2010年12月30日木曜日

後七日御修法(ごひちにちみしほ)東寺


平成22年12月30日

いよいよ、今年も押し迫ってきました。今年は、皆様にとってどんな年だったでしょうか。振り返るのも良いですが、明日に向かって、来る年が良い年になるよう頑張りましょう。お正月の初もうでもいろいろなパターンがありますが、よろしければ1月14日の東寺にいらしてください。時間は11時ごろ。東寺では、8日から14日までの七日間、真言宗挙げての最大のご修法が灌頂院で行われています。真言宗18総本山から選ばれた15名の高僧が、1日3座合計21座のご修法を行うのです。平安時代から始まり、宮中真言院でずっと行われていました。明治政府の神仏分離令により、中止となりましたが、東寺灌頂院で再開することが許され、初日、中日、最終日の3回、京都御所より勅使がまいります。なぜなら、国の安泰を祈るのですが、国の代表として天皇陛下の御衣を奉じてお祈りを捧げているのです。来年は、仁和寺の南場門跡が大阿闍梨を務め、高野山の松長座主、朝護孫子寺の田中管長、醍醐寺の仲田座主、根香寺の関根座主、泉湧寺の上村長老など6人の山主が出仕されます。14日の11時半ごろ、最後のご修法を終えた長老方が、灌頂院を出て、御影堂まで行列します。これをご宝号で見送り、「後拝み」を待ちます。この七日間の御修法の座を1時間ほど一般にも公開してもらえるのです。これを「東寺の後拝み」といいます。毎年交替で、両部曼荼羅のどちらかが主尊となりますが、来年は胎蔵界曼荼羅です。その両界曼荼羅をはじめ、十二天、五大尊など国宝級のものに、身近に接することができます。志納料千円お持ちください。代わりに、その時にしかいただけない「御修法お守り」を授かります。11時お越しになれば、御影堂や金堂、講堂などを拝観し、食堂にある納経所でご朱印をいただいて、丁度よいタイミングで行列も拝めるはずです。和尚も、参拝していますので、お声掛けください。尚、京都のお正月は、底冷えします。せいぜい暖かくしてお越しください。合掌
(写真は、御修法の行列)

2010年12月22日水曜日

四国6回 32~37番 堺発


平成22年12月20~21日

堺方面から2台のバスが出発した。和尚の1号車は39名、2号車は23名。三木SA~鴻池SA~かわうその里すさきの3カ所で休憩をとり、37番岩本寺に14時到着。高知西部の天候は、曇り時々晴れ、最高気温19度、降水確率20%という冬には信じられないほどのお参り日和だ。大師堂では、2号車と合同でお参り。「此処や」のアイスクリームが、飛ぶように売れる。35番清滝寺へは、スーパー「マルナカ」の駐車場からマイクロに乗り換えて参道を登る。本堂・大師堂をお参りして、薬師如来立像の台座に設けられた戒壇巡りにいざなう。漆黒の闇に泣き出す女性もいたが、これも厄除け。75歳になるというマイクロのドライバーさんが、体験談を語ってくれた。「十二指腸に黒いかたまりがあります。癌です。」と精密検査もするまでもなく宣言されたという。親兄弟も癌のためいよいよ自分の番かと覚悟し、戒壇巡りをしてから八日間で八十八カ所を巡った。帰って住職に癌のことを話すと、戒壇巡りをしたかと問われ、行く前にしたと答えると、今から巡っておいでといわれたという。いよいよ手術前の検査となったが、癌がすっかり消えていた。医者から、こんなのは二人目の経験だと告げられ、何か信仰しているかと問われた。お大師様は信じてますと答えたが、1年後の検査も異常なし。本当にお大師様のお陰と、お客様達にも真剣に拝みなさいとアドバイス。実体験だけに、すごい話だ。お宿は、三陽荘。温泉と美味しい食事で、大満足。2日目の朝は、6時半食事、7時半出発と決めていたが、6時頃に本舘が突如停電。蝋燭の灯りで朝食、まるでクリスマスのようだ。雨の中、三陽荘のマイクロで36番青龍寺門前まで送り迎えしてもらい、お詫びにお土産をいただいて、34番種間寺へ。本堂外陣の耐震工事は、まだ続いていた。33番雪蹊寺から桂浜の見学をして32番禅師峰寺で打ち止め。日本サンゴセンターで昼食。13時頃、帰路についた。淡路ハイウエイオアシスまでは、順調だったが、これからが、渋滞の連続。ドライバーさんの懸命の迂回作も、雨のせいか事故が多く、堺まで2時間半近くかかってしまった。バスに乗っている時間の長いコースでもあるので、和尚もいろいろとお話をさせていただいた。和尚の遍路も今年は打ち止め、来年もがんばりますので、ご愛読ください。合掌
(写真は禅師峰寺参道入り口の十一面観音像)

2010年12月16日木曜日

四国9回 52~59番 西大寺発



平成22年12月14~15日

8時10分集合で西大寺から乗車。総勢35名の内、西大寺組は19名。早朝降っていた雨も止んだが、三木SAを越えて赤穂近くで事故渋滞、高山トンネル内で側壁に激突の乗用車1台が追い越し車線を塞いでいた。予定が大幅に遅れ、石鎚SAのレストランでの昼食が14時前、59番国分寺より打ち始める。お参りの後は、一願握手大師像に並んでご祈願。57番栄福寺で仙遊寺から廻ってきた2号車と遭遇、本堂と大師堂に分かれてお勤め。和尚の1号車は、58番仙遊寺で打ち止めに。4ヶ寺廻るつもりだったが、事故渋滞のお陰で、打ち止めが17時だった。お宿は、道後温泉・ホテルルナパーク。1時間程で到着し、夕食までゆっくりとした時間がとれた。夕食は、自慢の「鯛釜飯御膳」、温泉街を散策して早めの就寝。2日目は5ヶ寺廻るので、7時45分の出発。昨日と比べると、風も強く気温も相当低い。52番太山寺は、大師堂が改修中で、お大師様は、ご本尊の左に仮安置。昨日、納経所前の「一畑薬師」の説明をし、納め札に歳の数だけ「め」を書くように伝えてあったせいか、ここでも行列。合格祈願のお札を求めて納経所に行かれたお客様の話だと、お札は無く、ご祈願を依頼する方法のみだとのことだった。2~3kmのところに53番圓明寺はある。本堂の鴨居に左甚五郎作の5mの大龍が寝そべる。またキリシタン石塔でも名高いが、和尚が感心するのは大師堂の屋根瓦だ。まるで彫刻の芸術品を見る思いだ。松山市内の札所はこの2ヶ寺で、あとは今治市となる。「お菓子舘」でひとしきり買い物三昧のあと今治小松自動車道を使って56番泰山寺に向かう。門前のお店で、甘酒の御接待、冷え切った身体に暖かさが沁み渡った。修理中だった55番南光坊の大師堂は、工事完了。2号車と合同で大合唱することにした。田川先達のホラ貝の音が響き渡り、大好評。お参りの後は、山門の四天王像を拝観しながら解説。54番延命寺も2台一緒に、本堂、大師堂とお参り。本堂では、皆で不動明王の御真言のお稽古だ。なにしろ長いので、リズムが狂うとバラバラになる。開基の行基菩薩の供養塔が大師堂の右手の高台にある。行基菩薩の開基した札所は30ヶ寺もあるが、供養塔があるのは珍しい。(ちなみに弘法大師開基は39ヶ寺)14時前に打ち上げて、ようやくお弁当タイム。しまなみ海道を通って帰路についた。大三島の「宝船」、吉備SA、淡河SAで休憩しながら西大寺到着は19時30分、予定通りだった。合掌
   師走風 負けぬ遍路の 読経かな
(写真は行基菩薩の供養塔と一畑薬師)

2010年12月13日月曜日

西国 7回 30番~32番 難波発



平成22年12月12日

梅田~なんばルートでは2台のバスが西国7回に向かうということだが、和尚は2号車に添乗となる。1号車は梅田のみのお客様で編成、2号車は、梅田、なんばでお客様を乗せていくことになる。総勢38名、見たところ比較的若いメンバーという感じだ。しかも、全員が和尚と一緒になったことないという。これは有難い、何を語っても重複しない。6日と同じようなペースで進むが、21番穴太寺と23番勝尾寺で大停帯、お参りを終えてバスに全員が揃っても出発できない。なにしろ納経所に向かっている添乗員チームが、戻ってこないのだ。聞くと、日曜日とあって個人のお参りが多く、納経所も個人の朱印を、団体の合間に受け付けるため、必然的に団体の朱印が、遅れることになった模様。総持寺では、お寺の要望に従って門前まで、遠廻りして配車してもらった。門前の進入路は、本来大型バスは入れないのだが、お寺が許可を取っているとのこと。ドライバーは大変だが、御近所のクレームが多いということでやむを得ない。お客様にとっては楽だし、我々も迷子や事故の心配がないので、気が楽だ。(1号車は、従来通りのパターンで歩いてきたとのこと)御堂筋や大阪市役所がイルミネーションで飾られているため、それを見て通る車のせいか、御堂筋も渋滞。それでも、乗り降りがスムースだったせいか、17時半過ぎには、なんばへ到着した。和尚の今日の買い物、自然薯と白菜の漬物。お天気に恵まれ、良いお参りでした。合掌
 初霜や 車窓ぬぐいて 西国へ
 秋深し 腕組みまいる 老夫婦
(写真は、穴太寺本堂と善峰寺の紅葉の参道)

2010年12月6日月曜日

西国 7回 30番~32番



 平成22年12月6日

難波発で、西国7回に添乗した。お客様は、44名の満席だ。集合より1時間ほど前に着いたので、モーニングコーヒーに行こうとしたら、かって四国でご一緒したという女性から声をかけられた。今日は、別格の4回に乗るというのだが、お四国結願後の話をしてくれた。息子さんが自転車で事故に遇い、2mほど宙を飛び、頭を打って生死の間をさまよう事態になったという。医者は、意識が回復しても、障害が発生するかもしれないと言う、ところが骨折はしたものの、脳に何の障害も生じなかった。気がつくと、背負ったリュックの中のお弁当の箸が真っ二つに折れていたという。自分は、入れたつもりはないのだが、88番大窪寺のお箸であった。ご本尊薬師如来のお救いと感じたという。この事だけでなく、お客様のこと、御主人のことなど目に見えて、有難いことが続いているという。このようなお四国結願の御利益のことについて、こもごも話をいただいた。話を聞いた和尚は、朝からさわやかな気分に満ち満ちての西国となった。20番善峰寺は駐車場から急な登りがこたえる。先頭集団から最後尾までは相当の距離が開いたが、皆揃って本堂に上がり込んでお参り。お念珠の使い方や、輪の打ち方など説明。せめて「遊龍の松」は見学することを勧めて、30分後にバス集合とする。21番穴太寺に向かう手前で「豆屋黒兵衛」に立ち寄る。漬物と黒まめ製品のお店だ。何といっても、ほとんどの商品の試食が出来るのが良い。結構堪能できた。穴太寺のお参りを終えたが、納経の時間がかかるようなので、ドライバーさんと二人で、お弁当を配る。食べ終える頃に、添乗員2人が帰ってきた。23番勝尾寺に向かうが、境内も広く、階段もしっかりある。一方通行の順路で拝観し、打ち止めの総持寺へ。三島中学の裏でバスを降り、寺へ向かうが迷子の心配があるので、先頭と最後尾に添乗員がつき、真中あたりに和尚が位置するという配置で進行。途中の信号で分断されたが、これは安心のシステムだった。帰路も同様の配置をとることとし、納経が終わるまでお客様には境内の散策などで、待っていただいた。納経所での話では、住民の苦情もあるので、できれば寺の前に駐車して欲しいと、地図もいただいた。大廻りになるので、ドライバーさんには不評のようだが、今後はそうせざるを得なかろうと思う。足に不安の方が多い割には、スムースに帰着、梅田17時過ぎ、難波17時30分過ぎだった。今日で結願という方が、数名いらっしゃって、御紹介すると大きな拍手、巡拝仲間は暖かい。天気にも恵まれて、良いお参りができた。合掌
(写真は、「勝尾寺の多宝塔と紅葉」と「善峰寺の遊龍の松」)

