2011年6月15日水曜日

菰渕覚次の大師ご詠歌


平成23年6月15日

お四国を御参りしていると、いろいろなことに気がつき、新たな発見がある。大師堂に掲げられたご詠歌の扁額にお気づきになられましたでしょうか?四国八十八ケ所すべての大師堂とは申しませんが、結構目につくはずです。これは、明治三十年生まれの元校長先生・菰渕覚次さんの自作の扁額です。讃岐で生まれ、教師になり五十六歳の定年を迎えてからは、晴耕雨読の百姓に転身。ところが七十歳を機にお遍路三昧、ある時四十三番明石寺での老僧の言葉に「この寺には、徳川の世に、漁夫の奉納した額があり、今にその子孫が、参詣する。」と。これを聞いて自作のご詠歌を額として彫刻するを思いつき、彫刻の経験はないが、一本の彫刻刀で彫り続けたと云う。各寺で詠んだ歌を、佐々木開庵師に書いてもらったもの。木材を提供された方、額の板削りをされた方、多くの方々のお力で、今も掲げられているのだ。「覚次」の署名を目印にされると分かり易いかも。合掌
(写真は、志度寺大師堂の扁額
「玉藻よる 志度寺の庭に 南無大師 遍照金剛 唱へ奉らむ」)

1 件のコメント:

  1. このことは、讃岐の櫻谷先達からお聞きし、菰渕覚次著の『四国八十八ヶ所み仏の歌』(昭和四十九年刊)を古本屋で見つけて下さいました。遍路の先人は、至るところにいるものですね。合掌

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