2009年6月26日金曜日

トラベル日本 西国8回 25番~27番

平成21年6月17日

久しぶりの西国順拝、25番播州清水寺、26番一乗寺、27番圓教寺の3ヶ寺。難波のOCTから乗車し、梅田を経由して、逆打ちでまわる。お客は31名、添乗員は民部、木谷の男女ペア、バスは日本交通(安井ドライバー)。今回の見所は、御開帳中の圓教寺、摩尼殿で勤行の後、内陣に入り本尊如意輪観世音菩薩、四天王立像を心行くまで拝ませていただいた。また、大講堂で開基の性空上人像が御開帳、しかも鎌倉、平安期のもの二体。ご本尊釈迦如来、脇侍の文殊菩薩、普賢菩薩と合せてお寺の係員から丁寧な解説をいただく。
文殊、普賢菩薩の立像というのも珍しいが、手に何も持たないスタイルというのもあまり拝見しない。係員にも質問して見たが、お姿より釈迦の脇侍ということでの文殊、普賢という判断だろう。
播州の田舎道を走行中に目に付いたのぼり、田植えの終えた「たんぼ」に立ててある。「山田錦契約田」とかかれてある。なるほど、酒どころも近いと納得。

2009年6月19日金曜日

阪急トラピックス 四国9回 52番~59番


平成21年6月15日~16日

弘法大師のお誕生日の15日、梅田経由難波8時半のバス遍路が今治方面の札所へ向かった。添乗員は、高橋、福田のギャルコンビ、バスは商都交通、住吉ドライバー。この日の高野山の誕生会の法要には、開闢以来はじめて天台座主半田孝淳師が参加するというので、注目をあびていた。
中国道三木SA,鴻池PAで休憩後、13時ごろ石鎚山ハイウエイオアシス到着、「リンリン」にて昼食。食事(じきじ)作法はいつもの通り、弘法大師の御宝号を3唱し、
「一滴の水にも天地の恵みを感じ
 一粒の米にも万民の労苦を思い
 ありがたくいただきます。」と唱える。そして「いただきます。」
この唱え方には、和尚は異論がある。
そもそも十善戎の第一に「不殺生」とあるが、これはあらゆる命を持つ「衆生」に対するものである。しかし、我々は、生きるために命あるものを食さねばならない。殺生して活かされているわけだ。だから、「いただきます」の本意は、「あなたのお命いただいて、活かさせていただきます」ということなのだと思う。
15日は、国分寺、栄福寺、仙遊寺の3カ寺。国分寺前の「五九楽堂」さんが、いつもながらミニタオルのご接待を全員にしてくださる。ホテルは、道後温泉ホテルルナパーク。道後に来ると、必ずご挨拶にゆくのが商店街にある柴田晴石さんのお店、一見すると砥部焼きのお店のようだが、奥に入ると象牙製品が置いてある。
柴田さんは80歳を超えたが、日本では有数の象牙細工師なのだ。
道後を案内して欲しいという男性客二人を伴って、散策の後は、地ビールのお店へ。坊ちゃんビールにじゃこ天という定番メニューで、おしゃべりの一時、「魂魄合せて、人は生き、魄は滅びても、魂は死せず」などと
話をさせていただいた。(ご接待感謝)
16日の朝一番は太山寺へ。駐車場から、本堂へ歩いていく参道がなんといっても素晴らしい。心洗われる思いがする。円明寺、延命寺、泰山寺、南光坊と見所を解説しながら周り、少し遅めのお弁当は、鈴木弁当店の
「醤油めし」。結構ボリュームもあり、美味だった。
帰路は、しまなみ海道経由、大三島で「しまなみ宝船」に立ち寄り大阪へ。難波18時30分着。

