2010年9月29日水曜日
四国6回 32~37番 西大寺発
平成22年9月27~28日
青岸渡寺から帰宅すると、バタンキュウで5時に起床、西大寺に向かう。この回は、各方面からのバスも多く、阪急トラピックスだけでも、5台という。奈良組は、36名で四国を目指す。田口添乗員の話だと、清瀧寺へ向かうタクシーがキャパを超え、我々は2日目になるという。ならばと、まずは、もっとも遠い37番岩本寺をめざす。車中から、故郷善通寺や、出釈迦寺奥の院、本山寺の五重塔の説明をしながら走る。岩本寺から34番種間寺を打つと既に17時前、当初の3ケ寺廻れればと云うもくろみは残念ながら無理だった。岩本寺横の、アイスクリームの「此処や」では、相変わらずの数珠つなぎの行列、やはり「生姜味」が一番人気で、生姜味+αで盛り上がっている。和尚は、いつもながらの「生姜味+バニラ」の組み合わせ、これで200円だから、超人気だ。岩本寺は、本尊が5体ある事でも有名だが、全国から公募した挌天井の絵も素晴らしい。34番種間寺を打ち終えると17時前だった。種間寺は、安産祈願の柄杓が知れ渡っている。妊娠した女性は、柄杓を奉納する。寺では、御祈祷ののち、その底を抜いて返す。無事安産すれば、それを持ってのお礼参りだ。境内の子安観音には、奉納された底の抜けた柄杓が、並んでいる。結構高齢出産が多いのには、なるほどと感心させられる。御宿は、温泉を掘りあてた「三陽荘」だ。美味しい食事をいただき、温泉につかり、朝5時半まで熟睡、そして朝風呂だ。三陽荘のマイクロで、青龍寺まで送り迎えしていただき、お茶の御接待を受けての再出発だ。青龍寺では「大相撲の朝青龍の高校時代のトレーニング場ですよ」と説明しながら、石段を登る。90歳代という権大先達のおばあさまも登りきった。次いでスーパーマルナカの駐車場で、マイクロに乗り換え清滝寺の参道を登る。何度か切り返しをしての走行なので、いかに険しいかだ。この寺では、境内の薬師如来立像の台座に、戒壇巡りが設置されている。御勧めでない先達もいるようだが、和尚はぜひにと勧める。現代人は、漆黒の闇など、こんな機会がなければ体験できないからだ。33番雪蹊寺は、長宗我部元親ゆかりの寺だ。長男信親の墓もあるし、隣は元親を主祭神とする「秦神社」だ。臨済宗妙心寺派の管長を勤めた山本玄峰師が盲目から救われた事でも署名な寺だ。少し時間的に余裕があったので、和尚もはじめて、隣接する「秦神社」を皆で訪れた。由来を見ると、明治の神仏分離令と廃仏毀釈によって雪蹊寺がいったん廃寺になったため、子孫と地元が、藩庁に申請して明治4年に勝ち取ったものという。いずれにしても、長宗我部元親は、土佐の国の英雄である。隣接する各国の寺院は、「天正の兵火」にあって甚大な被害をこうむり、四国霊場では悪役だが、調べるほどに元親は立派な武将だったと思う。後継の4男盛親で滅び、山内一豊が初代土佐藩主となるのだが、元親のそれまでの布石が一豊をして名君ならしめたと和尚は評価している。日本サンゴセンターで昼食を済ませ、月の名所の桂浜へ、記念写真を撮り散策。打ち止めは、32番禅師峰寺。駐車場の十一面観音立像の後頭部を見るように伝える。何しろ後頭部にあるお顔は大笑いをしている面相なのだが、正面からは拝めないからだ。ここでは参道が坂道になっているため、拝むことが出来る。大師ご宝号を七遍唱え、締めくくる。休憩を2回ほどとり、西大寺到着は、19時。結果的には、スムースなお参りとなった。合掌
(写真は、種間寺の子安観音堂、奉納された底の抜けた柄杓)
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「三陽荘」の名前の由来は、宇宙の陽(ひ)・自然の陽(ひ)・弘法大師の陽(ひ)であり、お大師様の命名という。和尚の大好きなお宿の筆頭クラスだ。料理・温泉・サービスの3点ともが素晴らしい。
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