2010年12月2日木曜日

秀寛和尚と巡る高野山

和尚と巡るお四国の一国めぐりも春秋4回、2年で無事結願、お礼まいりを兼ねて高野山に参拝します。ご母堂ゆかりの「慈尊院」、弘法大師に高野山を献上したとされる「丹生都比売神社」をお参りし、高野山に登ります。お山では壇上伽藍、霊宝館、金剛峰寺、奥の院などを参拝します。お宿は「無量光院」。朝の勤行では、護摩がたかれ、荘厳な雰囲気にひたれることでしょう。2日目のお昼は、お土産なども豊富な「中本名玉堂」、奥の院参拝には、高野山の公認ガイドが付きます。往きは、貸し切りバス。復りは、南海特急の予定。
尚、第5回一国巡り・発心の道場阿波路は、4月18~20日の予定です。

  日時 平成23年3月28~29日 
       集合 新大阪駅 10時
          近鉄難波 10時30分

  会費 29,000円

お問い合わせ、お申し込みは
  ハロートラベル大阪 ℡ 06-6306-6411(橋本)
  田尾秀寛      ℡ 090-2351-3927

2010年12月1日水曜日

四国11回 66番~78番 西宮北口発


平成22年11月29~30日

川西能勢口~宝塚~西宮北口ルートのバスに添乗、お客さまはなんと45名。和尚の経験では、初めての大人数。したがって、和尚は2日間補助席を余儀なくされた。11回目は、和尚の故郷コースで善通寺を中心に13ヶ寺を廻る。和尚は西宮北口から乗車、まずは75番善通寺へ向かう。駐車場で記念写真を撮り、「いろは会館」で昼食。そののち、御影堂~金堂へとお参りする。南門前の「ことぶき」に走り、旧友に挨拶、聞けば先日お邪魔した願興寺のご住職が2,3日前に訪れ、和尚が訪問したことなど話していったとか。金堂から駐車場にもどる時、「熊岡のかたパン」の話をしておいたので、行列ができた。勿論和尚も列に加わり1枚15円のかたパンを10枚購入。食べたことがないという添乗員やドライバーさんに食べてもらう。お客様へのご注意は、いきなり歯でかまずに、まずは手で細かく割ってから食べること。そうしないと歯が欠けるほど堅いのだ。しかし、本当に美味しい。66番雲辺寺に走り、2時のロープウエイに乗る。下界と温度差が7~8度あるので、対策を呼び掛ける。今日は、日差しが暖かく、頂上駅は6度だった。2時40分と3時の便に別れて下り、67番大興寺へ。天台と真言の両宗の道場であったところから、本堂を挟んで右に天台大師堂、左に弘法大師堂と配置されている。本堂前の三鈷の松を拾う人も多かった。同じ境内にある68番神恵院、69番観音寺をおまいりして、本日の打ち止め。琴平の「にしきや」に立ち寄り、「アパ高松空港ホテル」へ。ホテルではさぬき市の櫻谷先達が焼酎の差し入れを持って待っていてくれた。同宿の田中、倉持両先達と食事をしながら、飲みほした。2日目は、6時朝食、7時半出発。なにしろお寺が一杯残っているのだ。70番本山寺から打ち始め、71番弥谷寺はタクシー組と歩き組に別れる。歩き組は約20名、歩き組に「俳句茶屋」の草餅の話をする。まずは、茶屋を覗き草餅の確認、予約をする。本堂まで一気に登るつもりだったが、タクシー組が、大師堂に上がり込んでいるというので、そちらからのお参りとする。大師幼少の時の学問所である岩窟で7遍の御宝号を唱えた後、本堂に向かう。歩き組のお目当ては、草餅だ。アッと言う間に売り切れ状態に。御主人に「紅白の餅もあります」と「紅白+草餅」の御接待を受ける。これは、我が家の土産にさせていただいた。73番出釈迦寺から72番曼荼羅寺へは、全員で歩き遍路。参道の無人店のミカンが安いと人気の的だ。ここで弁当を配布するが、なにしろまともに食する時間もないほどに、寺と寺の間隔が短い。74番甲山寺、76番金倉寺、77番道隆寺と廻って、門前の「サンエイ」のお茶でホッと一息ついた。「ようおまいり」も3冊お買い上げで、無材の七施「和顔施」と書かせていただいた。78番郷照寺は、駐車場から離れているので、行きはともかく帰りは迷子予防で最後尾についた。3時に打ち止め、皆元気に帰着したが、問題も発生。夜、ベットからずっこけて頭を打ちつけ、救急車で病院に走ったお客様がいたとか、検査の結果、骨に異常はなく、打撲で済んだとか。和尚は、熟睡で何も知らず、朝になって添乗員から知らされた。もう一つは、お寺の朱印ミス。よその寺のページに朱印してしまった。結局、そのページを差し替えることになったが、うっかりミスにも困ったものだ。年に何回か、和尚も遭遇する場面だ。和尚も、朱印ミスを受けたことがあるが、今や重ね印の連続で全くわからなくなっている。さすが11回目はベテランぞろいで、お経もぴったり息が合い、とても良いお参りだった。合掌
(写真は、善通寺の大楠)
       
          大楠や おさな時しのぶ 秋の寺

2010年11月28日日曜日

四国2回 7番~11番 西大寺 発



平成22年11月26日

西大寺からの添乗、お客様は21名。この人数だと、添乗員は一人で納経に向かわなければならないので、大変だ。渋滞もなく、快調に走り、休憩と納経用品の買い足しのため霊山寺に着いたのが11時過ぎ。逆打ちでお参りすることにして、11番藤井寺までの間に食事をしてもらう。10番切幡寺は、タクシー組と歩き遍路組に分かれるが、約半数が歩き組に。山門まで800m、そこから333段の階段を登る。歩き組の速さに、先についているタクシー組がびっくりする。大塔にあがる途中に不動堂がある。そこで一服かたがた、お不動さんの御真言の練習をするのが、和尚のパターンだ。大塔からの景色は天気が良すぎて霞んでいる。麓の金山商会でお茶のご接待を受ける。和尚の「ようおまいり」も残部2部とかで、追加注文をいただく。9番法輪寺の草餅が相変わらずの人気、境内の紅葉とたわわに実る柿が美しい。8番熊谷寺はご詠歌の流れる中、紅葉の参道を歩む。中門の「多聞天」は、単独でおまつりされると、「毘沙門天」と呼び名が代わると説明する。7番十楽寺を打ちあげて16時半、順調なお参りだった。十楽寺の愛染堂をお参りして、「輪」の叩きかたをレクチャーする。高野山大学の道場で、指導されたのは、「7時のところを甲乙に」だ。つまり「輪」を時計の文字盤に見立て、上が12時、下が6時、その7時のポイントを中から外に、一打目は大きく、2打目は軽く叩くというものだ。確かにその方が、音が澄んで余韻が長い。これも、長い時を経ての経験則なのだろう。和尚は「ご自宅の仏壇でお試しあれ」とお話する。合掌
  
 柿の実の 夕陽に光る 法輪寺

(写真は、法輪寺の紅葉と柿の木)

西国11回 長命寺~宝巖寺



平成22年11月24日

川西能勢口から湖国の2ヶ寺をお参りすることになった。いつもは、此処が出発点で、宝塚~西宮北口と廻るので、西宮北口から乗車するのだが、東に向かうとあって川西能勢口が最終出発点となるのだ。お客様は42名、神戸からもう一台出ているとの事だった。草津SAで休憩、お弁当を積み込む。竹生島への船が長浜港発11時30分、それまでに昼食をお摂り頂くことに。乗船後、出港直前に神戸組が乗り込んできた。先達は田川先達、修験系の女性でホラ貝を良くする方だ。宝巌寺は、本尊は大弁天様で165段の石段を登り切ったところに本堂はある。西国の観音堂は、そこから中腹まで下ったところにある。前回、迷子が出かかったので、一計を案じ、本堂と観音堂の分岐点に立ち、体力に自信のない方は観音堂で待機するように声をかけ、皆の最後尾から登った。弁天様の仏前で、神戸組と合同で勤行、経頭は田川先達にお願いした。観音堂では、和尚が経頭を勤め、大合唱。長命寺まで、行動を共にすることに。長命寺は、本来、タクシーのオプションがあるのだが、今月は車道が補修中で通行止め、全員が808段の石段を登る必要がある。体力に合わせ、決して無理をせぬよう念を押して登り始める。本堂で待つほどに、順じ到着する。最後尾付近を登ってきた田川先達の「お客様はここまで」の声で息を整え、勤行開始、紅葉の本堂に大合唱が響き渡った。「200段で戻りましたが、下りが大変でした」との御婦人の声も。無事にお参り終了。風もほとんどなく、琵琶湖は鏡のよう、上天気に恵まれたよいお参りができた。合掌
(写真は長命寺本堂と石段の参道)

   秋風に 舞うかわらけや 竹生島

2010年11月27日土曜日

湯う湯うお四国


平成22年11月21~23日

さぬき市の真言宗善通寺派の古刹に「願興寺」という寺がある。素晴らしい重文の聖観音像が残されている。和尚はご縁をいただいて何度か訪問しているのだが、この度本堂の新築がなり落慶法要を終えたところだ。21日にNHK文化センターで仏像彫刻を指導される凡海仏師が、生徒さん達をお連れして見学にこられるというところから、地元の櫻谷先達からお誘いがあった。家内が、常日頃「温泉」「美味しい魚」と口にするので、「願興寺」から土佐の「三陽荘」というルートを思いついた。トイプードルの愛犬「てつこ」をペットホテルに預けようかとも思ったが、気候もよいので車中で寝かせることにし同道した。願興寺の本堂は、木の香りに満ち満ちて、その本堂を荘厳する「両界曼荼羅」と「真言八祖像」は、日本画家の奥様の手になるもの。住職ご夫妻のご苦労が偲ばれる。家内も本堂や聖観音像を拝観し、感動しきり。住職、凡海仏師と挨拶を交わし、土佐へ向かう。「三陽荘」は、バス遍路で良く利用させていただいている最高のへんろ宿だが、夫婦で泊まるのは初めてだ。海に面した2階の部屋に寛ぎ、早速温泉だ。今年の2月に湧出したもので、家内に言わせると肌がすべすべになるとか。夕食で「鰹のタタキ」を追加注文、超満足だ。「てつこ」も車の中でおとなしく寝ているのでホッとする。22日、朝風呂の後、朝食、雨の中37番岩本寺に向かう。境内の紅葉が目に飛び込んでくる。山門前の「松鶴堂」で「栗きんとん」と「栗まんじゅう」を購入、向かいの青物屋では「自然薯」を。添乗で来ると、あわただしくて、こんな余裕はないが、家族ツアーならではのこと。「此処や」にて、アイスクリームをいただく。和尚は「いちごと生姜」、家内は「抹茶と生姜」の組み合わせを選ぶ。店の御夫妻とよもやま話に花が咲く。自販機のコーヒーをご接待されて出発。有難し。須崎東ICの近くに「魚菜市場」がある。野菜を買い込み、食堂で須崎名物「鍋ラーメン」を注文。鶏ガラスープの醤油味といったところだが、地鶏が歯ごたえあって美味しい。34番種間寺に走り、工事中の本堂でお参り。耐震工事のようだ。「三陽荘」に戻り、温泉。夕食は、「鰹のタタキ」だ。朝の出発時にタタキを追加注文したところ、「今夜は、タタキですから」と止められていたのだ。美味しい食事と温泉で日頃の疲れが吹き飛んだ。23日、朝食を済ませて、36番青龍寺へ。正面の階段ルートは、ペット不可なので、「てつこ」と山道を登る。境内の入り口に「てつこ」を待たせお参り。昨夜の雨も上がり、さわやかな空気を満喫する。高速をひた走り、吉野川、淡路の両ハイウエイオアシスで、たっぷりと休憩を取りながら帰宅。「もっと、三陽荘が近ければいいのに」とは家内の弁。本当にリフレッシュできた旅だった。合掌
(写真は、紅葉の岩本寺境内)

