2009年7月24日金曜日

カメラ一筋40数年、盟友片山信男氏が逝く

平成21年7月23日

和尚の10数年来の友人である(株)アートスタジオ片山信男氏が急逝した。氏とは、飲み仲間、ゴルフ仲間であり、和尚が電通で事務局を担当していたRUDEC研究会という異業種交流の集まりのメンバーでもあった。公私に渡る盟友である。和尚が、東寺真言宗大僧都に補任された折、氏のスタジオで僧衣姿の写真を数10点撮影してもらった。「久しぶりのシャッターだよ。」との声に「社員に頼めば、お金がいるから、いいの。」と答えながらの一時だった。もしかすると、彼の最後の作品かも知れない。

6月25日、体調の不調を感じ関西電力病院で診察を受けたところ、直ちに入院、一ヶ月もたたない7月21日に寂入した。まさに弘法の日だ。病名は、間質性肺炎で、あの「美空ひばり」と同じ病名だ。肺壁が次第に固まって機能しなくなり、呼吸困難になる難病だという。原因も治療法もさだかでないとか。

22日が通夜、23日が彼が社長の3社と片山家の合同葬、そしてお骨上げの後の初七日の法要と、不肖和尚が導師を努めた。葬儀委員長は親友のアシダ印刷社蘆田定男社長。出棺前の最後のお別れに際し、和尚は、お四国88ヶ寺のお御影を全身に敷詰め、その上からお花で埋めていただいた。また、病床で、和尚の「よう、おまいり」が読みたいと所望されたが見つからず、愛車の中から見つけたと拙書がお館の中に入れられた。

片山氏は、昭和17年生れ、大阪写真専門学校で学んで以来40数年、写真一筋にひたむきに生きてきた。独立して会社を起こし、写真家として経営者として非凡な実力を発揮し、関西の広告業界で、その名を馳せた。奥様のお話では、次なる事業展開の構想を暖めていたという。齢、古希に満たず、享年68歳。嗚呼何ぞ生死無常の迅速なるかな。

法名「高徳院真弘秀信居士」、和尚は万感の思いを込めて付けさせていただいた。合掌

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