2009年6月14日日曜日

お遍路さんの作法(3) お遍路さんの姿

平成21年6月14日

今回は、作法というより、お遍路さんのお姿について書かせていただきます。基本のスタイルは、白衣(道中衣)に菅笠、金剛杖。(和尚は遍路の3点セットといいます。)それに輪袈裟です。
このスタイルの意味するところは何でしょうか?ずばり、死に装束です。
「私が行き倒れになったら、着の身着のままで道端に埋めてください。すでに死に装束の白衣を身に付けています。」「できた土饅頭に菅笠を乗せてください。始めから葬送の道具である笠をかぶって歩いています。」
笠には、4行の偈がかかれていますね。『迷故三界城 悟故十方空 本来無東西 何故有南北』本来この偈を書いた笠を棺桶に乗せて死出の旅立ちの道具としたのです。
「そしてその土饅頭に金剛杖を突き立ててください。墓標を杖として歩いて来たのです。」
金剛杖の上部に袱紗がかかっていますね。あれは手の滑り止めではありません。中に五輪の塔が刻んであるので、守っているのです。下部から「地・水・火・風・空」、つまり角卒塔婆です。
そして、輪袈裟は、我々僧侶が法要の際に身につける袈裟を折りたたんだものといえます。ですから尊いものです。従ってトイレに行くときや、食事の時には外しなさいと指導されるでしょう。
最近のお遍路さんは、3点セット+輪袈裟というスタイルの方が少なくなりました。残念なことです。合掌

2009年6月12日金曜日

小雨の高野山

平成21年6月10日

電通関西支社の社友会(OB会)主催のバスツアーで高野山を案内することになった。和尚をいれて総勢20名(男女半々)、大先輩とそのご家族、友人で和尚が最若輩だ。8時半に電通集合、バスは奈良観光バス(大西ドライバー、瀬川ガイド)。
和尚が用意した資料は
①高野山縁起(後宇多法皇御幸記を中心に)
②高野七口の地図(七つの登山道)
③山内案内図
④訓読み般若心経
⑤自由訳・般若心経(2005年 新井満)
⑥勤行次第
バスは阪和道泉南ICを下り、根来街道、かつらぎ町、国道480号を経由して高野山へ。トンネルの開通で、従来の九度山ルートに比べ、曲がりくねりが少なくうんと楽になった。
根来寺を通過する際に、新義真言宗や興教大師覚鑁について解説。一度の休憩で、11時ごろに壇上伽藍に到着。大塔に入堂して五智如来を拝す。
昼食は、いつもお世話になる「無量光院」で精進料理。皆、寺生の内海師のお酌で麦般若、般若湯をいただく。大先輩達はご満悦の表情。内海師は、和尚が大学道場で修行中の折の指導員の一人、目下「無量光院」の寺生として大学院に通っている。いつもお世話になり有り難し。

小雨の中を「中の橋」から「奥の院」への参道を歩く。各企業の供養塔や各宗始祖の墓、諸大名の墓などが続く。奥の院参拝がはじめての方は、感動しきり。ご廟の前で、職員の話し、「インフル騒動で、参拝客が激減、誕生会の15日に向けて、毎年満員の宿坊に空きがある。はじめて比叡山の座主さんがお見えになるというのに・・・」。お陰で、社友会の一行は貸切状態の奥の院を堪能させていただいた。(和尚は納経帖持参で、14周目のご朱印をいただいた)。森下商店の名物「胡麻豆腐」などお土産を買い込み下山。

