も詣でて、14時35分発の船まで、思い思いに休憩、和尚はかき氷をいただく。次の長命寺は、タクシ―のオプションがあるのだが、39名のお客様の内、歩き組は、8名。和尚が先頭に立って歩き始めたが、車用の標識に釣られ車道に向かってしまった。間違いに気がつき、戻ったが50m位は、無駄な往復をさせてしまった。ごめんなさい。改めて、石段を登り始めるが、先頭の和尚と最後尾とは相当離れてしまった。全員が登り切ったことろで、お勤め。下りは、和尚が最後尾についてゆっくり下るが、あっという間だ。草津SAまで走り、休憩。和尚は、持参の下着一式と着替えを済ませホッと一息。渋滞の名神を避け、京滋バイパスを使ってJR大阪駅に19時頃到着、お疲れさまでした。合掌
(写真は、上は長命寺の三重塔、下は、宝厳寺の唐門)

2010年8月20日金曜日

四国8回 44~51番


平成22年8月17~18日

難波から添乗、御客様は43名。8時30分に出発し龍野西、豊浜SAで休憩後車中で昼食。松山ICを降りて「砥部焼陶芸館」で休憩すると、いよいよお参り開始。まずはバス遍路最大の難所45番岩屋寺に挑戦する。高齢の方も、息を弾ませ、大粒の汗を拭きながら皆登りきった。呼吸を整え、勤行。穴禅定に案内する。この時の為に、和尚は小型の懐中電灯を持参しているのだ。山を降りて「一休館」でお茶のご接待。昨日までお盆休みで、今日から店を開けたという。ラッキーだ。結局、岩屋寺で1時間半ほどついやした。次は44番大寶寺、此処も少し坂道登りだ。駐車場近くの「すごうさん」でまたまたお茶のご接待。夏場は特にありがたい。和尚の「ようおまいり」も5~6冊お買い上げ、「和顔施」とサインさせていただく。ここで17時、今日は2ヶ寺で打ち止め、ホテル奥道後に向かう。夕食のバイキング会場で、先達仲間や添乗員仲間と卓を囲む。
2日目は、7時45分出発、ポーチを忘れたと飛び降りたお客さん、なんとポーチはバスの中に。今日は46番浄瑠璃寺より順打ち、47番八坂寺の指定駐車場「衛門三郎の里」でお茶のご接待。ここでも「ようおまいり」が2冊お買い上げ。近くに、遍路の元祖といわれる衛門三郎の生家があり、別格20霊場の9番札所になっている。商都交通の中西ドライバーに文殊院の前を通れないかとお願いしてみると、「通ったことはないですけど、相当狭いらしいですね」の返事、「一度位しか通っていないけど、ギリギリ通れるはず。無理しないでいいけど」と和尚。マイクで衛門三郎の話をしていると、バスはその狭い道路に突入、車窓から文殊院を拝むことができた。その狭い道路を抜けるとお客様から拍手が送られた。感謝感激。48番西林寺は、今日が施我鬼法要とあってご本尊十一観音がご開張、金色に輝くお姿を初めて拝ませていただいた。49番浄土寺、50番繁多寺と廻り、打ち止めの51番石手寺へ。国宝の仁王門をくぐり記念撮影、本堂・大師堂から宝物館に廻り「衛門三郎再来の石」を見学、入場料は200円。ようやく打ちあげて、食事会場の「伊予かすり会舘」に着いたのは13時半だった。あらかじめ、「お昼が遅くなるので、朝食をしっかりと」とアナウンスしていたせいか、不満の声はでなかった。名物「伯方の塩アイス」、「美昌柑」のご接待に預かる。14時30分帰路に。石鎚山HO、吉野川HO、淡路HOで休憩を取り20時30分JR大阪駅到着。暑い中、本当に、本当にお疲れ様でした。合掌
(写真は重文の浄土寺本堂)

2010年8月14日土曜日

西大寺発  四国第2回


平成22年8月9日

久しぶりに、添乗の松原、アシスタントの西の元気娘二人と同乗、37名のお客様と四国へ向かう。夏休みの帰省ラッシュか1時間走ってようやく宝塚IC付近と云う混みようだ。淡路SAまで約2時間かかってしまった。トイレ休憩の霊山寺出発が12時前。いつものように11番藤井寺からの逆打ち、10番切幡寺では、約半数が歩き遍路、3日の時より風がさわやかに感じる。金山商会でお茶のご接待を受けながら、火照った体を冷やすことに。和尚の「ようおまいり」も5冊ほどお買い上げ、無財の七施「和顔施」とサインさせていただく。9番法輪寺門前の草餅を楽しみにしていたが、3台目のバスで完売とか、なにしろ我々は5台目なので、どうしようもない。8番熊谷寺、7番十楽寺とまわって打ち止めが17時。十楽寺の大師堂は、運心でお願いしたが、まずまずのペースか。次の添乗は17~18日・四国8回、バス遍路最大の難所45番岩屋寺参拝だ。合掌
(写真は7番十楽寺の「治眼疾目救済地蔵」)

