2009年9月5日土曜日

仏の姿、菩薩の姿

平成21年9月5日

日本最大の宗教新聞「中外日報」9月1日付の紙面に畠中光享氏の文章が掲載されていた。とても解りやすいので、転載させていただく。「釈尊出家後の姿が仏、宮廷生活の姿が菩薩」ということだ。


 最初の仏像はどのような像で、どのような姿であったかを述べていきます。仏像と菩薩像はほぼ同時につくられ、最初仏像といえば釈尊像のみであり、菩薩像は釈尊入滅後56億7千万年先に仏となるとされる弥勒菩薩だけがつくられました。2世紀も半ばになりますと阿弥陀仏や過去仏であるディパンカーラブッダ(燃灯仏)がつくられ、観世音菩薩の前身の蓮華手菩薩もつくられ始めます。
 仏の形は釈尊出家後の姿で表され、菩薩の形は出家前の宮廷生活の時の姿で表されました。出家者は死体焼場に棄てられた衣類を洗い、状態の良いところを自分で縫い合わせて一枚の衣をつくり、腰布の上から身体に巻きつけて衣として身につけました。両肩を覆った着方を通肩(つうけん)と言い、右肩を出した着方を偏袒右肩(へんたんうけん)といいます。ガンダーラでは通肩の像が圧倒的に多く、マトウラでは初期の仏像は逆に偏袒右肩が多く見られます。ガンダーラ仏の衣の彫りは深く、高低があり、衣文の流れも自然な感じで水が自然に流れていくように彫られています。仏像の衣のことをわが国では糞掃衣と呼び、便所掃除の衣とされていますが、間違った訳といえます。もともと衣と袈裟は同じですが、わが国では貴族風衣裳の上に袈裟をつけています。五条や七条袈裟と言うのは五枚つなぎ、七枚つなぎといった衣の意味で、かろうじてつなぎ合わせて衣をつくったという体裁を袈裟でもって保っているのです。
 菩薩の姿は釈尊の宮廷生活の姿なのでネックレス、イヤリング、アンクレットなどの飾りをつけ、上半身は裸でドーティ(腰巻)を着け、サンダル姿で豪華に表されています。菩薩の髪は宝髻(ほうきつ)といい、頭髪を紐状のっもので結び、二段の束髪にし、装飾品を付けていることが多いです。また髪型も一定している自由な自然さがあります。顔の左右に垂れた頭髪は多くは耳の下で束ねられていますが、中には長く肩に垂れた、いわゆる垂髪(すいはつ)の形をつくっているものもあります。日本や中国の菩薩についている宝冠はガンダーラではみられません。
 仏像をつくる時の決まりを儀軌(ぎぎ)といいますが、最初から多くの儀軌があったわけではありません。ギリシャの神と違って、当時のガンダーラ地方の人々の姿によるところが多いと思われます。
 頭頂部の肉髻(にっけい)は知恵のコブといわれますが、実際には髪を上に持ち上げて頂上でで団子状に束ねたウエーブのかかった髪形であって、儀軌によって螺髪形に決められるのは、北インドではグプタ時代(320年~)に入ってからのことです。仏像の耳たぶが長いのは人々が重いイヤリングをつけていたからです。現在でも南インドの人の中には耳たぶが耳の倍の長さくらいの人を見かけます。額に白毫がつくられたのは、インドラ神(帝釈天)の額にある横長の目、シヴァ神の額の縦の目などインド的、額の神格化の要素を加えたことによります。
 仏、菩薩像には、頭光(円光背)がつくられ、尊像としてのオーラを表現していてギリシャやローマの神の像にはありません。手の指と指の間には水かきのような膜がつくられていて、それを曼網相(まんもうそう)といい、少しでも衆生をもらさずに救うための膜とされていますが、実際は彫刻が壊されにくくすることや、またつくる際に折れにくくするためにつくられたものです。











  

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