帰路、日本ではじめて全身麻酔による外科手術を行った華岡青洲の館を見学。(元診療所跡)
乳がんの手術法を図解した巻物なども展示されていた。

予定通り、17時半に電通到着。車内での飲み物からおやつまでご手配の鈴木・信岡両先輩を始めとする幹事の皆様、お疲れ様でした。

解散後、藤本・曽我見両先輩と昔馴染みの「楽苦美」で一献。久しぶりに会うラグビー仲間の露口店主は、すっきりとスリムに変身し、元気そうだ。

和尚は、お布施までいただき、申し訳けなし。次の機会には、京都・東寺の特別拝観をご案内します。合掌

阪急 四国3回 12番焼山寺~16番観音寺

平成21年6月9日

梅田を経由してバスは難波を8時15分に出発。豊岡添乗員、堀アシスタント、日本交通バスの森本ドライバー、中村ガイドそして和尚の5人チーム。お客さんは36名。
淡路SA,鳴門西PAで休憩後、12番焼山寺に向かう。焼山寺は、「遍路ころがし」といわれる険しいお山のひとつ。鮎喰川を上流まで上ったところでマイクロバスに乗り換え山頂へ。
途中に「杖杉庵(じょうしんあん)」がある。
「杖杉庵」は、遍路の元祖と俗説にいわれる衛門三郎の終焉の地。衛門三郎は、伊予松山郊外荏原郷に屋敷を持つ長者であったが、強欲で托鉢にきた空海を二度に渡って追い返し、二度目は、竹箒で空海の持つ鉢を叩き割る。鉢は八つに割れたという。三郎には8人の子供がいたが、翌日から毎日一人づつ亡くなり、皆亡くなってしまった。三郎は、ようやく自分が手にかけた僧が空海だと悟り、一目あってお詫びがしたいと後を追うのである。しかし20周廻っても会うことができず、そこで逆に歩けば会えるに違いないと、今で言う「逆打ち」を試みる。死を目前にした三郎がようやくめぐり会えた地がこの「杖杉庵」の場所なのである。
両手をついて懺悔する三郎に、罪障消滅を告げ、来世の望みを聞くと「国司の家に生まれかわりたい」という。そこで小石に「衛門三郎再来」と墨書して手に握らせ、埋葬して墓標代わりに金剛杖を立てたが、その杖から根が出て大きな杉に成長した。その故事にちなんで「杖杉庵」というのである。(今の杉は2代目とか)
後年、伊予の国司、河野家に男児が誕生する。しかしいつまでたっても、握った手を開かない。心配になった国司が、菩提寺の「安養寺」の住職に頼み、加持祈祷をしてもらうと子供は手を開き、中から「衛門三郎再来」と書かれた小石がころがりでた。その奇縁により「安養寺」は「石手寺」と改称、それが51番札所。

そんな話をしながら上りきると駐車場、山門までの整備された参道の山側斜面には、不動明王を始めとする数体の大石仏が寄進され安置されている。独特の雰囲気だ。境内には、樹齢数百年級の杉木立が林立し、訪れるものを圧倒する。虚空蔵菩薩をまつる本堂右には新築の大師堂、左には三面大黒天堂。本日の打ちはじめなので、本連念珠の使い方、3通りの合掌を解説しおまいり。

13番大日寺までの車中でお弁当を食べていただきながら、寺の縁起を説明する。大日寺なのになぜご本尊は、十一面観音なのか?とか「幸せ観音」、そして本堂の柱に残る「横綱大鵬」の納め札・・・
14番常楽寺の境内は、別名「流水岩の庭」と称せられるように急流の川底状になっている。また、お四国では唯一、ご本尊は弥勒菩薩。アララギの大木の幹の枝分かれの空間に石造の大師像が安置されている。(アララギ大師) 
14番から15番国分寺までの800mは、まったくの歩き遍路。途中にある「真言八祖」を祀るお堂で、一旦皆を掌握し、おまいり。本堂の「リン」を使って叩きかたの説明、「リン」の円を時計の文字盤に見立て、7時のところを打ちから外に甲乙(強く弱く)に2打する。(意外と知られていないが、和尚は大学の道場で厳しく指導を受けた。)大師堂でのおまいりの際に、練習してもらった。この寺で頒布する大判の「うすさま明王」のお札を求める方も。(大師が唐から請来した明王で、トイレに貼る。下の病に効能)
16番観音寺の本堂も近年新築されたもの。旧本堂の古材を随所に使用している。大師堂の右には「夜泣き地蔵」も。この寺には、大師直筆の光明真言の梵字の印版が伝わり、白衣(道中衣)の両襟に半分づつ刷り込んでもらうことができる。(1500円)おまいり後、6人ほどが、列をなし、それを待って帰路に。
阪神高速の渋滞もなく19時過ぎには、難波に帰着。電通の先輩の友人や、隣町香芝在住の方も同乗で、今日もまた、良いご縁をいただいた。合掌

