2012年10月11日木曜日

戌年同行の会(さぬき市・地蔵寺・願興寺)

平成24年10月9日

願興寺聖観音レプリカ
戌年に堺からお四国を結願した方々のいわば同窓会。和尚は、例年2月の懇親会に参加し、6月の日帰りツアーの企画をさせていただいている。今回は、6月の台風襲来で延期していたものを復活させたのだ。和尚を含めて総勢25名、東三国と堺駅前の2箇所が集合ポイントとなっていた。和尚は、「堺駅前・竜神橋」の集合場所と思うところに行ったのだが、よく見ると橋の名前が違う。駅前の橋は、「勇橋」と「栄橋」だ。ウロウロ探したが見つからないので、幹事に連絡すると、どうも「勇橋」のことらしい。いざ出発という時になって、一人遅れているのに気がついた。地元に詳しい方なので、ご高齢とはいえ間違うことはない。幹事が、自宅に連絡すると、「橋の上で待っている」と電話があったという。幹事が走り回ってやっと遭遇できた。なんと少し離れたところに「竜神橋」は存在したのだ。幹事は、バス会社との打ち合わせで、「勇橋」を「龍神橋」と聞かされていたらしい。そんなバタバタをクリアーして、8時20分出発。淡路SAで休憩し、志度ICでさぬき市の櫻谷先達と合流、さぬきうどんの「池田家」に案内してもらう。おでんやお稲荷さんも置いてある典型的なさぬきうどんのお店だ。皆でおでんやお稲荷さんをパクパクやっていたが、なかなか注文の「釜揚げうどん」が出てこない。覗いてみると、4~5人分づつ順に茹で上げている。結局、和尚たちのテーブルにうどんが届いたのは、入店してから40分後だった。これにはまいった。しかし、お味は、流石に一級品だ。少し、遅れて地蔵寺へ。
地蔵寺は、四国霊場86番志度寺の奥の院で、歴史は志度寺より古い。日本廻国六十六体尊仏一堂に会していることでも著名な、稀有なお寺だ。中世に日本全国六十六ヶ国の神社仏閣を巡る日本一長い巡礼があったことにちなんだもの。栗峯弘文住職のお話を伺っていると、真言宗善通寺派管長・真言宗長者である樫原禅澄猊下が駆けつけてくださった。せめて、記念写真でもとのありがたいご配慮なのだ。地蔵寺のご子息栗峯澄明師が善通寺に勤務し、猊下の秘書役をされている。しかも彼は、高野山大学加行道場での和尚の修行仲間でもあるのだ。ご縁とはありがたいものだ。本堂でご法楽の後、ご住職の法話。廻国の本尊も二体が行方不明になっていたのが、不思議なご縁で戻ってこられたという。そのエピソードは不可思議としか言いようもない。
ついで、87番長尾寺の近くにある願興寺へ。奈良時代からの古刹で、重文の脱活乾漆造・聖観音像が残されている。木組みを作り、土を捏ねて型作り、布と漆を重ねる。乾燥したら土と木組みを取り出さし、新たに木組みで補強して、さらに幾度も漆を塗り重ね、細部を仕上げる。途方もなく手間と費用のかかる造仏法なので、現存するのは近畿地方が中心で、願興寺は最も西に位置する。
平成22年に落慶した本堂で、樫原典澄住職から寺の縁起を聞く。住職も和尚と同じく定年後に修行して寺を継がれた方だ。本堂の両界曼荼羅や真言八祖像は、日本画を良くする奥様の筆になるもの。2年掛りの大作で、金とプラチナで描かれた曼荼羅は、気品に満ち、荘厳さに魅入られてしまう。観音堂を特別に御開扉していただいて、順に拝観させていただく。奈良・興福寺の「阿修羅像」などと同じ流れを汲むようで、前に座ると優しさに包み込まれ、いつまでもそこにいたい感じがする。お茶をいただきながら、同じ手法で観音像を復元するVTRを見ると、改めて凄いと実感する。
ゆっくりと堪能して、帰路についた。堺着19時。さわやかな秋風のもと、満ちた足りた一日だった。合掌

 地蔵寺にて   廻国の 佛居並ぶ 秋の寺

 願興時にて   観音の 微笑み嬉し 秋の風

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