2009年8月28日金曜日

お遍路の旅 説明会


平成21年8月28日

阪急トラピックス高松主催の「お遍路の旅・説明会」があり、公認先達として説明をするために赴いた。
和尚の持ち時間は約30分、話のテーマは3点に絞った。
 ①お遍路の由来
 ②お遍路のスタイル
 ③お遍路の作法
②と③は、このブログでも書いたので、①についてポイントを説明すると、まずは、「遍路の語源」。「辺土」、「辺路」と変化し江戸時代に「偏路」となる。「辺土」とは、海岸線から最初の山岳地帯までのエリアを云い、お四国の札所は、その地帯に存在する。だからその札所を巡ることを「遍路」と云うのであって、お四国のみにつかわれる言葉である。ゆめゆめ「西国三十三霊場に遍路に行く」などとは、誤用してはならない。次に88の数字の由来、俗説では、①男と女と子供の厄年の合計で、弘法大師が42歳の頃、自らの厄難と衆生の厄難を除く為に霊場を開創したからだという。②は八十八の文字を合体すると「米」となる。「米」は五穀の代表であるから、「五穀豊穣」を祈願してのものという説。四国霊場会の公式見解は、人が最初に克服すべき煩悩の数(見惑の八十八使)からきているという。
余談だが、「遍路」は立派な俳句の季語であることを御存じ?
旧暦の弥生三月の季語です。「遍路」「遍路道」「遍路笠」などの言葉のみであれば、春の歌だし、季節を変えようとすると、他の季語を付け加える必要がある。たとえば、以下の句で比較されたい。
       
        
 遍路笠 茶屋の床几に 脱ぎ重ね  公羽(虚子編 新歳時記 )

 彼岸花 色鮮やかに  遍路道   和尚

  (写真は、第28番 大日寺本堂)

2009年8月27日木曜日

阪急 四国第5回 24番~31番


平成21年8月25~26日

土佐・修行の国の始まり。本来なら24番から順打ちでお参りするのだが、バス遍路では高速道路を使う関係で逆打ちとなる。西宮北口から合流して、昼食会場の「かつお船」に着いたのは、1時をはるかに過ぎていた。本場土佐ならではの「カツオのたたき」をいただいてから、31番竹林寺より打ち始め。日本3大文殊のひとつとあってか、境内は緑に満ち溢れ、朱塗りの五重塔とのコントラストが素晴らしい。和尚の大好きな札所のひとつである。
お客さんは、38名、添乗の則包嬢は、本人、ご両親とも和尚の母校善通寺一高の後輩とか。世間は狭いと、感心。土佐の苔寺ともいわれる29番国分寺で、大師堂左手の「酒断ち地蔵」を説明すると、男性軍は、「それだけは、勘弁」と拝む人は、いなかった。勿論、和尚も同じ。
28番大日寺にたどりついたのが、4時半ごろ、火災防止の観点から火の気は自粛する申し合わせなので、線香、ろうそくは「運心」ということしてもらう。そのかわり、奥の院の「爪彫り薬師」へご案内させていただいた。
ほとんどの方が、オプションの「竜馬歴史館」の見学を希望、坂本竜馬の一生を蝋人形で表現したもので、結構評判がよかった。
宿の「三陽荘」には7時前に到着、お風呂は後にして夕食にしてもらった。海の幸を堪能し、露天風呂で遍路談義。
2日目は、6カ寺をまわる強行軍なので、6時半に朝食、7時半出発。30番善楽寺から27番神峯寺へ。バスからマイクロに乗り換えるタイミングがうまく行かず、相当のロスタイムとなってしまった。
「神峯の霊水」の話を事前にしておいたので、皆、空きペットボトルを持参し、いただいてきた。この地で脊髄カリエスが治った「水谷しず」さんの報恩の碑の前で、記念撮影する人も。
26番金剛頂寺では、本堂にて、薬師如来、日光・月光両菩薩、十二神将などの解説をし、「一粒万倍の釜」「がん封じの椿」「捕鯨八千頭供養碑」など案内させていただいた。
駐車場横の「はらみたや」では、アイスクリームが飛ぶように売れ、水晶入りの五鈷杵も人気。和尚の遍路本「よう、おまいり」も二冊残っていたが、完売し、二冊の追加をいただいた。
25番津照寺の108段の階段に根を上げ、24番最御崎寺へ。大師堂では、御宝号を7遍唱えて打ち止めとした。大師御修行の御窟洞に入り、座って外をながめ、「空海」の由来を感じてもらった。
 そこからが、長丁場、鳴門まで高速はなく、ひたすら地道を走る。最初の下車地、宝塚に着いたのは、8時を廻っていた。(写真は、津照寺本堂への階段)合掌

2009年8月24日月曜日

お四国の民謡 4 伊予節


伊予節

伊予の松山名物名所 三津の朝市 道後の湯
音に名高き五色素麺 十六日の初桜
吉田さし桃小かきつばた 高井の里のていれぎや
紫井戸の片目鮒 薄墨桜や緋のかぶら
              チョイト伊予がすり(写真は、第47番八坂寺境内)

カラオケ遍路小屋

平成21年8月9日

8日に母校善通寺第1高等学校の同窓会があった。和尚は、同窓会関西支部の事務局長でもあるので、車を飛ばして参加した。和尚の四国新聞に掲載されたエッセイをご覧になった先輩もいて、数人から声をかけられた。その中の一人、昭和28年卒の高木緑水先輩が83番一宮寺の近くで「演歌巡礼遍路小屋」を開設しているという。お話では、「讃岐うどんの御接待はあるが、カラオケ無料の御接待はない」と思い立ったとのこと。一度見においでと誘われ、あくる日に帰路のついでにのぞいて見た。
コトデン一宮駅の東に、プレハブ小屋を改造した遍路小屋があった。おりしも台風上陸で高速道路の閉鎖の報があるため、先輩にも会えないままに、いずれゆっくりお邪魔することを約して、慌てて失礼した。ちょうど、駅から札所までの遍路道に面しているのでわかりやすい。ぜひ、お立ち寄りください。