2010年11月18日木曜日

紅葉の讃岐一国巡り 60番~88番



平成22年11月14~17日

和尚のオリジナル遍路の4回目、伊予路の残りと讃岐一国巡り。今回もお客様は15名、5名が都合で入れ替わった。前回同様22時30分発のオレンジフェリーで、大阪南港から東予港を目指す。まずは一室に集合して顔合わせ宴会、早朝に船内で朝食をとり6時10分着岸。60番横峰寺からスタート、午前中に64番前神寺まで。折りしも本堂前に回廊を新設する工事中、雨中のお参り対策とか。車中でお弁当をいただきながら65番三角寺に向かう。タクシーに乗り換えて、境内に入ると素晴らしい紅葉が迎えてくれた。阪急トラピックスの遍路バスも来ていて、なじみの先達さん達と挨拶を交わす。初日は、69番観音寺まで。お宿は善通寺いろは会館、さぬき市の櫻谷先達が飲み物やお菓子を抱えて激励にやってきてくれた。また、京都出張からお帰りになったばかりの樫原禅澄法主も親しくお声をかけてくださり、皆で記念撮影。また一室に集まり懇談。
16日の朝は6時から御影堂で朝勤行、樫原法主の法話は、昨日大相撲の横綱白鵬の連勝が途絶えたことから、双葉山の「いまだ木鶏ならず」の電文から始まった。讃岐弁のやさしい語り口だ。戒壇巡り、宝物館見学の後朝食、法主と共に御影堂前で改めて記念撮影。高野山の道場仲間・栗峯澄明師が、散華を皆にくださった。金堂をおまいりして70番本山寺に向かう。順打ちで廻り、圧巻は71番弥谷寺、タクシーを使うもさらに280段を登って本堂だ。無理をしないように伝えていたが、全員見事に完走。お宿は76番金倉寺近くの「香の香」で讃岐うどんを「釜あげ」でいただく。77番道隆寺前の「サンエイ」でお茶のご接待をうけながら、買い物。和尚は白の作務衣を購入、本日の打ち止めは、80番国分寺。第一交通山下ドライバーの裏技もあって、予定より2ヶ寺多く廻れた。お宿は、オークラホテル丸亀、夕食後は又集まって懇談、連日焼酎を3本だ。
最終日は、五色台の81番白峰寺から、本堂まで石段を登り、下りは、各自の干支のご本尊のお堂を拝みながらだ。82番根香寺は和尚の大好きな寺の一つだが、最高の紅葉で迎えてくれた。紅葉の名所とあって、カメラ持参のかたも多く、「お遍路さんの妨げにならないように」との注意書きがあるほどだ。84番屋島寺に櫻谷先達が「、冷凍うどん」を皆にと届けてくださった。和尚も自宅に常備している優れものだ。86番志度寺の門前に樫原法主の自坊がある。かの平賀源内の墓所だ。志度寺は「平成の大修理」の真っ只中、本堂前に接待講がいて、飴やお茶のご接待だ。「海女の墓」を守るおばあさんに挨拶しながら皆を案内すると、「最近は、案内してくれる先達が少なくなった」と嘆きながら大粒の涙。少し余裕ができたので、「おヘンロ交流サロン」に立ち寄った。以前寄付させていただいた東寺砂原秀遍長者の「雨にも負けず」の書が、表装されて展示されていた。同行の写真家溝縁ひろし氏の霊場風景も沢山展示され、皆んな感動だ。結願の寺・88番大窪寺、和尚の推薦寺でもあるので、まずはご住職にご挨拶、初回からの参加者は、無事結願とあって感慨もひとしお、門前の飛猿閣でお茶をいただいて帰路についた。神戸線の工事も終わり、スムースに帰阪。車中で、日程調整の結果、高野山お礼参りを3月28~29日、また第5回阿波一国巡りは4月18~20日となった。合掌

   根香寺にて  紅葉に モデルとなるや 遍路笠  

   弥谷寺にて  岩肌に 刻める弥陀や  秋遍路

   善通寺にて  秋の風 ふるさと香る  大銀杏

   大窪寺にて  結願の 薬師に祈る   秋遍路
(写真は、根香寺の紅葉と雲辺寺の五百羅漢)

四国第2回 7番~11番 堺発

平成22年11月12日

久しぶりに南海堺駅前より添乗となった。お客様22名の内、堺からは5名乗車。8時前に出発して、淡路ハイウエイオアシスに9時50分到着。遅くなったのは阪神高速神戸線が工事中で不通の影響、小雨がぱらつくが天気予報では、午後から晴れるとのこと。1番霊山寺にトイレ休憩や納経用品の買い物をかねて立ち寄り、他のバスとの調整でおまいりの順番を決める。和尚のバスは、10番切幡寺~11番藤井寺、以降は逆打ちをすることになった。切幡寺のタクシー希望者9名に対し歩き希望者は13名、健脚の女性が多く圧倒される。大塔に登るも、季節外れの黄砂で霞み、絶景が台無しだ。9番法輪寺門前の「あわじ庵」の草餅をおすすめしていたが、後続のバスが見えたので売り切れを恐れ、お参りの前に買っておいてもらった。それが、大正解で立て続けにバスが到着した。8番熊谷寺、7番十楽寺と打ち終えて16時。帰路のルートもドライバーの機転で、上手く迂回し速やかに帰着できた。合掌

      晩秋の 黄砂にかすむ 吉野川

      秋遍路 草餅うまし  法輪寺

      秋風に 乗るご詠歌や 熊谷寺  

2010年11月11日木曜日

四国5回 24番~31番


平成22年11月8~9日

西大寺から42名のお客様と共に、出発した。「前に、ご一緒だった方は?」と聞くとなんと35名以上が手を上げた。こうなると同じ話をする訳にもいかないと、思案させられた。予定では、初日は3ヶ寺なのだが、昼食を吉野川ハイウエイオアシスで摂るというので時間がいつもより短縮されそう、がんばって4ヶ寺廻る計画で30番善楽寺より打ち始める。31番竹林寺、29番国分寺、28番大日寺と廻って打ち止めが丁度17時。大日寺は、こだわりがあって、ご本尊大日如来のご真言は、「オン・バザラダトバン」と金剛界真言を唱える。(通常は、「オン・アビラウンケン・バザラダトバン」と両部のご真言を唱える)近くに「龍馬歴史館」がある。言うなれば、龍馬の生涯を蝋人形で表現しているものだ。結構評判が良く、見学の希望者も多い。お宿は、ホテル南水に30名ほど、残りは添乗チームと共にホテル高砂に分宿となった。美味しい鰹のタタキをいただいて和尚は大満足。2日目は、ホテル高砂からホテル南水と廻って27番高峯寺から。土佐の名水で名高く、昨日からお持ち帰りのペットボトルを持参するように話をしていたので、殆んどのお客様が、準備されていた。昨日は、ポカポカ陽気で、お参りに日陰を求めたが、今日は、強風波浪注意報発令で、前日比ー7度の寒い日となった。バスからタクシーに乗り換える駐車場に、いつもの海産物を売る車が店を出し、お客様の人気を呼んでいた。和尚も「めざしとチリメンジャコ」のご接待にあずかった。26番金剛頂寺の本堂は、本尊薬師如来、脇侍の日光・月光菩薩、十二神将と眷属が揃い、右に護摩壇・不動明王、左に愛染明王の壇に正面の壇と、見事な荘厳だ。正面左右の両曼荼羅や5色の幕など、しっかりと説明させていただいた。駐車場の一角には、列車の貨車を活用した「はらみたや」が店を出している。我々がバスで登る時に必ず電話して、下りてくるバスがいないかいつも確認させてもらっている。この店の名物は田舎風味のアイスクリーム、ほぼ全員が列をなして買い求めた。和尚の遍路本「よう、おまいり」も6冊お買い上げ。25番津照寺までの間に、お弁当を頂く。本堂までまっすぐ登る急な石段に息を弾ませながら、おまいりを済ませると、打ち止めの24番最御崎寺へ。大師堂左手の「一畑薬師」が眼病平癒の仏様だと説明すると、とたんに長い列ができた。歳を経ると和尚もそうだが、どうしても目が不具合になる。「一畑薬師」は出雲から請来されたもので、お四国では52番太山寺にもお堂がある。大師ご宝号を七遍唱えて打ち止めた。御厨人窟(御蔵洞)に入り、大師のご修行を偲ぶ。日和佐道の駅、淡路南PA,淡路HOで休憩し、西大寺へ向かうのだが、阪神高速神戸線が工事で通行止め、北神戸線~中国道~近畿道のルートを取るが、いつも渋滞する宝塚トンネル付近の渋滞もなく、快調に走り20時半には西大寺に到着した。合掌

   御蔵洞にて  空と海   偲ぶ空海    秋遍路
   竹林寺にて  秋の陽に  映える朱色や  五重塔
   高峯寺にて  名水や   枯れ葉ひとひら こうのみね
   金剛頂寺にて ひっそりと 新芽顔だす   奴草

(写真は神峯寺の報恩の碑)

2010年10月31日日曜日

喜光寺 会津八一歌碑建立除幕式



平成22年10月31日

養老5年(721)に行基菩薩によって創建された「喜光寺」(法相宗別格本山)において早稲田大学教授であり歌人・美術史家でもあった会津八一(1881~1956)の歌碑の建立除幕式が行われた。会津八一が生涯に詠んだ1036首のうち奈良を取り上げたものは3分の1に上り、県内には東大寺・興福寺・薬師寺・唐招提寺などに15基の歌碑があるという。エッセイストの中田紀子さんの呼びかけに「建てる会」が結成され、早稲田大学校友会奈良県支部のメンバーである和尚にも募金の呼びかけがあった訳だ。前日は東京で早稲田大学稲吟会(詩吟クラブ)創立55周年大会と祝賀会があり、夜行バスでとんぼ返りし参列した。早く着いたので、一番乗り。本尊阿弥陀如来、脇侍の観音菩薩、勢至菩薩を前に読経し、境内をゆっくり拝観させていただいた。式は除幕、読経、表白などのあと尺八と三弦による追善曲「残月」が演奏されたが、その途中に雨が降り出し写経道場に移動して、式典が続けられた。山田法胤住職の謝辞が、素敵だった。『ひとりきて かなしむ寺の白壁に 汽車のひびきのゆきかへりつつ』と歌に詠まれたように、喜光寺は荒れ果てていたが、住職が晋山して以来、「いろは写経」の勧進で見事に復興した苦労話もユーモア溢れる語り口で笑いを誘った。今年は会津八一の55回忌にもあたり、募金者は660名、式典の参加者は280名という。35回奈良を訪れ、自ら「酷愛」と表現したとか。大正10年、11年と喜光寺を訪れた八一は「この歌を詠みしは、この寺の屋根破れ、柱ゆがみて、荒廃の状目もあてかねし頃なり。」と書いている。歌碑は、生駒石に歌を刻んだもの、募金者の名簿が奉納される。なんとお世話になっている大石石材工業の仕事だった。社長と久しぶりにご挨拶できた。これも奇遇だ。ご縁は有難い。合掌
(写真は歌碑と喜光寺山門)

