2011年8月11日木曜日

讃岐路から中国路へご縁の旅


平成23年8月7~9日

7日に母校善通寺第一高等学校の二年に一度の同窓会が開催されるので、早起きして車を走らせた。会場は重要文化財の「旧善通寺偕行社」、禁煙は当然のこととして、窓やカーテンにも触れぬようにということだった。会場で、和尚の本籍地である詫間町松崎に住む先輩から田尾族の菩提寺「長寿院」のご住職が、75番総本山善通寺の宗務総長をされていると聞かされた。高野山の道場仲間が御影堂に勤務しているので、相談すると、8日の9時半に面会の時間をセットしてくれた。同窓会は大いに盛り上がり、82歳の長老の詩吟あり、校長のカラオケも飛び出した。和尚も、詩吟入りの武田節を披露。御開きの後、善通寺南大門前で骨董品と喫茶の店「コトブキ」を営む同級生を訪ねた。8日は、6時半に宿を出発して、78番郷照寺に向かう。一遍上人の時宗の寺、「厄除け宇多津大師」として名高い。77番眼のお薬師・道隆寺の納経所で、眼病平癒祈願のお札などにつき、話を聞いたところ一式いただいた。「潜徳院殿御守護」の御札、歳の数だけ「め」と書く眼病平癒祈願書、その郵送封筒、そして「眼病平癒のお唱え」等が入っている。バス遍路のお客様にも、きっちりと説明できる。門前の「サンエイ」に立ち寄り、白作務衣とお不動さんのTシャツを購入した。和尚の白作務衣はすべて此処のものだ。善通寺にもどり「コトブキ」で時間調整をして、宗務所で菅智潤宗務総長にお目にかかった。和尚は、数えて7代目となるが4代目までは、間違いなく「長寿院」にお世話になっているはずだ。5代目の祖父が関西に移転してから疎遠になってしまったのだ。和尚の代で墓を京都に移したこともあって、ますます遠ざかってしまった。子供の頃に祖母に連れられてお参りしたことは記憶にある。疎遠になってしまったことをお詫びして、和尚は積年の肩の荷が下りた思いだった。突然、「9月23日は空いていますか?」の問い、空いていれば、小豆島に法話に行かないかとのお誘いだった。アッという間に話がまとまり、小豆島八十八ヶ所13番「栄光寺」へ行かせていただくことに。善通寺を辞してから74番甲山寺、76番金蔵寺とお参りして、88番大窪寺へ。今年は、和尚の先達としての昇補の年で「権大先達」への申請手続きのためだ。さぬき市の櫻谷先達から電話が入り、「おへんろ交流サロン」で合流。木村館長と久しぶりに懇談できた。お土産にと頂いたのが、日本一長い名称の和菓子だ。さぬき市には、お四国の上がり3ヶ寺があるところから行政としてもPRに力を入れているのだが、まさしくその対応商品だ。八十八カ所にちなんで88字、その名は『願いを結んで 思いを結んで ひとを結んで お遍路さん 四国霊場八十八ヶ所 暑熱巌冬山々踏みこえ 巡り巡ってうれしや上がり三カ寺 嗚呼生きててよかったと 幸せ味わう創作和菓子 呼ばれたし名は大結願』というのだ。略称は「大結願」とか。(写真参照)「拝み最中」と「へんろの小石」の詰め合わせだ。櫻谷先達も一緒に87番長尾寺、86番志度寺とまわった。車を飛ばして西脇ロイヤルホテルへ。9日は、お遍路ばなしの講演会だ。広島県庄原市東城公民館の「ふるさと今昔講座」の講師として1時間半、お遍路さんにまつわる話をした。このご縁は、大阪で講師に招かれた異業種交流の会にこちらの事務局も参加していて、和尚に依頼があったものだ。中国路もお遍路さんの盛んな土地柄で、経験者も多い。お陰で和尚の「よう、おまいり」が良く売れた。夜は、事務局や委員の皆さんと卓を囲んでの酒盛り。ご縁がご縁を結ぶ3日間、本当にありがたいことです。合掌

善通寺にて   蝉しぐれ お大師さまの ご縁あり

0 件のコメント:

コメントを投稿