平成21年6月27日
6月20日に開催された母校善通寺第一高等学校同窓会関西支部の総会に、和尚の同期である高畑保夫、佐藤方義両君が出席してくれた。ちなみに和尚は、事務局長を仰せつかっている。話題になったのが、恩師西川謙三先生のことである、平成10年に亡くなられ、佐藤君が葬儀にも参列とのこと。2~3年前の息子さんのお便りに京都にお墓を建立したとあったという。お世話になった悪がき3人、墓参りに行く事となった。同期のお姉さんにあたる上田利江先輩も同行したいと言うので、京都駅に集合し和尚の車でお墓のある東山「本山興正寺・霊山本廟」に向かった。
寺務所で、尋ねると若い尼僧が、案内をしてくれた。墓石を洗い、しきびを生けて読経し帰ろうとすると、寺務所から老僧が出てきて、「お話をききたいので、お茶でも」と引き止められた。問われるままに、「善通寺一高の教え子です」と答えると、なんと老僧は、昭和31年~34年母校で教壇に立ち、恩師と机を並べていたと言うではないか。すると上田先輩が「楠先生、私の担任でした」と声をあげた。それからしばらくは、昔話に花が咲いた。恩師西川先生は、生徒には厳しいが、暖かく、親身に面倒をみていただいた。しかし、職員室では、変骨で名高く、そのお陰か転勤知らず、定年までの25年間母校で英語を教えてくれた。
恩師の法名は「釈善一」。法名に母校の略称が使われているのを見て、涙を禁じえなかった。また、最初に我々をお墓に案内してくれた尼僧さんも、15年前に母校を卒業した同窓と聞き、ご縁の深さに驚くばかり。 合掌
2009年7月3日金曜日
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