2010年10月27日水曜日

歩き遍路19番~23番


平成22年10月24~27日

先達仲間の女性二人と6年ぶりに歩き遍路に出かけることになった。24日梅田三番街からバスで徳島へ。JR四国に乗り換え19番立江寺到着が16時頃。本堂での夕べの勤行は通常17時からだが、法事があるため16時半からに。宿泊者は、我々3人に一人客が2人の総勢5名、その内の一人84歳藤田老は、耳はほとんど聞こえないが、24年間の遍路人生について語ってくれた。「今は、何処へ行っても皆が面倒みてくれる」と一人旅を続けている。本人も語る通り、有難い人生だ。副住職に、「バス遍路の時、本堂のガラスが反射して、御本尊様がよく拝めないので、少し開けてもらえないか」とお願いしてみる。「どうぞ、本堂に上がってお参りください」との返事、しかし、バスが連なるとそうもいかないが、タイミングをみてそうさせて貰おうと思う。
25日は、午後から雨の予報だ。前夜、了解をいただいていたので、3人だけで5時に起床して本堂で朝勤行、御本尊地蔵菩薩と心ゆくまで時を過ごした。朝食後、大師堂でお参りののち20番鶴林寺に向けて出発。(6時30分)1時間歩いて10分休憩のペース、9時過ぎに登山口近くの「JA東とくしま よってネ市」に到着、その一角に「勝浦第11ヘンロ小屋」がある。「よってネ市」は定休日だったが、清潔なトイレ設備を使わせて貰い、有難い。ミカン畑の中のヘンロ道を登る。途中で雨が降り出し、リュックにカバーをかける。登山道には、「丁石」が設置されていて、和尚が「四丁」の時に二人は「八丁」だ。携帯が繋がるので、距離が開いても安心だ。11時前に護摩堂到着、後続の二人を待つこと25分、一人が股関節痛のようだ。本堂、大師堂と参り、納経所で食事のできるところを聞くと、まったくないとのこと。諦めて女性軍のアーモンドチョコを二個ばかり口に放り込んで、急な坂道や石段を一気に下山する。12時40分、「八幡神社」横のヘンロ小屋で休憩しながら携帯で確認すると、下りで痛みが激しくなったようで21番太龍寺へはロープウエイを使いたいという。最寄りのタクシー会社の電話番号を伝え、食事のついでにお弁当の確保をお願いする。那賀川にかかる水井橋を渡ると登山道に入る。3kmほどは支流の「若杉谷川」の渓流を右に左に見ながらのなだらかな登りだ。あと1.6kmの標識からは、急な登りで、一歩一歩ゆっくりと登るのだが、スタミナ切れか、フラフラ状態に。太龍寺に着いた二人から携帯が入る。「あと数100m」と答えたが、それから何度も足を止めながらの歩行、14時40分やっと辿り着いた。「おにぎり弁当」をいただき、本堂・大師堂のお参りも靴を脱ぎ、半跏座で行うと、ようやく体力が回復した感じ。宿にタクシーで入る二人に、荷物を預け身軽になって下山、納経所で1時間かかると云われた通りだった。16時25分「坂口屋」到着。全身びしょぬれ状態なので、すぐお風呂に飛び込みホッと一息つく。「坂口屋」は、太龍寺からの客とこれから登る客が一緒になるため宿泊者は多い。確かに、こちらから登る方がはるかに楽だと感じた。タクシーの二人が、焼酎を買ってきてくれていたので、それで乾杯。食後は、遍路ばなしに花が咲いた。
26日、6時40分出発。平坦な道路を行くが、国道195号を渡ると峠越えのヘンロ道だ。腿の筋肉が軋んでいる。下りにはいると竹林の中のヘンロ道の雰囲気が素晴らしい。9時、22番平等寺着、山門近くのコスモス畑が美しい。これから23番薬王寺までが約20kmの長丁場だ。国道55号をひたすら歩く。「第3号ヘンロ小屋鉦打」など2カ所のヘンロ小屋で休憩し、12時半食堂「味登利」にたどり着いた。6年前もお世話になったお店、「鍋焼きうどん」と焼酎にビール、食後のコーヒーと1時間あまり過ごし、残りは約3時間の行程。国道は、歩道のないところは、緑のラインを引いてヘンロ用としている。「おヘンロにグリーンラインでおもいやり運転を」との標識が出ている。「海部盆栽」店にお願いして女性軍はトイレ借用、これも有難いご接待。16時半、薬師会館到着、お参りは明日にして、最近作られた「薬王寺温泉」で疲れを癒す。和尚は、手前1kmのローソンで、焼酎とつまみを買い込んだ。
27日本堂での朝勤行は6時からというので5時起床、大師堂からお参りして、本堂に上がる。御勤めは、「理趣経」フルバージョンに皆で「般若心経」と丁寧なものだった。朝食を済ませ、納経所へ。日和佐駅から帰路についた。
合掌

  秋の風 コスモス畑 遍路道

(写真は平等寺の山門とコスモス)

2010年10月22日金曜日

四国霊場会 公認先達全国大会


平成22年10月19日

第30回大会が、奈良市「なら100年会館」で開催された。いつもは、四国で開催されるのだが平城遷都1300年を記念し、弘法大師ゆかりの地でもある奈良で開催されることになったもの。千数百人が参加、慰霊法要などの式典が午前中行われ、午後は、特別講演という次第。講師は、豊山派布教研究所 所長の吉田敬岳僧正、「いのちをつたえる」をテーマに各界の方々の著作などを引用しながら熱弁をふるわれた。和尚も、大事にしているテーマなので、じっくり拝聴させていただいた。大変参考になった。年に一度の大会とあって、顔なじみも多く、旧交をたたためることもでき、また、和尚も25回大会から参加しているので記念のバッチも5個目となった。合掌
(写真は、開会式)

2010年10月20日水曜日

四国4回 17番~23番 なんば発


平成22年10月17~18日

和尚は難波から乗車、お客様は42名。淡路SAで比較すると4日の西大寺発より30分速いペース、この調子なら4ケ寺は廻れると確信した。前回同様、井戸寺、鶴林寺、太龍寺に余裕があれば平等寺をも打つこととする。ルートの確認をドライバーさんとすると、久しぶりのコースなので、安全なルートを行きたいとのこと。大した時間差はないとのことなので、お任せすることに。17番井戸寺から20番鶴林寺に大まわりルートで向かったが、曲がり角を間違え、結局、いつもの狭いミカン畑の道を登る事になってしまった。約30分のロス。次の21番太龍寺へは、この際と那賀川沿いの狭いルートを進言、和尚がナビして行くことになった。太龍寺のロープウエイは、20分間隔だが、14時20分発にわずかに遅れ、40分発に乗車。すると山頂駅からの下りは、15時40分発となる。22番平等寺のお参りが「運心」になるのなら止めるところだが、なんとか16時過ぎに入れると判断して、平等寺に向かう。本堂をお参りして、大師堂をお参りしようとすると16時31分、納経所に行き御許しをいただいて、蝋燭・線香を供養させていただいた。打ち止めは16時40分。鶴林寺で、鶴の朱印をいただく方も多く、太龍寺へのロープウエイから、鶴林寺の三重塔が確認できたのも好天気の賜物。平等寺では、「白水の霊水」をいただく方が結構多かった。和尚は、日頃の睡眠不足を補うべく、21時消燈、朝6時までたっぷりと寝た。
翌朝は、8時出発。聞けば、阿波踊り会館で楽しんだ方も沢山いて、御夫婦で優勝旗を持ち帰った猛者もいた。さわやかな朝の空気の中、18番恩山寺からスタート。大師堂前のお堂には、地蔵菩薩の一角と釈迦十大弟子像の一角がある。般若心経に登場する舎利子こと智慧第一の「舎利弗」や御盆の始まりという神通第一の「目犍連」の話をする。19番立江寺の門前に「名物たつえ餅」の酒井軒本舗が開いていた。お客様にご紹介すると、アッという間に売り切れ。和尚も一ついただいたが、日本古来の黒米で作ったお餅は、食感も良く上品なお味だ。23番薬王寺では、お願いして本堂の外陣に上がらせていただいてお参りした。団体参拝が我々のみだったので、良い機会と思いお願いした次第。予想外の出来ごとに、お客様は大感激だった。還暦坂を登って瑜祇塔へ。五智如来の解説をし、日和佐の海を愛でて下山、打ち止めは丁度12時。
昼食後は、「阿波の里」「淡路ハイウエイオアシス」と休憩して、難波着が17時、帰着がこんなに早いのははじめての経験だ。お客様の乗降や集合がスムースなお陰だと思う。また、今回のお客様の勤行の素晴らしい事には、感心させられた。声が、ぴたりと合って、先導していてほれぼれするお経だった。合掌
(写真は鶴林寺本堂前のお地蔵さま)

2010年10月12日火曜日

四国1回 1~6番 近鉄八尾 発


平成22年10月11日

昨日に引き続き、今日も新ルートだ。近鉄八尾駅から八戸の里駅そして長田を経由してのルートだ。最寄りの五位堂から八尾までは、近鉄大阪線を準急で30分弱。八尾で5人、八戸の里で10人、長田で8人、総勢23人のお客様で出発。バスは、ローレル観光の中型バスで、添乗員も一人、小回りがきいて快調だ。長田を8時に出発し、霊山寺到着が10時15分、
しかもお客様の中には公認先達も2~3人含む経験者が3分の1ほどいて、朝の勤行からして朗々と素晴らしい。気分も快調だ。霊山寺では、大師堂で住職の法話を聞く。どちらかと云うと、大師堂の法話の方が、本堂のそれよりありがたい。御大師さまと身近で御挨拶できるからだ。本堂での法話が優先のようなので、大師堂で法話と聞くと、ついニッコリとしてしまう。15時30分にいつもの手順で廻り終える。昨日に比べると約1時間ペースが速い。和尚のペースはいつも通りなのだが、お客様の乗り降りの時間がかからないのと、バスの小回りがきくために時間が短縮されるのだ。連休の最終日とあって帰路は渋滞が発生していたが、淡路から北神戸線で西宮山口から宝塚のコースを取ると、渋滞ポイントの宝塚トンネルも半分で済み、淡路から2時間ほどで帰着できた。和尚の来月の添乗に乗りたいと予定を聞かれるが、こればかりはお約束できない。先達の次月の予定が決定するのは25日頃、しかもどこから出発するか、何回目に添乗するかも不明だからだ。河内人らしいあったかいお客様達だった。今日も良いご縁をいただきました。合掌
(写真は、金泉寺の山楼門)

四国 1回 1番~6番 五位堂発


平成22年10月10日

なんと和尚の最寄り駅・五位堂を経由するルートが新設された。大和八木から大和高田を経由し五位堂から四国へ向かう。和尚は自転車で駅まで、7時45分に出発。連休の2日目とあって渋滞を心配したが、淡路SAまで2時間、1番霊山寺まで3時間ほどで到着した。お客様は、41名、阪急トラピックスのバスは全部で6台で、その中では到着の遅い方になる。地元ルートとあって、和尚も気合が入る。1番、2番から6番、あとは逆打ちといつもの通りの手順で廻り、帰路も比較的順調。和気あいあいと地元ルートを終えることができた。このルートが、いつまでも続くことを切望する。なにしろ、少し朝寝坊出来ることが素晴らしい。広陵町在住の方も、乗られており、早速メールを賜った。合掌
(写真は、地蔵寺の大銀杏)

2010年10月9日土曜日

四国 1回 1番~6番


平成22年10月6日

今日で4日連続のお四国となる。体調は、悪くないが声に不安がある。連日声を張り上げてお経を上げている為で、なんとか持って欲しいと祈りながら出発だ。西大寺から添乗したが、お客様は41名。鳴門大橋通過時間がぴったり干潮時で、見事な渦潮に遭遇し大喜び。1番霊山寺、2番極楽寺を打ってのお弁当が少し遅めとなってしまった。霊山寺本堂での法話は、副住職、仏教稲門会のメンバーだ。6番安楽寺の大師様は、お天気が良いせいか、御顔がしっかり拝見できた。がっしりとした青年大師だ。仁王門の仁王様といい、松本明慶の作品には独特の味がある。5番大日寺では、大日如来のお姿について説明。4番地蔵寺は、樹齢800年の大銀杏のぎんなんの香りに満ち溢れていた。「ご自由にお持ち帰りください」と金ばさみをおいてある。しっかり集めるお客様も。3番金泉寺の大師堂では、額装の弘法大師一代記を順に説明する。打ち止めにつき、御宝号は七遍唱える。「黄金井」に顔を映し、閻魔さまを拝んで、弁慶の力石にご案内。16時45分打ち止め。「阿波の里」経由で明石海峡大橋が、ぴったりの19時。虹色にライトアップされた大橋を眺めながら帰路に。行きも帰りもラッキーだった。合掌
   
        長命の 霊気をもらう 極楽寺     
        地蔵寺の ぎんなん拾う 遍路かな
        智拳印 試す遍路や 大日寺
        黄金井に 映す笑顔や 秋遍路

(写真は、極楽寺の大師お手植えの長命杉)

