2009年7月11日土曜日

阪急トラピックス 四国4回 17番井戸寺~23番薬王寺

平成21年7月7日

七夕の火曜日、守口から16名のお客様と阿波の最終コースへ出発。和尚と一緒だったという方が5,6人いらっしゃった。添乗員は杉谷女史一人、バスは商都交通(高野ドライバー)。遍路ころがしのお山、20番鶴林寺、21番太龍寺を初日におまいりしようと計画、まずは17番井戸寺から。七佛薬師に圧倒され、日切り大師の面影の井戸に映る姿に安堵しつつ、鶴林寺へ。本堂で勤行中に強烈なにわか雨に遭い、ずぶぬれになりながらバスへ戻る。中型バスの利点で、大型では通行できない最短ルートを走り、太龍寺ロープウェイへ。せっかくのロープウェイも霧に包まれ、視界零。西の高野といわれるように大師堂は、高野山の奥の院と同じ様な配置になっている。先着のお遍路さんが、拝殿前でお勤めをし帰ろうとするのを見て、うらに廻ってご廟を拝んだらとお勧めする。そして本坊廊下天井の大龍画を鑑賞してロープウェイへ。20分間隔で運行のため、乗車時間の1時間後に山頂駅から下るのがいつものパターン。帰路の車窓から弘法大師の禅定のお姿がかすかに見えて、歓声があがる。
弘法の霊水、白水の井戸で名高い22番平等寺を打って、宿の徳島グランドホテル偕楽園へ。
この日は、3台のバスが出ており、先達3人、添乗員2人で部屋で懇談会。なかなかこんな機会はないのだが、結構前向きな話しが多く、お互いに参考になる一時だった。
8日の朝は、ゆったりとしたスタート、8時半に18番恩山寺に向け出発。屋島の戦いに際し、源義経が上陸したのが、この地点で石碑が立っている。また、近くの丘には、義経の馬上姿の大きな像がある。
この寺は、大師の母君ゆかりの寺で、大師堂に隣接して玉依御前の剃髪堂がある。
立江の地蔵さんで名高い19番立江寺では、阿波の関所寺として有名な黒髪堂を拝み、23番薬王寺へ。全国的に有名な厄除けの寺で、「鳴門秘帳」や「空海のある風景」などの舞台ともなっている。
和尚にとっては、師僧である砂原秀遍東寺長者の修行の寺であるので、感慨深い。還暦坂を登り、瑜祇堂で五智如来の解説をし、上層から海亀産卵の日和佐の海を愛でる。昨日とは打って変わり、上天気で絶景である。薬王寺会館で食事の後は、一路大阪へ。こじんまりとして、とても良い巡拝だった。合掌
                                                       
黒髪堂縁起
石見(島根)浜田の城下の櫻屋銀兵衛の娘お京、大阪新町で芸妓をしているうちに要助という男と結ばれ、21歳の時に故郷に帰り夫婦となった。やがてお京は、鍛冶屋長蔵と密通し、長蔵をそそのかして夫要助を殺し丸亀に逃げた。享和2年(1802)のお京27歳のことで、追ってから逃げるためか二人は遍路になって札所巡りをはじめ、立江寺に着いたのは享和3年春夕方のこと。本堂にぬかずくやいなや、お京の髪は逆立ち、本堂の前にたれている鉦に巻き上げられて、お京は高く吊り上げられてしまった。住職に助けを求めると、住職はことの次第を尋ね、お京が懺悔すると黒髪もろとも肉は剥げ、鉦の緒に残り、一命は助かった。その黒髪を祀る。二人は真人間になって近くの吉田山に庵をむすび、仏道に精進したという。(お京庵)

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