2010年10月31日日曜日

喜光寺 会津八一歌碑建立除幕式



平成22年10月31日

養老5年(721)に行基菩薩によって創建された「喜光寺」(法相宗別格本山)において早稲田大学教授であり歌人・美術史家でもあった会津八一(1881~1956)の歌碑の建立除幕式が行われた。会津八一が生涯に詠んだ1036首のうち奈良を取り上げたものは3分の1に上り、県内には東大寺・興福寺・薬師寺・唐招提寺などに15基の歌碑があるという。エッセイストの中田紀子さんの呼びかけに「建てる会」が結成され、早稲田大学校友会奈良県支部のメンバーである和尚にも募金の呼びかけがあった訳だ。前日は東京で早稲田大学稲吟会(詩吟クラブ)創立55周年大会と祝賀会があり、夜行バスでとんぼ返りし参列した。早く着いたので、一番乗り。本尊阿弥陀如来、脇侍の観音菩薩、勢至菩薩を前に読経し、境内をゆっくり拝観させていただいた。式は除幕、読経、表白などのあと尺八と三弦による追善曲「残月」が演奏されたが、その途中に雨が降り出し写経道場に移動して、式典が続けられた。山田法胤住職の謝辞が、素敵だった。『ひとりきて かなしむ寺の白壁に 汽車のひびきのゆきかへりつつ』と歌に詠まれたように、喜光寺は荒れ果てていたが、住職が晋山して以来、「いろは写経」の勧進で見事に復興した苦労話もユーモア溢れる語り口で笑いを誘った。今年は会津八一の55回忌にもあたり、募金者は660名、式典の参加者は280名という。35回奈良を訪れ、自ら「酷愛」と表現したとか。大正10年、11年と喜光寺を訪れた八一は「この歌を詠みしは、この寺の屋根破れ、柱ゆがみて、荒廃の状目もあてかねし頃なり。」と書いている。歌碑は、生駒石に歌を刻んだもの、募金者の名簿が奉納される。なんとお世話になっている大石石材工業の仕事だった。社長と久しぶりにご挨拶できた。これも奇遇だ。ご縁は有難い。合掌
(写真は歌碑と喜光寺山門)

1 件のコメント:

  1. さらにもう一句
    菅原の喜光寺はあれまさるのみ
    「かけ稲の ひまをこぼるる あきの日の 
                  ほとけのひざに かたむきにけり」

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