四国4回 17番~23番


平成22年10月4~5日

西大寺から43名のお客様と8時15分出発、雨中のスタートだったが淡路SAに着く頃には雨もあがり、絶好のおまいり日和となった。17番井戸寺からお参り、阿波藩主蜂須賀重喜公が大谷別邸から移築したという大門が印象的だ。本堂の七佛薬師に圧倒される。今日は、時間のかかるお山だけは打ち上げたいと20番鶴林寺、21番太龍寺と廻ることに。鶴林寺では、鶴の朱印を押していただくお客様も多かった。太龍寺は、別名・西の高野。大師堂が、高野山奥の院と同じ配置となっている。本坊廊下の天井の太龍の墨絵を拝み下山。天気が良くなって霞がかかり、鶴林寺の三重の塔が見えなかったのは残念だったが、お客様は、ケーブルカーからの景色を堪能していただいたようだった。もう一ケ寺廻ろうかと思ったが、16時半を過ぎそうな感じがしてあきらめた。蝋燭、お線香をご供養できない時間になりそうだからだ。無理をして運心でお願いするより、朝少し速く出発する方を選択した。17時過ぎに宿の偕楽園に到着、夕食までゆっくりくつろいでいただき、そのかわり、出発を7時45分でお願いした。おまつりで阿波踊り会館が無料とかで、結構多くのお客さんが楽しまれたようだった。
2日目は、18番恩山寺、19番立江寺、22番平等寺、23番薬王寺と廻る。恩山寺のふもとは、義経が屋島の戦いの折に上陸した地点で、その石碑が建っている。ここから上陸し、3番金泉寺で休息をとり、屋島へ向かった訳だ。立江寺は、阿波の関所寺、夫殺しの罪に問われたお京さんの黒髪が祀られている。平等寺では、「白水の井戸」から霊水をいただく方も。薬王寺は全国区の厄除けの寺、和尚の師僧・東寺の砂原秀遍堄下の修行の寺でもあって感概深いものがある。また、1円硬貨に両替してもらって、石段に一枚づつ置いて、厄除け祈願をする方も数人。お参りの後、瑜祇塔まで還暦坂を登り、五智如来を拝んで日和佐の海をながめる。「上がってきて、よかった」の声。打ち止めは丁度12時ジャスト。薬師会館で食事作法をして昼食、いつもとメニューが違って、チキンカツが追加されている。お客様のアンケートの反映かと、添乗の中川さんと顔を見合わせた。食後は、一気に「阿波の里」まで走る。「青唐辛子味噌」の話をしていたが、何と売り切れで入荷待ちの状況、皆さんがっかり。中川さんが、淡路ハイウエイオアシスに電話して確認すると、漬物売り場に「すだち入りの青唐辛子味噌」は、置いてあるとの返事。早速、お客様に伝えることに。確認に行くと「上沼恵美子推奨」とプレートがついていた。18時15分西大寺着。お疲れ様。合掌
(写真は恩山寺の修行大師像)

四国1回


平成22年10月3日

秋スタートのお遍路が始まった。梅田~なんば発のコースは2台で和尚は2号車に添乗。集合時間を間違えていたというおば様がいて、出発が遅れたが御客様は37名。朝から雨の一日で、和尚も錫杖・網代笠は持たず、傘をさしてのお参りとなった。いつものように、第1回目は遍路の基本的な説明が多くなるなるので、1番霊山寺に着くまでマイクを握り続ける。しかし、この回でしっかりお話しておかないと、後が大変だ。大師堂での法話、お大師様を真近かで拝めるのでありがたい。2番極楽寺を打ち終えて、遅めのお弁当。2番から6番安楽寺までの20分位が唯一のランチタイムだ。本堂前の水盤の上に鎮座する童の天女像が可愛らしくて大好きなのだが、目下工事中で外されているのが残念だ。5番地蔵寺、4番大日寺、3番金泉寺と廻って打ち止めは16時40分。何とか、運心とならずに終えることができた。帰路、休憩の「阿波の里」では青唐辛子味噌が大人気。もっとも和尚がお薦めするせいだが、和尚も1箱購入、淡路ハイウエイオアシスで「ちりめんじゃこ」も仕入れて、酒の肴の準備完了。20時過ぎになんば着。雨の中、お疲れ様でした。合掌
(写真は、金泉寺の義経戦勝祈願所)

2010年9月29日水曜日

四国6回 32~37番 西大寺発


平成22年9月27~28日

青岸渡寺から帰宅すると、バタンキュウで5時に起床、西大寺に向かう。この回は、各方面からのバスも多く、阪急トラピックスだけでも、5台という。奈良組は、36名で四国を目指す。田口添乗員の話だと、清瀧寺へ向かうタクシーがキャパを超え、我々は2日目になるという。ならばと、まずは、もっとも遠い37番岩本寺をめざす。車中から、故郷善通寺や、出釈迦寺奥の院、本山寺の五重塔の説明をしながら走る。岩本寺から34番種間寺を打つと既に17時前、当初の3ケ寺廻れればと云うもくろみは残念ながら無理だった。岩本寺横の、アイスクリームの「此処や」では、相変わらずの数珠つなぎの行列、やはり「生姜味」が一番人気で、生姜味+αで盛り上がっている。和尚は、いつもながらの「生姜味+バニラ」の組み合わせ、これで200円だから、超人気だ。岩本寺は、本尊が5体ある事でも有名だが、全国から公募した挌天井の絵も素晴らしい。34番種間寺を打ち終えると17時前だった。種間寺は、安産祈願の柄杓が知れ渡っている。妊娠した女性は、柄杓を奉納する。寺では、御祈祷ののち、その底を抜いて返す。無事安産すれば、それを持ってのお礼参りだ。境内の子安観音には、奉納された底の抜けた柄杓が、並んでいる。結構高齢出産が多いのには、なるほどと感心させられる。御宿は、温泉を掘りあてた「三陽荘」だ。美味しい食事をいただき、温泉につかり、朝5時半まで熟睡、そして朝風呂だ。三陽荘のマイクロで、青龍寺まで送り迎えしていただき、お茶の御接待を受けての再出発だ。青龍寺では「大相撲の朝青龍の高校時代のトレーニング場ですよ」と説明しながら、石段を登る。90歳代という権大先達のおばあさまも登りきった。次いでスーパーマルナカの駐車場で、マイクロに乗り換え清滝寺の参道を登る。何度か切り返しをしての走行なので、いかに険しいかだ。この寺では、境内の薬師如来立像の台座に、戒壇巡りが設置されている。御勧めでない先達もいるようだが、和尚はぜひにと勧める。現代人は、漆黒の闇など、こんな機会がなければ体験できないからだ。33番雪蹊寺は、長宗我部元親ゆかりの寺だ。長男信親の墓もあるし、隣は元親を主祭神とする「秦神社」だ。臨済宗妙心寺派の管長を勤めた山本玄峰師が盲目から救われた事でも署名な寺だ。少し時間的に余裕があったので、和尚もはじめて、隣接する「秦神社」を皆で訪れた。由来を見ると、明治の神仏分離令と廃仏毀釈によって雪蹊寺がいったん廃寺になったため、子孫と地元が、藩庁に申請して明治4年に勝ち取ったものという。いずれにしても、長宗我部元親は、土佐の国の英雄である。隣接する各国の寺院は、「天正の兵火」にあって甚大な被害をこうむり、四国霊場では悪役だが、調べるほどに元親は立派な武将だったと思う。後継の4男盛親で滅び、山内一豊が初代土佐藩主となるのだが、元親のそれまでの布石が一豊をして名君ならしめたと和尚は評価している。日本サンゴセンターで昼食を済ませ、月の名所の桂浜へ、記念写真を撮り散策。打ち止めは、32番禅師峰寺。駐車場の十一面観音立像の後頭部を見るように伝える。何しろ後頭部にあるお顔は大笑いをしている面相なのだが、正面からは拝めないからだ。ここでは参道が坂道になっているため、拝むことが出来る。大師ご宝号を七遍唱え、締めくくる。休憩を2回ほどとり、西大寺到着は、19時。結果的には、スムースなお参りとなった。合掌
(写真は、種間寺の子安観音堂、奉納された底の抜けた柄杓)

西国 1回 西大寺発


平成22年9月26日

西大寺から25名のお客様と8時10分に出発。紀ノ川SAで休憩を取り、南高梅を加工・販売する中田食品に立ち寄る。工場見学の後は、お買いものだ。11時15分に中田食品を出て、お弁当を配る。「レストランあんちん」のめはり寿司とおにぎりのお弁当、紀伊勝浦に到着するのは、13時を廻るので、それまでに食べて頂こうという訳だ。長距離の運転となるので、帝産観光バスのドライバーは2名制。バスは、熊野古道の中辺路を走る。予約されている納経用品を「那智かまぼこセンター」で受け取り、いよいよお詣りだ。まずは那智の滝へ、記念写真を撮って、御神体の滝を拝する。石段の参道を450段登ると、右に青岸渡寺、左に熊野那智大社の分岐点に到達する。お客さんの揃うのをそこで待って、右から登り本堂をお参りしてから大社に詣で、一方通行で分岐点に戻るルートを説明する。14時30分本堂に到着、勤行の後、30分後にバス集合として解散する。その瞬間、お客様の男性の足がふらつき、ひっくりかえりそうになる。和尚のすぐそばだったので、腕を掴んで支え、しばらくベンチで休憩してもらった。平静を取り戻したところで、一緒にゆっくりと石段を降りることに。15時20分出発、先ほどの「かまぼこセンター」でお買いものタイム。和尚も「まぐろのソフト角煮」とご推薦の「磯なんば」(角かまぼこ)を購入。帰りも同じく中辺路を走る。途中で「ちかつゆ」古道歩きの里に立ち寄った。3月にオープンしたばかりという新しいスポットだ。古道歩きのステイションに数軒のお土産物店やコンビニの集合体、駐車場も広く格好の休憩処だ。和尚は、またまた湯浅醤油の衝動買い、小瓶の刺身醤油、玉子かけ醤油、かけ醤油などを買い込んでしまった。順調に高速道路に乗ったのだが、湯浅道路で大渋滞。ネットで検索すると広川IC~有田IC間が50分かかるという。結局、西大寺到着は22時、皆さん本当にお疲れ様でした。しかし、自分で行くとなるとホントに大変、バスが一番なのですぞ。 合掌
(写真は、青岸渡寺の本堂)

2010年9月23日木曜日

四国9回 52~59番 京都発


平成22年9月21~22日

久しぶりに京都駅八条口から乗車することになった。近鉄経由かJR経由かで迷ったが、スタートが20分遅くても良いJRルートを選んだ。その代わり乗り換えが多くなる。お客様は38名、バスは明星観光で、ドライバー2名制だ。予定より早く8時3分に出発、龍野西、豊浜SAでトイレ休憩。吉備で積み込んだ西川荘のお弁当をいただいて55番南光坊に13時20分に到着。折から大師堂が修理中で10月一杯はかかる模様、そんな訳で御大師様は本堂に仮安置されている。大門の四天王像に案内すると、その豪壮さに声があがる。今回のお客様は、総じて高年齢で、列が長くなりそうな気配がある。そこでいつも先頭を歩く和尚だが、今回は最後尾につく事にした。54番延命寺、58番仙遊寺、57番栄福寺と廻って、まだ余裕があるので56番泰山寺も打つことに。栄福寺門前の田中人形店は「姫だるま」の製造元だが、お念珠も安い。お店から「風防安全蝋燭立」をいただいた。瀬戸焼でデザインもよく、屋外の法要に最適だ。早速、23日の撥遣法要に使わせてもらうことに決めた。今治市内の街路樹は、百日紅が多く珍しい。紅を中心に白い花もあって目を奪われる見事さだ。
  遍路来て 街路につづく 百日紅(さるすべり) 秀寛
お宿は、道後温泉・つかさビューホテル。和尚は初めての宿泊だ。高台にあって、露天風呂付きの展望大浴場からの夜景が素晴らしい。2日目は8時出発。52番太山寺へ向かう。和尚は朝一番に太山寺にお参りするのが、最高だと思っている。駐車場から、急坂を登って本堂に行くのだが、緑に包まれ、まるで森林浴。朝の澄んだ空気を胸一杯に吸い込み、生かされている自分に感謝する一瞬だ。国宝の本堂は鎌倉時代の建立で、真野長者の創建から数えて3代目だ。納経所前の「一畑薬師」に案内すると、納め札に「め」を年の数だけ書き込んで用意しているお客さまも。53番圓明寺は、左甚五郎の龍やキリシタン石塔も有名だが、和尚のご推薦は、大師堂の鬼がわら。その精緻な作風は、まさに芸術品だ。「愛媛菓子処 お菓子舘」に立ち寄り、「りんりんパーク」で昼食。13時前に打ち止めの59番国分寺へ。御参り後の「握手修行大師」と「薬壺(やっこ)」に長い列が出来た。帰路は、しまなみ海道。大三島の「しまなみ宝船」でトイレ休憩、聞けば今年は天候不順でミカンの出荷が遅れているとか。西宮山口付近で立て続けに3件の事故発生で渋滞との情報、阪神高速7号線に迂回した結果、ほぼ予定通り19時半に八条口に到着。添乗員とドライバーさんの好判断に拍手。合掌
(写真は、国分寺の握手修行大師と薬壺)

