2009年11月27日金曜日

西国11回 31番長命寺~30番宝厳寺


平成21年11月22日

連休の中日とあって、高速道路は予想にたがわぬ混雑。9時頃、難波を出発したが吹田IC付近から茨木ICにかけて渋滞だ。天気予報では、午後から雨模様なので、和尚としては、なんとか長命寺だけは、済ませておきたいところ。なにしろ、808段の石段が待っている。半数以上が歩きを選択してくれたので、タクシー組と分かれ、登りはじめる。タクシー組もピストン輸送なので、結構時間がかかり、歩きの先頭集団とタクシー組の後半とは、ほとんど時間は変わらない。
御本尊は、千手・十一面・聖観音の三尊一体という珍しいもの、本堂付近から琵琶湖の風景も臨める。
車中で、お弁当をいただきながら長浜に向かう。なにしろ竹生島への最終便が14時発なので、乗り遅れるわけにはいかないからだ。余裕で、港に到着し約30分の船旅で周囲2kmの竹生島に着く。もともとは神仏習合の島で、弁財天と千手観音が御本尊だが、都久夫須痲(つくぶすま)神社とは渡り廊下でつながっている。納経所と弁財天堂までは、165段の石段を登り、観音堂へはそこから下り、そして神社へという一方通行が本来の順路だ。和尚は、そのルートで案内したが、石段を登らずに、観音堂だけお参りする人も多いようだ。
竹生島発が15時50分なので、たっぷりと時間はある。和尚は、船着き場近くの「山本商店」でご主人の昔ばなしを聞いた。20年前の写真を見せてもらうと、川鵜の被害で、緑が失われているのが良く分かる。巡礼に、弁天堂に参ってもらうため、納経所をその近くに引っ越したとの裏話も聞かせてもらった。お土産もいただいて島をあとにした。
最終便が出ると、後片付けをして、お寺の当直以外は全員島を離れるとのこと。電気も自家発電なので、住民はいないということだ。雨が降り出したが、お参りにはほとんど影響なかった。北陸道~名神を経由して梅田着は19時半、添乗の中村・中原さん、日本交通矢野ドライバーお疲れさまでした。合掌(写真は宝厳寺の石段)

2009年11月25日水曜日

土佐の国 一国めぐり



平成21年11月16~18日

春秋2回で四国八十八ケ所を廻ろうという和尚のオリジナルツアーの第二回目として、土佐の国をお参りした。和尚は、宿泊所を決めただけで、詳細は、ハロートラベルの橋本哲平君まかせ。16日の朝、13名のお遍路が新大阪駅に集合し、一路徳島経由室戸岬をめざした。バスは、大阪第一交通、山下ドライバー。長丁場とあってお昼はお弁当で哲平君の手配は、一富士の「味辯」。九つの枠に仕切られた松花堂弁当だが、色鮮やかに調理されていて、女性軍より「まあ、きれい」と声があがる。
弘法大師の修業霊跡である御蔵洞から空と海を眺めながら、空海の名前の由来を話した。24番最御崎寺のお参りを終えると2時半をまわっていた。25番津照寺の急な階段をクリアーし、26番金剛頂寺にたどり着いた時は3時半、駐車場の「はらみたや」で五鈷杵のペンダントや名物アイスクリンなどを買い求め、一息入れて、境内への階段を登る。堂々たる本堂と薬師三尊、十二神将のお姿を拝して、宿坊に向かう。
金剛頂寺の坂井智宏住職は、四国霊場会の会長を務められていて、兄弟子の東寺・土口哲光師とも昵懇の仲、そんな訳でご無理をお願いした次第だ。奥様の細やかなお心遣いをいただいて、部屋に落ち着き、夕食は皿鉢料理。同行の坪井一宇元参議院議員が先日、勲二等に相当する「旭日重光賞」を受賞したので、皆でお祝いに杯を挙げた。
(素晴らしい宿坊とは、聞いてはいたが、設備、料理などなど最高だった)
17日の朝、6時より護摩堂で勤行。早朝の外気が吹き込む中での読経と坂井住職の弘法大師の御修行の法話に心が引き締まる思いがした。「こんな素晴らしい朝勤行は、初めての経験ですよ」とは生駒の神谷氏の弁。
7時半に出発し、雨の中、27番神峯寺、28番大日寺、29番国分寺、30番善楽寺と順打ちし、1時ごろに「はりまや橋商店街」の「土佐藩」の座敷で昼食。はりまや橋周辺に観光客を誘致しようと観光バス用のターミナルが開設されたお陰で、和尚も初じめて町の中心部を散策することができた。善通寺一高の後輩である森山道子さんは、四国銀行に就職した時、新人研修で来たことがあると懐かしそう。2時に迎えのバスに乗車し竹林寺へ向かう。雨中の境内は、紅葉と朱色の五重の塔が美しく、感嘆の声。
写真が欲しいとの声に押され、撮影したのが、冒頭の一枚だ。
禅師峰寺、雪蹊寺と予定どうり打ち上げて、4時半、宿舎の三陽荘へ。「日頃は、足が痛いなどと言っているのに、お四国を歩くときはなんでもない。本当にありがたい」とは、最年長の北邨昌子さんの禅師峰寺参道を登りながらの一言。
三陽荘は、生駒の「龍眼寺」のお導きで開業したというだけあって、「黄金大師」「三面大黒天」などなど仏像をお祀つりし、高僧の墨跡も多い。和尚も、お遍路本「よう おまいり」も置いていただいているので、東寺・砂原秀遍堄下の書を寄贈することにした。いつもながらの豪華な夕食に麦酒や焼酎もすすみ、皆大満足。
18日の朝、支配人の運転するマイクロバスで青龍寺へ。大相撲・橫綱朝青龍のトレーニング場であった本堂への石段を登り、参拝後、弘法大師の師を祀る恵果堂へ案内した。
34番種間寺、35番清瀧寺、37番岩本寺と打ち終え、昼過ぎ帰路についた。
38番金剛福寺、39番延光寺は、来春の伊予一国巡りに回さざるを得なかった。次回は、フェリーで夜出発し、松山港から足摺岬を目指すこととなる。
今回は、和尚の大学の後輩の石黒博美氏、電通時代の仕事仲間の高橋秋夫氏、前出の森山さん、木村常末さんなどが初参加し、楽しいツアーとなった。次回は、3月14日の夜出発し、15~17日で伊予を廻る予定。

