2009年6月5日金曜日

お大師さまのお導きー20年振りの再会

平成21年6月2日
 和尚が、電通関西支社の新聞雑誌局で中央紙を担当していた20年前、本州と四国を結ぶ瀬戸大橋が開通した。その記念に橋をはさんで岡山と香川で博覧会が開催された。電通は中央5紙と計らい、記念特集を組むこととなり、広告は5紙共同プロモートで共通紙面を作ることとなった。手分けし、チームを組んで東京や大阪など関連業界や企業を駆け巡ったのだが、和尚の担当は、岡山、香川の両博覧会の事務局であった。
 その頃の電通高松支社長が、筏壮児先輩で、大変お世話になった。2月23日付四国新聞に掲載された和尚の「月曜随想」をご覧になってお便りをいただいた。高松で一献やろうというのである。四国への遍路バスには乗るものの、中々機会がなかったが、6月2日に開催される徳島での「引導作法」の講習会に引っ掛けて、高松に寄らせていただくことにした。
 せっかくなので、遍路仲間の櫻谷和香先達(姉弟子)、池田實氏も合流させていただくことにして、会場の「喜代美山荘 花樹海」に赴いた。お待ちいただいていたのは、筏先輩をはじめ、かっての博覧会協会事務局長で元副知事の本多英信氏、NPO法人遍路とおもてなしネットワーク 理事の二ノ宮博之氏、ソニーのシニアマネージャーの倉持誠一氏そして東京大学名誉教授、竹内信夫氏。竹内教授は、高野山大学院でも講座を持たれている。一同に会してみると、友人の友人はまた友人のたとえのように、本多氏と元連合香川会長であった池田氏とは旧知の仲、自己紹介をし、弘法大師の幼名「真魚」(まお)をブランド名にした地酒で乾杯にいたると、お四国や善通寺、共通の友人の話など話題は尽きず、夜遅くまで歓談は続いた。
 次の日は、高松市牟礼にある「ジョージナカシマ記念館」にご案内いただいた。ジョージナカシマは、米国籍の日系二世の世界的家具作家、1964年にはじめて高松を訪れ、地元職人達を中心とする「讃岐民具連」を知り、参加。この記念館を運営する桜製作所の協力を得て1968年から8回の「ジョージナカシマ展」を東京で開催、1990年に亡くなった後も、彼のデザインの家具は、米国ニューホープの工房と高松の桜製作所の2ヶ所で作り続けられているという。
 木目の美しい無垢材を使った手作り、木の特性を活かした構造とシンプルで知的なデザインが、素晴らしい。http://www.sakurashop.co.jp/
 お昼は、元与力屋敷という讃岐料理「郷屋敷」。二ノ宮氏の友人がはじめたお店で、当時うどんが2~300円の時代に1000円のうどんの店を出すというので、友人達がすぐ立ち行かなくなると心配したそうだが、なんと行列のできる有名店に。なんといってもたたずまいが素晴らしいし、襖絵も見事。筏先輩も、出張で訪れる会社の幹部を案内して良く利用したという。釜揚げうどんを所望したが、天麩羅もおいしく、和尚一人うどんを追加。
 櫻谷先達、竹内教授の到着を待って、真言宗善通寺派「願興寺」の観世音菩薩(重文)を拝観に向かう。願興寺の「笑顔講」の皆さんを東寺から高野山にご案内したこともあるので、ご住職夫妻とは顔なじみ。目下、本堂の新築中で、竹内教授は、こんな機会はめったにないと骨組みなどに興味深々の様子。
 収蔵庫を開けていただいて観音様と久しぶりにご対面、お顔が興福寺の阿修羅像に相通ずるところがあると感想を述べると教授も同感の由。同時代のものだけに、工房も同じかもとの教授の意見。
 ゆっくりお話を伺う暇もなく、和尚は、大阪早稲田倶楽部の理事会に出席すべく大阪へ車を走らせた。理事会に、電通の山下元副社長が出席されていて、筏先輩のお世話になったとお話しすると、彼は元気だったかとなつかしそう。
 本当にありがたいご縁をいただいた2日だった。弘法大師のお陰ですと筏先輩はおしゃっていたが、
まさにその通り。南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛。    合掌

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