2010年9月14日火曜日

西国霊場先達研修会


平成22年9月13日

大阪・新阪急ホテルにて、第6回西国33所札所会先達研修会が開催された。現状報告によれば、先達総数4222名、本日の参加者は400名弱とのこと。広い紫の間が、超満員だった。今回、出席したのはご詠歌の研修があるからだ。しかも、叡山流、高野山金剛流、豊山流と西国にまつわる三派のご詠歌について、すべて網羅されているというのが魅力だった。和尚も詩吟では、吟歴45年、音感には自信があるものの、ご詠歌は難しく手こずっている。それは、まともに習いに行っていないこともあるが、テープを聞けば何とかなると思っていたからだ。それが難しい。そんな訳で、テープレコーダーを持ち込んだ。講演を聞くと、独特の音符記号ではなかなか広まらないと、最近は五線譜に、落とすようになってきているとのこと。これなら、和尚も安心、詩吟の伴奏器で音が拾える。何れの節調を選ぶかと云われれば三流の内、和尚は高野山金剛流を選ぶ。理由は簡単、和尚が修行したのが、高野山であったというにすぎない。そんな訳で、テープを聞きながら覚えたいと思う。11時から食事を挟んで14時過ぎまで。大変勉強になりました。また、こんな時でないと仲々会えない方に会えるのも、楽しみの一つ。合掌

2010年9月12日日曜日

四国3回 13~16番 西大寺発


平成22年9月10日

42名の御客様を乗せて、西大寺を8時15分に出発。なんばや堺方面からの出発と比べ、30分~1時間遅れで現地到着となるのはやむを得ない。今日のコースは、各札所の駐車場から距離があるので、余分に時間もかかるので、順調にいっても時間ぎりぎりと覚悟する。昼食の時間をどう取るかとの問題もあり、打ち合わせの結果、まずは13番大日寺からスタートし12番焼山寺への車中でお弁当をいただくことに。雲ひとつない快晴に恵まれ、札所の境内では、日陰を求めて右往左往する羽目に。
いつもより高齢の方や足の悪い方が若干大目で、列が長くなる。歩け歩けの一日だが、和尚も先頭を歩くよりも、後方の皆さんと歩くように心がけた。(幸いなことに、2周目の方がいらしたので)
14番常楽寺から15番国分寺までの800mは、完全に歩きだ。時間的に苦しいので、添乗さんには、観音寺まで先取りをお願いした。納経だけは、17時までに終わらせたいからだ。予想通り、16番観音寺到着は、16時30分で、御客様には運心でお願いした。白衣の襟に、弘法大師の梵字光明真言を刷りこんでもらえるのだが、聞けば17時までという。希望の方はそちらを優先してもらう。(1500円)淡路島を走る18時前には、陽が傾き、まさに秋を感じさせる。

 
      秋の陽を 感じつ走る 遍路バス  秀寛

(写真は、焼山寺の駐車場にいる布袋さん)

2010年9月8日水曜日

四国6回 32~37番 堺発



平成22年9月6~7日

堺から乗車、御客様は34名。聞けば、約半分が和尚と一緒だったことがあるという。3度目という方や2年振りの2周目という方も。7時50分出発だが高速の流れも良く、三木SAに9時前、豊浜SAに11時過ぎに到着した。早めの昼食を取るが、お弁当は一富士の「味辯」と名づけた松花堂弁当というか幕の内弁当というかいずれにしても豪華版。初日の御参りは、35番清滝寺~36番青龍寺~37番岩本寺と順打ちで行くことに。12時半、スパーマルナカの駐車場で、マイクロやタクシーに分乗して清滝寺に登る。清滝寺の境内に建つ薬師如来像の台座が戒壇巡りになっている。漆黒の闇の中を、キャーキャー言いながら一巡、本当の闇を経験することはあまりないので、結構恐いようだ。閉所恐怖症だという2名が棄権、これは賢明です。36番青龍寺へは、三陽荘のマイクロが送迎のサービス、しかも茶菓の御接待付きだ。大相撲の朝青龍関などが明徳義塾高時代にトレーニングしたという本堂までの石段を登ると本堂、大師堂がある。なんと御開帳しているではないか。和尚も20回以上御参りにきているが、初めての経験だ。聞けば、今日は旧暦の28日で、お不動さまの日。月に一度の御開帳という。下りは坂道を通り、「恵果堂」に。弘法大師の師・真言七祖の恵果阿闍梨をおまつりしている。16時前に37番岩本寺到着、御本尊が5体いらっしゃるので、不動、観音、阿弥陀、薬師、地蔵の順に御真言を唱える。駐車場横の手作りアイスクリームの店「此処や」で名物のアイスクリームをいただく。バニラ、青のり、しょうが、ミルク、イチゴ、抹茶の6つの味から2つ選ぶ。珍しいせいか圧倒的にしょうが味が人気だ。また、カップコーンが香ばしくて美味しい。18時過ぎに「ホテル南水」着。夕食は、カツオのたたきを生ニンニクたっぷりで頂く。「ホテル南水」は、坂本龍馬の屋敷跡に建つ。全館、龍馬づくしの宿だ。7階の展望風呂で、顔なじみのお客さんと二人、親鸞上人の「悪人正機説」について語り合う。
二日目は、34番種間寺~33番雪蹊寺~32番禅師峰寺と逆打ち。途中、桂浜見学が付いている。折からの台風9号の影響で、高知の降水確率は30~40%、雨が降ったり、日が差したりとすっきりしない一日だが、ありがたいことに、我々が御参りの時には、雨があがり、二日間結局傘は使わずに済んだ。桂浜には、波が打ち寄せ、「波打ち際には近よらないように」との放送が流れてくる。午前中に、すべて打ち終わり、昼食は日本サンゴセンター。館内大改装で、まるでサンゴの展示舘と化している。見ごたえのある展示内容だ。帰路も、スムースで、堺に17時前に到着。これには驚いた。合掌
(写真は、御開帳の青龍寺本堂と禅師峯寺の不動明王)

2010年8月31日火曜日

阪急・北陸 西国6回 


平成22年8月29~30日

富山、金沢方面からの巡拝バス(お客様は24名)に添乗する。合流地点は、桂川SA11時30分予定。アシスタントとJR向日町駅で待ち合わせ、タクシーで移動。添乗員の連絡では30分は遅れそうとの事、コーヒーブレイクで時間つぶし。勤行の後は、5番葛井寺に向かう。駐車場からお寺まで離れているので時間がかかるが、本堂に上がり込んでの御参りができる。そして、最大の難所4番施福寺だ。日曜日とあって、マイカーが多く進入路で何度もひっかかる始末。やっと駐車場までたどり着き、山登りだ。暑い最中、無理をしないよう話をしていたが、2名が途中で棄権し、結局22名が登り切った。先頭の和尚と最後尾との時間差は、わずか15分ほど。皆元気だ。本堂に上がり込み、勤行。寺の御本尊は弥勒菩薩、右の脇侍が文殊菩薩、左が千手観音で、西国の御本尊がその千手観音ということになる。いずれも秘仏で厨子の中に納められているが、千十観音の厨子からは五色の結縁紐が3本、外陣までつながっていてそれを握ってご縁をいただく。また本堂の裏手には、花山法皇ゆかりの馬頭観音が祀られており、弘法大師や伝教大師のお像も拝める。もとは、弘法大師剃髪の寺と伝えられ真言宗だったが江戸時代初期に天台宗に変わったという。初日は、2ヶ寺が精一杯、宿の橿原ロイヤルホテルに。線路を越えると橿原神宮なので、ぜひ朝の散歩にと話をしていたら、結構の方が御参りに行かれたようだった。8時に出発して8番長谷寺に向かう。まずは番外の法起院から。西国霊場開創の徳道上人のご廟所である。長谷寺の399段の階段も大変だったようで、肩で息しながら登ってきた。清水の舞台ならぬ長谷の舞台で勤行。大観音様は、長谷型観音として清水型観音と人気を二分している。舞台でひとまず解散、30分後にバス集合とする。希望者は、和尚と大師堂、五重塔などを御参りしながら下山。7番岡寺(龍蓋寺)は、和尚の大好きなお寺の一つ。本堂に上らせていただいて、現存最大の塑像の如意輪観音と対峙する。見なれている如意輪観音と違って、結跏趺座し右手は施無畏印、左手は与願印を結ぶ。(重文)昼食は、石舞台近くのいつものお店。そして打ち止めは6番壺阪寺(南法華寺)、眼病に功徳があるといわれ、お里・沢一の「壺阪霊験記」で名高いお寺。天竺渡来の石仏も段々増えて、ゆっくり案内すると1時間はたっぷりかかる。御参りを終えて、最後の立ち寄りは、「柿の葉ずしのたなか」、皆さんは帰路の夕食?和尚も夕食にと買い込んだ。和尚とアシスタントは橿原神宮駅近くで御別れ、バスは、さらに6~7時間の長旅とか。本当にお疲れさまです。合掌(写真は葛井寺の重文の南大門)

四国2回 三国ケ丘発


平成22年8月27日

堺からの乗車予定者がないとのことで、三国ケ丘でバスに乗る事になった。7時40分集合の予定であったが、南海電車の遅れで、50分に出発した。御客様は33名、1番霊山寺に立ち寄り、トイレ休憩と納経用品の買い足しを行う。霊山寺先達会のメンバーから「ようおまいり」を借りて読んでいると声を掛けられ、次回に持参すると約束する。いつものように、11番藤井寺から打ち始め、10番切幡寺に向かおうと出発したが、進入路に突っ込んでくるバスがある。すれ違いはできない狭い道なので、いつも駐車場に電話し確認しあうのだが、どうもそれを怠ったらしい。件のバスにバックしてもらったが、とんだロスタイムだ。暑い時期なので体調を考えて選択するようにと話はしているが、歩き志願者が9名。800m+333段の石段を登る。切幡の大塔から眺める吉野川の景観は、いつもながら素晴らしい。御茶の御接待をいただく金山商会で、納経用品の買い物をする。11月の和尚の讃岐巡拝に参加する高校の同級生から頼まれたもので、「納経帖」「笈衣」(道中着とご朱印用)「さんや袋」「輪袈裟」で9800円だった。比較的スムースに進行したためか、9番法輪寺前の草餅には、皆ありつけた。おばあ様から、お寺の御供えにと5個入りパックをいただく。(帰宅後冷凍して、翌日御供えしましたよ)8番熊谷寺では、ご詠歌の流れる中、多宝塔の解説をする。本堂の鬼瓦を、大師堂からカメラに収める方も多い。7番十楽寺で、御同行の先達と合流し、お経の大合唱だ。本日の打ち止めとしては、最高だった。19時過ぎに三国ケ丘到着、和尚は納経用品を届けに住吉大社駅に。切幡の大塔は、もとは住吉神宮寺の西塔だ。此れも御縁ですね。合掌
(写真は、熊谷寺の多宝塔)

2010年8月22日日曜日

西国11回 宝厳寺~長命寺



平成22年8月21日

猛暑の中のお参りだが、今回は少しハードなお寺。琵琶湖の竹生島にある30番宝厳寺は、165段の階段、長浜港から登り始める31番長命寺は808段の階段のある難所。和尚も覚悟して、下着の着替えを持参した次第。難波を8時50分に出発するやいなや、名神の渋滞は17km、逃げ道と思った京滋バイパスも19km渋滞の表示、結局諦めて名神を走ることに。トイレ休憩の草津SA到着は10時45分、さて2ヶ寺の予定の内、いずれから廻るかを協議した結果、12時45分発の船で先ずは竹生島に渡る事になった。到着までに、お弁当をいただく。島に着き、165段の階段を登り切ったところが本尊弁財天をまつる本堂があり、納経所もここにある。ここで、御真言を唱え、階段を少し下ったところに、目指す観音堂がある。御門(唐門)は国宝で、桃山時代の建築様式を残す。それもそのはず、秀吉を祀る豊国廟の御門を移築したとか。登って下っての行程で、後続が相当離れたようで、迷子になりかかる。ご指摘をいただき、唐門の前で、しばらく待ちうける。皆揃って、勤行し、神社も詣でて、14時35分発の船まで、思い思いに休憩、和尚はかき氷をいただく。次の長命寺は、タクシ―のオプションがあるのだが、39名のお客様の内、歩き組は、8名。和尚が先頭に立って歩き始めたが、車用の標識に釣られ車道に向かってしまった。間違いに気がつき、戻ったが50m位は、無駄な往復をさせてしまった。ごめんなさい。改めて、石段を登り始めるが、先頭の和尚と最後尾とは相当離れてしまった。全員が登り切ったことろで、お勤め。下りは、和尚が最後尾についてゆっくり下るが、あっという間だ。草津SAまで走り、休憩。和尚は、持参の下着一式と着替えを済ませホッと一息。渋滞の名神を避け、京滋バイパスを使ってJR大阪駅に19時頃到着、お疲れさまでした。合掌
(写真は、上は長命寺の三重塔、下は、宝厳寺の唐門)