2009年11月11日水曜日

ひとふりの命ー大佛師 松本明慶


平成21年11月9日

このほど京都の大佛師松本明慶師が、『ひとふりの命ー大佛師 松本明慶』というエッセイ集を出版した。平成2年7月から4年5月まで「宗教工芸新聞」に22回連載したエッセイを加筆し、一冊の本にまとめたものだ。
17歳で、佛像彫刻の世界に身を委ねて28年経過した頃の思いが記されている。その思いが、今も変わらないからこその今日の出版であろう。明慶師は、今までに13体の大佛を全国に納め、日本を代表する大佛師の一人である。単なる彫刻家でなく、人々の祈りの対象となる佛像を彫り、修復し、またこの伝統の世界に羽ばたく後進を育てる明慶師の厚い思いが伝わってくる。
お四国の第6番安楽寺には、若い頃からの作品が順次奉納され、御住職をして「明慶歴史美術館ができる」と言わしめるほどで、御本尊薬師如来を除く30数体がすべて明慶佛である。力感あふれるお姿に、柔和な表情の仁王さま、本堂前の水盤の上にチョコンと正座する童天女像2体、なんとも愛らしく、特にお尻がかわいいと和尚はいつもお遍路さんにお伝えしている。そして大師堂のたくましい表情のお大師さまと脇侍の不動明王と愛染明王等などだ。また、四国八十八ヶ所霊場会の出開帳本尊88体も明慶師の刻んだもので平時は、第75番善通寺の遍照閣に祀られている。
西国霊場では、第32番観音正寺の本尊十一面千手観音菩薩(丈六・白檀造)そして、第2番紀三井寺の十一面千手観音立像(総金箔張り・12m)と2体の大佛が納められている。
お礼参りに、高野山に登れば、弘法大師の師僧である恵果阿闍梨尊像に会えるかも知れない。(金剛峯寺)
和尚も10年前の鹿児島・最福寺の大弁天坐像(18.5m)の落慶法要に連れて行ってもらって、初めて明慶師に御紹介いただいた。そんなご縁をいただいて、「松本明慶友の会」の会員となり、念持佛として、明慶作の弘法大師像(白檀・3寸)を我が家にお迎えしている次第である。
明慶佛は、全国で祈りの対象となっているのだが、約100体を展示する「松本明慶佛像彫刻美術館」が京都御所の西に開設されている。開館は、毎月第1.第3週土、日が原則だが、予約制なので、開館日の確認と合わせ電話を。
       松本明慶工房 075-332-7974