2010年10月27日水曜日
歩き遍路19番~23番
平成22年10月24~27日
先達仲間の女性二人と6年ぶりに歩き遍路に出かけることになった。24日梅田三番街からバスで徳島へ。JR四国に乗り換え19番立江寺到着が16時頃。本堂での夕べの勤行は通常17時からだが、法事があるため16時半からに。宿泊者は、我々3人に一人客が2人の総勢5名、その内の一人84歳藤田老は、耳はほとんど聞こえないが、24年間の遍路人生について語ってくれた。「今は、何処へ行っても皆が面倒みてくれる」と一人旅を続けている。本人も語る通り、有難い人生だ。副住職に、「バス遍路の時、本堂のガラスが反射して、御本尊様がよく拝めないので、少し開けてもらえないか」とお願いしてみる。「どうぞ、本堂に上がってお参りください」との返事、しかし、バスが連なるとそうもいかないが、タイミングをみてそうさせて貰おうと思う。
25日は、午後から雨の予報だ。前夜、了解をいただいていたので、3人だけで5時に起床して本堂で朝勤行、御本尊地蔵菩薩と心ゆくまで時を過ごした。朝食後、大師堂でお参りののち20番鶴林寺に向けて出発。(6時30分)1時間歩いて10分休憩のペース、9時過ぎに登山口近くの「JA東とくしま よってネ市」に到着、その一角に「勝浦第11ヘンロ小屋」がある。「よってネ市」は定休日だったが、清潔なトイレ設備を使わせて貰い、有難い。ミカン畑の中のヘンロ道を登る。途中で雨が降り出し、リュックにカバーをかける。登山道には、「丁石」が設置されていて、和尚が「四丁」の時に二人は「八丁」だ。携帯が繋がるので、距離が開いても安心だ。11時前に護摩堂到着、後続の二人を待つこと25分、一人が股関節痛のようだ。本堂、大師堂と参り、納経所で食事のできるところを聞くと、まったくないとのこと。諦めて女性軍のアーモンドチョコを二個ばかり口に放り込んで、急な坂道や石段を一気に下山する。12時40分、「八幡神社」横のヘンロ小屋で休憩しながら携帯で確認すると、下りで痛みが激しくなったようで21番太龍寺へはロープウエイを使いたいという。最寄りのタクシー会社の電話番号を伝え、食事のついでにお弁当の確保をお願いする。那賀川にかかる水井橋を渡ると登山道に入る。3kmほどは支流の「若杉谷川」の渓流を右に左に見ながらのなだらかな登りだ。あと1.6kmの標識からは、急な登りで、一歩一歩ゆっくりと登るのだが、スタミナ切れか、フラフラ状態に。太龍寺に着いた二人から携帯が入る。「あと数100m」と答えたが、それから何度も足を止めながらの歩行、14時40分やっと辿り着いた。「おにぎり弁当」をいただき、本堂・大師堂のお参りも靴を脱ぎ、半跏座で行うと、ようやく体力が回復した感じ。宿にタクシーで入る二人に、荷物を預け身軽になって下山、納経所で1時間かかると云われた通りだった。16時25分「坂口屋」到着。全身びしょぬれ状態なので、すぐお風呂に飛び込みホッと一息つく。「坂口屋」は、太龍寺からの客とこれから登る客が一緒になるため宿泊者は多い。確かに、こちらから登る方がはるかに楽だと感じた。タクシーの二人が、焼酎を買ってきてくれていたので、それで乾杯。食後は、遍路ばなしに花が咲いた。
26日、6時40分出発。平坦な道路を行くが、国道195号を渡ると峠越えのヘンロ道だ。腿の筋肉が軋んでいる。下りにはいると竹林の中のヘンロ道の雰囲気が素晴らしい。9時、22番平等寺着、山門近くのコスモス畑が美しい。これから23番薬王寺までが約20kmの長丁場だ。国道55号をひたすら歩く。「第3号ヘンロ小屋鉦打」など2カ所のヘンロ小屋で休憩し、12時半食堂「味登利」にたどり着いた。6年前もお世話になったお店、「鍋焼きうどん」と焼酎にビール、食後のコーヒーと1時間あまり過ごし、残りは約3時間の行程。国道は、歩道のないところは、緑のラインを引いてヘンロ用としている。「おヘンロにグリーンラインでおもいやり運転を」との標識が出ている。「海部盆栽」店にお願いして女性軍はトイレ借用、これも有難いご接待。16時半、薬師会館到着、お参りは明日にして、最近作られた「薬王寺温泉」で疲れを癒す。和尚は、手前1kmのローソンで、焼酎とつまみを買い込んだ。
27日本堂での朝勤行は6時からというので5時起床、大師堂からお参りして、本堂に上がる。御勤めは、「理趣経」フルバージョンに皆で「般若心経」と丁寧なものだった。朝食を済ませ、納経所へ。日和佐駅から帰路についた。
合掌
秋の風 コスモス畑 遍路道
(写真は平等寺の山門とコスモス)
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太龍寺の残り1.6kmの登りで、6年間の体力の衰えを実感した。
返信削除女性軍は、ロープウエイ利用で大正解だ。次の最御崎寺への80km
の行程は、前回は2日で走破したが、今度は3日間かけてゆっくり行こうと思う。