2010年8月20日金曜日

四国8回 44~51番


平成22年8月17~18日

難波から添乗、御客様は43名。8時30分に出発し龍野西、豊浜SAで休憩後車中で昼食。松山ICを降りて「砥部焼陶芸館」で休憩すると、いよいよお参り開始。まずはバス遍路最大の難所45番岩屋寺に挑戦する。高齢の方も、息を弾ませ、大粒の汗を拭きながら皆登りきった。呼吸を整え、勤行。穴禅定に案内する。この時の為に、和尚は小型の懐中電灯を持参しているのだ。山を降りて「一休館」でお茶のご接待。昨日までお盆休みで、今日から店を開けたという。ラッキーだ。結局、岩屋寺で1時間半ほどついやした。次は44番大寶寺、此処も少し坂道登りだ。駐車場近くの「すごうさん」でまたまたお茶のご接待。夏場は特にありがたい。和尚の「ようおまいり」も5~6冊お買い上げ、「和顔施」とサインさせていただく。ここで17時、今日は2ヶ寺で打ち止め、ホテル奥道後に向かう。夕食のバイキング会場で、先達仲間や添乗員仲間と卓を囲む。
2日目は、7時45分出発、ポーチを忘れたと飛び降りたお客さん、なんとポーチはバスの中に。今日は46番浄瑠璃寺より順打ち、47番八坂寺の指定駐車場「衛門三郎の里」でお茶のご接待。ここでも「ようおまいり」が2冊お買い上げ。近くに、遍路の元祖といわれる衛門三郎の生家があり、別格20霊場の9番札所になっている。商都交通の中西ドライバーに文殊院の前を通れないかとお願いしてみると、「通ったことはないですけど、相当狭いらしいですね」の返事、「一度位しか通っていないけど、ギリギリ通れるはず。無理しないでいいけど」と和尚。マイクで衛門三郎の話をしていると、バスはその狭い道路に突入、車窓から文殊院を拝むことができた。その狭い道路を抜けるとお客様から拍手が送られた。感謝感激。48番西林寺は、今日が施我鬼法要とあってご本尊十一観音がご開張、金色に輝くお姿を初めて拝ませていただいた。49番浄土寺、50番繁多寺と廻り、打ち止めの51番石手寺へ。国宝の仁王門をくぐり記念撮影、本堂・大師堂から宝物館に廻り「衛門三郎再来の石」を見学、入場料は200円。ようやく打ちあげて、食事会場の「伊予かすり会舘」に着いたのは13時半だった。あらかじめ、「お昼が遅くなるので、朝食をしっかりと」とアナウンスしていたせいか、不満の声はでなかった。名物「伯方の塩アイス」、「美昌柑」のご接待に預かる。14時30分帰路に。石鎚山HO、吉野川HO、淡路HOで休憩を取り20時30分JR大阪駅到着。暑い中、本当に、本当にお疲れ様でした。合掌
(写真は重文の浄土寺本堂)

2010年8月14日土曜日

西大寺発  四国第2回


平成22年8月9日

久しぶりに、添乗の松原、アシスタントの西の元気娘二人と同乗、37名のお客様と四国へ向かう。夏休みの帰省ラッシュか1時間走ってようやく宝塚IC付近と云う混みようだ。淡路SAまで約2時間かかってしまった。トイレ休憩の霊山寺出発が12時前。いつものように11番藤井寺からの逆打ち、10番切幡寺では、約半数が歩き遍路、3日の時より風がさわやかに感じる。金山商会でお茶のご接待を受けながら、火照った体を冷やすことに。和尚の「ようおまいり」も5冊ほどお買い上げ、無財の七施「和顔施」とサインさせていただく。9番法輪寺門前の草餅を楽しみにしていたが、3台目のバスで完売とか、なにしろ我々は5台目なので、どうしようもない。8番熊谷寺、7番十楽寺とまわって打ち止めが17時。十楽寺の大師堂は、運心でお願いしたが、まずまずのペースか。次の添乗は17~18日・四国8回、バス遍路最大の難所45番岩屋寺参拝だ。合掌
(写真は7番十楽寺の「治眼疾目救済地蔵」)

2010年8月12日木曜日

弘法大師の霊蹟めぐり


平成22年8月7~8日

和尚は会員である大阪早稲田倶楽部の史談会で東寺に伝わる「弘法大師行状絵詞」(重文)を6回にわたり解説をしてきた。終了にあたって弘法大師の霊蹟巡りを提案のところ、12名で催行することとなった。
7日の朝、大阪駅前を9時に出発して京都・東寺に向かう。土曜日とあって高速道路は渋滞し、予定を30分遅れて到着した。兄弟子の土口哲光教化部長と京都集合の3人と合流し、お参り開始。まずは、五重塔の初層を開けてもらい拝観。そして金堂(薬師如来)、講堂(立体曼荼羅)、食堂(十一面観音)と回り小子坊へ。堂本印象画伯の襖絵が圧巻である。国宝・御影堂から観智院へ。本尊五大虚空蔵菩薩、宮本武蔵の鷲の図、浜田泰介画伯の四季の襖絵など見どころは多い。土口哲光師の名調子で、あっと言う間の2時間。洛南会館でお昼をいただいて高野へ向かう。小型バスは、第2京阪~近畿道~西名阪と走り道の駅「ふたかみパーク當麻」でトイレ休憩、京奈和道路を使って3時半頃、慈尊院に到着。弘法大師御母堂玉依御前ゆかりの寺で、かっての高野政所だ。女人禁制の高野山から母を慕って月に九度も会いに通ったとの逸話から「九度山」の地名になったとか。壇上伽藍に続く町石道の出発点でもある。さらに丹生都比売神社を参拝、高野山の地主神で、お山を弘法大師に譲られたとの神話が残る。17時40分無量光院到着。入浴後、精進料理で宴席。話は尽きず、一部屋に集まって焼酎をいただきながらの宗教談義。
8日の朝勤行は、6時から。無量光院では、毎朝並行して護摩供を勤める。高野山中でもここだけとか。土生川正道住職が自ら勤められた。和尚も内陣に席を用意され、職衆の一人として勤めさせていただいた。朝食時にご住職が法話の上、皆に腕念珠を記念にくださった。早速、身につける会員も。お昼会場の中本名玉堂のマイクロバスと公認ガイドの井本女史が迎えに来て、奥の院、金剛峯寺、壇上伽藍(大塔・金堂etc.)とまわる。少し汗ばんだところで、昼食。冷たい素麺とゴマ豆腐が美味だ。土産物を買い込み、霊宝館で多くの国宝・重文の宝物を鑑賞して、高野山駅へ。予定の特急こうやの指定席は満席、やむなく橋本から急行で難波へ。中身の濃い二日間だった。お疲れ様。合掌
(写真は金剛峯寺で「こうやくん」と記念撮影)

2010年8月5日木曜日

西大寺発  四国第2回


平成22年8月3日

西大寺から2台のバスが出発した。和尚は2号車でお客様は42名、1回目に和尚と同行した方が4~5名いらした。高速に乗るや否や法円坂で10kmの渋滞情報、1番霊山寺に立ち寄り、遍路用品の買い足しやトイレを済ませ11番藤井寺に向かう。今日は、逆打ちと決めている。いつもは、11番のお参りを終えてお弁当をいただくが、今回は、11番に着くまでにいただくことに。それだけ遅れているわけだ。1号車は、西大寺集合のみのお客様40名ということで、奈良駅経由の2号車より先行している。強烈な日差しを避けて、日陰を見つけながらのお参りだ。10番切幡寺は、山麓から800m、石段が333段だ。勿論、タクシーのオプションがあるが、半数以上が和尚と歩きを選択、1号車は、9割がタクシーという。皆さん元気だ。元気ついでに高台の大塔まで上がって、絶景を愛でていただく。9番法輪寺の門前の草餅が、相変わらず人気だ。8番熊谷寺では、中門の四天王の解説をする。阿吽の仁王様に代わって四天王が立つときは、向かって右が持國天、左が多聞天となる。その多聞天が、単独でおまつりされると、毘沙門天と名前が変わるのだ。石段を登った大師堂から見る本堂の鬼瓦も素晴らしい。お客様も、盛んにカメラを向けている。7番十楽寺に着く頃には、4時半近くになってしまった。4時半からは、火の用心で蝋燭・線香は運心でと話する。運心とは,字の通り「心を運ぶ」つまり心をめぐらすことで、心中に供養の思いを起すだけで事実にあらわさないことを「運心供養」と云う。本堂では、蝋燭・線香を供え、大師堂では運心でお願いした。
大汗をかいた一日だったが、87歳で両膝が人工骨というおばさんも頑張りきって、大満足。「手術をしてくれたお医者さんに良い報告が出来る」と喜んでいた。8時半ごろ、西大寺帰着。合掌
(写真は、熊谷寺中門の多聞天)

2010年7月26日月曜日

天空で行く高野山詣でー「笑庵」友の会


平成22年7月24日~25日

和尚が大阪ミナミでふらりと立ち寄る「笑庵」は、美人ママの手料理で一杯飲る小さなお店だ。いつの頃からか、常連達で友の会なるものを結成、年に何度か懇親会が催される。この夏は、人気の「天空」に乗って高野山詣ということになった。当然ながら和尚が段取り役だ。2月に「天空」を予約、宿坊の「無量光院」、お昼の「中本名玉堂」をも予約して参加者を募った。「中本名玉堂」には、山内移動のマイクロバスやガイドの手配もお願いした。定員20名のところ、14名が参加、24日11時半に南海・難波駅に集合した。まずは急行で橋本まで、橋本で「天空」の座席指定券と引き換え「こうや花鉄道・天空」に乗車、指定の1号車に乗り込むと、乗客は我々だけの貸し切り状態。「天空」は展望列車で、座席がすべて谷側に向いて2列に配置されている。橋本から極楽橋まで、景色を愛でながらのんびりと登る訳だ。早速、酒盛りが始まるが、和尚は痛風で辞退。極楽橋から高野山までは、ケーブルカーで一気に登る。高野山駅に「中本名玉堂」のマイクロバスとガイドの井本さんが待っていてくれた。井本さんには、数年前もお世話になっている。車窓から大門の雄大さに声をあげながら、壇上伽藍へ。井本さんの案内で三鈷の松、西塔、御社、六角経堂、金堂、根本大塔と廻る。さらに金剛峯寺を拝観、法話もあって充実した御参りに。お宿は和尚の定宿「無量光院」、お風呂で汗を流して、18時より夕食。二つの御膳は全て精進料理、高野山の宿坊は、初めてという人がほとんどで、何もかも初体験のようだ。食後は、一部屋に集合して宴会の続き、若い役僧二人も呼び込んで、楽しい宴だ。和尚も5日ぶりに焼酎を手にした。25日は、6時から本堂で朝勤行、二日酔いもなく全員参加。和尚は、内陣で法要に参列、職衆に加わった。お勤めの後、土生川正道前官に御挨拶。朝食を済ませ、8時半に出発、山門で土生川前官に入っていただいて記念写真。井本さんの案内で奥の院へ。奥の院の案内は、さすがに公認ガイドでないと要領を得ない。2時間ほどかけて参拝し、霊宝館に向かう。最近、リニュウアルしたとは聞いていたが、その充実ぶりには驚かされた。国宝「聾瞽指帰」・「仏涅槃図」や重文「孔雀明王像」・「血曼荼羅」などなど、国宝と重文のオンパレードだ。皆そのすごさに驚くばかりだ。お昼をいただき、お土産を買い込んで、特急「こうや」で帰路へ。
「無量光院」は、住職の引率する団体の飲み物は、すべて御接待ですと料金は受け取らない。大酒飲みの「友の会」としては、申し訳ないやら、ありがたいやら。本当にお世話になりました。合掌
(写真は、壇上伽藍。根本大塔の手前、左は御影堂、右は三鈷の松)

