2016年10月1日土曜日

西国巡拝 京都編 元慶寺~今熊野

六波羅密寺 本堂
平成28年9月30日

お四国の遍路仲間との西国巡り、今回は京都市内だ。メンバーはY夫妻とK女と和尚の4人組、住まいも近くなので、和尚が迎えに廻り、番外の元慶寺を目指す。愛車が車検中なので、代車のハンドルを握る。カーナビとの相性が悪かったのか、少し大回りした感じだ。しかし、京都の街を走るのには軽自動車が最適と実感させられた。元慶寺も、門前の駐車場まで入れたので、国道から歩いているいつものお参りと全然違う。朝一番のすっきりとした雰囲気の中、我々だけのお参り、気分爽快だ。最大の観光スポットでもある清水寺の参道は、人、人、人で溢れている。本堂での読経の声も、周りの騒音に掻き消されそうだ。音羽の滝も、長蛇の列。ガードマンによると、多い時は120人程並ぶのだと云う。3人には諦めてもらって、六波羅蜜寺へ。打って変わって、静かなたたずまいだ。本堂で、静かに読経の後、宝物館に案内する。空也上人像や弘法大師像、平清盛像など重文が勢ぞろいしている。急に思い出して、幽霊子育て飴の店に。京都で1番古い飴屋で、女将さんも20代超えのようだが、古い資料がないので、京都に来る前がどのくらい古いのかわからないと云う。その由来は、『今は昔、慶長4年京都の江村氏妻を葬りし後、数日を経て土中に幼児の泣き声あるをもって掘り返し見れば亡くなりし妻の産みたる児にてありき、然るに其の当時夜な夜な飴を買いに来る婦人ありて幼児掘り出されたる後は、来らざるなりと。此の児8歳にて僧となり修行怠らず成長の後遂に、高名な僧になる。寛文6年3月15日68歳にて遷化し給う。されば此の家に販ける飴を誰いうとなく幽霊子育ての飴と唱え盛んに売り弘め、果ては薬飴とまでいわるるに至る。洵に教育の上に、衛生の上に此の家の飴ほど良き料は外になしと今に及んで京の名物の名高き品となれりと云う』
お昼時を少し過ぎたので、いつもの「晦庵河道屋」へ。御池通りの地下駐車場に車を停め、2階に落ち着く。和尚はいつもの「鴨なんばんと季節のご飯のセット」3人は、「天麩羅そば」「天ざる」「しっぽくそば」とまちまちに注文。お腹を落ち着かせた後、革堂行願寺へ。なんと老尼のご住職が納経所にいらっしゃる。ご挨拶すると、今年90歳とか。「お元気ですね」と云われて、恐縮してしまった。革堂と同じく町衆の寺である六角堂頂法寺は、本尊如意輪観音の左に聖徳太子、右に見真大師が祀られている。見真大師が親鸞上人の謚号だと認識する方は、多くはない。浄土真宗自体が、あまり使っていないせいだろうか。シースルーエレベーターで、六角の屋根を確認してから、コーヒータイム。打ち止めは、今熊野観音寺。本堂で読経をし、大師堂を廻って17時前。良いお参りでした。合掌

  観音を 巡り訪ねて 京の秋

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