2014年2月12日水曜日

葛城を語るシンポジュム

平成26年2月11日

役行者誕生所・吉祥草寺山門
御所市アザレアホールに約200名の聴衆が集まってシンポジュウムが開催されました。葛城地区4市1町(大和高田、御所、香芝、葛城市と広陵町)の共催で、御所市の担当。今回は、各々お坊さんをパネラーにという趣向。和尚は、早めに家を出て、修験道の開祖といわれる役行者(神変大菩薩)のご誕生所「吉祥草寺」を参拝することにした。信貴山は「役行者霊跡札所会」(36社寺)のメンバーでもある。寺は、京奈和道路の建設がすすむ御所市茅原の里にひっそりと佇んでいた。
本堂(五大明王堂)を覗くと祈願法要の真最中、外陣に座り正面の大きな不動明王を拝む。法要の後、山田哲寛住職にご挨拶しお話を伺う。継いで写経道場に仮安置されている役行者を拝する。本来祀られている祖師堂(行者堂)が老朽化したためという。尊像は、役行者自作で三十二歳の御姿とか。
アザレアホールは、定員200名程のこじんまりとしたホール。お昼をいただきながら、進行の打ち合わせ。開演は13時30半。主催者挨拶の後、「蘇我氏を生んだ葛城の山河」と題しての基調講演講師は遠山美都男学習院大非常勤講師、正しく「葛城」の権威だ。古事記を紐解きながら、葛城氏から蘇我氏と続く、古代葛城の話に熱弁を振るわれた。続いて、シンポジュウム。「歴史読本」編集部の石井久恵女史を進行役に遠山氏も加わって、各々の地域の歴史伝説や葛城に対する思いなどを話し合ったが、仏教者の集まりらしくなく、宗教論がほとんど出なかったのが面白かった。興味深かったのは、奈良盆地はかっては海だったという話。御所の船宿寺住職の話では、寺名がそれを表し、標高200mに寺があるが、100mまで海面だったというのだ。紀の川を通じて海につながっていたという。広陵町代表の和尚は、馬見丘陵が屈指の古墳地帯であったことやかぐや姫伝説、そして「役行者」を葛城のシンボルとしてもっと活用すべきなどと話をさせていただいた。このシンポジュウムの詳細は、4月28日発行の「歴史読本」に紹介される由、興味をお持ちの方は、ご一読下さい。合掌

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