四国 1回 1番~6番


平成22年7月23日

1回目のスタート月で、和尚も何度か添乗する予定だったが、18日頃から右足のかかと付近が痛みだした。19日には、讃岐の櫻谷先達や遍路小屋の別所夫妻などが東寺の特別拝観で来られたので、御供した。痛みをこらえて、何とかお供したが、20日の朝になると、歩けない。金剛杖を頼りに医者に行くと、痛風の可能性大とのこと。21日の西大寺発の添乗は、勘弁してもらって静養に努めた。23日の堺発の第1回目は、杖を頼りになんとか添乗できた。その前の17日の添乗は、西大寺から乗車。3連休の初日の土曜日に当たり、スタートから渋滞。淡路SAでのトイレ休憩も繰り上げて垂水SA、いつもは1番霊山寺、2番極楽寺と打ってからお弁当にするのだが、鳴門西SAでお弁当を積み込むやすぐ食べていただくことに。1番から順打ちでお参りして、6番安楽寺の打ち止めは、17時を廻っていた。なんとか廻り切ったが、時計とにらめっこの一日だった。この日は、梅雨明け宣言がでた日で、気温は急上昇、お勤めするのに日陰を求めての一日でもあった。23日の堺発は、大変スムースで、16時には打ち止め。17日は38名、23日は35名のお客様、またまた良いご縁をいただきました。合掌
(写真は、3番金泉寺の「黄金井」)

2010年7月20日火曜日

秀寛和尚と巡る讃岐一国バス遍路

平成22年7月21日

恒例の和尚と巡る一国まいりのスケジュールが決まった。春・秋と年2回の一国巡りで2年間で結願する行程だが、いよいよ今回で4回目の結願コースだ。勿論、循環型なので、どの回からスタートしても良いのだが、取敢えずのけじめと云う訳だ。今回は、讃岐の国となるのだが、前回の伊予の国の6ヶ寺が残っている。スケジュールは、以下の通り。
 
11月14日(日) 21時新大阪駅集合~難波~南港  
 フェリーにて東予港へ(船中で宴会?)
11月15日(月) 60番横峰寺~69番観音寺 10ヶ寺 
  善通寺いろは会館泊
11月16日(火) 70番本山寺~79番高照院 10ヶ寺 
  オークラホテル丸亀泊
11月17日(水) 80番国分寺~88番大窪寺 09ヶ寺  
20時30分頃新大阪駅着予定
       参加費 73,000円(税込)

お申し込み・お問い合わせは、「ハロートラベルサービス大阪」
☎06-6306-6411(橋本哲平)
または、和尚まで☎090-2351-3927(田尾秀寛)
e-mail:tao6637h@m5.kcn.ne.jp

2010年7月14日水曜日

四国 1回 1番~6番



平成22年7月11日

阪急トラピックスの四国遍路は、年に4回スタートする。1月、4月、7月、10月で、今月は第1回が始まる月だ。和尚は、西大寺発のバスに添乗した。全国的な雨模様の予報の中、御客様は25名、ほとんどの方が、初めてのお四国だ。集合時間近くになっても、アシスタントが到着しないと思っていたら、やはり朝寝坊の電話、淡路島のトイレ休憩に間に合いそうということで、予定通り出発。第1回のバスでは、お話することが多く、1番霊山寺まで、ほぼしゃべり通しとなる。仏前勤行次第・お遍路の作法・納経用品などの解説が、中心だがお経の唱え方にも時間を割く。特に般若心経は念誦法というか、読み癖があり、最初によく理解してもらわないと統一したお経にならないからだ。今日は、各地から6台のバスが出ているとの事だったが、奈良発が一番遠いようで、霊山寺の法話・受戒も最終組、そのためかほかのバスとの接点もなく順調にお参りできた。しかも雨模様の予報にもかかわらず、ほとんど降られることもなかった。6ケ寺を打ちあげて、「阿波之里」で買い物休憩、和尚は、いつもの「青唐辛子味噌」(630円)を推奨しておいた。ここでしか購入できないしろもので、和尚の愛用品だ。「ちりめんじゃこ」と「キャベツの糠漬け」と「青唐辛子味噌」の合体が酒の肴に最高なのだ。合掌
(写真は、5番地蔵寺に巣をつくる燕のひなと4番大日寺の水蓮)

2010年7月8日木曜日

四国4回 17番~18番


平成22年7月5日

堺から四国4回・阿波の国の最終コースに添乗した。お客様は29名。まずは17番井戸寺へ向かう。蜂須賀公の大谷別邸の御門を移築した豪壮な山門をくぐって本堂へ。本堂を守るおば様と久しぶりのご挨拶を交わす。いつ拝んでも、ここの七佛薬師には圧倒される。大師堂から日切り大師堂とまわる頃になると、お客様も気分的にほぐれてきた様子だ。少し早めのお弁当をいただきながら20番鶴林寺へのミカン山を登る。日本観光中山ドライバーは、このコースは初めてとのことで、相当緊張している。梅雨空で、曇っているため視界は良くない。鶴林寺から21番太龍寺ロープウエイへの道も、道幅が狭い上に木々の枝が道路に被さりバスはノロノロ運転を余儀なくされる。「もう肩がパンパンですよ」とは、中山ドライバー。「さすがプロはすごいねェ」とは、お客さん。お陰で、22番平等寺まで廻ることができた。残念だったのは、ロープウエイや太龍寺の大師堂辺りから、鶴林寺の三重塔が見えなかったこと。16時45分初日を打ち上げ、宿の偕楽園へ。6日は余裕をもって8時出発、午前中に18番恩山寺、19番立江寺、23番薬王寺と廻る計画。恩山寺周辺は、源平合戦・屋島の戦いに向かう義経軍が上陸した地点にあたり、丘に義経の騎馬像が立っていたり、「義経橋」という名の橋があったりしている。そんな訳で、義経の話をひとしきりさせてもらう。立江寺は阿波の関所寺。亭主殺しの「お京さん」の黒髪が本堂の鉦に巻きつき宙吊りとなったが、懺悔すると頭の皮ごと削げて助かったという。その黒髪を祀る黒髪堂が大師堂の右にある。こわごわ覗き込み、ため息をつく女性も。厄除けの寺として全国的に有名な薬王寺は、和尚の師僧・東寺の砂原秀遍長者の修行された寺でもある。お参り後、瑜祇塔まで還暦坂をのぼる。五智如来を参拝して、上層にあがり、海亀産卵の日和佐の海や日和佐城を望む。昼食を済ませ帰路に。休憩の「阿波之里」では、和尚定番の「青唐辛子味噌」を推奨。17時過ぎには、堺到着。本当にスムースな2日間でした。お疲れ様。合掌
(写真は、太龍寺のご廟。高野山奥の院と同じ構造になっている)

2010年7月2日金曜日

ふらりと西国二ヶ寺へ



平成22年7月2日
箕面へ所用があったので、23番勝尾寺と21番穴太寺に足を延ばしてみた。勝尾寺はスコールのような通り雨の直後で、緑が新鮮で美しい。「勝運の寺」として名高いが、かっては「勝王寺」であった。第6代座主「行巡」が清和天皇の病気平癒を祈り、功験を示したところから王に勝つ寺「勝王寺」の寺名を賜ったが、しかし寺は、恐れ多いと「王」を「尾」に変えたという。仁王門に掲げられた扁額は、正面が山号の「應頂山」だが裏正面は「勝王寺」であった。本堂でお参りを済ませ、納経所に行くと、係の女性がご宝号を唱えながらご朱印を押してくれる。こんなのは、初めての経験だ。丁度、1時半の御祈祷の時間となり、全山に設置されたスピーカーから流れる般若心経や観音経を聞きながら石段を降りた。駐車場に戻ると、「後ろが半ドアですよ」と一声。さわやかなお参りだった。駐車料500円、入山料400円、納経料300円。駐車料領収証には、「交通安全 祈祷料証 駐車券」とあり「交通安全祈祷料受納しました」とある。しかも金額は書いていない。これは、もしかすると節税対策かな?
国道423号を1時間ほど走り、穴太寺へ。寺名の読み方が難解で、「あなおうじ」と読ませる。そう広くはない境内だが、今昔物語に本尊が薬師如来から聖観音に変わった由来が出ている程の古刹だ。(705創建)本堂・庭園合わせての拝観料が500円との表示を見て、拝観することにした。巡拝バスに添乗して来る時には、なかなか時間が取れない。今日は良い機会だ。本堂の右奥には、木造の釈迦涅槃像が安置されている。諸病を治す「なで仏」で、参拝客がなでさすられて、金銅仏のようにピカピカだ。御本尊の前に座り、ゆっくりと勤行させていただき、御庭を拝見。庭越しに見る多宝塔が、何とも言えずいい。こちらの納経所もさわやかな女性たちが係だった。駐車料400円・特別拝観料500円、納経料300円。
帰路は、京都・洛西に出て、大山崎ICから第2京阪を利用して近畿道、西名阪にて帰宅。ふらりという割には、良く走った一日だった。合掌
(写真は、穴太寺の庭園からみる多宝塔と勝尾寺多宝塔)

2010年6月29日火曜日

東京からの西国2回 


平成22年6月27~28日

珍しく、東京からの西国巡拝を迎えることになった。新幹線で三河安城まで来て、そこからバスで東名阪・西名阪を走り、和尚とは針テラスで合流となった。昼前に、針テラスということなので、のんびりと出発し、榛原駅まで来ると、何と針インター行きの路線バスがいるではないか。いつもは、時間が会わずタクシー利用なのだがバスに揺られることになった。田舎道を35分ほど走ると終点が針インター(750円)、小型のバスは、ハイキング客で満員状態だが、終点まで乗っていたのは、和尚だけだった。東濃鉄道バスにお客は42名、早速朝のお勤めの後、明日香村の「あすか」で遅い昼食。せっかくだからと「石舞台」の見学時間も取って14時過ぎに7番岡寺(龍蓋寺)から打ち始める。21日に満開だったサツキの古木(樹齢500年)は、半分ほど散ってしまっていた。本堂の如意輪観音様のお膝元でお参りし、内陣の拝観、「薬師三尊と十二神将」のお軸を前に、太陽は男か女かと質問する。圧倒的に男の意見が多かったが、正解は女だ。「太陽の光をいただいて月は輝く、うちの旦那はだめだという奥さんは、自分が旦那を輝やかしていないのですぞ。」と兄弟子・土口哲光師の受け売りの説法をする。「もう、手遅れと」つぶやくご婦人もいて、どっと笑いが起こる。番外・法起院から8番長谷寺と廻る。長谷寺のアジサイは、さらに美しく輝いていた。御影堂の扉は閉まっていたが御参りし、五重塔で五智如来の話をする。皆の宿舎は、橿原ロイヤルホテルだが、和尚とアシスタントは自宅に戻り、明朝7時半に集合だ。御客様には、早起きして橿原神宮のお参りをお薦めしておいた。
28日は、8時に出発して6番壺阪寺(南法華寺)に、「壺阪霊験記」のお里・沢市で名高い眼の観音様をお側で拝し、広い境内を案内しながら廻る。皆さん、写真撮影に夢中だ。そして、最大の難所・4番施福寺を登る。時節柄、無理をしないようにと忠告していたせいか、数人は途中であきらめてふもとの茶店で待っていたようだ。それでも、「昭和一桁世代の意地よ。」と登りきったおばあさまには、感服。大汗をかいた後は、9番興福寺・南円堂に向かう。国宝の宝庫とあって、お参りの後は、1時間ほどのフリータイム、阿修羅像や東金堂、猿沢の池など思い思いの時間を過ごされたようだった。15時半、興福寺でお見送りして帰路についた。梅雨の最中にもかかわらず、2日間ともに天気に恵まれ、本当に日頃の行いの素晴らしい方々だった。合掌
(写真は、興福寺の五重塔)