2016年10月11日火曜日

松永弾正久秀のロマンをたどるツアー

飛倉での茶会
平成28年10月10日

 茶人でもあった松永弾正久秀が信貴山城の落城寸前、織田信長からの名器「平蜘蛛の茶釜」を差し出せば命は救うとの申し出を断り、茶釜を打ち壊して天主を炎上させ運命を共にした命日が10月10日。信貴山城址保全研究会、三郷町、達磨寺、朝護孫子寺など関係先が連携しての初のツアー。40名定員のところ70名近くの申し込みがあり、バスを追加して対応。9時に王寺駅集合、御墓のある達磨寺での法要からツアー開始、三郷町の松永弾正供養塔から信貴山城の支城である立野城址をまわり信貴山千手院で昼食。午後は、2組に分かれ飛倉での武家茶・三齋流の茶席と本堂での大般若法要。さらに松永屋敷跡や山頂の信貴山城址を巡るという盛沢山なツアーだ。保全研究会の役員の一人である和尚の担当は飛倉での茶会、三齋流からは10名の方が参加、茶会のBGMに鳳笙の生演奏という贅沢さだ。三齋流理事で茶道家元教授の梅村尚子先生は、両親が19代目と20代目の家元というサラブレッド、笙の井原季子さんは、国内外の様々なアーチストと共演されている方。和尚の個人的な伝手でご無理をお願いした次第。飛倉の舞台に平蜘蛛の茶釜と同形のものを飾り、各々36名づつのお茶会は、笙の音が流れる中、梅村先生の解説のもとお弟子さんが御点前、お菓子も松永家の紋章をイメージした特注のもの。なぜ笙の生演奏を企画したかといえば、飛倉の入り口には、笙とたて笛が彫刻されているように、古より信貴山の竹が笙の材料となっていたのだ。快晴に恵まれ、良いご供養の会になりました。合掌

 秋深し 笙の音流る 武家茶会

逆打ち10回 30~23番 生駒発

金剛頂寺 本堂
平成28年10月4~5日

生駒から44名のお客様と8時15分出発。阪急からは3台出ているという。今日は、お天気だが、台風18号が済州島あたりに居て、東に廻り北九州から中国地方を通り、東北から太平洋に抜けるという予報が出ている。明日の雨は必至なので、今日中に27番神峯寺は打ちたい。3ヶ寺の予定を4ヶ寺廻りたいと云う訳だ。残りの2台は、楽勝だが、奈良組は最終組になるので不安がある。吉野川HWOで昼食、30番善楽寺に13時過ぎに到着、阪急2組にもう1組が境内に居る。しかし、流れは良く、30分ほどで、29番国分寺に向かうことができた。土佐の苔寺とも云われる美しく整備された境内だ。「酒断地蔵」の説明をしたが、断酒祈願の御参りをする方はいなかった。28番大日寺は、急な坂道を登る。ここでどの位時間を要するかがポイントと話していたが、お客様の協力で、40分ほどでクリアー。15時35分27番神峯寺へ向けて出発できた。台風のこともあって、お寺もタクシーも待っていてくれるという。国道沿いのタクシーとの乗り換えポイントに16時20分到着、しかし、ピストン運転中のタクシーがなかなかやってこない。この間に、トイレや買い物を済ませてもらい、順に登る。神峯の霊水を汲み、本堂、大師堂と巡って、17時45分。有り難いことにお寺やタクシーが待ってくれたお陰で、無事4ヶ寺廻ることが出来た。お宿は、土佐ロイヤルホテル。和尚は、法人メンバーでもあるので、コピー代の値引き交渉、@20円を@10円にしていただき、お客様に般若心経の資料を用意ことができた。
5日 台風の雨の中を7時45分出発、26番金剛頂寺へ向かう。添乗員の話し合いで、奈良組を一番に出発させてもらったのだ。9時過ぎに到着、本堂は薬師如来の眷属が揃い堂々たるもの。駐車場の「はらみたや」のアイスクリンがよく売れる。25番津照寺の石段を登る。踏み幅が狭く、雨にも濡れて、歩きにくい。特に、下りに注意と声をかける。和尚は門前で、「野根まんじゅう」を購入、お供えの後、お下がりを詩吟の生徒さんと頂くのだ。24番最御崎寺は、土佐の国の打ち止めのお寺、皆で梵鐘を衝き、大師堂横の「一畑薬師」を拝む。弘法大師の修行場といわれる御蔵洞に立ち寄ると、柵がされて洞内には入れないようになっていた。落石のせいだ。阿波の国23番薬王寺まで、海岸線を走ること1時間半ばかり。この間にお弁当をいただく。薬王寺は、和尚の師僧、東寺の砂原長者が、修行された寺でもある。本堂に上がらせていただきお勤め、格天井の絵が美しい。大師堂で、打ち止めの後、希望者を募って、瑜祇堂へ案内する。還暦坂の61段の石段を登ると絶景が待っている。堂内で五智如来の解説をし、展望台に上がろうとしたが、台風で閉鎖というので、下層の戒壇めぐりと宝物拝観に切り替える。14時10分奈良へ向けて出発。奇跡的と云うべきか、台風の最中と云うのに、御参りでは一切傘不要。移動中は雨風に見舞われても、バスを下りて御参りにかかると止んでいるのだ。和尚も、合羽も用意していたが、傘を開くこともなかった。「お客様の日頃の行いが良いせいで」とご挨拶してお別れ。結願までがんばって下さい。合掌