癖馬(くせうま)人生

平成21年6月8日

四条畷市清滝に宗教法人「成友会」の道場がある。会長の小笠原 達師は元立正佼成会豊中教会の教会長をされていたが、東京転勤の話が起こるや、大阪に留まって欲しいという会員の懇請を受けて退職し、独立したもの。20年前のことである。その以前より、宗教新聞「中外日報」の記者であった和尚の兄弟子である土口哲光師(現・東寺教化部長)との親交があり、和尚は、そのご縁で小笠原会長の「自叙伝プロジェクト」に参画することとなった。
今秋の発刊を目指してのサポートチームに「たる出版」副社長揚野 寛氏、編集工房エディト岡弘俊己氏の両氏に参加を願い、作業は半ばを過ぎたところ。小笠原会長のお招きで、土口哲光師とチーム3人が昼食の卓を囲むこととなったわけである。成友会幹部の方々とのなごやかな食事の後、書名をどうするかとの話題になった。
小笠原会長が師と仰ぐ故庭野日敬立正佼成会会長から付けられたニックネームが「くせんま」だという。どういう意味か一瞬わからなかったが、これは四国の方言で漢字で書けば「癖馬」だという。なるほど組織の中に納まりきれない、前向きな姿勢を評してのことか。早速これをいただき、タイトルは「癖馬(くせうま)人生」、そして毎日の法話のテーマである「煩悩即菩提」をサブタイトルとして加えることとなった。
      「癖馬(くせうま)人生」 
              -仏の命・煩悩即菩提ー
波乱万丈の人生、悩める人々と共に悩み、救いの手を差し伸べる人生。今秋の発刊が待ち遠しい限り。合掌

2009年6月6日土曜日

遍路閑話

平成21年6月6日

遍路仲間の西岡看護士に誘われて、お昼を一緒することに。キャベツ1コを持参することとの条件がついている。我が家から、車で15分位、キャベツを仕入れ訪問。それがなんと「野菜の重ね煮」の料理講習会、感動しました。講師は、長野から4時間走ってきたという自然食研究家の山岡孝幸氏、本業は一級建築士。野菜を一定の法則で、順に積み重ね、とろ火で煮込むだけ。少しお塩を入れるだけで、野菜相互の旨みがかもし出され絶妙の味になる。そのままいただいたが美味。それをベースにいろいろな料理に展開できる。しかも冷蔵庫で保存すれば、1週間から10日は、大丈夫という。「山川草木悉皆成仏」を肌で感じた一時だった。

また、遍路仲間の大阪市福島区の山科さんからお便りをいただいた。早速、和尚のブログを読んでいただいたとのこと。しかもお嬢さんに、プリントアウトしてもらってとのこと。ありがとうございます。
6月も阪急トラピックスのバスで32番禅師峯寺から37番岩本寺までお参りの由、ぜひ35番清滝寺のお薬師像の台座にある戒壇巡りをご体験ください。漆黒の闇を経験する良い機会と思いますよ。

遍路仲間というより、「プロ遍路」の域に達していると和尚が思う武知悦子さんから絵葉書。鎌大師でご両親の月まいりを済ませ別格の慈眼寺へ向かったとのこと。相変わらずの歩き遍路の様子で、元気そう。和尚の錫杖がお供しているようだ。

2009年6月5日金曜日

お遍路さんの作法(2)

「出鐘は突くな 」
境内に梵鐘がある時、どのタイミングで突きますか。山門を入って、おまいりの前に突きましょう。
おまいりの後に突くことを出鐘といい、「お財布からお金がでていきますよ」というのです。
「入り鐘」を突きましょう。

「橋の上では、杖をつくな 」
弘法大師は、高野山奥の院でご入定されていますが、今なお、全国を遊行され衆生をお守りいただいています。この橋の下で、仮眠されているかも知れないので、杖をついて妨げないようにというのです。
かって、伊予の国大洲のあたりを巡錫中の大師は、一夜の宿を求めるも、農繁期で多忙の為か、どなたも泊めてくださいませんでした。やむなく大師は、橋の下で野宿をされましたが、あまりの寒さに「一夜が十夜のごとく感じられた」といいます。
その橋は「十夜ヶ橋」といい、別格二十霊場の札所となっています。橋の下には、横になって仮眠されている大師の石像があり、寒かろうというので、お布団が奉納されています。
そのとき大師は「生死の六道に生き悩む衆生をして、早く信仰の橋を渡らし、常楽の彼岸に至らしめん」と大悲の御心を歌に詠まれました。
     
