2010年6月26日土曜日

讃岐 一国巡り



平成22年6月14~16日

先達仲間の武田・源・永田さん3人と共に愛車を駆って讃岐を巡った。どういう訳か納経帖のご朱印のバランスが、故郷・讃岐は良くないのだ。朝8時、大阪・難波に集合して66番雲辺寺を目指す。いつもはロープウエイを利用するのだが、カーナビに従って山道を登る。四国霊場では最高峰(標高927m)にある寺で、急こう配の続く難所とあって、武田さんは、車酔いに。標識に従って北へ下ると67番大興寺だ。弘法大師御手植えの榧と楠の大樹が迎えてくれる。68番神恵院に向かう道筋に、美味しいうどんやがあると、御主人の実家がこのあたりという永田さんが誘導してくれた。
68番と69番観音寺は、同じ境内に2つの札所がある。納経所は共通で、便利だ。いずれも琴弾八幡宮の神宮寺の流れをくむが、明治の神仏分離令の余波で、今日の姿に変貌した訳だ。70番本山寺の国宝の本堂で馬頭観音を拝む。本尊が馬頭観音というのは、此処だけだ。75番ご誕生所・善通寺のおまいりを済ませ、時計を見ると、まだ時間がある。74番甲山寺に車を走らせた。弘法大師の幼少の頃の遊び場と云われ、満濃池修復の報奨金で建立とも伝わる寺だ。本尊は薬師如来だが毘沙門天も有名、なにしろその甲冑の形に似ているというので甲山というのだ。宿は、善通寺グランドホテル、善通寺の御影堂に勤務する高野山の道場仲間・栗峯澄明夫妻を招いて、夕食を共にした。新婚の奥さんはキューとで、はきはきしていて、お寺の奥さんに最高とは、おばさん先達3人の一致した声だった。和尚は、会食後、タクシーを呼んでカラオケスナック「道」へ向かう。幼馴染の踊りの師匠・藤間幹弥・幹花親子としばし旧交を暖めた。
15日、雨模様の中、朝1番に71番弥谷寺へ。岩肌に刻まれた「阿弥陀三尊像」や大師堂奥の「獅子の岩窟」など見どころが多い。73番出釈迦寺から74番曼荼羅寺と廻る。出釈迦寺は、このところ境内や参道の整備がすすみ、見間違えるほどだ。少し休憩をと、善通寺南大門前の喫茶「コトブキ」に。和尚の高校の同級生大藪君の店だ。なんと、同じく同級生の三原君もいるではないか。76番金倉寺から76番道隆寺へ。道隆寺門前の「サンエイ」さんで休憩、和尚の本も置いてくださっているが、先達仲間で評判のお店だ。お昼のうどん屋も御紹介いただいた。78番郷照寺、79番天皇寺、80番国分寺と廻って、次をどこにするかと考えた。結局、五色台の2ヶ寺・81番白峰寺、82番根香寺を廻る事が出来た。宿は、リーガホテルゼスト高松、地元の先達・櫻谷さんが手配してくれたもの。夕食は、和尚御贔屓の大工町・天麩羅「天銀」だ。櫻谷先達も加わって楽しい宴だった。
16日、83番一宮寺からスタート。地獄の釜の音が聞こえると云うお薬師さんの石の祠に首を突っ込むと、ゴーという地響きのような微かな音がする。新築の護摩堂の苔も根付き、様になってきた。84番屋島寺、85番八栗寺と山を登り降りする。八栗寺もケーブルを使わず、境内近くまで山道を登った。(カーナビに翻弄され、少しロスタイム。)86番志度寺は、平成の大修理とかで、大改造工事中。大師堂の中での御参りが出来なくなったのは残念だったが、納経所が別棟で立派になり、造園家・重森三玲66歳の作(1962)「無染庭」を望めるのが素晴らしい。かって、地元の櫻谷先達に連れっていってもらった「いこい」でうどんの昼食後、87番長尾寺に入る。結願所・88番大窪寺は、和尚の公認先達の推薦寺、納経所に槇野住職がいらっしゃって御挨拶。今年の先達全国大会は、奈良とのこと。「ではその時にまた」と別れ、門前の「飛猿閣」で休憩。店頭の「ようまいり」が痛んでいたので、持参の新本と取り換えた。山を下って、「ヘンロ交流サロン」の木村館長を訪ねた。和尚が寄付した東寺砂原秀遍長者の書も目下、表装中とか。櫻谷先達も駆けつけ、皆でわいわい、がやがや。和尚は、「ようおまいり」を10冊ほど寄付し、すぐそばの道の駅で、新鮮野菜をどっさりと買い込み帰路についた。
涅槃の道場23ヶ寺を打ち終え、友人たちとも旧交を暖め、お世話になっている方々にもご挨拶できた。本当に実のあるおまいりだった。感謝、感謝。合掌
(写真は、屋島寺の太三郎狸・蓑山大明神と雲辺寺の新本堂)

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