 足早に 釣瓶落としの 遍路道

 台風を ついて参るや 土佐の寺

読売三重 西国10回 30~31番 

平成28年10月2日

長命寺本堂
読売旅行の西国巡拝で、伊賀や名張のお客様とのコース。和尚は久しぶりだが、顔馴染みの方も多い。名張駅7時半、名阪ドライブイン8時10分集合で25名が揃い、名阪国道を東進、壬生野ICから新名神甲南ICへ。竜王ICから国道8号線経由で31番長命寺を目指す。奈良や八木からもバスが出ていて、我々が先頭を走っている。9時半に麓に到着、タクシーに分乗して山を登る。歩けば808段の石段だが、上の駐車場からは残り、180段程だ。本堂にたどり着くと、草創1300年記念の本堂内陣特別拝観中だ。(10月1日~31日)これは、有り難いと、お客様に声を掛け、内陣でお勤めをし、拝観させていただく。(@500円)こちらのご本尊は、千手、十一面、聖観音の三尊一体なのだが、今日は、お前立ちの千手観音様が迎えてくださった。少し早めの昼食を湖東三山の一つ「西明寺」門前の「一休庵」で摂り、長浜港へ急ぐ。12時45分発の琵琶湖汽船に乗りたいからだ。30番宝厳寺のある竹生島へは30分の航海、一番乗りで2階席に陣取り、景色を楽しむ。帰路は14時35分発の予定なので、たっぷり時間がある。急な石段を登って、本堂でお参りし、宝物館で「面向不背の宝珠」を鑑賞、観音堂から船廊下、都久夫須麻神社と廻るコースだ。「面向不背の宝珠」の中の釈迦三尊像は四方どちらから見ても正面を向いている。四国霊場志度寺の縁起にうたわれ、興福寺中金堂の本尊の仏頭に納めらたというもの。港で、名物弁天芋餅を味わっていると、船がやってくる。残りの2台のバスの為に、臨時便がでたというのだ。その便で、15時15分出港。お陰さまで、早く戻ることが出来た。合掌

  長浜港にて 秋深し 長浜大仏 琵琶湖背に

2016年10月1日土曜日

西国巡拝 京都編 元慶寺~今熊野

六波羅密寺 本堂
平成28年9月30日

お四国の遍路仲間との西国巡り、今回は京都市内だ。メンバーはY夫妻とK女と和尚の4人組、住まいも近くなので、和尚が迎えに廻り、番外の元慶寺を目指す。愛車が車検中なので、代車のハンドルを握る。カーナビとの相性が悪かったのか、少し大回りした感じだ。しかし、京都の街を走るのには軽自動車が最適と実感させられた。元慶寺も、門前の駐車場まで入れたので、国道から歩いているいつものお参りと全然違う。朝一番のすっきりとした雰囲気の中、我々だけのお参り、気分爽快だ。最大の観光スポットでもある清水寺の参道は、人、人、人で溢れている。本堂での読経の声も、周りの騒音に掻き消されそうだ。音羽の滝も、長蛇の列。ガードマンによると、多い時は120人程並ぶのだと云う。3人には諦めてもらって、六波羅蜜寺へ。打って変わって、静かなたたずまいだ。本堂で、静かに読経の後、宝物館に案内する。空也上人像や弘法大師像、平清盛像など重文が勢ぞろいしている。急に思い出して、幽霊子育て飴の店に。京都で1番古い飴屋で、女将さんも20代超えのようだが、古い資料がないので、京都に来る前がどのくらい古いのかわからないと云う。その由来は、『今は昔、慶長4年京都の江村氏妻を葬りし後、数日を経て土中に幼児の泣き声あるをもって掘り返し見れば亡くなりし妻の産みたる児にてありき、然るに其の当時夜な夜な飴を買いに来る婦人ありて幼児掘り出されたる後は、来らざるなりと。此の児8歳にて僧となり修行怠らず成長の後遂に、高名な僧になる。寛文6年3月15日68歳にて遷化し給う。されば此の家に販ける飴を誰いうとなく幽霊子育ての飴と唱え盛んに売り弘め、果ては薬飴とまでいわるるに至る。洵に教育の上に、衛生の上に此の家の飴ほど良き料は外になしと今に及んで京の名物の名高き品となれりと云う』
お昼時を少し過ぎたので、いつもの「晦庵河道屋」へ。御池通りの地下駐車場に車を停め、2階に落ち着く。和尚はいつもの「鴨なんばんと季節のご飯のセット」3人は、「天麩羅そば」「天ざる」「しっぽくそば」とまちまちに注文。お腹を落ち着かせた後、革堂行願寺へ。なんと老尼のご住職が納経所にいらっしゃる。ご挨拶すると、今年90歳とか。「お元気ですね」と云われて、恐縮してしまった。革堂と同じく町衆の寺である六角堂頂法寺は、本尊如意輪観音の左に聖徳太子、右に見真大師が祀られている。見真大師が親鸞上人の謚号だと認識する方は、多くはない。浄土真宗自体が、あまり使っていないせいだろうか。シースルーエレベーターで、六角の屋根を確認してから、コーヒータイム。打ち止めは、今熊野観音寺。本堂で読経をし、大師堂を廻って17時前。良いお参りでした。合掌

  観音を 巡り訪ねて 京の秋