         いき悩む浮世の人を 渡さずば 一夜も十夜の 橋と思ほゆ

お大師さまのお導きー20年振りの再会

平成21年6月2日
 和尚が、電通関西支社の新聞雑誌局で中央紙を担当していた20年前、本州と四国を結ぶ瀬戸大橋が開通した。その記念に橋をはさんで岡山と香川で博覧会が開催された。電通は中央5紙と計らい、記念特集を組むこととなり、広告は5紙共同プロモートで共通紙面を作ることとなった。手分けし、チームを組んで東京や大阪など関連業界や企業を駆け巡ったのだが、和尚の担当は、岡山、香川の両博覧会の事務局であった。
 その頃の電通高松支社長が、筏壮児先輩で、大変お世話になった。2月23日付四国新聞に掲載された和尚の「月曜随想」をご覧になってお便りをいただいた。高松で一献やろうというのである。四国への遍路バスには乗るものの、中々機会がなかったが、6月2日に開催される徳島での「引導作法」の講習会に引っ掛けて、高松に寄らせていただくことにした。
 せっかくなので、遍路仲間の櫻谷和香先達(姉弟子)、池田實氏も合流させていただくことにして、会場の「喜代美山荘 花樹海」に赴いた。お待ちいただいていたのは、筏先輩をはじめ、かっての博覧会協会事務局長で元副知事の本多英信氏、NPO法人遍路とおもてなしネットワーク 理事の二ノ宮博之氏、ソニーのシニアマネージャーの倉持誠一氏そして東京大学名誉教授、竹内信夫氏。竹内教授は、高野山大学院でも講座を持たれている。一同に会してみると、友人の友人はまた友人のたとえのように、本多氏と元連合香川会長であった池田氏とは旧知の仲、自己紹介をし、弘法大師の幼名「真魚」(まお)をブランド名にした地酒で乾杯にいたると、お四国や善通寺、共通の友人の話など話題は尽きず、夜遅くまで歓談は続いた。
 次の日は、高松市牟礼にある「ジョージナカシマ記念館」にご案内いただいた。ジョージナカシマは、米国籍の日系二世の世界的家具作家、1964年にはじめて高松を訪れ、地元職人達を中心とする「讃岐民具連」を知り、参加。この記念館を運営する桜製作所の協力を得て1968年から8回の「ジョージナカシマ展」を東京で開催、1990年に亡くなった後も、彼のデザインの家具は、米国ニューホープの工房と高松の桜製作所の2ヶ所で作り続けられているという。
 木目の美しい無垢材を使った手作り、木の特性を活かした構造とシンプルで知的なデザインが、素晴らしい。http://www.sakurashop.co.jp/
 お昼は、元与力屋敷という讃岐料理「郷屋敷」。二ノ宮氏の友人がはじめたお店で、当時うどんが2~300円の時代に1000円のうどんの店を出すというので、友人達がすぐ立ち行かなくなると心配したそうだが、なんと行列のできる有名店に。なんといってもたたずまいが素晴らしいし、襖絵も見事。筏先輩も、出張で訪れる会社の幹部を案内して良く利用したという。釜揚げうどんを所望したが、天麩羅もおいしく、和尚一人うどんを追加。
 櫻谷先達、竹内教授の到着を待って、真言宗善通寺派「願興寺」の観世音菩薩(重文)を拝観に向かう。願興寺の「笑顔講」の皆さんを東寺から高野山にご案内したこともあるので、ご住職夫妻とは顔なじみ。目下、本堂の新築中で、竹内教授は、こんな機会はめったにないと骨組みなどに興味深々の様子。
 収蔵庫を開けていただいて観音様と久しぶりにご対面、お顔が興福寺の阿修羅像に相通ずるところがあると感想を述べると教授も同感の由。同時代のものだけに、工房も同じかもとの教授の意見。
 ゆっくりお話を伺う暇もなく、和尚は、大阪早稲田倶楽部の理事会に出席すべく大阪へ車を走らせた。理事会に、電通の山下元副社長が出席されていて、筏先輩のお世話になったとお話しすると、彼は元気だったかとなつかしそう。
 本当にありがたいご縁をいただいた2日だった。弘法大師のお陰ですと筏先輩はおしゃっていたが、
まさにその通り。南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛。    合掌