2010年8月12日木曜日

弘法大師の霊蹟めぐり


平成22年8月7~8日

和尚は会員である大阪早稲田倶楽部の史談会で東寺に伝わる「弘法大師行状絵詞」(重文)を6回にわたり解説をしてきた。終了にあたって弘法大師の霊蹟巡りを提案のところ、12名で催行することとなった。
7日の朝、大阪駅前を9時に出発して京都・東寺に向かう。土曜日とあって高速道路は渋滞し、予定を30分遅れて到着した。兄弟子の土口哲光教化部長と京都集合の3人と合流し、お参り開始。まずは、五重塔の初層を開けてもらい拝観。そして金堂(薬師如来)、講堂(立体曼荼羅)、食堂(十一面観音)と回り小子坊へ。堂本印象画伯の襖絵が圧巻である。国宝・御影堂から観智院へ。本尊五大虚空蔵菩薩、宮本武蔵の鷲の図、浜田泰介画伯の四季の襖絵など見どころは多い。土口哲光師の名調子で、あっと言う間の2時間。洛南会館でお昼をいただいて高野へ向かう。小型バスは、第2京阪~近畿道~西名阪と走り道の駅「ふたかみパーク當麻」でトイレ休憩、京奈和道路を使って3時半頃、慈尊院に到着。弘法大師御母堂玉依御前ゆかりの寺で、かっての高野政所だ。女人禁制の高野山から母を慕って月に九度も会いに通ったとの逸話から「九度山」の地名になったとか。壇上伽藍に続く町石道の出発点でもある。さらに丹生都比売神社を参拝、高野山の地主神で、お山を弘法大師に譲られたとの神話が残る。17時40分無量光院到着。入浴後、精進料理で宴席。話は尽きず、一部屋に集まって焼酎をいただきながらの宗教談義。
8日の朝勤行は、6時から。無量光院では、毎朝並行して護摩供を勤める。高野山中でもここだけとか。土生川正道住職が自ら勤められた。和尚も内陣に席を用意され、職衆の一人として勤めさせていただいた。朝食時にご住職が法話の上、皆に腕念珠を記念にくださった。早速、身につける会員も。お昼会場の中本名玉堂のマイクロバスと公認ガイドの井本女史が迎えに来て、奥の院、金剛峯寺、壇上伽藍(大塔・金堂etc.)とまわる。少し汗ばんだところで、昼食。冷たい素麺とゴマ豆腐が美味だ。土産物を買い込み、霊宝館で多くの国宝・重文の宝物を鑑賞して、高野山駅へ。予定の特急こうやの指定席は満席、やむなく橋本から急行で難波へ。中身の濃い二日間だった。お疲れ様。合掌
(写真は金剛峯寺で「こうやくん」と記念撮影)

2010年8月5日木曜日

西大寺発  四国第2回


平成22年8月3日

西大寺から2台のバスが出発した。和尚は2号車でお客様は42名、1回目に和尚と同行した方が4~5名いらした。高速に乗るや否や法円坂で10kmの渋滞情報、1番霊山寺に立ち寄り、遍路用品の買い足しやトイレを済ませ11番藤井寺に向かう。今日は、逆打ちと決めている。いつもは、11番のお参りを終えてお弁当をいただくが、今回は、11番に着くまでにいただくことに。それだけ遅れているわけだ。1号車は、西大寺集合のみのお客様40名ということで、奈良駅経由の2号車より先行している。強烈な日差しを避けて、日陰を見つけながらのお参りだ。10番切幡寺は、山麓から800m、石段が333段だ。勿論、タクシーのオプションがあるが、半数以上が和尚と歩きを選択、1号車は、9割がタクシーという。皆さん元気だ。元気ついでに高台の大塔まで上がって、絶景を愛でていただく。9番法輪寺の門前の草餅が、相変わらず人気だ。8番熊谷寺では、中門の四天王の解説をする。阿吽の仁王様に代わって四天王が立つときは、向かって右が持國天、左が多聞天となる。その多聞天が、単独でおまつりされると、毘沙門天と名前が変わるのだ。石段を登った大師堂から見る本堂の鬼瓦も素晴らしい。お客様も、盛んにカメラを向けている。7番十楽寺に着く頃には、4時半近くになってしまった。4時半からは、火の用心で蝋燭・線香は運心でと話する。運心とは,字の通り「心を運ぶ」つまり心をめぐらすことで、心中に供養の思いを起すだけで事実にあらわさないことを「運心供養」と云う。本堂では、蝋燭・線香を供え、大師堂では運心でお願いした。
大汗をかいた一日だったが、87歳で両膝が人工骨というおばさんも頑張りきって、大満足。「手術をしてくれたお医者さんに良い報告が出来る」と喜んでいた。8時半ごろ、西大寺帰着。合掌
(写真は、熊谷寺中門の多聞天)