2009年9月1日火曜日

京都巡拝


平成21年8月31日

西国霊場18番頂法寺、19番行願寺、そして東寺を巡拝した。頂法寺は、六角のお堂が本堂であるところから「六角堂」の名で知られている。聖徳太子が開基(587)したこの地は、太子が水浴をされた池のあったところで、遣隋使小野妹子が帰朝後、この池の畔に坊を建て、本尊を守護し、宝前に花を供え、代々それが受け継がれ、華道池坊の基礎となったという。
(本尊:如意輪観音)
19番行願寺は、別名「革堂」。京都市役所の北にある。開基は行円上人(1004)、若かりし時は狩猟を良くし、ある時一頭の牝鹿を射止めた。この鹿は、身ごもっていて産み月近くになっていた。矢傷と陣痛の苦しみの中で、出産し、小鹿の全身を舐め、悲しい鳴き声を発して息絶えた。これを見た行円は、心から母鹿にわびる思いで出家し、常に母鹿の皮を身に着けていたという。そこから革聖、革上人といわれ、革堂の名もそれに由来する。天台宗に属し、尼さんがご住職。(本尊:千手観音)
お昼前、東寺の土口哲光強化部長を訪ねた。和尚の兄弟子であり、師のお陰で、砂原秀遍長者の弟子となり仏門に入らせていただいた。いつも食堂で、おうどんをいただくのだが、今日は修行僧が袈裟を付け食事(じきじ)作法中であった。和尚も、高野山大学道場でのことを思い出した。兄弟子から、法要の次第などのご教示を受け、いろいろと御指導いただいた。にわか坊主の和尚にとって、なくてはならない、ありがたい存在である。
納経所で、御朱印をいただいたが、東寺は四国八十八ヶ所霊場の番外札所であり、古来、お四国に参る前に東寺で道中安全のお札をいただき、四国へ渡ったもの。そして、お礼参りに高野山奥の院。つまり「88+2」で90ヶ寺を廻るべきもの。和尚もバス遍路の先達の際はその話をしているので、和尚から聞いたと言って、納経所に来られる方も少なくないとか。ありがたいことです。合掌(写真は、東寺 五重塔)

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