読売旅行(奈良)四国8回 37番~40番

平成21年5月31日
 大和西大寺駅南口8時集合。ここからは22名が乗車し、総勢は44名。お四国では最長のコースとあって奈良観光バスのドライバーは岡田、炭本両氏の二人体制、添乗員は、久保田、佐藤のギャルコンビ。
 読売奈良の遍路バスは、毎回訪れるお寺の案内を「つづづれ旅情報」としてお客さんに配っている。中々の力作で、和尚が教えられることも多いすぐれもの。また、毎回必要な納め札を配っているのもお客さんにとっては、ありがたいサービス。
 阪神高速神戸線の工事渋滞で若干の遅れをみたが、淡路SA、吉野川SA、道の駅「かわすその里・すさき」で休憩の後、14時半過ぎようやく37番岩本寺に到着。
 岩本寺は、ご本尊が5体あり、各々のご真言を唱える。ご本尊以外に 脇侍の佛が幾体かいらっしゃることは、多いが、不動明王、観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩の5体がすべてご本尊というのは、大変珍しい。本堂の格天井の絵は、昭和53年の新築時に全国から公募したもので575枚あり、花鳥風月は勿論のこと、マリリン・モンローの肖像画まである。
 駐車場の隣に「手作りアイスクリームの店・此処や」があり、変わり風味のアイスが評判の店。きな粉、しょうが、青海苔、バニラ、ミルク、緑茶の風味から2種類を選ぶことができる。(200円)いつもながらの行列で、皆さんおいしいと好評。
 時間との競争で、39番延光寺に着いたのが16時半、火災予防の観点からローソク、線香を自粛し、「運心」ということでおまいりしてもらうことに。延光寺は、赤亀が竜宮城から梵鐘を背負って帰ってきたとの伝説からご朱印が亀の図柄で、20番鶴林寺の鶴のご朱印とセットにして道中衣(白衣)の押してもらう遍路も多い。和尚のバスの皆さんも大半が、押していただいたようだ。また、弘法大師の「目洗いの井戸」で霊水・宝医水を汲み、眼病封じにまぶたに塗る人も。
 足摺岬の曲がりくねった道を抜け、宿の「海上館」到着は18時半。ウエルカムドリンクとして土佐の銘酒「司牡丹」が振舞われ、部屋に荷物を置いてただちに夕食。鰹のタタキにブリの刺身を中心とする「さはち料理」をいただく。
平成21年6月1日
 早朝4時、鳥の声で目覚め。5時ごろの日の出を拝もうと散策に出る方も。玄関前の3mの大サボテンに黄色の花が満開状態。さすが南国と感嘆の声しきり。朝食時に各自のペットボトルに冷茶のサービス。
 7時半出発、38番金剛福寺に一番乗りにもかかわらず、本堂前はすでに打ち水が打たれすがすがしく感じる。境内中央に建設中の岩を配した大池も、ほぼ完成し、中には金魚も。大師堂前で清掃中のご婦人二人と朝の挨拶を交わし、お勤め。お堂の左手に安置されている五智如来について説明、特に大日如来の印や菩薩形のお姿の意味などを話したが、お二人も一緒に聞き入り、お礼を言われたのには恐縮。 おまいりの後、「七不思議」を解説しながら岬の展望台から灯台を一巡り。
 40番観自在寺に向かう車中で、新井満の「自由訳・般若心経」の素晴らしいポイントについて説明する。昨夜、希望の部数を宿にコピーして貰っておいたもの。僧侶や学者の訳は、言葉にとらわれて、どうしても難解なものになりがちだが、自由訳と名打つように、真髄を捉えてとても解かり易い。
 観自在寺には、弘法大師が刻まれた舟形の「南無阿弥陀仏」の宝印が残されており、さらしに刷り込み授与している。病気平癒に功徳あるとして求める遍路も数多い。(1500円)
 大師堂前には、五鈷杵を中心に右に三鈷杵、左に独鈷杵の大きな法具が安置され、お遍路さんがなでて功徳をいただく。またお堂をぐるりと一周する八十八ケ所のお砂踏みがあり、正面に戻ると奥の院ということになっている。御宝号を唱えながら、皆で一周。 境内には「薬子の変」で鎮圧された平城上皇がこの寺で、剃髪されており、その遺髪を納めた五輪塔 がある。
 無事、打ち止めして昼食は四万十川に面する「アカメ館」。鰻や川海老など四万十川にちなんだお弁当。添乗員から観自在寺で預かったと、「七福神」の色紙を届けてくれた。お寺の御心遣い。感謝。
 往路を逆にひたすら走り、西大寺着は20時半。二人のドライバーさん、本当にお疲れさまでした。
次回の予定を確認すると、皆さん6月21日発というではないか。すると先達担当は、和尚ということになる。お客さんは、大喜びだが、さて次回はどんなお話をすべきか、宿題が残った。
 道の駅で、お客さんから土佐名菓「一豊の妻」をお土産にご接待いただいた。ご馳走様です。合掌